終章①

 それから一ヶ月が過ぎた。

 よく晴れた、二月の終わりの日曜日。

 かみはた古墳の発掘現場では、この日、現地説明会が行われる。

 発掘した遺跡のお披露目だ。たくさん訪れる一般見学者の前で、調査員が発掘の経過と成果を説明する。大和盆地には青空が広がり、朝から雲ひとつない快晴となった。二月の寒さもこの日は緩み、春のような陽気だ。

「うわあ、まるでお祭りですね」

 手伝いに駆り出された萌絵も、開始時間前からどんどん集まってくる見学者の数に驚いていた。普段はたまにハイカーが通りかかるくらいで、ほとんど人影も見えない、うら寂しい発掘現場が、今はたくさんの考古学ファンでにぎわっている。顔触れのほとんどはご年配だが、説明が始まると、皆、熱心に耳を傾けている。

 調査員と学生たちも、今日ばかりは総出だ。現場にはテントが設置され、おみやげ売場まである。トレンチの周りには、ロープが張られ、トレンチごとに人員が配されて、見学者からの質問に答えたり、出土状況を説明したり、大忙しだ。それぞれのトレンチは深いこともあり、人が落ちたりしないよう、要所要所に見張りが必要で、萌絵も、スタッフジャンパーと長靴着用の上、見張り兼案内役を任された。

「まあ、現地説明会は、発掘する側には、晴れの舞台みたいなもんだからな」

 と答えたのは、亀石所長だ。その後、無事完治して、ギプスもとれた。まだ多少、歩くのにつえは必要だが、すっかりいつもの調子を取り戻している。

「特にこのへんは邪馬台国がらみで注目スポットだから、そりゃあ、お客も来るさ」

「考古学好きって、思ってたよりたくさんいるんですね……」

「ああ。もう少し若者が増えるといいんだけどなあ」

 奥のトレンチ脇では、無量が考古学歴の長そうな年配男性から質問攻めに遭っている。微笑ましく見守る萌絵だ。

「西原くんも、ちゃんと知らない人に応対できるんじゃないですか」

「いやー……あいつは説明会、大の苦手だからな」

「なんで? 自分が発掘したんだから、たくさんの人に見てもらうのはうれしいと思うけど」

「はは。おっちゃんたちは結構、根ほり葉ほりしつこい上に、ツッコミきついからな」

 墳丘のふもとには、テントが張られて、出土物の展示も行われている。新聞にも載った〈上秦はく〉や蓬萊文神獣鏡の前には、すでに長蛇の列ができている。天気がよいこともあって、時間が経つに連れて、人は増える一方だ。用意した説明プリントは、あっというまにけてしまい、追加を要請しなければならなかった。

「スタッフの皆さーん、お弁当用意できてますから、各自、適当に休んで、取りに来てくださーい」

「さてと。じゃあ、そろそろ西原くんを救出してあげますか」

 萌絵は仕出し弁当を持って、無量のもとへ行った。ちょうど緑色琥珀の出た現場にいる無量は、今度は年配女性のグループに捕まってしまっていた。若い発掘員なので目を付けられたらしい。二十分近く独占状態だ。きりのいいところを待っていると食いっぱぐれそうだったので、割って入って声をかけると、無量はコレ幸いと逃げるようにこちらへ駆けてきた。

「……ああもう限界。もうヤダ。帰る。だから俺は一作業員で調査員じゃないっつの」

「だって調査員さんより詳しいんだから、しょーがないよ」

「どうやって見つけたんですか、とかかれても、掘ったから出たとしか答えらんねーし……」

 そもそも説明下手なので、人前に出るのが苦手なのだ。

 もつとも、調査員や発掘員の名前までは、現地説明会では発表されない。誰が遺物を出したかも明かされることはないのだが、話の流れから、分かる場合もある。それに(どこから話が漏れるのか)「西さいばら無量」が関わったと知って、訪れる考古学関係者もいるくらいだ。

 亀石の前でも、無量は愚痴をこぼしっぱなしだった。

「めんどい。なんでこんなのにまでつきあわなきゃなんないんすか」

「そりゃ契約だからだ。自分の立場わきまえろ。一作業員じゃなくて、一発掘員」

「どー違うんすか」

「エキスパートとして来てるんだろ。それなりのギャラ貰ってんだから、きりきり働け」

 無量にとっては、どんなにきついドカ掘りよりも「考古学ファンとの触れ合い」が、一番しんどいのだ。

 だが、萌絵には、晴れ渡った空の下で賑わう上秦古墳が、何とも微笑ましく、楽しい。小雪の舞う鉛色の雲の下、底冷えするトレンチ内で地道に作業していた姿を知るからこそ、このお祭りみたいな賑やかさが嬉しくてたまらない。大勢の人から、お祝いされているみたいだ。調査に関わった人々にとっては、子供の発表会を迎える親の気持ちなのかもしれない。

