ぼくらの有り得た滅亡シナリオ
矢尾かおる
第1話 幻想架空のマナー講師1
〇
「架空生物製造装置を作った」
と、妹がそう言った。
それはつまり妖怪だとかドラゴンだとか、そういった空想上の生物を作り出す為の機械らしい。
えぇほんとにぃ? とは思ったけれど、我が家の地下深くに掘られた妹の部屋には確かに巨大な機械がぽんと置いてあって、それはその全身から謎の説得力を放ってた。
人一人余裕で入れるくらいの大きなガラスタンクはよう分からん透明の液体で満たされていて、よう分からん機械とよう分からんパイプが繋がれている。何から何までよう分からんその巨大マシンは、確かに雰囲気それっぽい。
「架空生物製造装置……」
目の前の大仰な装置に触れようとしたぼくの手を、妹がびゃっと掴む。
「あまり不用意に触れない方が良い。架空生物を作り出すのにはそれ相応の物質が必要で、これにはそれを取り込むだけの機能がある。……つまるところこの装置は、生贄を求めるんだ」
小学6年生の若輩者であるぼくには、むずかしい話しは良く分からない。しかしそれを説く妹の顔は真剣そのもので、素直にこの手を引っ込めた。
「ドラゴンを生み出すにはドラゴンの体重分の肉や骨を、このマシンに捧げる必要がある」
なるほど。だったら野良猫でも捕まえてこの中に入れれば良いのかな? なんてサイコパスな発想、無邪気な小学生が持ち合わせてるワケない。
「じゃ、スーパーで肉でも買って来る?」
「そんなもん用意する小遣いわたし達にはない。生物の構成要素は意外と複雑なんだ。骨付き肉を何個か入れるくらいじゃ、きっと栄養が足りない」
「じゃあどうすれば良いのさ」
「頭から爪先まで、一匹丸々入れる必要がある。小さな妖精を作るくらいならカラスでも入れれば良いだろう」
「そんなのカラスが可哀想だし、ぼくはもっと大きい生き物が見たい」
「だったら人間でも入れてみるか?」
人間を使うなんて一番許されない事だろう。
「うちの父さんはどうだろう」
いつもぐうたらと家で過ごしてる父の顔を思い出し、「あぁその手があったか」とぼくらは手を叩き合った。
〇
「おいおいおいおい、すげぇ機械じゃないの。やっぱり妹の方は天才だなあ」
呑気に架空生物製造装置の前までやってきた愚かな生贄の頭を、ぼくと妹はレンチで殴った。「きゅう」と唸って倒れた父は、しかしまだ息が有るようだった。
「……殺しちゃった方が良いのかな」
「いや、鮮度が良いに越したことはない。生きてるまま取り込もう」
妹がリモコンを操ると、ガラスケースの蓋が開いた。ぼくは妹に促されるまま父を背負い、梯子を登ってそれを突っ込む。
「……この水は触っても大丈夫なんだよね!?」
「分解酵素を伝達する為に満たしてるだけのただの水だ、こぼしても触っても大丈夫」
あぁ良かった。ガラスケースの中に父を突っ込むと、途端にそれは目を覚ました。本気で暴れ始めた大の大人を抑えつけるのには随分と苦労したが、地の利はこちらにあり。水中へ頭を突っ込み続けてると、父は次第にぐったりしてきて、やがて少しも動かなくなった。
「新鮮な方が良いんだろ! 早く早く!」
ちょっと引いてるって顔した妹にそう言うと、ハッとなってリモコンをいじりだした。
「ちょっと待って、まだなにを作るか決めてない」
「有名な奴ならなんでも良いよ、サキュバスとかインキュバスとか、人間サイズのやつ!」
「そんな助平な生き物つくりたくない」
「とりあえず、はよ!」
ぽちぽちとスマホをいじっていた妹は「じゃあこれでいくか」と期待を持たせるような事を述べて、架空生物製造装置に備えられたスイッチを押した。
生贄の分解は、案外あっさりと終わった。
父の体は一瞬でゴヴォゴヴォの泡になって、タンクの中に赤く満ちた。かと思うとすぐにそれは凝集して、真っ赤な丸い塊になる。
「ここからは2日かかる」
「月曜日の学校までに間に合う?」
「なんだ、学校に連れてって友達に自慢したいのか?」
「そりゃそう」
ガキだなぁお前はと笑いながら、妹は太鼓判を押した。
「楽しみにしてて良い。知らない奴なんて居ないってくらい有名な架空生物が出来るからな」
〇
そうして二日開けて月曜の朝、ランドセルに教科書を詰め込みながらワクワク気分で居間へ行くと、父に挨拶された。
「おはようございます」
なぜだ、父さんは架空生物の血肉となったのでは無かったか。もしかしてあれは全部、ぼくが見た夢幻だったのだろうか。
「……そんな馬鹿なことあるわけないだろ、よく見ろ」
リビングテーブルでパンをかじってる妹がそう呟いて、ぼくはおずおずと父を眺めた。
「母さん醬油とって」
スーツに着替えた母が父にそう言われ、醤油さしを滑らせる。
「おいおいおいおい、母さんそりゃあんまりだろ?」
「……なんなのよ、仕事行く前にイライラさせないでよ」
「我が家の家長に向かってなんて醤油の渡し方だって話だよ。目上の人に醤油を渡す時はこう。底を左手で支えながら右手で持ち上げて手渡し。これが正しいやり方だろがい」
「なんなのあんた!? 大した稼ぎでもないのに醤油の渡し方なんかに文句つけて!? 家長って言うなら私より稼げるようになりなさいよっ!?」
「いやいやいやいや、俺は世の中の常識を教えてるだけだろ? 年収なんてそんなもんは関係ないね」
激怒した母が食卓をおもいきり叩くと、コップや皿が床へ落ちた。同時に父さんの頬も思い切り叩かれて、バシンと良い音が響き渡る。
「……おい。おいおいおいおい。自分の非を認められず、挙句の果てには暴力か? いやつーかそれより落ちた食器を片付けろよ。自分が落とした飲食物はまず自分で処理しようとする姿勢を見せる。それでもし周りの奴らが二回以上『わたくし共が片付けるので大丈夫です』と言ったら礼を言って席へ戻って良い。それが一般的マナーだろ?」
首根っこを掴まれた父が訳分からん事を喚き続けるのを眺めてると、妹がぼくの脇腹を小突いた。
「……な? 完全に架空生物だろ?」
「……父さんがしょうもない事言って母さんを怒らせてるだけだろ。割りといつも通りじゃんか」
「馬鹿お前、どう見てもあれは完全に架空の生物だろ」
「どこがだよ、ただのムカつくおっさんだよ! ぼくらが殺した筈の父さんだよ!」
「良く見ろお前。あのドヤ顔にあの口ぶり、他人をイラつかせるあの態度。……どっからどう見てもあれは、」
――殴られたら殴り返されるのがマナーだろ!?
