王立魔導士の指南教官

猫の尻尾

序章 ─プロローグ─

第01話

 神聖グランザム王国の歴史は長い。

中でも魔導学問は、その歴史の長さに比例して相当に知見も深く、そして高い。

有り体に表現をするならば、大陸の諸外国と比較しても随一である。

 特に、近年では飛躍的に魔術に関する技術力を向上させており、名実共に圧倒する勢いであるのはもはや記述するべくもない事実だ。

それはとある有力な魔法学者の姉妹二人の功績が大きいと言えるのだが、それはまたいずれ語るとしよう。

 そんな神聖グランザム王国は今や帝国規模に匹敵する国土面積を誇り、歴史・格のどちらを取っても他の追随を許さない大国。

国の首都である神都グラムは既に小国規模の面積になっており、学術に留まらず、あらゆる分野で若者の流行等の中心的都市となっていた。

 だが、やはり魔法においては他の流通項目と比べて別格で、『魔法を知りたきゃグラムにいけ』と言うのはこの大陸にいる魔道士を志す人間であれば誰もが知る言葉である。


 神都グラムは大きな目で見れば楕円形に近い構図になっており、その中心部は王城を中心としたゆるい傾斜で街が建ち並んでいた。

そのエリアは所謂貴族の邸宅が固まっているエリアであり、外部に近ければ近いほど貧困層が集まっている。

その為、血筋のカーストがそのまま家の立地に繋がっている、と揶揄されている内容はあながち間違いではなかった。

 もっとも、繁華街は城よりかなり離れた外部側にある事が多いので、商人や職人達は仕事場に近い立地に居を構える事も少なくない。

である以上は一部例外こそあるのだが、上層─中層─下層の3分割をした際に、他の層との婚姻が家族公認で成立するケースは稀有である。

 身分相応、と言う言葉をより深く実感することが多いのも、神都の特色の一つであった。

無論、他国の人間からは毛嫌いされる傾向にある特色であるのだが、王政がひっくり返ることでもなければこの価値観は変わらないだろう。

中世の石造りの住宅から建築様式が変化しないのも、頑固さの裏付けと言える。

 ただ、そんな古風な街の出で立ちは一転、諸外国からは高く評価される傾向にあった。

石造住宅に、石畳できれいに舗装された道、綺麗な噴水公園や神秘さを伺わせる学校、そして紅き王国旗をなびかせる悠久の古城────グランザム城。

そんな風情を良しとする風潮も、建築様式の固定化に一役買っているのかもしれない。



 そして、そんな神聖グランザム王国の神都グラムの中層。

地図にした場合では南東方面になる位置。

そこに、中層にしてはやや不釣り合いなボロ屋があった。

外観は木造で、庭の草は生え散らかし、辛うじて玄関から門までの道に人がひとり通れる程度の獣道が残っている…という付近の景観を著しく損ねるボロ屋。

近隣住民にも不満が溜まっていると言うのはポストに入り切らないほどの罵詈雑言の紙の束を見ればよくわかる事実で、それを放置してる事からも家主の性格が如実に現れていると言えるだろう。

 しかし、そんなボロ屋に、今日は来客があった。

「それで?」

威圧的な態度の客人────ケイティ。

 彼女は30代後半とは思えない美女で、街中で100人に聞けば100人が美女であると回答するのは間違いようのない顔、体型の双方ともに整った女性である。

髪は薄い赤で、ロングに伸びた艶やかな髪をポニーテールに結んでおり、扇情的な項からは想像しがたい色気が醸し出されていた。

顔立ちも当然麗美で、可愛いというよりは美しいという表現が的確な凛とした容貌であった。

身長は目算で170cm程だろうか?

グランザムの女性にしては長身で、長い四肢に紫色のローブを羽織ったその姿は指図め魔女を連想させる。

胸は豊満とは言えないまでも、慎ましく整ったサイズである事は服越しにも見て取れるだろう。

その慎ましやかなサイズは女性的欠点というよりは、むしろより服を華麗に着こなすための長所というべきで、端的に結論を述べるのであれば非の打ち所がない美女だろう。

 ケイティの眼前には、客用に差し出したクッキーを抱え込み、その客であるケイティを威嚇しながらクッキーをムシャムシャ頬張る細身の男性────レイがいた。

家主であるレイの邸宅の放置ぶりに呆れたような顔をしているケイティだったが、レイの性格ではそれも致し方ない。

なぜなら彼は────。


「お前が片付けろ」


────クズなのだから。

 「だ か ら!私は赤の他人であるお前の生活費をもう三年も負担してやってるよな?いい加減に片付けくらいは自分でやろうと思わないのか?なあ?このクズニート」

容赦のないケイティのド正論に、居候…というより家を与えられたペットのような立ち位置のレイは逆ギレをした。

「『生活費』で『生活』してるんだから義務果たしてるだろうがッ‼それとも何か?生活費で生活に必要ないものを買えというのか?俺は非常識人じゃないから、他人からもらった生活費を無駄にできねえんだよ‼」

