第23話 厭世家(後編)
ああ、イライラする。
「ボク、天音さんにはセンスがあると思う。だから基本的な技術をつけたらもっとよくなると思うよ」
ああ、イライラする。
「色を重ねてくのは上手いけど、全体のバランスもあるからね。色の配置も考えて塗ってかないと。ホラ、この辺とこの辺はもっと差をつけた方がいいよ」
ああ、イライラする。
「不気味さとか独特な空気感はよく出てるけど、恐怖感を表現するには重厚さが足りないよね。水彩より油絵の方が合うんじゃないかな? とりあえず練習から始めてみない?」
「これをもっと気持ち悪くするアドバイスなんて求めてないんだけど?」
美術部の活動中。横から口出ししてくる能天気男へと、私は強めの口調で言い返した。拒絶の意思を込めた睨むような視線も添えて。
ずっと無視を決めこんでいたのに、あまりの鬱陶しさにとうとう我慢できなくなったのだ。
ここ最近の私はとてつもなく不機嫌だった。
それというのも、全てこの星川という男のせいだ。
私の絵を見てからというもの、コイツはやたらと馴れ馴れしくしてきた。こちらは仲良くするつもりなんてないのに、そんなのお構いなしで突撃してくるのだ。友達百人欲しがる小学生みたいに。
星川は小学生の頃から絵の賞を貰っていたとかで、同じ一年生なのに部の中でも腕前は上位。特に風景画、それも空を描いた作品はかなりのものだ。大雨でも「いい天気」と言うだけある。
そのせいか、アドバイスが無駄に的確。天才肌なせいで教え方は下手だったなら、まだ気軽に無視できたのに。
絵が好きで才能もあるなら自分の絵に集中していればいい。だけどわざわざ時間を割くくらいだから、本気でこんな不気味な絵を気に入っているらしい。描いている本人が一番好きではないにも関わらず。
ポジティブで社交的。感性が真逆の、全く理解できないタイプの人間だ。
現に今の拒絶も伝わっていなかった。
鈍感なのか分かっていて無視しているのか、奴は涼しい顔で首をかしげる。
「え、そんな。この絵はまだまだ良くなるのに、勿体ないよ。こんなに個性的で面白い絵なのに」
「別に。こんなの描きたくて描いてる訳じゃないから」
「描こうとしてないのに描けるの? やっぱりセンスがあるんだよ。もう天性の才能だね。羨ましいくらいだよ」
「私そんな才能要らない」
イライラしながらそれだけを言い返した。
他にもツッコミたいところは多かったけど、全てを言う労力が惜しかった。会話が恐ろしく噛み合わない。
本当に同じ空間で会話しているのかも疑わしくなってくる。奴の目と耳が心配になるレベルだ。
私が苛立ちを募らせる一方で星川は益々上機嫌になっていった。
「うーん。天音さんはこういうの好きじゃないのかぁ。確かに明るい絵と違って人を選ぶけどさ。こういう不気味な絵っていうと浮世絵の妖怪画とか、西洋画のヴァニタスっていうジャンルとか、有名な傑作は結構あるんだよ? 今ならネットとかでも見られから、ボクのオススメ……」
「話聞いてくれる? 私、要らないって言ってるんだけど」
星川がウキウキしながらする絵の話を強引に遮った。趣味全開で素人を置いてきぼりにする辺り、本気で質が悪い。
「……うーん、わかった。残念だけど、もう勧めるのは止めるよ」
私の方は不機嫌丸出し、向こうは相変わらずニコニコ。この温度差にようやく気づいてくれたのか。
星川はニコニコ笑顔を少し曇らせ、引き下がってくれた。
「でもどうする? コンクール用に描くならそろそろ本格的に始めないといけないよ?」
「コンクールなんて出す気ないわよ」
「え、なんで? そりゃ初心者だし最初からいい賞は取れないかもしれないけど、損は無いよ?」
「労力を損するじゃない」
「結果にならなくても、努力は無駄にはならないよ。将来の為にもいい経験になるし」
「は? なにそれ」
将来。
その単語を聞いた途端、私は無意識に低い声を発していた。
今まで星川に抱いてきた不機嫌だとかイライラだとかとは段違いの、明確な怒りだ。
「将来なんて無いじゃない」
私が言ったそれは、自分でも驚くくらい冷えて低い声だった。
そこで認識する。
星川は、私の平穏を乱す、敵だ。
この程度じゃ足りない。
今度はしっかり意識して、考えの甘いお子様をキツく睨む。
「え? どうしたの天音さん。将来が不安なの?」
星川はキョトンとしていて、何一つ理解できていないのが分かる。自分が病的にポジティブだからといって、それが常識だとは思わないでほしい。
こういうところが嫌いだ。大嫌いだ。
「不安? その程度の話じゃないわ。確実に無いのよ」
私は敵を睨んだまま言葉を続ける。
今まで溜まっていた鬱憤をぶつけるように。激しく叩きつけるように。打ちのめすように。
「あの気味悪い魔界と同じよ。この現実だって、先なんて真っ暗だし面倒で嫌で最悪な事ばっかり。不幸になる将来を淡々と迎えるしかないの。こんな絶望の世界に光が差す事なんてね、絶対にあり得ないのよ」
「……そんな、事……」
「いいえ。あり得ないわ。この世界ではね、大人しく
とうとう言ってやった。
ずっと自分の中だけに閉じ込めていた絶望だったけど、とうとう言ってやった。
ただ、だからといって気分は晴れない。むしろ口にした事で一層気が滅入る。虚しい事実を再確認したからだろう。
