第2話 モブ男な俺にも恋の予感?

 春休み。俺がバイト仲間のミイナに失恋してから半年が経っていた。

 ミイナと店長は相変わらずコソコソ付き合っていて、意識して見てみると勤務中に目配せをしていたり、一緒のタイミングで休憩したりしていた。

 告白できないまま失恋が確定したせいか、未だにミイナに対しての感情が胸の奥で燻っている。今日も彼女はツヤツヤの黒い髪をポニーテールにしていた。歩くたびに揺れるその姿はたまらなく可愛い。


◇◆◇◆


「おはようございます……あれ? 今日、店長は?」

「知・ら・な・い! 私に聞かないでよ!」


 家族旅行で一週間ぶりのバイト。いるはずの佐藤店長がいない。

そして、「お土産よろしく!」と可愛い笑顔を見せてくれたはずのミイナはすこぶる不機嫌だった。

 ——もちろん身に覚えはない。


「ああ、君が柿崎かきざきくんかな?」


 事務所から、女性が出てくる。初めて見るその人は長身の美人で、『店長、なぎさ』と書いた名札をつけていた。


「私は佐藤に代わって昨日から小岩店の店長になった、渚真帆なぎさ まほ。よろしくね」

「は、はい。柿崎です。よろしくお願いします」


 不思議だった。基本的には異動は四月が多いし、こんな三月の中途半端な時期に店長が変わった? もし決まっていたなら、さすがに佐藤店長は挨拶くらいしてくれたはず。

 さらに、今日は一緒にシフトのナオさんもいない。気になって誰かに声をかけようとするけど、一人いない分仕事は忙しく、そんなチャンスはないまま俺の退勤時刻になってしまった。仕方なくいつも通り更衣室で着替え、スマホゲームを少しして、事務所を後にする。


「カキ! この後、時間ある?」

「ああ、うん」


 従業員出口前にはミイナが立っていた。どうやら俺を待っていたようだ。二人で駅前のファミレスに入り、飲み物を頼んだ。


高砂たかさご、どうしたの? 何かあった?」

「…………」

「もしかして、店長の転勤と関係ある?」

「……てた」

「ん?」


 いつもはハキハキと話すミイナの声が、聞こえない。俺が首を傾げ恐る恐る質問すると、ミイナは顔をあげ、静かに話し始める。


「浮気してたの、店長。 しかも、バツイチって言ってたのに……奥さん店に乗り込んできたんだから! 大きなお腹で!」

「え、ええー……」


 情報量が多すぎる。しかも佐藤店長、バツイチって言っていたのか。俺は居たたまれなくなり、注文していたメロンソーダを一口と、彼が既婚者であることを知っていたという都合の悪い事実を飲み込んだ。喉にはチクリと、炭酸の刺激と小さな罪悪感が刺さる。


「で、高砂は大丈夫だったの? その、奥さんと……」

「私じゃなかった」

「え?」

「奥さんが見つけた浮気相手、私じゃなかったの! ナオさんだったの! 信じられない、あのクズ!」


 ミイナは強めに息を吐き、オレンジジュースを一気に飲み干した。その姿は、店の常連のおっさん達より豪快だ。結局ナオさんはその日のうちに店を辞めて、佐藤店長は大阪の店舗に飛ばされることになったらしい。現在は自宅待機とのことだ。

 そして、当日急遽ヘルプに来た渚店長が、そのまま『焼き鳥帝国小岩店』の新店長となった。それにしても佐藤店長のクズっぷりには驚いた。


 ——そもそも、あの店長にミイナは……。


「もったいないよな。こんなに可愛いのに」

「え! な、何……が?」


 視線をメロンソーダからミイナに移すと、彼女は顔を赤らめて俺を見ていた。

 ……どうやら、心の声が漏れていたみたいだ。


◇◆◇◆


「お、おはよ」

「おはよう」


 俺たちはお互い春休みということもあって、シフトがかぶることが多かった。

 この前の件は「一般論」としてうまく誤魔化した。翌日は若干ギクシャクしたけど、それも数日で元通りになった。

 それどころか、人には言えないことを話したせいか、ミイナは俺に打ち解けてくれているようだった。うん、多分。


「へえー、兄ちゃん二人もいるんだ。いいな」

「そお? 二人ともスポーツしてて、お父さんとかもそっちに付きっきりだったから、つまんなかったよ。私も真似てみたりしたけど、混ぜてもらえなくて……」

「それでも羨ましいよ。俺のとこは気が強い姉ちゃんだし」

「ええ! そっちの方がいい! 買い物とか憧れるなあ」


 休憩が一緒の時はこうして家族の話をしたり、好きな映画の話をしたり、帰りも自然に駅まで一緒に帰るようになった。正直、かなりいい感じだと思う。

 店長と別れてまだ早いかもしれないけど、そろそろデートに誘って、告ってもいいんじゃないかと思い始めていた。



 四月中旬。ついにナオさんのかわりのスタッフが入った。

 