いや、非常識人である。

「箒や草刈り機は生活に必要あるだろうが!というか、お前は生活費で趣味の本やら何やらを買い込んでるんだからその論はおかしいだろ!片付けろ!働け!死ね!」

 ケイティは優しげな見た目とは裏腹に男勝りな性格で、それは自身の圧倒的な功績と実力から来るものだろうというのはレイも知った事実であった。

彼女はこの数十年で魔導学の基礎を根底からグラつかせるような異常な研究成果、論文をいくつも発見、提出している天才魔導姉妹の姉の方である。

 一方、レイはその天才魔導研究者のスネをしゃぶり尽くしているクズニート。引きこもりのゴミのような存在であった。

黒髪というグランザム人にしては珍しい人間ではあるが、それ以外にこれと言って珍しい身体的特徴もなく、よく言えば普通、悪く言えば面白みのない人間である。

 「ははっ(笑)お前はアレか?草刈り機とかムシャムシャ食べたりすんの?(笑)おいおい、それは食い物じゃないぞッ☆」

ダメだぞ☆と、無垢な子供に注意するような態度で接してくるレイの足のスネを蹴り飛ばし、悶絶してソファから崩れ落ちたレイの頭を踏みつけるケイティ。

「グハッ…貴様何を…ッ…!」

「いつ私は生活費で飲食物〝だけ〟買えと言ったんだ…?んんッ?」

「痛い痛い!誰か助け───ングッ」

大声で叫ぼうとするレイの口が、触れてもいないのにガチンッと閉じた。

まるで何かに口を突然塞がれたかのような異常な光景。

そう、これこそが物理法則不介入の絶対的な力────魔導術式、通称魔法である。

 「んーッ!んんーッ‼」

必死に騒いでいるが、やはりと言うかほとんど声になっていない。

口が開けなければどれだけ空気を使おうが声帯を振るわせようが声は通らないのだ。

 ………というか、仮に近隣に聞こえたとしてもこの男の好感度から推察するに誰も助けには来ないだろう。

よく見れば、家の中にも暴言の書かれた紙が並べられていた。

その数は多く、溜まり始めて数カ月…というレベルの量ではない。

 ここは下層に近いとはいえ、区切りで言えば一応中層区画。

言い方を選ばないのであれば、そこらの愚民とは明確に差別化できる程度には民度のいい人間の住む区画である。

その良識を弁えた良い家柄の方々にここまでの暴言を吐かせるとは…、一体これまで何をやらかして来たのか想像したくもない。

 「お前なぁ…。普通はここまで暴言吐かれたらちょっとは己を見直───」

そこまで言って、レイがニヤニヤしてるのに気が付く。

踏みつけているレイの視線は、ケイティのスカートの中に向けられていた。


「よし、お前出てけ」


「んん⁉」

焦るレイの腹をバムッバムッと奇妙な音がするほど強めに蹴り飛ばして玄関の方に吹き飛ばしていく。

レイも、これは流石にまずいと思ったのか慌てて起き上がり、手足を縛ろうとするケイティに向き直る。

その真剣な表情にはある種の悲壮感さえ漂っており、レイの過去を知るケイティはその表情を見て少しばかりたじろぐ。

床に正座をするレイの真摯な瞳から謝罪の意図が強く感じられ、レイがどれだけ色濃く反省をしているのかがその一挙手一投足からヒシヒシと伝わってくる。

ここで余談だが、レイは礼儀作法は徹底しており、その所作は貴族の熟練の執事を彷彿とさせるものである。

幼少期より教え込まれた教育の成果とでも言うべきか、作法に関してはまさに極まっており、優雅。

見る人が見れば、紳士というモノのあり方についてしばし考えさせられるような見事な立ち居振る舞いである。

────閑話休題。

(まったく…。やはりこいつには敵わないな…)

