第81話 姦しい
「それで私の所に?」
此処は女子寮のレイラの部屋。
部屋の主であるレイラは、おっとりと首をかしげた。慣れた手つきで紅茶を入れるその所作は、猫の我から見ても美しいものだった。
「うん。その、レイラなら、こういうの、詳しいと、思って」
乱れた呼吸で答えるのはアリアだ。金の指輪を見つけたアリアは、慌てた様子でレイラの元を訪ねていた。呼吸が乱れているのは、此処まで走って来たせいか、それとも金の指輪を見つけた興奮のせいか。
「まずは落ち着いて、紅茶でもいかがですか」
「うん。ありがとう、レイラ」
アリアが、レイラから紅茶のカップを受け取り、カップを顔の前へと持っていく。目を閉じ、その香りを楽しんでいるようだ。アリアの口角が微かに上がり、顔の緊張が解けたのか、落ち着いた、うっとりした表情になる。
「良い香り。この前のとちょっと違うかも?」
「よく気付きましたね。茶葉を変えてみたんです。こちらはお母様オススメの茶葉なんですって」
「へー。私は前よりこっちの方が好みかも」
「私は…どうかしら。この香りも素敵ですけど、やっぱりいつもの物も捨てがたいです」
「いつも使ってると愛着って沸くわよねー。私もこの間服買ったじゃない?その時も、つい同じ下着を買っちゃって。黒猫の刺繍がワンポイントで入ってるやつなんだけどね。子どもっぽいかなーって思ったけど、結局買っちゃった。かわいかったし」
少女たちの話し声と、砂糖を混ぜているのか、チリンチリンとカップの鈴の様な音が響く。
「レイラとヒルダ様って大人よねー。面積が小さくて、スケスケで、ヒラヒラの買ってたし。あれってさ、恥ずかしくないの?」
「下着の話ですか?最初は少し恥ずかしかったですけど、もう慣れてしまいましたね。それに、あの形にも利点があるのですよ」
「お尻丸出しの紐みたいなやつでしょ。そうなの?」
「アリア、その言い方は恥ずかしいです。私が痴女みたいじゃないですか」
「ごめんごめん」
「もう。でもお尻を覆わないことで、お肌のトラブルを避けているのは本当ですよ」
「そうなの?」
「えぇ。普通の下着を穿いていると、どうしてもお尻と下着が擦れてしまいますから、お肌に良くないです。それに、蒸れるのも良くないですね」
「なるほどねー。考えた事も無かったわ」
「お肌はデリケートですから。アリアも穿いてみてはいかがですか?」
「うぐっ。実は、思い切って買ってはみたけど、恥ずかしくてまだ穿けてないのよねー…」
「これから暑くなるので、試してみてはいかがでしょう?蒸れなくて快適ですよ」
「たしかに涼しそうではあったけど……。そうね、せっかく買ったんだから穿かないともったいないわよね。今度挑戦してみるわ」
「その意気です、アリア」
女3人寄れば姦しいと言うが、アリアたちは2人でも姦しいな。会ってからずっとしゃべっている。それでいて、まだ本題には入らないのだから、驚いてしまう。目的を忘れたわけじゃあるまいな?
◇
「それでね、この前クロったら私の脱いだパンツの上で寝ちゃって……」
「まぁ。そのようなことが?」
「そうなのよ。温かくて柔らかくて気持ちが良いんですって」
「たしかに、そうかもしれませんね」
「でも、私がパンツを脱ぐと必ずその上で横になるのよ?なんだか変態みたいで嫌だわ」
「ふふふ。すっかり気に入ってしまったんですね」
よく話題が尽きないものだな。思わず感心してしまうほど、アリアとレイラのおしゃべりは続いていた。次から次へと話題が移り、終わりが見えない。
「アリア、そろそろ本題に入ったらどうだ?」
延々と他愛もないおしゃべりに興じるアリアとレイラに呆れ、つい口を挟んでしまった。
「もう、話を急かす男はモテないわよ?」
アリアが呆れた顔で我を見てくるが、とても心外だ。
「我はモテモテだぞ?」
「あらそ。よかったわね」
アリアは、まるで信じてなさそうだが、実際に我はモテモテだ。なにせ王様だからな。シマのボスの更に上の一番偉い立場だ。猫にとって偉さとは強さでもある。我は最強の猫なのだ。
そんな最強の猫である我との子どもを求める女は多い。我が交尾に誘ったら、断る女はまず居ないだろう。それぐらい我はモテモテなのだ。
「クロちゃんは立派な体をしてますもの。きっとモテますよ」
そう、にこやかに言うレイラ。さすがはレイラだ。猫のことをよく分かっている。レイラは撫でるのも上手いし、猫に優しいから気に入っている。
『モテモテとは羨ましいですね。私なんて、まず同族のメスを探すのに一苦労でして、
