熊蜂

熊蜂

作者 一縷 望

https://kakuyomu.jp/works/16816927861372357474


 将来の不安に押しつぶされそうになったとき小箱に収めた翅を見ては在りし日に埋葬したクマバチを思い出し、人生の道標とする話。


 誤字脱字等は目をつむる。

 日常を面白く書いた私小説かしらん。

 本作は、主人公なりの「自分が自分の親になったきっかけの話」をしているように思えた。


 主人公は少年、一人称僕・私で書かれた文体。自分語りの実況中継された回想。多様な比喩や疑似化などで主人公が取り巻く世界を描いている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 彼岸の頃。夏の暑さと将来の悲壮に満ちた主人公は家のフローリングに貼りついていると、アスファルトに顔を埋めてしまおうと思い立ち、外に出ていく。

 道路のアスファルトの真ん中にクマバチが、ぺしゃんこに潰されているのを見つける。

 主人公が心から尊敬する花園の庭師であるクマバチの死骸を拾い上げると、自分の家の庭先へと持ち帰る。途中、風に煽られて翅が一枚落ちるも拾い、ポケットに入れる。

 苔の生える地に埋葬して水をかけ、手を合わせる。

 主人公は、どういうつもりでクマバチを埋葬したのかと自問すると、暑さで頭がいたいことに気づき、家に入ってフローリングに再び張り付く。そのとき、ポケットにしまった翅を思い出して取り出し眺める。

 メタリックな光沢の翅は、大気をつかんで一生懸命生きてきた証拠である。自分も誇り高く生きられるだろうかと問いかけながら、人生の道標として小さな小箱にしまう。

 将来の不安に押しつぶされそうなとき、クマバチの如く生きられるよう、小箱の翅を眺めるのだった。


 よほどの有名人でない限り、私生活は平凡で退屈なものである。

 なので、日常をそのまま書いても面白くならない。

 本作が面白いのは、文章が面白いから。

 使われている語彙の組み合わせやズレを描き、現実とちょっとちがう印象、違和感の積み重ねのバランスの良さが面白さを生み出しているのだ。


 書き出しの「空は気持ちよく真っ青なのに、気分は限りなく鈍重で。こんな日は、かの夏埋葬した熊蜂を思い出す」は、天気と主人公の気分を対比させながら、回顧しようとしている。

 つまり、書かれていることは、過去に起こった出来事であり、回想なのだ。

 回想しているのに、

「その日、僕は将来への悲壮で頭を満たしていて、その頭の重さの余り、暑苦しい空気を振り払う気力も無しにフローリングの冷気を弱々しくむさぼっていた」

 と、まるで書き出しの陰鬱とした状況を、より具体的に描いているかのようだ。

 暑い時の体感したことを描いているので、床のひんやりとした冷たさに恋しくて寝転がった経験があるものは共感するだろう。

 冒頭のこの表現で読者をつかめたと思う。


「外は快晴。太陽光線が垂直に街を焼いている」

 太陽の傾きで、時刻を表している。のちに「太陽も西へ首をかしげている」と表現されており、時間経過がうかがえる。


「いっそのこと、外のアスファルトに顔を埋めて終しまおうか。バカな考えを僕は起こした」

 寝転がっている状態は同じでも、フローリングとアスファルトでは異なる。夏の日差しを浴びたアスファルトはフローリングに比べたら、遥かに熱い。日陰はひんやりしてるだろうけども。


 脳が暑さで溶けているから「バカな考えはマトモな考えに早変わりする」とある。無論、やらずにわかることもあるけれど、やってみないとわからないこともある。

 真夏のアスファルトに顔を近づけると熱さとともに、小さな石や表面の凹凸が突き刺さって痛い。火傷もする。なによりみんなが歩いたところなので汚い。

 真夏にやらずとも春や秋に試すとわかるように、昼間は暖かくて気持ちよく、夜はひんやり冷える。冬はやらない方がいい。氷のごとく冷たく痛い。凍傷になる。

 

 床から体を起こしていく表現が「冷えピタを剥がすが如く不恰好な起立モーション」と独特。

 四足動物が起き上がるときの、後ろ足を伸ばして上半身をのけぞらせるような動きではなく、もはや動物でもない動きでフローリングから離れていく。「バカな考えはマトモな考えに早変わりする」とあったように、マトモではない動きを表しているのだ。

 ここは面白い。

 マトモではないから、「まだ視界の半分がチカチカする中、僕は亡者のように歩き出した」という表現につながっていく。

 ただ、

「聖者ではない。亡者の行進」

 と蛇足に思えるひとりツッコミがある。

 おそらく主人公の中では、ヴェルディ作曲・歌劇アイーダの『聖者の行進』という曲(サッカーの試合などで使われ、合唱曲にもあるので知っている人もいるかも)をヘロヘロに編曲された曲が流れているのかもしれない。


