電信柱のキツツキ様〈改〉

蒼桐大紀

その一「二〇一六年九月、北谷端通り商店街」

 谷端と書いて「やばた」と読む。

 東京の片隅にある北谷端通り商店街は、ほぼ全域が暗渠化あんきょかされた谷端川の名を残す場所の一つである。

 しかし、いまでは北谷端通り〝商店街〟という名前さえも過去の名残りに近く、〝開いているお店〟は十軒に届かない。かつての商店のほとんどは集合住宅と雑居ビルに建て変わり、敷地面積に対して縦に長い建物が多い。


 深山みやま模型店は、その一角に店を構える数少ない〝開いているお店〟だった。店内の照明こそ控えめに抑えられているが、近年塗り直したとおぼしき外壁は店の健在さを物語っていた。


 千住せんじゅきすかは店の前で立ち止まり、何気なく空を見上げた。


 ここ数年、晩夏という言葉を忘れたかのような年が続いており、今年も七月から連日三十度に達する猛暑日が続いている。ただ、今日はふと九月という季節を思い出したかのように、陽射しがやわらぎ若干過ごしやすい。

 このまま涼しくなればいいのに、と思う。


 視線を前に戻す。


 店の正面はほぼガラス張りで、自動ドアを挟んで右側はショーケースになっていた。中でも目を惹くのが手前を占有する飛行場を模したを模した情景模型ジオラマである。スケールは統一されているが、レシプロ機からジェット機まであり、さながら小さな航空博物館の体を成していた。

 少しでもプラモデルに明るい人間からすれば、流行りすたりを完全に無視した展示だとわかる。しかし、背後の台に並んでいる艦船模型や戦車、架空のロボット(きすかにはガンダムっぽいなにかとバルキリーっぽいなにかくらいしかわからない)よりも明らかに力が入っており、担当している店員の趣味がうかがえる。


 きすかは、展示のラインナップが変わっていることに気づいて微笑した。


 ショーケースを管理している人間は、まさしく流行り廃り関係なくそういうことをする。

 その当人はと言えば、レジカウンターの定位置にいた。

 こちらに気づいていないのか、手元から視線を外そうとしない。ガラスの反射のせいかもしれないが、入ってしまえば同じだろう。


 そう割り切ると、模型メーカーのロゴマークがひしめく自動ドアをくぐった。様々な大きさ、様々なデザインがほどこされた模型の箱が視界を占める。

 レジカウンターに向かって歩いていくと、エアコンの風に肌がなでられた。被っていたキャップを脱ぐと、熱気が放出されて心地よい。


 カウンターに座っているのは、茶色がかった黒髪を紅いリボンで結った小柄な女性だった。

 彼女は自動ドアに気づいて腰を上げたが、きすかの姿を認めるや口を「い」の形にしたところで止めてしまった。そうして、何事もなかったように、手元の模型雑誌に視線を戻した。


 チャイムの残響と自動ドアの閉まる音が、心なしか大きく聞こえた。


舞羽まいはちゃーん。ちょっとつれないんじゃないの?」

「だって、きすかさんはひやかしですらないでしょ?」


 きすかの恨めしげな声に、舞羽と呼ばれた女性はそこではじめて顔を上げた。

 キリッとした目元が印象的で、すっきりとした顔立ちを形作っている。全体的な輪郭りんかくは丸みを帯びていて、目が大きいためどことなく幼さがあった。

 そうした容姿のためか、実年齢より年下に見られることがあって、それを本人が気にしているのをきすかは知っていた。


 だからか、少し意地悪してみたくなるときもある。

 いまがそうだった。


「どうしたの、また年齢確認でもされた?」


 すると舞羽はバネが跳ねるような勢いで立ち上がり、


「誰が年齢確認されたって言うんですか、誰が! たしかにいろんな人から『ひさしぶりに会うけど、あんま変わってないね』なんて言われますけど、じゃなくて! というか私、〝また〟ってなんですか〝また〟って! あと、きすかさんがそれを言うのって感じですゅ!」


