第17話 臆病者(後編)
「あぁうあぁ……そんな……!」
暗く不気味な魔界。点在する岩の一つに隠れ、頼樹は絶望のあまり怯えた声をあげた。周囲の景色同様、明るさからはかけ離れた醜い顔で。
彼を絶望に叩き込んだのは、今回現れたマンモスのような外見の巨大な魔物。それが頼樹以外の戦士達を圧倒したのだ。
同時に巻き込まれた彼らは全く敵わなかった訳ではない。今までの戦闘の間に魔物の太い脚を傷だらけにし、長い鼻の先端を切り落としていた。
だが、中途半端に通用していたからこそ希望は断たれたのだ。
今や、軽く二十人以上いた戦力が皆地に伏している。まだ息はあるようだが、多くは意識を失っている。負傷が酷く手足がおかしな方向に曲がっている者すらいた。再び起き上がる期待は薄い。
それどころか、命が危なかった。
魔物は少しずつ移動しては足を降り下ろしていた。怪我人を放置せず、とどめをさそうとしているのだ。
大きすぎる体のせいで見えないのか、戦士達が必死に息を潜めているからか、今のところ奇跡的に被害者はいない。だが、それも時間の問題。いつかは踏み潰されてしまうだろう。
猶予はあまり残されていない。
だが――
「た……た戦わない、と……」
怖い。怖い。
ベタベタする岩に背中を押し付け、頼樹は情けなく震える。
くるみが――自分の彼女が倒れているのに、戦いを決意出来ないでいた。
頼樹は昔から極度の怖がりだった。
だが見栄っ張りな彼は露見を恐れた。そして克服するのではなく、隠し通す事を選んだ。
何故なら克服する事にメリットを感じられなかったから。
争いも危険も徹底的に避ければいい。人間はそこまで野蛮な生き物ではないのだから。
エンカウントが発生するようになったこの世界でも、それは同意見。
戦えなくて何が悪い。臆病者で何が悪い。
臆病者だと蔑まれる度、頼樹にはずっと思っていた事がある。
――おかしいのはお前らの方だろう?
信じられない。考えられない。
戦わなければ生きられないといっても、それで納得は出来なかった。
戦いたくない訳ではない。戦おうと思っても、体が思うように動かなくて戦えないのだ。
異常な世界では異常が普通。
以前の価値観をいつまでも引きずっていれば置いていかれる。
彼自身、実体験したのでよく分かっていた。
でも、死ぬのは嫌だ。
怖い。怖い怖い。
恐怖のあまり、頼樹はここにない光景を幻視する。
『お前、そんな奴だったのかよ。ガッカリだな』
落胆の顔が浮かぶ。
『恥ずかしいと思わないんですか』
侮蔑の顔が浮かぶ。
彼らの台詞はその通りで、決して否定できない。このままではいずれ命を落とすだけなのだから。
だから頼樹の頭には、それが運命なのかもしれないと諦めがよぎる。
震えるばかりで立てもしない足を抱え、目を閉じた。
『今の君が好きです。私に守らせて下さい』
たった一つ、輝かしい顔が浮かんだ。
明るく慈愛に満ちたそれが、蔑みの幻影を吹き飛ばす。
その言葉通り、ずっと守ってくれていた。一緒に、隣にいてくれた。救ってくれた彼女。
自分が死んだとしても、道連れにしてはいけない人だ。
それだけの美点がある。
「くるみ……」
大切な名を呟く。失いたくないと、熱い思いが湧く。
でも、怖い。どうしても足が震えて戦えない。
でも、もう居場所を失いたくない。
なのに、震えが止まらない。
思考は堂々巡りするばかり。
自己嫌悪で胸が埋まる。心と体の板挟みに潰されてしまう。
一体どうすれば――
「痛っ!」
突然の痛みで頼樹は我に返った。足に何かが当たり、そのショックのおかげで堂々巡りから開放されたのだ。
反射的に視線を下へ動かす。地面に落ちている、足に当たった物を見た。
それは、今こそ必要なものだった。
「ああ……そうか」
頼樹は自分がすべき行動を理解した。
恐怖はどうしようとも抑えられない。今すぐそれは直せない。
だから、怖いままで、怯えたままで、それでも抵抗すればいい。勇気を出せないままでも、生き残ればいい。
「これなら……」
