自殺ビジネス
甘桜歓喜
第1話 別れは当然やって来る。
人はいつか死ぬ。
それ以前に、生きとし生けるものは大抵死ぬようにできている。
不老不死の生き物がいるという話をときどき耳にするが、少なくとも人間にはいつか確実にその命を終えるときがやって来る。
そして誰もが、死を恐れている。
自分の死、他人の死。
常に恐れながら生きている。
それ故に僕たちは、少しでも楽しく生きようとする。
それ自体はなんの意味をなさないにも関わらず、死を恐れるあまり、僕たちはそれにすがり、際限なく幸福を求め続ける。
そうすれば、恐怖を忘れられるから。
いつかすべてが終わってしまうという事実から、目をそらす事が出来るから。
そうすれば楽しく生きられるから。
だからこそ僕らは……。
高二の秋。
夏休みが明けて間もない頃。
僕の親友が死んだ。
信じられなかった。
あり得ないと思った。
なんかの冗談かと思った。
悪夢かと思った。
ただただ言葉を失い、意気消沈した。
僕の友達も皆、彼の死を知り、同様に言葉を失っていた。
僕らは幸福の絶頂から、絶望の底へと突き落とされたのだ。
あれから、一度も学校に行っていない。たぶんこれからも学校に行くことはない。もう何もしたくないし、誰にも会いたくない。
思考がゆっくりと停止していく。
僕はただ、なすすべもない石ころのようにベッドの上で横たわっている。
あっという間だった。今こうして沈んでいる状態になるまでに、まったく時間を要さなかった。
こうなってしまうまでの僕は常に幸福に満ちあふれていた。
そう、今から一週間前の夜までは……。
「あぁ~~~~あっ」
金曜日の朝、僕は目尻に涙を浮かべ大きなあくびをしながら机に突っ伏していた。
「おいおい眠そうだなー
「まあね~」
僕の前の席に座っている
ちなみに僕は近藤達也。ごく普通の高校生なはず。
「エペやってた……というのは実は建前で、本当は5組の女子とずっと電話してたんだろ?」
僕はそれを言われて勢いよく飛び起きた。
「な! な、何故それを!」
「へへーっ。やっぱりな。この女ったらし! これで何人目だよおい」
「ひ、人聞きが悪い事言うなよ。僕はただ、5組の子から夜通しの電話で相談に乗ってあげてたんだ」
「ははっ、なんだよ相談って」
冬海はやれやれと首を振った。
「人の相談聞くくらいで寝不足になるなんて、おかしいだろ。それになんの話してたんだ? 人生相談?」
僕は少し肩をすくめて、げんなりとして言った。
「死にたい、……っていう悩み(?)をずっと聞いてあげてた」
冬海はさっきまでのにこやかな表情を一瞬で怪訝そうな表情に変える。
「なんだよそれ……めちゃくちゃ重たいじゃん……。お前、そんな話、いったいどれだけ聞かされてたんだよ……」
「十二時過ぎから……四時近くまで話したんじゃないかな……」
「いやいやいや! いくらなんでも長過ぎだろ!」
冬海は半ば引いたように言った。無理もないだろう。あんなに暗い内容を延々と話し続けるのもどうかしてたと思う。でも、仕方がなかった。
「なかなか答えが出ないような内容だからな……」
小声でそう呟いていると、僕たちの席に近づいて来る女子たちがいた。
「おっはよーっ! 男子たち! 朝っぱらから何の話してんのーっ?」
一人が楽しそうに言うと、冬海が言った。
「おっす美雪! なんか達哉のやつがまた新しい女子口説きやがってさ。昨日なんてそれで徹夜したんだぜ、コイツ」
「えー、マジ? ……達哉、それはさすがに引く」
「い、いや違うぞ美雪」
僕は慌てて弁明しようとする。
「達哉。いくらあんたがイケメンでも、しつこい人は嫌われるよ」
橘美雪。僕の親友二号。背は高いが、スカートの丈は短い。髪はウェーブのかかった茶色いミディアムで、目は大きく、よく笑い、色白で可愛い。クラスの女子の中ではリーダー格に位置する人物で、よく周りの生徒たちをとりまとめたりする。故に学級委員長も勤めている。ちなみに副委員長は僕。
