落としものストーリーズ

watanave

きゅうり三本(袋入り)

 東京都S区にある、S駅の北口辺りにきゅうりが落ちている。まっすぐで深い緑色をしたきゅうりはビニール袋に三本仲良く収まっている。バイト先のアイスクリームショップに向かっててくてくと歩んでいた私の足は止まり、そのきゅうり達に目が釘付けになった。なぜこんなところにきゅうりが? ついさっきまでスーパーマーケットの青果コーナーに並んでいたかのようなきゅうりが、どうしてここに落ちているのか? この場面に出くわした人の九十九パーセントが思いそうなことを、私は思い浮かべた。同時に、このきゅうりを流水でじゃぶじゃぶ洗って、味噌をつけて丸かじりしたらさぞおいしいだろうと思った。

 しかし、いくら立派でおいしそうなきゅうりが落ちているからといって、拾い食いなどはしたない。高校時代、数学の授業中にするめを貪り、『お行儀悪レディ』と名を馳せたことのある私でもそのくらいはわかる。

「俺たちゃみずみずしくて旨いぞ」

「このままじゃ何者にもなれず、踏んづけられてぐちゃぐちゃになっちまう」

「後生だ、お願いだよ」

 きゅうり達の哀願に心が締め付けられるようだが、私は道行く人々に『お行儀悪レディ』の烙印を捺されるわけにはいかない。後ろ髪をひかれる思いで私は再び歩き出した。

「そんな! 頼むよぅ」

「俺たちは味噌もつけなくたって、きっとおいしいんだぜ!」

「ひとでなし!」

 きゅうり達の悲痛な叫びが後ろから聞こえてくるような気がした。


 かわいそうなきゅうり達のために、私は歩きながら彼らの人生(きゅうり生)に思いを馳せることにした。


 きゅうり達はきっと、農家の方の愛情をたっぷりと受けて育ったのだ。だって、あんなに立派なきゅうり達なんだもの。献身的なお世話をしてもらって育ったに違いない。肥料も水も適切に与えられ、「日本一のきゅうり達だ!」「かわいいトゲ!」なんて、聞いているこっちがむずがゆくなるような愛の言葉をかけられて育ったのだろう。

 しかしそんな甘い生活も永遠には続かない。出荷という名の、農家の方ときゅうり達のお別れの時がやってくる。きゅうり達はトラックに乗せられて泣く泣く故郷の農園を後にした。生まれて初めてトラックに乗り、車酔いしてしまった者もいたかもしれない。とにかく、ガタゴトと長い時間揺られてスーパーマーケットにたどり着き、店員によって青果コーナーの棚に陳列されたのだ。

 陳列棚にて、袋の中の三本のきゅうりはいろいろな思いを巡らせただろう。

「食べられるんなら、おいしく食べてもらえるといいな」

「俺たち、食べられたらどうなっちゃうんだろう」

「サラダになるのかな? お漬物になるのかな?」

 きゅうり達は美味しく調理される未来を楽しみに思っていたかもしれないし、己が食われてしまう運命にあるということを悲観していたかもしれない。

 そして、そんなきゅうりたちの前にある人物が現れる。この人物をAとしよう。Aはきっと、何日か分の食料を買いに来たのだ。Aはきゅうりが売られている一画に来て、一番おいしそうなあのきゅうり達を選んでかごに入れた。そして必要な食材をかごに入れ終えたAはレジで会計をし、サッカー台で買ったものを袋詰めした。

 恐らくAが用意したレジ袋或いはエコバックは、買った物を全部入れるには小さかったのだ。でも、Aは「隙間なく詰めれば問題ない」と判断し、その買い物袋にたくさんの食材を詰め込んでいった。きゅうり達は袋詰めの終盤に、袋の隙間に差し込むようにして入れられた。結果的に買い物袋ははち切れんばかりになったが、購入した全ての物を入れることに成功した。

 それからAは、その買い物袋をよいしょよいしょと自宅まで運んでいた。Aは手でその買い物袋を持って歩いていたのかもしれないし、自転車のかごに入れてペダルをこいでいたのかもしれない。どちらかはわからないが、その運搬の衝撃によって、きゅうり達が落っこちてしまったのだと推測される。

 ぎゅうぎゅうの買い物袋の中で、きゅうり達は「苦しいよぅ」と思っていただろうか。運搬の揺れで酔ってしまっていただろうか。卵や豆腐などの、これまでに出会ったことのないものに遭遇してビビっていただろうか。袋の中の状況がどうだったか私には見当もつかないが、買い物袋から落っこちたとき、きゅうり達の心中には驚愕と悲しみと……とにかく諸々の感情が去来したと思う。そして、Aが気付かずに行ってしまったのを見て冷や汗を流し、いい感じの塩味きゅうりになったことだろう。

「俺たちどうなっちまうんだ」

「お終いだぁ」

「諦めるのはまだ早いよ、誰か拾ってくれるかも」

 人通りの多い駅の入口辺りに落とされたきゅうり達は、誰かが自分らを拾ってくれることを祈った。しかし大半の人はきゅうり達に目を留めることもなく、忙しなく歩いていく。時々きゅうり達に目を留めて「なんでこんなところにきゅうり?」と不思議そうな顔をする人もいたが、その人達もすぐにどこかへ行ってしまう。きゅうり達はどんどん絶望の淵へ沈んでいった。

「「「もう駄目だ」」」

 きゅうり三本がそう言った刹那、若い女が足を止めた。その女は暫らくの間、きゅうり達をじっと見つめていた。

 きゅうり達はここぞとアピールした。

「俺たちゃみずみずしくて旨いぞ」

「このままじゃ何者にもなれず、踏んづけられてぐちゃぐちゃになっちまう」

「後生だ、お願いだよ」

 しかしきゅうり達の哀願虚しく、その女もどこかへ行ってしまった。

「そんな! 頼むよぅ」

「俺たちは味噌もつけなくたって、きっとおいしいんだぜ!」

「ひとでなし!」

 きゅうり達は再び絶望の淵へと沈んだ。


 ここまで考えたところで、私はバイト先のアイスクリームショップに到着した。ずっときゅうり達の事を考えてぼぅっとしていたからか、外に出ていた店の看板に激突した。

 きゅうりが美味しい夏だから、アイスクリームもよく売れる。店内はお客さんでいっぱいで、同僚たちは慌ただしく動き回っていた。

 


 

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