「なんだか古墳も笑ってるみたい」

「あほか。土の山が笑うかよ」

 無量はあきれたが、ひとつ仕事をやり遂げて、肩の荷が下りたのだろう。憎まれ口がきけるくらいには、リラックスしているということだ。

「いろいろあって大変だったね……」

 しみじみ言うと、無量も少し、感慨深くなった。

「その後、相良さんから、連絡あった……?」

「いや」

 忍からの連絡は、ない。

 途絶えたままだ。

 小豆あずきばら慎治が三村教授の殺害を自供したとの記事が新聞に載ったのは、与那国島から帰って一週間後のことだった。余罪についても追及中であるという。剣持昌史の名こそなかったが、まだ捜査は継続中とのことだったから、いずれ動きがあるだろう。

 亀石の交通事故も、その後、ようやく犯人が判明した。ふたを開けてみれば、荒城という、もう一人の手下だった。運良く目撃者が見つかったのと龍禅寺家からの告発とが重なって、最終的には車の修理工場から足がついたという。暴力団関係につながりを持つ男で、無量を襲った若い男も、一味だったらしい。

 ちなみに小豆原も荒城も、井奈波マテリアルの社員ではなかった。なりすましたのは、むしろ彼らのほうだった。萌絵はあの時、社員バッジをみにせず、社へ身元確認すればよかったのだ、と気づき、猛烈にみしていた。

 時同じくして、ジオティック・マテリアル社による新実鉱業の企業買収は、しばらく新聞の経済面を賑わせていた。井奈波もあの手この手の対抗策を打ち出してきて、買収そのものは二転三転しているようだ。例の「マツダ」たちは案の定、親らしきウーチヤン銅業に尻尾しつぽ切りされたが、万一、忍経由で日本人への関与が発覚すれば、あらぬ方向に火をつけかねなかったので、ウーチヤン銅業も強く出られないのだろう。

 今はまだ、一連の殺人事件と企業買収を関連づけて語る者はいないが、それはいずれ鶴谷が記事としてまとめるはずだ。

「どうなるのかなあ……。ほうらいのことは」

 今回の現地説明会でも、出土品と「蓬萊」の関係までは言及していない。扱うには慎重を要する説だし、そこまでの冒険はできないだろう。

「そもそも琉球では、当時、採掘や鋳造が行われてたこんせきは見つかってないわけだし」

「採掘のあとなら西原くんが見つけましたよ、あの島で!」

「でもどの島だかわかんないんだろ?」

 見れば分かる、と言いたいが、具体的な位置は海上保安庁の人にでも訊かないと分からない。そもそも、万一、無断上陸を禁じられている島だったとしたら、どう説明すればよいものか。

「南方にヤマト王権を承認する権威があった、それは巨大な銅鉱床の島を持ち、採掘で繁栄した『蓬萊』である、なんていきなり言われても、根拠がここの出土品だけじゃあな。琉球以南で、三世紀以前の王朝遺跡でも出てくれば、また話は違うだろうが……」

 と亀石が言った。まあ、控えめではあるが「上秦の遺物が琉球産である可能性がある」と一言だけ説明会の報告に盛り込まれ、話題にもなっている。いずれにせよ、検証はこれからだ。

「龍禅寺があの古文書を出してくれば、また進展があるかもしれんが」

「『龍禅寺文書』って一体なんだったんでしょう」

「さあ。ただ、蓬萊からの使者の墓があるというなら、その子孫がこの地に根付いてても、おかしくはない。渡来人で名門化した氏族は歴史上、珍しくないしな。後年、由来書を残すこともあるだろう」

「西原くんはどう思う?」

 と顔をのぞき込むと、のり弁当をき込んでいた無量は、妙にさっぱりした顔で、

「……俺は、忍の親父さんの研究が、少しでも日の目を見て、大昔のことを解明する役に立てばいいなって。それだけ」

 相良悦史。忍の父親であるそのひとが、無量の祖父が起こしたねつぞう事件を世間に暴露した当人であることを思えば、萌絵は少し複雑だ。こんなにさっぱりと言い切れる無量の胸中が、不思議でもあった。

 あの後、無量が教えてくれた。「右手の火傷やけど」のこと。

 祖父に焼かれた、と聞いた時は、思わず言葉を失った萌絵だ。捏造事件が発覚した後のことだったという。

 今は病を患い、入退院を繰り返している、無量の祖父・西原瑛一朗。その祖父の所業は、自分の右手を見れば、いやでも忘れることができないだろう。

 無惨にも手を焼かれ、それでも今日まで発掘をやめなかった無量には、彼なりの意地があるのかもしれない。

「相良さん。元気でいて欲しいけど、いまどうしてるのかな……」

「また会えるさ。これからは何度だって。……俺達はもう、化石じゃないから」

 え? と萌絵は聞き返した。無量は、意味は答えず、田んぼの向こうを走る短い電車を目で追っている。目が微笑んでいる。胸元にそっと手を当てている。

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