どれだけクズでも、一度真剣な顔を見せられると許してしまう。ケイティの悪いくせである。

彼女はレイの謝罪の意図を汲み取ろうと、軽いため息を一つ吐き出して彼の口を自由にした。

と、レイはスゥウウウウウウと空気を大きく吸い込むと、

「衛兵さぁああああああん!!!!!」

とバカでかい声で助けを求めた。

 「な!?お前ッ!」

想定外の行動に焦ったケイティは自身の指輪に再び魔力を込める。

が、遅い。

「効くかバカめ!」

レイは素早く後退し、体操選手顔負けのバク転で─────


────土下座の姿勢のまま空中を吹っ飛び、そのまま隣の部屋にきれいに着地した。


「お願いします!生活費を増やしてくださいッッ!」

「は、はぁ!?」

唐突な、それも予想外の方向転換にケイティは素っ頓狂な声を上げた。

 成人男性の、しかも中層の一軒家の生活費は決して安くない。

それを3年も、食っちゃ寝生活のカスニートの為に赤の他人の美女が払っているのだ。

要はヒモである。

多少は自重して然るべき、という常識的考えは残念ながらレイには無かった。

図々しくも厚かましく増額を要求した。

「い、いや働けよクズ‼」

「働いて金が稼げるなら世の中苦労せんわ!そんな世界なら皆働いてるわッ!」

「いや皆働いて稼いでるだろうがこのスカポンタンが!お前も働け!」

 と、そこまで言ったところで当初の目的を思い出したのか、真顔になったケイティはバムッと土下座するレイを蹴り飛ばすと自分の座っていた椅子に戻り、置かれたカバンの中から紙を3枚取り出した。

 またしても余談だが神聖グランザム王国は前述の通り、魔術以外も発展著しい。

ケイティが何気なく取り出したその三枚の紙も、他国の人間や下層の人間が見たら目が飛び出すような上等な代物である。

何を隠そう、下層では未だに質の最悪な羊皮紙を使っているような状態で、それと比較すれば如何にこの紙が繊細で、高度な技術を元に作られたのか分かろうというものだろう。

────閑話休題。

 取り出した紙にはそれぞれ綺麗な達筆で細かな作業内容のようなものが記述されていた。

ケイティを知るものがこの紙を見たなら『ケイティの字ではない』とひと目でわかる程度には綺麗な字である。

 紙を顔に近付けると、文字から仄かに花の甘酸っぱい匂いが香ってくる。

これは間違いなく隣国産の、花の香りを練り混んだ墨汁を使用したのだろう。

近年、かの国もグランザムとの公益により発展を遂げている。

 ケイティはその紙をスッとレイの方に差し出し、自分で紅茶を入れ直して口を開いた。

「さて、仕事の斡旋だよニート君」

「何…?」

怪訝な顔をするレイを無視してケイティは紅茶をすする。

「ここのところ、犯罪組織が増加していてな。王国の騎士団の人員不足だそうだ。特に、魔導士の人数が極端に少ないらしい」

「………」

「王国騎士の1個大隊が600人規模であるにもかかわらず、王国魔導士は数の少なさから、大隊でも100人規模にも満たない不足ぶり。各個人のレベルが高いから何とかなっているという程度のクソッタレ状態だ」

椅子に座ったレイは、書類に目を通しながらも「それで?」という視線をケイティに向ける。

その反応に満足したのか、ケイティはレイの前の皿に可愛らしく並べられた自分用の茶菓子に手を伸ばし、レイに威嚇されて手を引っ込めた。

「騎士の人数も決して多くはないにも関わらず魔導士がその程度の数しかいないようだといくら何でもこの広大な土地を誇る神都グラムは端までの警備が効かなくてな…、特に下層区画の犯罪件数の増加……あとはわかるだろう?」

 一通り書類に目を通したのか、レイはつまらなそうに紙をケイティに突き返した。

当然、ケイティの言わんとすることはレイにも理解できていた。

「はっ(笑)際限なく国土を広げた結果がこれか?シシリィの助言を無視して、自分達の首を絞めてたら世話ないよな?三流小説以下のバカみたいなギャグコメディじゃねえか」

「まあそう言うな。問題点は人数の方もそうだが────」


「あの王国魔導士が『各個人のレベルが高い』なんて言われてる時点で終わりだよ」


ケイティの言おうとした事を先にレイに言われたのもあるが、それよりもレイの怒気を滲ませた発言に押し黙る。

 レイの過去を知ってるだけに、ケイティは何も言えない。

そして、レイの内情を知りつつもこの仕事を持ってきた後ろめたさもケイティにはあった。

「なあ、一般魔導士の募集に行かないか?」

「断る。俺は来月の【ドキ☆魔女】の新刊が待ってるんだよ」

「娯楽小説じゃないか。その程度向こうでも買える」

「バカか?お前は『魚料理なら向こうでも食べれるよ!』と言って鮮度の落ちた魚を貪るのか?オタクは鮮度が命なんだよッ!流行って言葉を知らんのか無知がッ!」

どうやらレイは巷で流行りのオタク文化とやらに夢中らしい。

 ドキ☆魔女とは、ひょんな事から死んでしまった主人公の少女が異世界に転生して、魔法の存在しない世界でただ一人の魔法使いとしてヒーロー活動するハートフルなノベル作品である。

