逃げてきた元王女と、両親共に女性の私の話。

シーラ

第1話


今日は気持ちの良いポカポカ天気。昼下がり、近くの牧場に足を運んだ。さぁて、どこに居るかな。


目当ての人は見回しても見つからず、従業員に居場所を尋ねる。厩舎にいるとの返事をもらった。手に持つ紙袋を再度抱え直して感謝を伝えると、従業員は笑って手を振ってくれた。期待に胸を膨らませながら、向かう足音も軽く速くなる。喜んでくれるかな。


動物の匂いが濃く香る厩舎。いつ来てもこの風景は変わらない。そういえば去年、屋根の塗り直しをしたっけな。可愛い動物達に寄り道したい気持ちを抑えつつ、働いている人達を見回せば、その人を見つけた。


藁を山盛りに積んだ運搬車。それを押す作業服の袖から覗く細い腕は、健康そうに日焼けし引き締まっていて、一目では他の従業員と見分けがつかない。フワフワとひとつ結びにした亜麻色の髪を靡かせている。


はやる気持ちを抑えつつ、脅かさない様に意識的にゆっくりと近づく。聞こえて来たのは、私の親友が作った子供向けの歌。彼女も気に入っているようで嬉しい。楽しげな歌声につい聞き入る。


「フワフワたっぷりクリームは

夢の中なら雲になる

クレープお月様にちょこんと乗せて

キラキラチョコお星様をパラパラと

くるっとまいたら

クルクルクレープの出来上がり」


私に気づいたら、歌うのやめちゃうかな?それも惜しい気がして、邪魔にならないよう彼女の作業風景を厩舎の外から眺めることに決めた。作業が終わる頃合いを見計らい、声をかける。


「ヒメちゃーん。持ってきたよー。」


「あら、シキちゃん。待っていてくれたの?ありがとう。」


軍手を脱ぐ様は優雅で、未だ高貴な雰囲気を漂わせている。うん。素敵!一つ一つの動作に気品が溢れてて、見惚れてしまう。やっぱり好きだなぁ。なんて可愛いのだろう。


紙袋を見せると、これで今日の仕事は終わりだからとお茶しようよと誘われる。ヒメちゃんとお喋りするのはとっても楽しい。だから今日は少しだけ仕事をサボろうかな。うん、そうしよう。


作業終わりのヒメちゃんに誘われるまま、近くの丘まで歩いて、適当な場所にそのまま座る。青い草の匂いと、日差しの匂い。お互いの作業着は仕事終わりで元々盛大に汚れているから、直に座っても気にならない。


目下に広がる牧場では、のんびり草を喰む動物達が遠くに見える。癒されるわ。ヒメちゃんはここが最近のお気に入りの場所なのと、ふわりと微笑む。目の前の景色と重ねると、一つの絵画のようで、こちらも自然と微笑んでいた。


「クッキーを作ったの。お茶も自分で淹れたわ。お口に合うかわからないけれど。」


ヒメちゃんは作業所から持ってきた籠から、包みを取り出した。包みから出てきたクッキーは少し歪な形をしている。でも、美味しそうな匂い。ヒメちゃんは心配そうな、でも期待している様な目をして、こちらを見ている。上目遣いが可愛い。私は早速手を伸ばす。


「いいの?嬉しい!ヒメちゃんの手料理食べるの始めて!…うん、おいしぃ。このシナモンの効かせ方、シツジさんが作ってくれたのに似てるわね。レシピもらったの?お茶もとっても美味しい。」


「良かった!最近、爺から美味しいって言われるようになってきたの。9年かかったけれど、一人で作れたのよ。彼の味を受け継ぎたいから、これからも頑張るわ。目指せ、コンプリート!って感じなの。」


