【一幕】バッドエンド ・Bad End・

01.「紬希――別れよう」(1/3)

       *



「かんぱぁい!」

「え、あ、か、かんぱーい……!」


 かつ……。

 気持ちが悪いくらいに中途半端な金属音が空気中に漂った。


「え……? なんなんそのきょを突かれた乾杯」

「え、いや、なんかその………………完全に不意打ちだった」

「なんでやねん」


 半分噴き出しながら、みおのキレの良い突っ込みが飛んできた。あまりにも苦しまぎれの言葉だったことは自分が一番分かっているから、その突っ込みのもっともらしさに私も思わず笑ってしまった。

 伝家の宝刀とも言える今の突っ込みが自己紹介代わりになっていたが、澪の出身は関西だ。東海地方に構えるこの大学では関西人は比較的珍しく、関西弁を話すというだけで目立つ。関西の外では関西弁は魅力になる、という理論の下で、彼女がむしろ意識的に方言を振るっているのもあるが。

 ただ、澪に言わせれば関西弁と一口ひとくちに言えるものではないようで、当の彼女は自分の出身県と両親の出身県のキメラ弁を話しているそうだ。関東出身の私にはそんな違いは分かりようもない。

 澪のおかげでなごんだ空気に甘えつつ、……私は周囲に流し目を向けた。

 私の部屋――大学寮の一室。入居当初はだいぶ手狭だと感じていたが、一年以上経った今では少し気に入っていて、私だけの別荘のような気分でいる、ここ。

 その中央、ベッドとライティングデスクの間に置かれたセンターテーブルを挟んで、私たちは座っていた。

 これは――間違いない、澪の誕生日パーティーだ。じゃあ、五月二十五日ということか。


「ごめん……もう一回乾杯しよ」

「えー、なんか冷めちゃったわー。紬希つむぎ嫌い」

「え、あ、そうだよね……ごめんなさい」


 言って、あ、と思った。

 ごめんなさい、という口癖を直そうとして、少なくとも澪の前では言わないようにするという約束だった。


「NGワード! ……てか、ほんまに落ち込むなや、冗談やって」

「冗談――……、今のは分かりにくいよ! 本当に嫌われたかと思ってうっかり謝っちゃったし……」

「ごめんごめん。いや、紬希が関西ノリに慣れたいとか言うからさ、こっちもうっかり吹っ掛けすぎちゃうんよなぁ。……まぁええや、気を取り直して」


 そこまで言った澪は、缶チューハイをぐっとこちらに寄せながら、目で乾杯をうながした。早くも結露し始めていて、パッケージのレモンが余計に瑞々みずみずしく見える。

 私もキウイが映る缶を持ち上げて、澪のそれめがけて押し付けた。


「かんぱぁーい!」「かんぱーい……!」


 満をして、気持ちのいい金属音が鳴った。

 戻す手でそのままひとくち目を流し込んだ私は、記念すべきあおる澪を見つめた。今日のパーティーは、彼女が成人を迎えたお祝いなのだ。


「……どう? 美味しい?」


 口元に缶を近づけたまま、澪に問う。

 四月十六日に成人を迎えている私は、たった一ヶ月と少しだというのに、どこか先輩気分だった。まだ酒の味は分からないだろうなぁ、なんて言ってやれば澪の突っ込みを引き出せたのかもしれないが、まだ今の私にはそれを言う勇気がなかった。

 ぷはぁー、と快活な息をつきながら、澪は手元の缶に目を落とす。


「美味しい! ……けど、これほんまにアルコール入ってるん? なんか普通のジュースの味しかしぃひんねんけど」

「あぁ、まぁそうかもね」


 初めてのお酒ということもあって、アルコール度数三パーセントの軽いチューハイをおすすめしたのだ。三パーセントでは、果物の風味にはまず勝てないだろう。


「個人的には五パーセントくらいからやっとアルコールの味がしてくる気がするから、三パーセントじゃ少なくとも味はただのジュースだよね」

「そうなんか……。でも、いきなり強いお酒飲むの怖いもんな。不味まずく感じちゃうのも嫌やし」

「うん、ちょっとずつ度数上げていけばいいと思うよ」


 万が一急性アルコール中毒でも起こされてしまったら、誕生日パーティーどころかこの休日ごと慌ただしくなってしまう。初めての飲酒では、お酒が美味しいという印象だけ受けておくくらいが一番だ。

 ただ、本当に怖いのは強いお酒ではなく、アルコールが入っているくせにそれが味に出ないお酒なのだけれど……。

 なんて偉そうなことを考えていたら、どうやら澪に見透みすかされていたようで。


「…………一ヶ月しか変わらへんのに、やけに先輩面やな」

「え!? そ、そんなことないよ……」

「今のは、これから敬語使えよ、って返すところやで」

「な、なるほど……」


 こうして時々澪先生の関西レクチャーが入る。澪のノリについていきたくて、私から受講を希望して始まったのだ。

 出会ってから一年くらい続く、もはやひとつの習慣である。


「ほんでさ、」


 もう一口飲んだ缶を机に置いて、澪は神妙に口を開く。


「……これ、全部食べれるん?」


 澪が目線を向ける先――食事でもゲームでもある程度何でもできそうな大きさのセンターテーブルの上。

 そこには、思わず圧倒されてしまうようなボリュームの料理が並べられている。

 まるでメインディッシュのような存在感の寿司に始まり、ピザにフライドチキン、点心盛り合わせに揚げ物一式、挙句ハンバーガーなどのジャンクフードまで、ぎっしりと並べられている。どこかの馬鹿――私だけど――が、寮の近場にある店から、ジャンルなんて一切気にせずひたすら出前を取りまくった結果だ。

 駄目押しと言わんばかりに、冷蔵庫では四号のホールケーキが出番を待っている。


「ごめん、いまいち澪の好みが分からなくて色々頼んじゃった……。食べ合わせ悪いよね」

「食べ合わせっていうか、華奢きゃしゃな女子大生との組み合わせが悪すぎるねん」


 突っ込みながらも、澪は圧巻の料理を前にして苦笑いを浮かべている。


「……み、澪は特に華奢きゃしゃだもんね、胸ないし」

「そのみだらな肉塊引きちぎったろか」

「ごごごめん!?」


 私から仕掛けたのだけれど――思わず自分の胸を腕で覆った。一瞬澪から殺気を感じて、胸が血を噴きながらビジョンが明瞭めいりょうに浮かんだのだ。

 ちなみに、ごめんなさい、という口癖を直すための第一歩が“ごめん”への置換という取り決めだから、それを口にすることは問題ない。ゆくゆくは、何かあればすぐに謝る癖そのものを直そうという算段だ。

 何とも言えない眼差しを私に向けて、顔の前で手をひらひらと振る澪。


「いや、今のはナイストライやし突っ込みまで繋がって一件落着なんやけど、今そんなことどうでもいいねん」

「そ、そっか」

「ほら、これって炭酸やんか」


 こんこん、と缶の上面をつついて続ける。


「すぐお腹いっぱいなりそうやねんなぁ。あたしさ、食べ物残すのにすっごい抵抗あるねんか」

「あ、でも、その点は大丈夫だよ。たぶん私これ八割くらいは食べれるし、澪がそんなに食べなくても――」


 そこまで言って。

 目をみはる澪を見て。

 刹那――目の前の光景と重なるビジョンが脳裏に投影された。

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