ちなみに、我とレイラが会話できているのは、キースの魔法のおかげだ。此処はレイラの部屋。当然、レイラの使い魔であるキースの奴も居る。ちと煩いのが玉に瑕だが、奴の魔法は有能だ。
「それで本題だったわね。レイラ、この指輪なんだけど……」
ようやく本題に入るつもりになったアリアが、レイラに金色の輪っかを手渡す。指輪という、人間の指に着ける装飾品らしい。指にそんな物着けていたら邪魔だと思うのだが、人間はとにかく体にいろいろな物を身に着ける。服だったり、パンツだったり、靴だったり、とにかくいろいろだ。なぜ自分の動きを制限するような物を身に纏うのか不思議でたまらない。裸が一番身軽だと思うのだが……。
我が思うに、人間は己がハゲていることを恥じていることが原因だと思う。今回の金色の指輪も、光物をあえて指に着けることで、ハゲた体ではなく、指に視線を誘導しようという姑息な考えから生まれた物だろう。指ならばハゲていても恥ずかしくはないからな。我ら猫も指である肉球には毛が生えていないのだから。
「拝見しますね」
レイラがアリアから指輪を受け取り、手の上に乗せてじっと見つめる。その空を思わせる青い瞳は真剣だ。いつもニコニコと笑顔を浮かべているレイラにしては珍しい表情だな。
「どう……?」
レイラの真剣な表情に、アリアが小声で恐る恐る尋ねる。
レイラは、ふっと表情を和らげると、その綺麗に生え揃った双眸をハの字にして、困り顔を浮かべた。
「アリア、その…申し上げにくいのですが…これは金の指輪ではありません」
「え…?」
「真鍮の指輪です。黄銅やブラスとも言いますね」
「しんちゅう…?」
初めて聞いたのか、アリアが言い慣れない様子で呟く。真鍮か……我も初めて聞く単語だな。
「何だそれは?」
我が尋ねると、レイラはますます困った表情を見せた。
「私にも詳しいことは……たしか銅の合金の一種だったと思います。身近なところでは、金管楽器に使われている金属ですね。吹奏楽部のことをブラスバンドと言ったりするでしょう?そのブラスが、真鍮になります。見た目はこの通り金色ですけど、金ではないです」
説明を聞いてもさっぱり分からなかったが、とにかく金ではないらしい。だが、問題はそこではない。その指輪の価値が知りたいのだ。
「それで、その真鍮の価値はどれ程なのだ?」
「残念ですけど、金には劣ります。えぇと…クロちゃんには何と言えば伝わるでしょうか……」
レイラが悩んで言葉に詰まる。たしかに、猫である我に人間の価値基準で話されても分からんな。レイラは我でも理解できるように言葉を探しているようだ。
「クロにとって干し魚が分かりやすいんじゃないかしら?」
そこでアリアが助け舟を出してくれる。なるほど。たしかに干し魚なら量でだいたいの価値が分かる。
「干し魚と言うと、干物ですか?」
「ううん。ちっちゃいやつよ。出汁をとって捨てちゃうような小魚のやつ」
「なるほど。それでしたら……だいたいこのくらいの袋一杯の価値はあるでしょうか」
レイラが手を使って大きさを伝えてくる。我がすっぽりと収まりそうな程の大きさだ。けっこう大きい。干し魚がいっぱい入りそうだ。この金色の輪っか1つで、それだけの価値があるとは……相変わらず人間の価値基準とは分からんな。
「やったなアリア!すごい価値じゃないか!」
「うーん……」
せっかく良い物拾ったというのに、アリアの顔は不満そうだ。いや、未練があると言った方が正しいか。
「どうした?浮かない顔して?」
「どうせだったら金なら良かったのにってね。ちょっと残念なだけよ」
アリアは指輪が金ではなかったのが不満のようだ。レイラも、真鍮は金と比べると価値が劣ると言っていたし、期待していたよりも価値が下がって残念なのだろう。
「どうせ拾い物なのだから、価値があるだけ良かったじゃないか」
「それはそうだけど……」
アリアの気は晴れないらしい。ふむ……。
「金とはそれほどまでに良い物なのか?」
アリアの落胆ぶりに不信を覚え、我はレイラに尋ねてみた。
「そうですね…純度や細工の見事さによって価値はかなり変わりますけど……先程の干し魚がこの部屋いっぱいになるほど買えるでしょうか」
「なんだと!?」
そのあまりのスケールの大きさに、つい声を荒げてしまった。まさかそれほど価値がある物がこの世にあるとは……これはアリアが肩を落とすのも無理はないな……。
「金ってすごいんだな……」
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