▼25 その魔法少女、遁走

 壊れたローテーブルのそばに立ち、サラは胸を張る。

 向き合う壁のそばには、焦げたようにくすんだオレンジの髪と、垂れた犬耳のついた黒髪の、ふたつの生首。それらを足もとに並べ、玉飾りをむすんだ三つ編みを揺らす、赤い服の小さな体。

 長身のサラが背すじを伸ばせば、幼女と目の高さは星と雲ほど違う。幼女の側が顔をあげなければ、黒肌に溶ける色暗い前髪で目が見えない。


「お名前、聞いてないッスね」


 無言でいる幼女に、サラがたずねた。

 すると幼女が顔をかたむけ、いた髪の合間から、赤々とした目が片方覗く。


浪戸ロウド

「んー、ロゥたん。地球テラ生まれ同士、シクヨロッス」


 軽い口調と裏腹に、低く温度のない声音でサラはあいさつをした。その調子のまま、まるでしおれた花を取り替えるように話題を戻す。


「シグシグとシグシグのを、ロゥたんに引き渡してもいいッス……けど、引き渡さなくてもいい気がするッス」

「根拠は?」


 すかさず、赤いレインコートの幼女が訊きかえす。長すぎるくきを折るように。「よもや、千年動きがなければ今後も動かぬなどと――」

「ないッス」


 いとわず花をすように、サラは胸に手を当て、まっすぐに言った。


「あーしがそう思うッス」


 誰あろう、誰のでもない、自分の直感において――


 迷いなくそう告げたサラを目に映し、浪戸は口を閉ざした。が、すぐに、クスと小さく噴きだしてみせた。


「なるほど、シャラ・グードー。義理でも情けでもない、か。つくづくその血は……」


 嘲笑ちょうしょうか、苦笑か。

 細っていった声の尻と同じく、うつむいた顔は本意を悟らせない。ただその小さな肩だけが、いかにも安閑あんかんと上下に揺れる。


 やがてふたたび顔をあげたとき、その目と口もとは晴れやかにほころんでいた。朝露に濡れて光る花のように。


「よかろう。みどもはトチノモノの〝欲〟に逆らわぬ。そなたが動かなくとも、はたまた、そなたのほかの誰ぞが走りだそうともじゃ。さ、て――」


 その花弁をゆがめ、毒蜂どくばちのようにわらう。


「足もないのに走りだすもの、なぁーんど?」


 サラは音を聞いた。背後で。部屋の外で。

 この家に入るときにも聞いた、玄関の扉の音。


陽和ひよりちゃんセンパイッ!?」

ぐうどう!」


 振り返ろうとしたとき、一瞬遅れてキテラが叫んだ。

 先に背後の彼女を振り向きかけながら、サラはハッとして、振り向く前まで体を戻す。


 浪戸は踊るように手を広げていた。カエル柄の黄色いレインブーツがそろってつま先をあげている。

 そのすぐそばで、生首ふたつが


こたえは、芋虫イモムシじゃ」


 割れた窓から風が吹きこむ。遺髪が吹き乱されているだけにも見えた。

 だが、死人の目と耳と鼻と口からあふれ出し、がいをヤドカリのように背負ったそれらが、毛髪であるはずもない。


 暴れ狂う巨大な線虫たちが、生首を核にして一斉に床を叩き、サラたちめがけて飛びあがった。


 そのサラとキテラの前に、白い薄膜が立ちはだかる。

 線虫のかたまりは薄膜にぶつかるや、青白い火花を激しく散らしてはね返された。


 その薄膜ごしに、より白く小さな影を見つけ、浪戸の目が喜悦にゆがむ。


「まだやれるのぅ、ソトツ仔」

「荒ごとは向いてないんじゃなかったのかい?」

「みども自身はのぅ」


 薄膜が消え、シグが現れる。すでに片手には光球を作りはじめている。


「なるほど。マガツヒたちのを指揮していたのはきみか。――朱鐘あがね!?」


 不意にめずらしく動揺した声を放つ。そのシグの真下をくぐって飛びだした黒い影が、白いエプロンをなびかせ、巨大な耳かきを振りあげる。


 浪戸は間合いの外へ飛び、そこに転がっていた線虫と生首の黒いボールにふわとレインブーツの先を乗せた。さらに宙をただよってきた茶色い虫玉ボールに、ちょんと腰をおろす。


「朱鐘センパイ! 陽和ちゃんセンパイがッ」

「先に行け、寓童」


 振り抜いた耳かきを戻し、両手で正眼に構えなおしながら、キテラは背後に告げた。

 そのパフスリーブの肩の隣りに、浮遊する白いマスコットが並ぶ。


「ダメだよ、朱鐘。朱鐘も寓童サラとふたりで、瑞楢みずなら陽和を――」

「シグ」


 引き留める声をさえぎるときも、キテラは振り向かなかった。アストラル★キテラは――朱鐘は、得物の先とともに、ただひとつ、おのれの敵のみをにらみすえる。


「焼き払ってでも、を取り戻すぞ……!」


 隣りの魔法生物は、なにを思っただろうか。再度制そうとはせず、ただ静かに浮かぶ。


 対し、赤いレインコートの大マガツヒは、線虫まみれの遺骸の上で足を組み、くつろぐように伸びをしていた。


いたほうがいいのぅ」


 腕をおろしてはあくびまじりに、黒い頬を赤らめる。


魚卑似オビニは鼻がきく。一度嗅いだの匂いは忘れぬど」


 キテラが一歩踏みこんだ。


「行け! 寓童!」


 激しく光がほとばしる。シグが光弾を投げたのか。

 いずれにせよ確かめることなくサラはリビングに背を向け廊下に飛びこんだ。そのまま走りだし、靴を拾って玄関から転がり出る。


 外は日暮れどき。秋晴れの空と景色は朱に染まっている。このままおうが時まで行ってしまえば、人探しはできなくなる。

 瑞楢陽和はアストラル★ペトラの姿で外に出た。変身前の足がいくら動かなかろうと、魔法少女の脚力でならどこまでも行ける。


 サラもまた、往来へ飛びだしながら、迷わずに叫んだ。


「アストラル・シャインッ――グローリィ、アウトッッ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る