その為の、この武器。クロスボウ。
これならば、遠い距離からでも戦える。
初めからずっとあったのに、ようやく気づけた。絶望のあまりそこまで視野が狭くなっていたようだ。
使った事はほぼ無いに等しいが、使い方だけは分かっている。体が覚えているように、自然に動くのだ。こうして武器を扱えるのも、戦士の姿の恩恵であるらしい。
まずは矢筒から矢を一本取り出してセット。そして岩から顔を少しだけ出し、武器を構える。斜め四十五度にして、遠くまで届くように。
そして憎き魔物を狙う。
だが、手の震えにより、クロスボウが揺れる。狙いが定まらない。矢の先がブルブル動いては当たる訳もない。
だから頼樹はクロスボウ本体を岩に押し付けて固定した。まだ震えているが、一応揺れは小さくなりマシにはなった。
そこでやっと発射。
「……っ!」
瞬間。頼樹は矢の行き先も確認もせず岩の影から飛び出した。
恐怖心が指示するまま、全力で走りその場から逃げ出した。
怖い、怖い。怖い怖い怖い。
立ち向かうには使えないこの足も、逃げる為ならその力を存分に発揮した。情けなさ過ぎて自分でも苦笑する。
それでも、構わない。隠れて震える以外の事が出来るのなら。
頼樹は走り続け、辿り着いた次の岩に隠れた。岩が点在する地域なのは幸運だった。
心臓が暴れている中でまた少しだけ顔を出し、様子を見る。
魔物に変化はなかった。当たったのかも分からない。
精神を落ち着けるべく、何度も深呼吸。
それでも落ち着かない腕で、震えを岩で抑えて二回目の射撃。またも手間取るも、なんとか成功。
そして同時に逃げる。
「はっ……はぁっ……!」
恐怖心のままに走り、次の岩に隠れた。
そこでまた様子を探る。するとマンモスは足踏みを止め、顔を動かしていた。何かを探しているように。
恐らく目的は攻撃した何者か、つまり頼樹を探しているのだ。今度は命中したのだろう。
喜ぶ間も惜しんで次、三回目。未だに揺れる不安定なクロスボウを発射。
そして、やはり逃走。全力で次の隠れ場所へ。
移動した先でコッソリ様子をみれば、魔物は頼樹が先程までいた位置へ移動しようとしていた。倒れたくるみ達から離れて。
とりあえず彼女らの安全は確保できた。見事に目論みへひっかかってくれたのだ。
「や……や、やった……」
恐怖で歪む顔に、僅かながら笑みと呼べるものが浮かぶ。
だが、やはり震えはまだ収まらない。
未だにブレるクロスボウから、がら空きの側面へ矢を放つ。
そして逃げた。静かに、かつ全速力で。
決して見つからないよう、逃げて隠れながら必死の次善策。安全を優先した、臆病者の
自分が死なないように、他人も死なせないように。魔物の注意を引き付け続ける。延々と隠れ続けなければならない状況に、恐怖はエスカレートしていく。
だが頼樹は抵抗する。
恐怖のままに、臆病風に吹かれるままに、震える体と歪んだ顔で射っては逃げてを繰り返す。限界を超えた逃げ足で戦いを継続していく。
いつの間にか、魔物には数多くの矢が刺さっていた。そして未だ追いつかれてはいない。
このままなら、いけるかもしれない。
そう思い、確かな希望を持った頼樹。
「うへゃあっ!?」
彼を、轟音が襲った。
危機感に駆られ、事態を確認すべく振り返る。
その瞬間目に飛び込んできたのは、大小様々な無数の岩塊。
轟音の正体は、魔物が岩を粉砕した時のもの。なかなか捉えられない攻撃者に、とうとう痺れを切らしたのだろう。
その破片が頼樹に向かってくるのは偶然か、不運か。
数が多い為、逃げ場はない。小さめの岩が背中に当たり、頼樹は転びそうになった。
ただ、だからといって転ぶ訳にはいかない。
ちっぽけな根性で体勢を立て直し、流石の逃げ足を発揮して走る。必死に、次の岩を目指して。
ところがそこに、無情にも更なる岩塊。降り注いだ毒々しい大地に穴を穿ち、爆音を生み出していった。
「あがふ!?」
今度は転びそう、では済まなかった。激しい衝撃により頼樹は派手に転ぶ。おぞましい色の地面を滑り顔も体も擦りむく。全身が熱く、痛い。