 玄関をただ開けるではなく、「荘厳に開けてみる。ゆっくり、ゆっくりと」重厚な扉を少しずつ丁寧に。

 主人公はいろいろと妄想がたくましい。

 陰気な沼から臭気が漂えばと思いつつ、目の前に広がるはコンクリートジャングル。

 最近はコンクリートジャングルなんて表現をなかなか聞かなくなったので、古めかしく思うものの、森との対比で表現している。

 室外機の擬人化と「プラスチック風味の熱風」の喩えをはさんで、「目指すは焼けたコンクリートロード」と、コンクリートジャングルと対にした表現をしている。

『耳をすませばの』イメージアルバムの中に入っている『コンクリート・ロード』が聞こえてきそう。でも、気分はちっとも陽気ではなく陰湿。

「ああ、太陽よ。青春の象徴よ。陰湿な青春の産業廃棄物である私を、その御光で焼き払い給え!!!!」

 カミュの『異邦人』で、殺人を犯したのは「太陽のせい」と答えたような二極化されることに対する反抗を叫んでいるようにも思えてくる。

 もはや自身を生ゴミではなく、産業廃棄物にしてしまうとは……。

 正しく回収されればリサイクルできたかもしれない。


 主人公の個性が際立っているのは表現だけではない。

 個性的なキャラを描くときは、つい奇抜な行動をさえようと考えてしまいがち。

 でもそれは誤りである。周囲の人間との関係を書き、主人公に対する対応がどうなのかを示すことで、個性の輪郭を浮かび上がらせることができるから。

 本作では主人公がクマバチを見つけたとき、「近所のオバサンが、道の真ん中でしゃがむ僕の横を通りすぎた。後頭部に痛い視線を感じる」と近所のオバサンを登場させて表現している。

 オバサンの登場がないと、主人公の個性が際立たなかっただろう。

 しかも、他人の視線が入ることで、主人公は冷静さを取り戻していく。


 主人公はクマバチに、並々ならぬ思い入れをしている。

「クマバチは、ただのハチではない。とっても温厚なハチで、近づいても、手でむんずと掴んで食おうとしない限りは、なかなか刺して来ることは無い」「名前に『熊』を冠する由来となった、愛らしくぼてっとした体躯には、不釣り合いなほどに小さな翅が二対。この小さな翅で、空気の『粘り気』をとらえて、大きな体を浮かせる姿には、生命構造の美を感じる。その優雅な飛行で花から花へ飛び回り、受粉を担う」「彼女クマバチは、僕が心から尊敬している、花園の庭師なのだ」

 いままで擬人化や比喩など面白い表現ではなく真面目で誠実、敬意を払っている。

 

 いままで「陰湿な青春の産業廃棄物」である自分を焼き払ってくれと亡者のごとく太陽に懇願していたのに、「エゴだとわかっていながらも、アスファルトを、ビル群を、太陽を、睨みつけた。光線が網膜を焼く。目を細めたが怯まずに、僕は空を見続けた」と破棄のなかった主人公が一変、敵意を剥き出しにする。

「太陽よ。なぜ罪なき彼女を焼くのか。焼くなら、どうしようもないクズの僕だろう? 空め、なんだその愉快そうな快晴は‼ 雲の一つ、夕立の一つでも降らせて、彼女を弔おうという気は無いのか⁉」

 主人公にとってクマバチは尊敬すべき存在だけでなく、生き方に共感していたと思われる。

「とっても温厚」で、手出しをしてこない限りは反抗せず、「愛らしくぼてっとした体」をしていて、「優雅な飛行で花から花へ飛び回り、受粉を担」っている。愚直に生きる姿に心惹かれ、憧れ、密かに手本に思っていたのだろう。

 なので、クマバチの描写に愛を感じる。


 主人公は想像力がたくましい。

 クマバチを片手に乗せ、もう片方の手を「船の帆のように立てて風避けを作り、ゆっくり垂直に立ち上が」って、「面舵一杯。ヨーソロー」といって、家の庭に向かう。

 心のなかでは「進路反転百八十度、おもかーじ、ヨーソロー」と掛け声上げながら舵輪を回して方向転換し、波しぶきの波音をザザザーと口に出して表現しているような主人公の姿が見えてくるようだ。