「お前みたいなキモオタヒキニートのクズ人間が鮮度もクソもあるかッ!よしわかった、そっちがその気ならやってやるよ。私がお前を王立魔導士の指南教官にしろと騎士団のクソジジイ宛に推薦状を書いてやるッ…!」

「何ッ…⁉」

 繰り返すが、彼女は魔導学会で類まれなる功績を露見させた才女。

聡明にして天才のケイティ・ローラ。

その魔導学の母とさえ呼ばれるケイティがこれまで一切の交流を断っていた王立騎士団に対して『魔導士の指南教官』に対する推薦をすると言っているだ。

推薦とは名ばかりで、王国側は何としても就任させるべくあらゆる手を尽して勧誘をするだろう。

なにせ、その場合のレイはケイティとのパイプを持った重要人物であり、その上魔導学の第一人者が認める程の人物である。

ケイティと少なからずコネを持っておきたい騎士団がレイを放っておくわけがないのだ。

要するにほぼ強制雇用。

ケイティがこれまでそうしなかったのは、情があったからだ。

レイの望む仕事をさせようと考えてものであったが、こうなればやむ無しである。

 「ま、待ってくださいすみませんッ!俺は………俺はッ…‼」

流石のレイも自身の非礼さを正しく自覚したのか、先程までの不遜な態度から一転してテーブルに頭を叩きつけるような素早い謝罪と、悔い改めるようなうめき声を上げる。

これはケイティのほうがむしろ予想外で、泣きそうな声を上げるレイに対して良心の呵責に苛まれた。

「お、落ち着け。そうだな…、確かにいきなりお前に強制するのは違うよな。お前の意見をもう少し汲むべきだったようにも思うし、私が悪かった」

 

「だよな?俺悪くないし」


と言うと、唐突に「はぁ、まじでキツイわ…」みたいな態度で顔を上げて頬杖をつき始めるレイ。

手のひらの切り替え方のが異常なまでに早い。

やはりクズか…。

「なっ…貴様っ…!さっきまでの態度はどうした!」

「謝ったからチャラだろ?なに?反省してるのにこれ以上何かさせたいの?人間のクズみたいな考え方だな。人がキチンと反省してるんだから意を組めよ」

 (こ、こいつ…!駄目だもうッ…!)

「よし、今度こそ駄目だ。覚悟して待ってろ。家も引き払って推薦状も今日中に提出してきてやる」

「へ?」

とうとうブチギレたケイティは、カバンを持って家を出ていった。

一瞬間を開けて事情を理解したレイは、おそらく今日最も大きな声で


「ぇええええええ!?」


と絶叫した。




✱✱✱✱✱✱




 「で?」

結局あの後すぐさま追いかけて、他人の目も気にせずケイティに泣きついて叫びまわった挙句、鼻水でスカートをビチャビチャにして、やっとの思いで引き留めることに成功。

「ずびばぜんッ…!!」


「で??」


 流石にやり過ぎたのか、それともスカートが汚れて怒ってるのかは分からないがいつにも増してドスの効いた声で圧をかけるケイティ。

レイも流石に落ち着いたのか、大げさな泣き真似を辞めてモゾモゾと指を動かしながら返答する。

「いや…教官はその……やりたくないっていうか…俺向きじゃないっていうか…」

「………」

沈黙。

「むしろ?一般兵……的な?そういうのなら?まあ?やれるかな?みたいな?」

無駄に疑問符の多いイタキモイ話し方でケイティの顔色を伺うレイ。

レイの長所は、恥という概念がおおよそ無いことである。

……………。

やはりクズか。

 すると、ケイティは腕を組んで口を開いた。

「じゃあ、明日面接受けてこいよ?」

当然だよな?と言わんばかりの声色で、有無を言わせぬ語調。

恐らく近所の子供たちを集めて、今のケイティ顔を見せたら明日には悪鬼の噂ができあがっていることだろう。

「…………」

「返事は?」

「いや…流石に明日は急っていうか────」


「返事は?」


やはり、先程までの舐めた態度にキレているらしく、流石のレイも「はい…」と消えそうなほど小さな声で答えるしかなかったのであった。



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