だが、
たちまちそれが気にならない程の恐怖と悪寒に支配される。
視界に、広く大きい影が差していた。振り返ればそこには、ちっぽけな人間を見下ろす強大な魔物。
「うぁ、うわあ……うあっひゃああっ!」
頼樹の口から出たのは、この日何度目かも分からない情けない悲鳴。裏返った声で甲高く喚く。
そんな命乞い染みた悲鳴にも、魔物は冷徹な反応を返した。
先端が切り落とさているのに、尚長い鼻が振るわれる。重機めいた一撃。比較的軽装の頼樹では、耐えきれる保証はない。
死。
不吉な未来が、否応なしに浮かぶ。
震える全身を、恐怖がつき動かす。
みっともなく、這ってでも逃げる。
だが、間に合わなかった。
横から何かがぶつかる感覚を受け、頼樹は宙を飛んだ。
「うあっ! ……あ?」
ただし、想像よりずっと滞空時間は短く痛みも軽い。
飛んだ原因は魔物の攻撃ではなかったのだ。
「遅れてごめん。でも、もう大丈夫だよ」
「うあぁ……くるみ!」
すぐ傍にはくるみの顔があった。泥で汚れた上に多くの傷がついた、戦いの跡が残る顔が。
彼女が助けようと突き飛ばしてくれたのだ。
「頼樹君のおかげで休めたから、私はまた戦えるよ」
無理矢理作ったような、固い笑顔でくるみは言った。そして背を向け走っていく。
その先では、再び立ち上がった戦士達が巨大な敵との戦いを再開させていた。誰もがボロボロの体で、それでも死闘を繰り広げている。
「……お、俺も」
腰が抜けていた頼樹だが、彼はへたりこんだままで斜めにクロスボウを構え続けた。
くるみの傷ついた顔と献身的な態度に恥じないように。
「頼樹君、大丈夫?」
聞き慣れた声により、頼樹は我に返る。
場所は映画館内の売店前のスペース。全員であの巨大マンモスを倒し、戻ってきたのだ。
だが人工物ばかりの風景を見ても、ふわふわとしていて全然現実感がない。
「くるみ……?」
「うんうん。今日はありがとうねえ。頼樹君もよく頑張ったねえ。私も嬉しいよぉ」
頼樹は抵抗もせず、くるみに頭を撫で回されている。
この子供にするような行動も、汚れや傷のない綺麗な笑顔も、全てがいつも通りの彼女だった。
「ああ……」
勝てた。生き残った。帰ってこられた。
ここでようやく、それを実感できた。
嬉しさが満ちて、胸に溢れる。
だから頼樹は、目前の大切な少女を無意識に力強く抱き寄せていた。
「おふひょおい! 何何、いきなりどうしたの!?」
あまりに驚いたのかくるみから奇声があがった。顔も真っ赤。普段と逆の立場に困惑しているようだ。
だが、頼樹はそんな彼女の様子を気にしない。気にする余裕が無かった。
「よかった……本当に、無事で。生ぎてて……よがった……」
涙と鼻水で聞き取り辛い声が漏れだした。これが格好つけない、頼樹の素の言葉。
だからこそ人に響き、伝わる。
くるみの表情もまた、だんだんと笑顔から変わっていった。頼樹からは見えないが、彼が初めて見るような顔へと。
「うん。私もね……もう、駄目かと……死んじゃうんじゃないかって……私もっ、怖かっだよぉっ……」
頼樹の胸に顔を埋め、くるみもまた嗚咽。
今まで忘れていた事実。麻痺してしまっていた感情。それら全てが、一気に爆発したようだった。
今まで守る側に立っていた事もかなぐり捨てて、みっともなく泣いていた。
ただ、みっともないのはお互い様だった。
二人は涙にまみれたまま、しばらくそうしていた。
嬉しくて、安心して、何がなんだか分からなくて、ただただ泣いていた。
離れたくなくて、存在を確かめていたくて、ただただ抱き合っていた。
この生きている幸せを、二人で分かち合っていた。
この日は頼樹の中で大きな意味を持つ日となったのだろう。
後日起きたエンカウントの際にも、ガクガクと震えながら必死に戦おうとする彼の姿があったという事は。
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