――ぶっ殺すわよ!?
――殺す時は酒で清めた包丁でやれよ。それが日本古来の伝統なんだから。
ヒートアップする両親の大喧嘩にかき消されないよう、珍しく大きな声で、ぼくの妹はこう言った。
「架空生物・迷惑マナー講師だよ」
〇
「……マナー講師って実在の職業だろ」
「え?」
「え? じゃないよ。マナー講師はドラゴンでも妖怪でもエッチなサキュバスでもなんでもないじゃないか」
「え? いやそりゃそうだけど、マナー講師は架空の生物だぞ」
「マナー講師はマナーを教えるのを仕事にしてる普通の人間だよ」
「え? お前まさかサンタさんとか信じてる感じ?」
「信じてねぇよ馬鹿にしてんのか」
「いやだからマナー講師もサンタみたいなもんで、……あっ、あー!? そういうことか」
母にぼこられた父が泣き喚く地獄のようなリビングで、妹は平然と一冊のノートを取り出し机に開いた。
「GAFAって知ってるよな、巨大なオンライン事業を展開する現代の支配者たち。奴らがネット上に創り出したのがマナー講師という概念で、現実にはそんなもん存在しない」
――Gxogle、Axple、FxceBook、Axazon。ノートに書かれたその名前は、小学生のぼくだって知ってる大企業だ。
「じゃあマナー講師はほんとは居ないって言うの」
仮にもしそうだとして、グXグルやアXプルやアXゾンがそんなものを作り出す意味が分からない。そんな意味わかんないことやるのはせいぜいオXコロくらいじゃなかろうか。
「マナー講師が生み出された理由を一言で言うなら、それは生贄だ。……お前矢□真里好きか?」
「いやあんまり。だって不倫って良くないよ」
「あまり知られてないことだが、矢口もまた架空の生物だ」
「嘘くせっ」
「いやこれはマジだよ。現代のネットにはそういった存在が必要不可欠で、定期的に創り出されてんだ。つまるとこ、誰がどう見ても悪い奴が」
「……どういうこと?」
「だから、マナー講師ってクソ職業は、ネット住民に叩かれる為だけに創り出された、本当は存在しない、いわゆるオンラインサンドバッグだって事だよ。……何回も言うけど、矢口もそうだし、宮迫やベッキーもそういった存在だ」
「……春日と英孝は?」
「あいつらはその失敗作だな」
「嘘だよ、だって矢口も宮迫もTVに出てた」
「あまりGAFAを舐めるなよ。あんなのは全部合成映像だ」
「……もしその話が全部ホントだとして、そこまでする意味が分からない」
「人間の攻撃性が最大に発揮されるのは、怒りに支配されてる時だ。がしかし、自己を律する事に長けた現代人は、それを表に出すことは少ない。怒りっぽい奴はモテないからな。だから現代人の攻撃性は殆どの場合、正義感に基づいて発動する」
「……」
「話が理解できたようだな。そうつまりマナー講師っていうのは、誰もが正義感の赴くまま、いくらでもボコボコにして良い対象。動物的欲求を満たすための玩具なんだよ。お前だって見た事あるだろ? さも賢そうな言葉並べながらマナー講師をぶっ叩く奴らのツイートや動画を。それに賛同する奴らのコメントを」
「じゃあ何、マナー講師って言うのはほんとはこの世に存在しなくって、グXグルやアXゾンが創り出したサンドバッグだってこと!?」
「だからさっきからそう言ってるだろ。何回も言うけど、宮迫と矢口もそういう存在だ」
「じゃあつまり、うちの父さんはほんとに架空の生き物になっちゃったってこと!?」
「そういうこと。……ったく、そんなこと小学六年生まで知らないのはお前くらいだぞ」
「すげぇ! 早く学校に持って行って自慢しなきゃ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます