第2話 彼女と親友
あっという間に、一年が過ぎた。
ずっと朝練に一番乗りしていたせいか、俺は自分でも分かるほど、めきめきと実力をつけた。
まあ、元が元なので、それだけ頑張ってこの間の春の大会でようやくベンチ入りできたくらい。
とは言え、去年一度もベンチ入りできなかったことを考えれば大きな進歩だ。
一方、噂に聞く限り、最近の小川は苦しんでいるようだった。
元の能力が俺よりはるかに高い分、壁にぶつかることも多いのだろう。
50点から30点伸ばすより、90点から10点伸ばす方が難しいなどとテストではよく言われるが、俺は前者で、彼女は後者というわけだ。
その小川が、近々行われるインターハイ予選の南関東大会を目前にして、怪我をしてしまったという。
あまりに根を詰めて練習したのが、良くなかったみたいだ。
確かに、朝電車で見かける彼女の姿は、日に日に追い詰められているようだった。見ているこちらまで、胸が痛くなった。
でも、俺が直接彼女に何かすることはできない。
クラスが違うせいか話す機会などないし、そもそも向こうが俺を認識しているのかどうかすら未だに怪しいのだ。
そんな状態で急に話しかけても、不審に思われるか引かれるかがオチだ。
怪我で練習ができないのに、いつもと同じ早朝の電車に小川は乗っている。
たぶん、習慣が抜けないのだろう。気持ちは俺にもよく分かる。
そんな彼女が、朝練をせずに学校で何をしているのかは俺にも分からない。
教室で勉強しているのかもしれないし、図書室にでもこもっているのかもしれない。
ただ、彼女が何をしていようと。
自分は変わらないというのを伝えたいがために、毎朝他に誰もいないグラウンドで、俺は一人汗を流している。
もちろんこんなの自己満足で、伝わってなくても構わない。
考えた末、俺にできるのはこれしかないと思ったから。
* * *
それからまた少し経ち、夏の大会の背番号が発表された。
俺は何とかベンチ入りすることができて、渡された背番号は20。
夏の大会のベンチ入り人数は20人なので要するにギリギリだけど、嬉しいものは嬉しい。
しかし、数日後。
とある噂を偶然耳にした俺は、ベンチ入りの喜びが一瞬で吹き飛ぶほどのショックを受けた。
その噂によると。
隣のクラスの小川が、同じく隣のクラスの野球部エース、畑中純平と付き合っているらしい。
噂を始めて耳にした時、心臓がキューッと縮まるような、そんな感覚を覚えた。
自分が小川とどうこうなれるだなんて、期待していたつもりはない。
ただ遠くから見ているだけでいい、そう思ってたはずだった。なのに、胸が苦しかった。
小川との噂で名前が挙がった純平とは、帰り道が途中まで一緒で仲も良い。
それも俺の悩みの種だった。
噂を聞いた今、どんな顔でやつと一緒に帰ったらいいのか。
他愛のないバカ話で、いつも通り笑えるだろうか。不自然な態度になってしまわないだろうか。
そうこう悩んでいる間に部活は終わり、帰宅途中。
他の部員たちと途中で別れた後、俺と純平は二人並んで歩いていた。
純平の態度は、どう見てもいつも通り。
それはそうだ。俺と話すのが気まずくなる理由など、向こうには1ミリもないのだから。
一方の俺はと言うと、案外誤魔化せていそうで、やっぱりバレてそうで。
それでも純平から直接指摘されることなく、なんとか別れ際まで漕ぎ着けた。
「じゃあな」
こんなストレスを、これから先毎日味わなきゃいけないのかという不安。
ともかく今日はこれでミッションクリアだという一安心。
その2つがごちゃまぜになった気持ちを押し殺すようにして言うと、いつもはその場で「おう」とか何とか応じてあっさり別れるはずの純平が、「あ、ちょっと待った」と鞄をごそごそし始めた。
しばらく待っていると、取り出したものを「ほい」とこちらに投げてくる。
すっかり日が沈んで視界が暗いとは言え、そこは俺も野球部員。
危なげなくキャッチして、手の中のものを見てみた。
「これは……お守り?」
「そ。よくできてるだろ、それ」
「……うん、マジでよくできてる」
受け取ったお守りを、改めてしげしげと眺める。
2頭身くらいのデフォルメされた野球選手がバットを構え、そのユニフォームの背中には20の数字が踊っていた。手作り感が強いけど、それもまた味があって良い。
「そんなにジロジロ見るなよ、照れるから」
「……え? まさかこれ、純平が作ったの?」
「そうだよ、すげえだろ」
腕を組んでドヤ顔をする純平。でも、不思議と嫌な気にはならなかった。
「いや、マジですごいよこれ……でも、なんで急に?」
「……毎日朝早くから頑張る
顔を上げて尋ねると、やつはなぜか目を逸らしてそんなことを言った。
微妙に他人事っぽい言い方が気にはなるけど、照れ臭さの裏返しということなんだろう。と言うか、こっちも普通に照れるし。
「……ま、せっかく作ったんだし、鞄の目立つとこに結んどけよな。その方が作り手も喜ぶから」
「作り手って、お前だろ」
ツッコミながらも、お守りを鞄の持ち手に結びつける。
さっきまでのモヤモヤが全部消えたわけではないけれど、心はどこかスッキリしていた。
純平相手なら仕方がないか。そう思えた。
* * *
翌日。いつもと同じ時間の電車に乗ると、向かって正面のいつもの場所に小川が座っていた。彼女はいつも通り英単語帳に目を通している。
ただ、一つだけいつもと違うのは。小川が一瞬単語帳から、こちらに目をやったこと。えっ、と思った次の瞬間には、本に視線が戻っている。
気のせいかな、とそれとなく小川を窺いながら、俺はいつもの座席に座った。
そこでもう一つ、いつもと違うことに気づく。
単語帳の奥に見える、彼女の口元に。
かすかな微笑みが乗っているような、そんな気がしたのだ。
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