どこかで繋がりを
■ ■ ■
その後、少し練習をした。
指紋を拭き取り、綺麗になったフルート。それを入れたシャイニーケースを背中に掛ける。
さすが、防水仕様と衝撃から守ってくれるシャイニーケースなだけあって、ずっしりとした重さが肩を襲った。チューバやバリトンサックスのような大きな楽器に比べたらとても軽いので、文句を言うなと言われてしまいそうだが、疲労が蓄積した体には負担だ。
やっぱりシャイニーケースをやめようかなと考えながら、校門へ足を運ぶ。
ちなみに
校舎から出て空を見上げると、雲のかかった夜空が広がっていた。今もまだ織姫と彦星は会えていない。少し雲の厚さが薄くなったのに。
立派な校門を過ぎて、右に曲がった直後、
「お疲れ様です」
「ひゃあああ!」
突然背後から声が聞こえて、悲鳴をあげてしまった。近所迷惑だと、咄嗟に両手で口を押さえる。ちょっと遅いけど。
くるりと振り返ると、街路灯に照らされた
「
「ちょっと用事があったんで」
「用事って?」
高校生が二十一時までどんな用事があったのだろう。
そして、次に頭に浮かんできたのは、
「あ! そういえば、
「はは」
「笑い事じゃないって」
困った。これでは、
どうしたものかと悩んでいると、
「お姉さんの名前はなんですか?」
「私の名前?
家はこっち? と訊くと頷いたので、私達は歩き出した。偶然、家の方向が同じだった。
「
爽やかな笑顔が向けられる。眩しい。眩し過ぎる。そんな若い子に名前を呼ばれて嫌な人がこの世にいるだろうか。
高校生という若さを全身で噛みしめる。
「
『いつもこんなに遅くなって』という言葉に一瞬引っかかる。
いつも? なんだか前から私の行動を知っているような物言いだな。
そんなことを考えながらも言葉にはせず、ニコッと笑った。
「もう慣れっこだから。それに、こんなおばさんを襲うような物好きはいないでしょ?」
「いや、この前の人、いましたよね……」
「あ」
冷静に
すると、どちらともなく笑い声が漏れる。声を抑えながら、「忘れてた忘れてた」と素直に自分のミスだと認めた。
「あれからは大丈夫ですか?」
改めて彼に言われ、思い返してみる。
「んー、怖い思いはあれっきりないかな」
「それならよかったです」
「でも、またあんなのがあったら」
怖いな。
寸前のところで口を閉じる。
いかんいかん。また甘えようとしている。誰かに守ってもらうんじゃなくて、自分で自分を守らなきゃ。
甘えたがるもう一人の自分を、脳内で必死に突き放していると、
「連絡、交換しときます?」
熟れた果実のように甘い声。それでいて爽やかな後味。
耳元で囁かれたら恋に落ちてしまいそうな音に、思わず足を止めて、
夜風が二人の間をすり抜けていく。それは程よい冷たさで、心地よかった。
「じょ、冗談……? また大人をからかってるんでしょ!」
自分よ、もっと違う言い方があるだろうに。
「ははっ。酷いなぁ。からかってなんかないですよ。またなにかあった時、連絡ください」
下心なく笑う
「あ、あのね! 別に、あま、甘えたいわけじゃ、ないんだよ? 私の方が年上なんだし、もっとしっかりしなきゃって。だから、助けてほしくて、その、言ったわけじゃ、ないから」
〝またあんなのがあったら守ってほしい〟て言ったわけじゃないんだよ。
きちんと伝えた。年下の子にまで言われたくないから。過去の亡霊達に言われた言葉を。
しかしハッと我に返ると、わざわざそんな詳しいことを彼に言わなくてもよかったんじゃないかと後悔する。
「ごめん、さっき言った言葉、忘れて」
私はシャイニーケースを抱えて顔を隠した。それはひんやりとして、火照った顔には心地よかった。
ああ、穴があれば入りたい。潜り込みたい。
私、高校生を前になにを言っているのだろう。大人らしく、堂々としていればいいのに。
すると、急にシャイニーケースが宙に浮かぶ。いや、取り上げられた。
「これは没収します」
そう言って
「ちょ、ちょっと!」
「そんなこと気にしなくてもいいのに。
慌てる私をよそに、
「スマホ、早く出してください」
「本当に連絡交換、するの?」
「はい。イメージですけど、
「余計なお世話!」
恐る恐る出したスマートフォンを
「俺の連絡先を入れときましたんで。なにかあったら気軽に連絡してくださいね」
時々言葉で意地悪なことを言う割には、素直にスマートフォンを返してくれる。
画面を覗いてみると、確かに彼の名前と電話番号があった。
「家まで送ります」
「いや、悪いよ!」
「俺の家は駅の向こう側にあるんで、
「ああ、そういうことか」
スマートフォンを届けてくれたことも、ストーカーから助けてくれたことも、通り道だったから。
肩から掛けているトートバッグの長い持ち手を、ギュッと握り締める。
ただの偶然だったんだね。ほんのちょっと期待しちゃったな。私って、残念な人だなぁ。
「星、綺麗ですね」
「え、星、見える? 雲が邪魔してない?」
「見えますよ。雲と雲の間。ほら、飛行機が飛んでるじゃないですか。その近くに星が光ってますよ」
「飛行機って、どれ?」
目を凝らすが、飛行機の光かわからない。首を傾げていると、
「ほら、あそこ。月の近くで雲が途切れてるでしょ? 今、ちょうど赤と緑の光がチカチカしてる。あれが飛行機ですよ」
「あ! あの点滅してる奴? 確かに動いてる。あんまり空とか見ないからわからなかったなぁ。仕事場近くだと、ビルの光が強いから星も見えないし」
「この辺は比較的都心から離れてますから。星はなにも考えずに見れるからいいですよね」
そう言って、柔らかな笑顔を向けた。
でも、確かに彼は微笑んでいたのに、その細められた緑の双眸には悲しいような、寂しいような感情が見え隠れしていた。
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