「まあ確かに、達也君カッコいいけど、意中の女の子を徹夜で口説こうとするのはさすがの私もドン引きかな」
そこに、もう一人の女子も優しい口調で反応する。
「しおりまでそんな事言うの?」
「うん。だって達也君入学してから二週間で彼女作ってたけど、結局一週間でフラれちゃったんだよね。それからいろんな子にアピールして、付き合ってはフラれて、一度は二股までかけたけど、それが理由でフラれて、結局モテてるのか非モテなのか分かんないもんね……あれ? 今何の話してたんだっけ? あ、そうそう。達也君が残念なイケメンっていう話だった」
それをすべて、タンポポのような笑みを浮かべて述べあげる。
「あのさ、そうやって満面の笑みで僕の黒歴史をほじくり返すのやめようか」
しおりは楽しそうに微笑んでいる。
北山しおり。僕の親友三号。いつもにこやかで、基本的には優しい。あと巨乳。しかし時折、そのキャラでとんでもない毒を吐くので、(主に僕に対して)油断ならない。学年の中でもかなりの美少女で、多くの男子が彼女に挑んで行くが、振るときはいつも塩対応。
「そういえば大智のやつ今日も遅えなあ。アイツいっつも学校に行くギリギリまでソシャゲやってんだと。まったく、しょうがねえやつだな。そこはエペやっとけよー」
「「「そこ!?」」」
「お、噂をすれば来たぞ」
授業開始まで残り1分前というギリギリの時間で噂の大君君が教室に入り込んできた。
「おっはようみんなー!」
大智は陽気に挨拶すると、自分の机に荷物を放った。
「遅えぞ大智。次遅刻したらヤバいんだろ?」
「大丈夫だって。遅刻しないように自転車すっ飛ばしてきてるからさ」
「危ないって大智。それで事故ってもあたしたち知らないからね」
美雪が呆れたように言う。
「まあ、遅刻しても石田先生と面談だからな。どのみち命がけってことさ。ははっ」
大智は何故か得意気な表情で言った。彼の中には遅刻をしないように対策するとかいう選択はないのだろうか。
すると大智が笑いながら僕を見る。
「そういえば達哉、昨日夜通しで女子と電話してたんだろ? 斉藤から聞いた。エペやろうって誘ったのに今から女の子と電話するからって断られたって」
「は!? 斉藤アイツっ! ッ!! まさか冬海! お前も……!」
「いや、俺は大智から聞いた」
「私も大智君から聞いたー」
「アタシは今知った」
「君たちねぇ……」
そして授業が始まった。
昼休みに入り、僕たちは教室で談笑しながら昼食を食べていた。
「それで! 妹にクラスで可愛い子紹介してって頼んだら、『ロリコンしね』って言われたんだよ。いやいや、さすがにそこまで言う必要はねーだろって」
「冬海の妹って今小学六年生でしょ? 妹のクラスメイトって、普通にロリコンじゃん。え、ていうか、学校に可愛い子いっぱいいるじゃん」
「いやいやいや。俺の女子のストライクゾーンは7歳~13歳までだ。それ以外は認めんっ!」
「いやいやいや、それは完全にアウトだから。ここにもいたよ。残念なイケメンが……」
「でもお前、夏休み前に別のクラスの子に告ってなかった?」
「あ、確かに」
「……そういえば大智は今気になってる子とかいないの?」
冬海は強引に話をそらした。
大智はさっき買った牛丼特盛りを夢中になって食べていた。
「俺はないかな。まあでもいつか近いうちにとは思ってる」
「そういえば俺たちって全員美男美女だけど、誰も付き合ってないよな」
冬海が言うと、大智は怪訝そうな顔をした。
僕は言った。
「でもみんなでこうやってダベったりしてんのが一番楽しいよな」
僕は手元に飲み物がないことに気づき、席から立ち上がる。
「お茶買いに行ってくる」
