第19話 不満者
ひたすらに暗くて不気味な魔界に、甲高い金属音が断続的に鳴り響く。
それは石像みたいな魔物が僕の鎧を打ち据える音だった。今回エンカウントした面子の中で一番重装備の僕が、魔物の攻撃をずっと引き付けているのだ。
「ぐうっ……!」
全身が痺れるような殴打を盾で受け、苦しさから息が漏れた。見た目通り石像そのものなのか、ただのパンチがやけに重い。
とはいえその分、攻撃パターンは単調。至近距離での打撃しかない。
まあ、だからなんだ、という話だ。
確かに魔物の攻撃は全て分厚くて頑丈な盾と鎧で防げているけど、精神的には耐えがたいものがあった。
いくら鎧や盾に守られていても、死ぬかもしれない行動を続けているのだから当たり前だろう。鎧は無事だとしても、中身は傷ついている。
鉄壁の重騎士。
そんな風におだてられた事もあるけど、真実は違う。
その証拠に、ちゃんと主役が現れた。
「はあっ!」
「うりゃぁっ!」
威勢のいいかけ声と共に放たれた二回の攻撃。両手用の大剣と戦斧によるものだ。
それぞれが無防備な石の背中へ見事に炸裂し、石像は沈む。魔物は背後からの不意打ちで仕留められたのだった。
そして崩れた石像の向こうから、軽薄な声があがる。
「壁おつかれー」
「いっつも助かるわー。お前って横幅広くてホント壁にピッタリだよな!」
ヘラヘラした二人が全く気持ちのこもってない労りを投げてきた。
いい気はしないが、僕は何も言わず睨み返すだけにしておいた。どうせいつもの事なので労力の無駄なのだ。
こいつらは高校のクラスメイト。今回は休み時間の自販機前で一緒にエンカウントしたのだ。
苦しいところは全部人に任せて、おいしいところだけを持っていく。
エンカウントだけじゃない。日常生活でもそうだ。
学校での僕はあまり良いポジションにはいない。
チャラいクラスメイトの言う通り、僕は横幅が広い。つまりは太っている。
あの日以前はその事をいじられたり馬鹿にされたりするだけだった。それで充分嫌な思いをしてきた。
でも、今はもっと酷くなった。
野球をやればキャッチャーをやらされるように、サッカーをやればキーパーをやらされるように……僕みたいに太ってるとエンカウントが起きれば壁役をやらされるものなのだ。
こんなの理不尽だ。間違いだ。
適材適所というのは分かるし、やるからには真面目に全力でやる。
だけど、危険な役回りをしないといけない気持ちをもっと考えてほしい。せめてもっと心から感謝してほしい。
でも、いくら言ったところで虚しいだけ。誰も考えを改めてはくれない。
こうなったら、自分が変わるしかなかった。
「絶対……痩せてやるっ!」
こうして僕はダイエットする事を固く決意したのだった。
「ぶはっ……ふはぁっ……!」
日曜日の午前中、僕は河川敷を走っていた。
汗だくになりながら息を切らせて。必死に懸命に、痩せる為に足を動かす。
口だけでない決意を実行している最中だった。
僕がダイエットに選んだ方法は単純な食事制限と運動。
簡単お手軽なダイエット法は数多くあるけど、それじゃ駄目だと思ったから。強く決意した僕に、楽しようという甘えはないのだ。
この河川敷には他にランニングしている人も多いけど、ここまで必死になってる人はいない。楽しそうですらあった。
こうも差があると、すれちがう誰もが笑ってるように思えてくる。どうせ被害妄想だろうけど精神的にキツい。
他にも疲れるし辛いし痛いし暑いし、何重苦かもわからない。でも、ずっと魔物の攻撃を間近で受け続けるよりは遥かにマシだ。
なんて、そんな事を思っていたから、急に足元が浮く例の感覚が襲ってきたのだろうか。
河川敷から、一瞬にしてあの薄気味悪い魔界に移動していた。エンカウントだ。
まだダイエットの成果は出ていないけど、毎日のようにあるから仕方ない。
今回現れた魔物は、牛の頭を持った筋肉質の大男みたいな姿をしていた。ミノタウロスというやつだ。迫力があり、強そうな印象を受ける。
こちらの戦力は僕を含めて五人。
その中の一人に、おずおずと話しかけられた。
「あの……すいません」
相手は大学生ぐらいのお姉さんだった。
せっかくの美人なのに、その顔を覆うゴツい兜が台無しにしていた。
ただ、ゴツいとはいえ僕よりはずっと軽そうで、動きやすさが売りみたいな装備だった。
見渡してみたところ、今回巻き込まれた他の面々も大体似たような装備。前線で体を張れそうな人はいなかった。
ただ一人、僕を除いて。
「……言われなくても僕が前に出ますよ」
何も言われてはないけど、周りの視線から「お前がやれよ」という思いが伝わってきた。あれが相手だと言いにくそうなのも納得できる。