「ヒメちゃんは努力家さんだね。でも、そうかー。2人が此処に来て、そんなに経ったんだ。居るのが当たり前だからさ。


コレが欲しくなったのは、故郷が懐かしくなってきたから?」


持ってきた紙袋を彼女に渡しながら、軽口を叩く。紙袋の中身は彼女の国の物。


私の問いに、ヒメちゃんは少し遠くを見た。その目には懐かしさと暗さが見てとれる。余計な事を言ったみたい。失敗したかな。


「あっ、ご、ごめん。言いたく無ければ大丈夫よ。」


「爺がね。呟いていたの。『この年寄りが現役なのは、あと10年位ですかね。』って。」


「そうね。そちらの国の平均年齢を考えたら、あと10年程よね。」


「ええ。それが怖くて。爺が居てくれたから、私は今も生きていられる。爺が居なかったら、きっと私にはこんなに穏やかな日々は来なかったわ。」


「そんなっ!?」


ヒメちゃんが目を閉じ緩く首をふる。再び目を開けると、不安げな様子で口を開く。


「シキちゃん。私ね、夢を見るの。怖くて。でも、これ以上爺に心配かけたくなくて。」


私はいままで見たことの無い彼女の儚げな様子に、今にも消えてしまいそうな彼女の手を握った。


「私で良ければ聞くわ。話した方がスッキリする。愚痴なら尚更歓迎よ。大丈夫、友達の秘密は守るわ!」


ヒメちゃんはこちらを見返して、何故か少しだけ、彼女の目が潤む。そして、手を握り返してくれた。


「ありがとう、シキちゃん。あのね。私は5人兄妹の一番下だった。父は国王、母は王妃。そこまでは話していたかしら。


第三王女の私は皇族としての価値は無くて、物心ついた時には、爺しかいなかったわ。これは、本来ならあってはならない事なんだけどね。私はその程度の存在だった。だから、爺はずっと私に配慮してくれていたわ。女性である私に。心から感謝している。


余計な火種にならないようにと、私は生涯独身を貫くよう母…王妃様から命じられてね。必要以上の会話を禁じられ、気のおけない友人も作れなかった。……いえ、作らなかった。」


「何で?友達を作るのは自由じゃないの?」


「お茶会は貴族の嗜みとしてよく執り行われていたわ。そこで話す令嬢達は、家の事情で私の相手をしていただけ。彼女達もよく弁えていた。お互い、大切なものは何も渡さなかったし語らせなかった。それは正解だったと思っている。事実、私がこうして国外逃亡しても彼女達には何もお咎めがなかった。」


「他人との交流を極力絶っていたのなら、お兄さんやお姉さんとは?家族とお話はしなかったの?」


「国王である父は国民の為にと政(まつりごと)に勤しんでいらっしゃった。私の都合で時間を割かせるなんて出来ないわ。だから、個人としての思い出はない。でも、立派な国王だと思っている。私の誇りだった。


王妃様は第一王子に跡を継がせたかったようで、取り巻きを集めたり教育に励んでいた。だから、月に一度廊下で会った時に挨拶する位の関係ね。絵本に出てくるような、子供を慈悲深く愛する母親とは違う存在だった。


でもね!兄や姉はとても優しかったの。王妃様が公務で外出している時は、上の姉の部屋に全員が集まってお茶をしていたわ。それぞれの側使えが上手く配慮してくれてね、兄弟だけで集まるあの時間は特別だった。

姉達に色とりどりのリボンや宝石で髪の毛を結われ、姉の上等なドレスを着せてもらって。大き過ぎて動けなかったけど、兄達が抱っこしてくれて、そのまま踊ったわ。世界で一番可愛い俺達のお姫様だって、皆が微笑んでくれて。


姉達が歌う音楽に合わせて、兄達と踊った。爺の作ってくれたお菓子とお茶を、皆で美味しいって食べた。私の話を沢山聞いてくれるあの時間は、幸せだったわ。」


ヒメちゃんは座ったまま手だけを優雅に動かす。それは、兄達と踊っているように見えた。ふと、引っ詰め髪の彼女が神々しいドレスを着ているような錯覚に陥る。ああ。この子は産まれながらのお姫様なんだな。


「月に一度あるかないかの密会。それでも、その時間があったから。そして、いつも爺が私の側に居てくれたから、私は牢獄のような生活を生きていられた。でもね。いくら側使え達が配慮していても、秘密はいつか知られてしまう。甘い魔法は解けてしまうの。


忘れもしないわ。その日は、私の10歳の誕生日。急遽、王妃様が貴族の館へ遠出なさると知らせを受けて。私の誕生日をお祝いしてくれる事になったの。

それまでは都合が合わなくて、初めて私の誕生日に祝いができるって、兄や姉や側使えが慌てて準備をしてくれたわ。それぞれの公務をずらして一時間だけ。一生懸命準備してくれた。


私はいつものように上の姉の部屋で待っているよう言われ座っていた。そうしたら、下の姉が息を切らせて部屋からドレスを抱えて持ってきてくれたの。下の姉が走ってる姿を見たのは、あの一度だけだった。忘れない。

その淡い薄紫色の上品な絹のドレスを着せてもらってね。滑らかな肌触り、サラリと優雅に流れる裾。美しかった。そのドレスは王妃様のドレスを仕立て直した物だったから、尚更ね。