自販機でお茶を買い、教室に戻る途中、昨日電話をした女子とすれ違った。
目が合ったとき、僕が口を開こうとしたが、彼女は足早に去って行ってしまった。
僕はそんな彼女の後ろ姿を見送ったあと、教室に戻った。
それからまたしばらく談笑していると、午後の授業が始まった。
そして、放課後はあっという間にやってきた。
「やばいやばい4組の白崎ちゃんからデートの誘い受けちゃった! やったーっ!」
放課後、冬海はハイテンションで跳ね回っていた。
「えー、マジで!? やったね冬海!」
「いやーっ! マジで嬉しすぎるんだけどヤバいって! 俺マジ生きててよかったー! つーか今生きてるって実感できてるーっ! ヤバい俺今」
冬海は僕たちの前に走って行き、大きな声で言った。
「人生の絶頂にいる!!」
冬海は今、青春の真っ只中にいるらしい。
「ははっ! 小学生みたい……よかったね、冬海くん」
「冬海の魅力に気づいてくれる人、やっと見つかったね」
「おいー、お前らー!」
女子2人にからかわれているにもかかわらず、冬海は相変わらず上機嫌で飛びまわっていた。
「そういえばお前たちは彼氏とかつくらないのモテるし、そろそろそういうのもあったほうが楽しいんじゃないのか」
僕はふっとそう口にした。もともと二人は可愛いし、いつまでも高嶺の花感を気取っていないで、もっと青春らしいことをすればいいだろうに。すると美雪が言った。
「私はまあそのうちかな。でもこの学校あんまりいい人いないからね。徹夜で女子口説こうとする人とか、好きな子からのデートのお誘いで一生飛び回っている変人とかしかいないし」
「いえーい、いえーい。え、それもしかして俺のこと?」
「しれっと僕も入れてない? またっく……しおりの方はどうなの?」
「私は誰かと付き合うってことにあんまり興味ないかな」
「うわ出た恋愛に無関心なタイプの美人」
「ガチでテンション下がるようなこっちは付き合いたいと思っているのに」
「まあそれは人それぞれじゃん?」
「とりま可愛い子と付き合えば何でもいいわ」
「やっぱ冬海は単純だね」
それからみんなで笑いながら帰っていった。
いつも通りの日常。
いつも通りの生活。
毎日笑顔でいられて、
会いたい人に会えて、
好きなことを、好きな時に好きなだけできて、帰る場所がある。
そんな当たり前が、永遠に続けばいいのにと思う。
しかし日常は少しずつ変化して行く。
ただし、幸せは永遠に継続できる。
ゆえに僕らは幸せを当たり前のように謳歌できる。
幸せとは何か。
それは日常の中にある。
だから僕らは気づかない。
それを失うまで、全く気づくことができない。
「じゃーねー」
「バイビー」
「また明日ね~」
冬海、美雪、しおりはそう言って手を振って別れる。
「おう、じゃあなっ!」
僕はそれに答える。大智も無言で手を振った。
「じゃあ行こうぜ大智」
「うい」
僕らはいつもここで別れ途中から大智と二人きりになる。
大智はみんなと一緒にいる時はあんまりしゃべらないが、今みたいに誰かと二人きりになるとかなり会話が弾む。
「あー今日も帰ったら宿題かぁ……」
「なんで家に帰ってまで学校に縛られなきゃならんのな」
「それな! ……なぁ、俺ってさ。お前らと一緒にいて大丈夫かな」
ふいに大智がそんなことを言った。
「えっ、なんで? 大丈夫に決まってんじゃん」
急に何を言い出すんだこいつは。すると大智は言った。
「最近よく思うんだよな。俺ってさ、お前らと釣り合ってねぇんじゃないかって」
「どうしてそう思うんだよ」
「俺は達哉や冬美みたいにイケメンじゃねえし。テストも赤点ばっかりで、学校にはいつも遅刻してる。つまんないことしか言えねーし、お前達と一緒に居る時あんまりしゃべらなくて、空気みたいになってるし。俺いなくてもいいんじゃないかなって思ったりして……」