「柿崎さ〜ん。これ、開かなくてえ〜」

「ああ、ちょっとコツいるんだよね。はい!」

「すご〜い! ありがとうございます〜。頼りになる〜」

「いやあ……ははは」


 加藤エミちゃんは俺の1個下の高校一年生。ミイナとタイプは違うけど、この子もまた美少女なんだよなあ。ふわふわとした茶色い髪の毛で、どこか儚げな印象。

 可愛く甘えられると、ついつい何でもしたくなっちゃう。


「あ、ユキさん、俺取りますよ」

「ありがとう。あら、柿崎くん背のびた?」

「実は、去年より十センチほど」

「へえ、だからカッコよく見えるんだね!」

「いやあ……ははは」


 ユキさんは大学生スタッフで、辞めたナオさんの友人でもある。控えめだけど優しくて、それでいて美人だ。


「あ、柿崎くん」

「はい! 店長、何か?」

「ビールの樽交換お願いできる?」

「わかりました! あ、サワーの方もやっときますね」

「ありがとう。軽々持つね、やっぱ男の子だ。助かるなあ」

「いやあ……ははは」


 今はこの店に男のスタッフは俺だけ。スタッフのお姉様方も俺を見る目が変わった気がする。これがモテ期ってやつ?


「ねえ、カキ。再来週の金曜休み希望出して」

「え?」

「この前観たいって言ってた映画。初日舞台挨拶のチケット貰ったの」

「マジ?行く行く!」


 ——これは、デートなのか?

 休憩の時間、初デートに内心浮かれる俺に、ミイナは休み希望の用紙を手渡した。心なしか、彼女の顔が少し赤い。

 希望日に記入していると、事務所のドアが開いた。エミちゃんだ。


「あ、二人も休憩ですか〜? 今、落ち着いてるんで私もですう」

「そう、お疲れ様」

「お疲れ、エミちゃん」

「エミちゃん? 名前で呼んでるの?」


 ミイナが目を見開き、こっちを睨んでいる。まさか、ヤキモチか?


「あれ〜再来週の金曜、二人とも休み希望出してるんですね〜? もしかして、デートですか〜?」

「いやいや、高砂がたまたま観たい映画のチケット持ってるって言うから、それで」

「ふうん。てっきり二人は付き合ってるのかと思ってました〜。柿崎さんは彼女いないんですか〜?」

「あ、うん。今はいないかな」


 今は、ていうか生まれてこの方彼女なんていたことがない。俺は見栄を張った。


「ええ〜。柿崎さんかっこいいのに〜」

「いやあ……ははは」


 もしかして、エミちゃん俺のこと? いやいや、俺にはミイナという想い人が……。

 でも、エミちゃんも可愛いからなあ〜。

 おれは、ミイナからの誘いやエミちゃんの態度にふわふわとした高揚感を覚えていた。おそらく顔は緩みっぱなしだったはずだ。

 たった30分の休憩時間は俺にとってはまるで天国のようだった。


「カキ! 三番さっさと片付けてよ!」

「あ、でも俺五番も……」

「早く!」

「は、はい!!」


 休憩後は、打って変わって地獄だった。

 ミイナがとにかく荒れに荒れていた。もちろんそのとばっちりは俺なわけで……。

 帰る頃にはボロ雑巾のようにクタクタに疲れ果てていた。更衣室で着替えをして、事務所で一息ついてから店を出る。


「……お疲れ」

「あ、高砂、お疲れ」


 待っていたミイナと、大通りを駅に向かって歩く。街灯や車のライト、店の看板がキラキラと道とミイナを照らしていて、キレイだった。


「好きなの?」

「え?」

「エミちゃんのこと。……好きなの?」


 車が通るとかき消えてしまいそうな、いつもより小さな声。ミイナは少し口を尖らせて不貞腐れている様子だった。俺は嬉しくて、つい、調子に乗ってしまった。


「もしかしてヤキモチ? それで休憩後も恐かったんだ。ビビったよ、もう、ただでさえ高砂はキツイんだからさあ……」

「…………」


 言い過ぎた。そう思った時にはもう遅かった。


「悪かったわね! キツくて!!」


 ——バチーン!! 大きな破裂音に近い音が大通りに響いて、俺は体が飛んでいく感覚を生まれて初めて体験した。


 ああ、せっかくいい感じだったのに、俺はまた彼女に好きと言えない。


 俺を置いて駅へ向かうミイナの背中を見つめながら、俺の恋は終わったようだ……。

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