宝物庫から戻ってきた上の姉からは、王妃様から授かったオパールの首飾りを着けてもらえて。泥だらけで戻ってきた兄達からは、庭で育てていた沢山の花と、ムスカリの花を髪に飾ってもらった。


爺は、私の好物の苺とクリーム、パンで即席のケーキを作ってくれたわ。時間が無かったからと申し訳なさそうにする爺に、私は嬉しくて抱きついちゃった。あっという間にケーキを作り上げた爺が、魔法使いに思えたわ。


何処か不恰好で。それでも、素敵な私の誕生日が始まろうとした時。遠出していた筈の王妃様が戻ってきたの。途中で都合を変えたらしくてね。第一王子を探していた女王に側使え達が誤魔化そうとしたけれど、もう、隠し切れなかった。」


その情景を思い出すかのように、ヒメちゃんは左の腕を右手でさする。痛みが蘇っているのだろう。私はそっと彼女を抱き寄せて背中を撫でた。


「ありがとうシキちゃん。


王妃様が凄い勢いで部屋にいらっしゃって。私達は冷たい目の王妃様を前に、立ち竦んだ。

王妃様は着飾った私を一瞥すると、紅茶の入ったポットを私の顔にかけてきたわ。爺が咄嗟に庇ってくれたけど、腕に痛みと衝撃が走ってね。声が出なかった。思わず爺にしがみ付くと、爺の背中が熱くてビッショリと濡れていて。私以上に熱湯を被ったのに、爺は優しく私を抱き締めてくれていた。


爺は、全て自分一人が仕出かしたと兄姉やその側使え達を庇ったわ。宝飾品等の窃盗罪、殿下達に残飯を供出した侮辱罪。王妃様は爺を処刑しようとしたけれど、国王が国外追放にしたの。国王が減刑したのは、本当に驚いたわ。


私は、爺の犯罪を幇助した罪で自室に軟禁されたの。爺の代わりの側使えは王妃様の息のかかった人でね。火傷の跡が醜いって腕をつねって笑うの。そして、毛布一枚を投げられ、雪の降るバルコニーに締め出された。王妃様から仰せつかっていると笑う顔が怖くて、寒かった。


毛布を纏って雪の当たらない場所に座って耐えて。寒くて眠気が襲ってきた時に『おはようございます。私の可愛い姫様』と笑顔で起こしてくる爺の幻覚を見たの。飛び起きたわ。後で知ったのだけど、眠ったら危なかったらしいわ。


爺が居た時には起こしに来てくれる笑顔が見たくて、毎朝目が覚めてもわざと布団に潜って待ってた。爺が恋しかった。」


私は気がついたら、ヒメちゃんの背中をさすっていた手が止まっていた。私は、自然と涙が溢れていた。抱き締めてあげたい衝動を堪えて、彼女が話しやすいようにただ頷いた。


「気がついたら、部屋の床で寝ていたわ。かけられた薄い毛布の下で、凍傷になりかけている体は上手く動かなくてね。近くの椅子に座って暖炉の火で暖まっていた側使えが起きた私を見て、嬉しそうに出て行ったわ。意識が飛んだ次は、激痛で飛び起きた。見れば、王妃様が私の腹部を踏みつけて笑っていた。真っ赤に塗られた唇が、良い格好ねと私に言う。

私を自死させないよう、でも確実に死に追いやるよう側使えに伝えると、王妃様は私を踏みつけた靴から新品の靴に履き替えて出て行った。私の何が駄目なのか。それは今でもわからない。でも、私は産みの親から確実な死への階段を与えられた。


あの時の王妃様の笑顔が夢に出てくるの。爺が居なくなったら、寒くて。怖くて。逃げられないの。」


私はそこまで語ったヒメちゃんを抱き締め、頭を撫でる。牧草の香りのする彼女はこの陽気と裏腹に凍えていて。恐怖を覆い隠すために、努めて明るく振る舞っていたのか。何て気高い心の持ち主なんだろう。


私は涙を拭いて鼻水を堪えながら、ヒメちゃんの柔らかな茶色の瞳を見つめる。恐怖に凍りついた目をこちらに引き寄せる。私が視界に入った途端、少し和らぐ。あぁ、私はヒメちゃんの支えになれているのか。