僕は黙っていた。
大智がまだ結論を言いそびれているように見えたからだ。
すると大智はため息をついて言った。
「達也たちは俺と一緒にいて楽しいか?」
俺はそれを聞くと、クスッと笑ってしまった。大智はそれを見て不愉快そうな表情になる。
「おい笑うなよ……」
「笑うしかないだろう。つーかお前って意外と女々しいのな。もしかして僕たちと一緒に居る時いつもそんなことを考えてたわけ? まったく。それにさあ、イケメンじゃねえなら雰囲気から変えるとか、赤点ばっかなら勉強するとか、もっとやることあんだろ。それなのに被害者ヅラして、挙句の果てには僕らと釣り合ってないだあ? ばっかじゃねえの。嫌な事があるんなら克服しろ! ……あとは僕たちはお前が好きだから、一緒に居るんだ。一緒にいて楽しくないわけないだろ」
これはさすがに言ってて照れる。
「あ、そうか……そうだよな……」
「ああ、もうこんなこと言わせるなよ恥ずかしいから」
「なあ達哉」
「うん?」
「もともと俺は人と話すのが苦手で、お前と出会うまでは引きこもりだった。いつも何事もないかのように学校に行っているけどな。実際は辛いんだ……だから……」
「大丈夫さ、すぐに楽しくなるって。確かにお前は若干コミュ症かもしれないけど、僕たちと一緒に過ごせばぜったいに青春を謳歌できる」
これは本気で思った。
「そっか……」
「うん」
「……」
大智はそれから口をつぐみ、僕たちは黙ったまま歩いた。
「じゃあな」
「バイバーイ」
結局僕らは一言も発さず、いつもの場所で別れた。
大智は後ろを決して振り向くことなく去っていく。僕はそんな大智の後ろ姿を少し見送ってから帰路に着く。
「今日はあまり大智としゃべらなかったな」
そしてさっきの会話を思い出した。
「急になんであんなことを言い出したんだろう。病んでるのかな? 変な奴」
しかしこの時の僕は知らなかった。今日が大智に会える最後の日であることを。
もう二度と大智の声を聞くことができないことを。
夕方のことだった。だいたい18時から19時辺りだったと思う。もともと寝不足で、そのとき僕はぐっすりと眠っていたはずだ。しかし、幾度となく鳴り続けている携帯のバイブ音にようやく目を覚まし、目をこすりながら携帯の画面を見た。
どうやら美雪からの電話らしかった。
「なんだよ……うるさいな……」
僕はそう呟きながらも、しぶしぶと電話に出る。
「もしもぉし……?」
あえて寝起きのダルそうな声で応える。
まったく。大した用じゃなかったら明日どうしてやろうか。とそんなことを考えていた。
すると、電話の向こうから聞こえてきたのはどこか怯えた様子の少女の息づかいだった。
「はぁ……あ……はぁ……達哉……やっと出てくれた……」
僕は明らかにいつもと様子の異なる美雪の声を聞き、一瞬で意識が覚醒する。
「え? どうしたの美雪? 何かあったの!?」
「達哉……達哉……! 達哉ぁああ!」
すると途端に泣き出してしまう。
「どうしたんだよ美雪!!」
さすがに動揺する。いつも明るくて前向きな美雪が、声を震わして泣き出すなんてよっぽどのことに違いない。
僕は一旦落ち着いてから口を開いた。
「美雪。ゆっくりで大丈夫だから。何があったのかを話してくれる?」
美雪は一度黙る。電話の向こうから美雪の震える呼吸と鼻をすする音が聞こえる。
そして、ゆっくりと声を出した。
「大智が………」
「うん……」
嫌な予感がする。
「大智が…………………………………………死んだって……」
人はいつか死ぬ。
それが遅いか早いかの違いで、人はいつか必ずその命を終える。
そしてそれが遅かろうと早かろう、死はある日突然やってくる。
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