星川は沈黙している。
今までとは別人みたいに冷めた顔で。流石のポジティブさもなりを潜めていた。ここでようやくこの男に共感できた。
そんな奴を放置して、私は絵と道具を片付ける。部活の時間が丁度もう終わるところだったから。
先輩達はまだ活動中らしいけど、待たなくてもいい事になっていた。適当な部なのはやっぱり助かる。
テキパキと帰り支度を終えると、星川に背を向けたままで挨拶を済ませる。
「先に帰るわ。さっき言った事、ちゃんと覚えておいてね」
「……あ、うん……お疲れ……」
細々とした声を聞きながら美術室を出ていく。
呼び止める声も追いかけてくる足音も聞こえなかった。
あの男もこの世界を正しく理解してくれたのなら、それでいい。
翌日、私はいつもの通りに登校した。
星川と少々あったけど、あれぐらいなんともない。どうでもいい人間関係なんて引きずるようなものじゃないのだ。
授業もいつも通りに消化し、そして部活の時間。無駄な活動で無駄な時間を潰そうとする。
そこに、立ちはだかる敵。
そいつは、懲りずにまた私の前にやって来た。
「待ってたよ、天音さん」
「……何か用?」
先に美術室にいた星川はいつも以上にニコニコしていた。昨日の様子からして、私の発言を気にしてない訳ないはずなのに。
嫌な予感をひしひしと感じ、私は警戒した。
「ボク、あれから考えてみたんだけど……やっぱり、世界はそんなに悪くないと思う。頑張れば報われる事もあるし、楽しい事もあるし、ちゃんと希望もあるんだ。世界に光が差す事だって、あり得ない話じゃないと思う」
「……そう。でもね、アンタがどう思ってようと事実は変わらないわ。明るい未来なんて、想像しか出来ないのよ」
再びの拒絶。ひたすらに甘い反論を切り捨てた。
昨日からずっと考えてこれなら、本気で無駄な時間だったと言わざるをえない。相手にする価値の無い話だ。
ただ、星川のニコニコ顔はそのままだった。
「うん、そういうと思った」
アッサリと認め、星川は頷く。その潔さには違和感を抱く程。
それから奴は美術室の奥へ歩いていき、そこから小さめのキャンバスを持ってきた。
「ボクが伝えたい事は、やっぱり言葉じゃ上手く言えない。だからその為の絵を描いたんだ。昨日あれから急いでね。見てくれるかな?」
言い終えると同時、星川は伏せていたキャンバスを裏返して掲げた。自身の顔の前、私が睨んでいた位置に。
だから、興味は無かったのに、その絵は自然と私の目に入ってくる。
「何、を……」
瞬間、私は思わず息を呑んだ。
その絵に見入って、見惚れてしまったから。
それは油絵だった。私が描いていたものと同じような構図の、魔界を描いた絵だ。
空も大地も、血みたいに赤や毒々しい紫や錆めいた茶色や闇より濃い黒で塗られている。不気味でおぞましい、絶望の風景。
だけど魔界とは決定的に違う点があった。
この絵の魔界は、輝かしい光に照らされていたのだ。
分厚い雲が割れて、そこから白い線が延びている。放射状に広がり世界を淡く包むそれは、例えるなら天上のカーテン。
不気味な色使いの大地はコントラストとなって、光を引き立てていた。
星川の技術と相まって、神々しさすら感じる美しい景色のように見えた。
「ホラ、光が差したよ。こうしてみれば、天音さんも悪くない景色だって思えるでしょ? 世界には、希望だってあるんじゃないかな?」
絵に見惚れていたからか、星川の声は何処か遠くで言っているように聞こえた。それこそ、別の世界から届けられたみたいに。
悔しいが、認めてしまう。
これは確かに綺麗で明るくて、絶望からは程遠い、悪くない景色だ。
だけど、
それはあくまで、絵の中での話。
本物の魔界には起こり得ない現象だ。儚い空想で単なる夢、ただのとんち。まさしく「1+1=」に「田んぼの田」と答えるようなものだろう。
何の解決にもなっていない。
結局はこの世界の未来が明るいものだという証明にはなっていないのだ。
なのに、
「あ、ははっ」
私の口からは笑いが漏れていた。
悔しいのに強がりではなく、呆れるくらいずれてるのに苦笑いでもなく、正真正銘の明るい笑いだった。
だけど、自分でもその理由が分からない。
私はなんで笑ったのだろう?
絵は絵でしかないのに。
下らないのに。
馬鹿馬鹿しいのに。
無駄なのに。
むしろ、そうだから笑えるのだろうか?
「あはっ、あはははっ!」
いや、違う。
馬鹿馬鹿しいのは、私の方だ。
だから笑えるんだ。
勝手に閉じこもって、勝手に絶望して、私の方が拗ねる子供だったんだ。
「ははっ、あははっ。あははははっ。あははははははははっ!」
私は幼い子供のように無邪気に笑っていた。体を曲げてお腹を押さえての大笑いだ。
思えば随分久しぶりの笑いだった。
呆気に取られている星川の存在も忘れて放置して、美術室に大きな笑い声を響かせ続けていた。
この絵が描かれたからといって、何も解決していない。エンカウントは起こるし、あの世界もこの世界も暗いままだ。
それなのに。
なんだかとても、気分が良くて――
まるで、もう一度世界が変わったみたいだった。
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