だから僕はぞんざいに答え、さっさと牛男に近づいていく。
さっきのお姉さんを守るのなら、チャラ男よりはずっとやりがいがある。そう無理矢理自分に言い聞かせて、戦闘へと臨んだ。
野太い鳴き声が戦闘開始の合図だった。
魔物の攻撃は単純にして豪快。牛らしく正面から爆走してくるものだ。
地響きが轟き、通り過ぎた地面が抉れている。それらが魔物が持つパワーを充分に示していた。
僕はゴクリと唾を呑む。逃げられない緊張感に足が震えて挫けてしまいだった。
それでも僕は重心を落とし、盾を構えてその時を待つ。
「ぐう、ああっ!」
そして、衝突。
肩からの突進を受けて吹っ飛ぶも、僕はなんとか倒れずに持ちこたえる。感覚としてはまるで交通事故にあったみたいだ。
そしてすぐに、吹っ飛んだ僕を追いかけてくる魔物。迫る重圧は牛なんてレベルじゃない。
そんな牛の頭に、矢がグサリと命中。頼もしい味方の援護だ。
攻撃を受けてか、魔物の視線が僕の背後へ動く。その眼差しからは狂暴な敵意を感じた。
狙いを変える気だ。
「ふう……ああっ!」
その前に、僕は行動を起こす。
気は乗らなくても、やることはやらないといけない。
盾を構えて、こちらも突進。魔物が後ろに行かないように妨害する。
効果あり。敵が足を止め、視線を僕に戻した。
と、思ったら今度は殴りかかってきた。
当然重く、痛みが響く。避けたくても僕じゃ闘牛のようにヒラリとはいかない。
ドッシリと腰を落とし、武器であるメイスを捨てて両手で盾を構える。防御のみに特化した姿勢。
そして、拳の連打。耳が痛くなる衝突音が生まれては消えていく。
重い衝撃にも負けず、足が浮きそうになるところを歯を食いしばって耐えた。
殴られながらも、僕は少しだけの抵抗。
空いた手で、魔物の腰回りを掴む。完全に止めるのは無理でも、少しは動きを抑えられるはずだと思って。なんたって僕は、綱引きでも一番後ろの重石なのだ。
その間、即席の仲間達は魔物の背後や側面に回り、攻撃している。安全かつ効率よく。
矢が刺さり、剣が振るわれる。次々と傷が増えていく。
苦しげな鳴き声を発する魔物。ダメージを負う度に暴れ方がひどくなる。
引っ張られ、引きずられ、殴られた。辛く苦しい時間が延々と続く。
それでも手は離さない。鎧は頑丈なのだから。
そう信じる事数分後。突然の、変化。
掴んでいた魔物の全身がグラリと揺れる。そのまま前のめりに寄ってきて、僕ごと後ろに倒れてきた。
「うわっ!」
上に乗られて重い。このままじゃ動けない。
だけど僕は焦らなかった。脱力して眠るように休んでいる。
ようやくミノタウロスは倒れてくれたんだと気づいたから。
「はあ……」
元の河川敷に戻った僕はため息を吐き出した。ランニング中だった体が汗だくで気持ち悪い。
また、一番キツい役割をやる羽目になった。
一応頭を下げてきた人はいるけど、どうにも態度が軽いような気がした。やっぱり僕の気持ちも重要性もまるで理解していない感じだ。
絶対に痩せてやる。
だから僕は再び決意を固くする。
「あのっ」
そこに、話しかけてくる声があった。エンカウントの時、最初に話しかけてきたお姉さんだ。
当然見た目は大きく変わっている。
スラッとした健康的なスタイルにランニングウェアが似合う。兜がないので、綺麗な顔は何物にも邪魔されず輝いている。文句のつけようもない美人だった。
そんな人に正面から見つめられたらドキドキしてしまう。こちとら女性になれてない、モテない男子高校生なのだ。
挙動不審になる僕をよそに、お姉さんは自然な動作でペコリと頭を下げる。
「一番辛い役割をしてくれて、ありがとうございました! それにしてもお強いんですね。後ろから見たら頼もしい背中でしたよ! ……あ、喉かわいてませんか? よかったらこれどうぞ!」
芸能人顔負けの笑顔でお礼を言い、スポーツドリンクを差し出してきたお姉さん。
彼女に見とれていた僕は何の言葉も返せないままペットボトルを受け取った。手を振り去っていっても、後ろ姿をポカンと見送るばかり。ただジッと立ち尽くしていた。
そんな僕の脳内では、お姉さんの台詞が何度も何度も繰り返し再生されていた。優しくて温かい、感謝と称賛の言葉が。
なんだかだんだんと体が熱くなってくる。
「……や」
それは無意識に出てきた声。
僕の口はひとりでに言葉を発していた。
「やっぱり、無理して痩せなくてもいいかなぁ……」
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