「話してくれてありがとう。でも、物語はそこで終わりじゃないでしょ?今はこうして此処でシツジさんと暮らせている。

それからどうやって此処に来れたか。話してくれる?最後は幸せで終わるんでしょ?」


「幸せ…。そうか。そうね。そこで終わりじゃない。私は、逃げて来れたの。」


ヒメちゃんは、自分に言い聞かせるように深呼吸している。心の中で励ましながら、気を付けて柔らかく視線を送る。話してくれるところは全て聞こう。聞きたい。ヒメちゃんが少しでも楽になるのなら。


「軟禁されて3日目。とても長く感じたわ。王妃様の側使えが私をバルコニーへ追いやったの。もう、私は自力では立てなかった。今日が人生最後の日だなって、固い雪の上に倒れ込んだのよ。部屋の中が急に騒がしくなってね。目を開けて見れば、兄の側使え達がいたの。

王妃様の側使えが抗議する中。動けなかった私は毛布に包まれて室内に運び込まれた。暖かい部屋で温かい湯船に入れてもらえた。高価な薬も使ってもらえたようで、体も楽になって。


施しを受けている時に、私は恐怖で震えていたわ。私を庇ったせいでこの人達だけでなく、兄や姉に被害が及ぶんじゃないかと。


でも動ける力も無く状況を知る術もなく。疲れ果てていた私はそのまま眠った。どれくらい寝ていたかわからないけど、目が覚めたらいつものベッドで寝ていたの。


体を確認してみたら何ともなくて、もしかしたら悪夢を見ていただけなのかもしれないって思った時よ。扉が叩かれたの。私は違うとわかっていたけど布団に潜ったわ。入ってきて起きているか声をかけてきたのは、姉の側使え。

私はこれは現実なんだと確認ができて起き上がると、彼女はホッとした表情になったわ。それが何だか可笑しくて、私はお礼を言った。

彼女は私に簡素な服を渡してきたわ。この服の着方を教えるから覚えるようにと。


その服は爺から着方を教わっていたから、一人で大丈夫だと伝えて着てみせると、彼女は大層驚いてね。そして頷いた。あの方はここまで考えていたんですねって。


着替えが終わった頃、国王の秘書官が来たの。私に書類を渡してきたわ。そこには私の王位継承権の剥奪と国外追放する旨が書かれてあったわ。船の旅券も準備されていて。馬車を手配してあるから今直ぐに港に行き、乗るようにと。


私は動揺もなく受け取り、呆然としていたけれど素直に従ったわ。地獄からの解放で、喜ばしい事だと直感したのよ。そして、兄や姉や側使え達は私を庇った罪に問われないか聞けば、彼に唐突に抱き締められたの。彼は泣いていた。


私は分からず、彼の背中を撫でたわ。そうしたら、彼は笑ったの。『代わりに泣いたのです。お優しい心遣い、ありがとうございます。皆、大丈夫です。いつまでも、末姫様の幸せを祈っております。』と。


秘書官に見送られ、姉の側使えに馬車まで介添えしてもらう。馬車には暫く分のお金と衣服類が入った手荷物が載っていた。これで此処とはお別れだなと城の門を眺めたら、彼女が私に声をかけてきた。


『殿下様方は、お言葉を残しておりません。姫様は愛されていると言う事です。どうか、いつまでもご壮健であられますよう、お祈り致します。』


馬車に揺られ、船に乗って一週間。異国に着いた。これからどうしようか何も思いつかないまま、あっという間にこの国に到着してしまった。取り敢えず上陸しようと舷梯を歩いていた時よ。


まさか、いるとは夢にも思ってなかったのよ。簡素な服を着て、皺くちゃの顔をさらにシワシワにして、両手広げて待っていたのよ。『一般人の老骨にしてもらえて、この国に渡るのに手続きが簡単で楽でしたよ。お嬢様にはこの爺めがついておりますからな。共にいきましょう。』


もうね、何もかも分かったわ。私は疲れがすっかり飛んで、声を出して笑った。産まれて初めて、お腹から声を出して笑って、泣いたの。爺に抱き付いたの。もう、私達は解放されたんだって。自由だって。


色々あって、港を取り持つ国の王様からこの地を紹介されて移り住み始めた。ここの族長やシキちゃん達には、感謝してもしきれないわ。」


「そうだったのね。話が聞けて良かったわ。最後はやっぱり幸せで終わらせないとね!」


ヒメちゃんは私に話しつつ、内心整理が終わったみたい。


「悪夢をまた見ても、シワシワ笑顔のシツジさんを思い出せば良いじゃん。パッと両手広げて待っていてくれるよ。」


「そうかな……そうだね。」


そう言い微笑む彼女は、日に焼け少し荒れた肌が良く似合っていた。




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