 翅が取れてしまうときの「風が、からかうように住宅街を吹き抜け、クマバチを蹂躙した」など、表現が大袈裟で面白い。

 きっと主人公がクマバチを見つけて家の庭に埋葬したのは、幼稚園児とか小学生とか、幼い頃だったと思われる。

 発想や妄想、空想のたくましさを感じるから。

 でも「将来の悲壮」とあるので、違うかもしれない。


 埋葬後、「僕は、クマバチを埋葬したりして、一体どういうつもりだったのだろうか?」と冷静になる。その答えは書かれていない。

 おそらく、クマバチが主人公自身に見えたのだ。

 夏の暑さと、将来の悲壮に打ちし枯れた自分自身と、弱っていたところを他人に踏みつけられ干からびたクマバチの姿とが重なったのだ。

 将来なりたいものを誰かに話したら他人にバカにされたり笑われたり、才能やお金がたらず無理だといわれたのかもしれない。

 誰も助けてくれない、そんな打ちし枯れた自分がクマバチを助けることで、間接的に自分自身をも助けることになる。 

 他の誰でもない、どうしても主人公がやらなければならないことだったのだ。


 クマバチと埋葬したのは、誰にも救われなかった主人公の心。

 翅を大事にしまったのは、「人生の道しるべとして」とあるように、この日を忘れないものにするため。

 人生の一里塚としたのだ。


 形があるものを残すのは、思い出すための手助けとするためである。なので、「以来僕は、今日のような、将来への不安で押し潰されそうな時、その小箱を取り出しては翅を眺めている」のだ。

 もし、何も残っていないなら、そんな事もあったかなと忘却の彼方へと累積される過去に飲まれて忘れてしまっただろう。


「貴女のように、そして、貴女の分まで生きられるように」とあるけれど、クマバチの寿命は一年。

 七月に誕生した成虫は巣から出ることなく越冬。本格的に活動を始めるのは、冬眠から目覚め交尾を始める四月から。五月から七月に子育てを行ってから、一生を終えるのだ。

 なので、ひょっとすると主人公がひろったクマバチは子育てを終え、寿命を全うしたと思われる。

 主人公はクマバチのごとく、温厚な生き方を見習おうとしているのだろう。


 クマバチのことを彼女、貴女と表記されている。

 一瞥してメスだとわかったのか。

 たしかに、働くのはメスでオスは働かない。

 なので、飛んでいるのはメスばかりのはずだと考えるのは悪くない。だからといって、実際にアスファルトで干からびているクマバチがメスだと決めつけるのは早計である。

 クマバチは、オスとメスの見た目がやや異なる。顔全体が真っ黒なのがメスで、一部に黄色い毛が生えているのがオスである。本作では顔まではよくわからない。が、「親指の第一関節よりちょっと大きい。黒光りする甲冑のようなその体躯の胸の辺りには、こがね色のきめ細かな毛がふわふわと生えている」とある。

 むしろ、顔部に黄色い毛が生えていなかったので言及されていないのだと考えれば、やはりこのクマバチはメスだったのだろう。

 

 もし主人公が女性なら(女性でなくともいいですが)、「貴女」とはクマバチと一緒に埋葬したあの日の自分自身の心かもしれない。

 あの日の幼い自分のような生き方を忘れないように、あの日の自分の分まで精一杯生きようと、翅を見る度に誓いを確認しているのだろう。

 精神的挫折があって成長できなかったとき「自分が自分の親になる」と良い。

 幼い頃の自分と比べたら、今の自分は大人で、できることも増えている。そんな今の自分が、幼い自分の親となり、自分自身に手助けをすることで成長していけるのだ。本作は、そのきっかけの話をしているように読んでいて思える。

 

 最後に「R.I.P.」とあるのは、墓標に刻まれる文字。

 ラテン語で「ご冥福をお祈りします」「安らかにお眠りください」という意味の『requiescat in pace』から、頭文字を取って作られた言葉。 現在では同じ意味と頭文字の英語『rest in peace』の頭文字とも認識されている。

 ネイティブの若者たちは、大切な物が壊れてしまった時や失くなった時に使うという。


 人口が増え続けて都市化をするための土地開発が進み、世界中で森が住宅地や農地化され、農薬を散布し、生息地が消滅していく。地球温暖化の影響から気候が変わり、環境に対応できず、世界で昆虫が減っている。

 鳥類の七割、哺乳類や爬虫類なども昆虫を食べている。その鳥類や哺乳類や爬虫類を、肉食の猛禽類、哺乳類が食べる。昆虫の減少は、食物連鎖が崩れることも意味している。

 また、昆虫がいなくなると、土壌が痩せてしまう。動物の排泄物を土に返す役割をもつ昆虫も減少すると、農業に深刻な影響が出てくる。

 なにより、ミツバチをはじめとする蝶たちは花粉を運ぶ。花粉を運ぶ虫がいなくなると、植物は実を作れなくなり、人間の食料になる穀物や植物が受粉できず食料がなくなる。

 すでに世界中の昆虫の約四割が減少傾向にあり、百年後には昆虫がいなくなると警告している研究者もいる。

 そんな話を、本作を読んでいて思い出した。

 

 たかが蜂。

 されど蜂である。


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