 一気にまくし立てた。


「あ、最後ちょっとんだ」

「そこはスルーしてください」


 舞羽は肩でしていた息を落ち着かせて、きすかに向き直った。


「はあー……。いらっしゃいませ。これでいいですか?」

「どーも。まあ、指摘されたことがおおむね事実でも、お店に入ってそう言ってもらえないのはちょっと切ないのだわ」


 きすかはカウンターに頬杖を着くと、三白眼気味の双眸そうぼうをやわらげて笑う。鼻先がくっつきそうな距離。舞羽はそれを意識したのか、思わず叫んでしまったことを恥じたのか、顔を赤らめて引っ込んだ。

 濃緑色のエプロンをわずかに押し上げている胸と、灰色っぽい白のクルーネックシャツから覗いていた鎖骨がカウンターに隠れる。


「なんかあったの?」


 きすかがいぶかしげに訊ねると、


「自分はまだまだだなあ……って落ち込んだというか反省していたというか」


 舞羽はゆるゆると浮上しながら、曖昧な返事をした。

 どうやらカウンター上に広げた模型雑誌と関係あるようだが、話すつもりはないらしく本が閉じられる。


「それはさておき。今日は、深山模型店の店員さんとしての舞羽ちゃんと、高崎舞羽その人の両方に用があって来たから、半分はれっきとしたお客さんなの」

「なんですそれ?」

「そのまんまの意味」


 にやっと笑うきすかを、舞羽はまじまじと見返してしまった。


 ぱっちりとした三白眼気味の目が特徴的な丸顔で、身長一五三センチの舞羽より一回りは小さい。ストレートのロングヘアをツーサイドアップにしているため、童顔がより強調されて見えた。たしかに、舞羽のことをどうこう言えない。

 いっぽうで、体のラインは完全に大人のものであり、紺色の七分丈のハイネックシャツに薄い灰色の膝丈スカートの落ち着いた色調が似合っていた。どことなく泰然たいぜんとした雰囲気があるため、年齢不詳に見えてしまうのが千住きすかという人間だった。


 舞羽は短く息をつき、雑誌を背後の棚に入れた。両腕をカウンターの上に置いて、きすかに向き直る。


「それで、用って言うのはなんです?」

「最近、北側の通りにあった建物が取り壊されたでしょ」

「綺麗な更地になりましたね」


 切り出しは唐突だが、話についていくのは難しくはない。きすかは、この辺の呼吸を合わせるのが上手かった。


「実はそこから見つかったものがあるのだわ」


 カウンターの上に置かれたiPhoneは、写真閲覧フォトアプリが開かれていた。写真には土の塊らしき物が写っている。強いて言えば、銅鐸どうたくとシルエットが似ている。


「で、最初に見つかったときの写真がこれ」


 きすかが人差し指でスワイプすると、画面が半壊したやしろらしきものに変わった。

 社と言うよりはほこらと言った方がいいかもしれない。無人の稲荷社をさらに小さくしたような木組みの建物で、赤い屋根と古びた板塀から辛うじて判別できる形をたもっていた。


「これが解体作業中に、敷地の奥から出てきたってわけ」

「あそこって無人家屋でしたよね」

「そう。かれこれ十五年ほど」

「私が子どもの頃は……。うーん、ちょっと思い出せないですね」

「記録には写真館と書いてあったんだけど、取り壊し前の確認では、そういう形跡は見当たらなかったの。もちろん、これもね」

「まるで見てきたようですね」

「立ち合ったのは私だからねえ」


 きすかは頬杖を着いて、独り言のようにいった。


「この近所で、所有権が曖昧だったり権利者行方不明だったりするところは、うちで預かることになってるから。おつとめよ」

「私もいずれお世話になるのかなあ」

「舞羽ちゃんが本気でここを継ぐつもりなら、そうなるでしょうね。源三郎げんざぶろうさんからは、一応そうなった場合の話は聞いているわよ」

「……固定資産税払えるかなぁ」


 深山模型店は、舞羽の母方の実家だった。店主の名は深山源三郎。彼女にとっては頼もしい祖父であり、信頼できる雇い主でもある。

 舞羽は母方の実家に住み込みで働いているのだった。


「なんにしても先の話よ、先の。それまでお店を維持できるかって課題もあるでしょ」


 きすかは、頭を抱えてしまった舞羽を諭すように言った。

 続けて訊ねる。


「最近はどんな様子?」

「ネットでやれることがかなり増えたから、しばらくは現状維持できそう、かな」

「それは結構じゃない」

「いちばんのお得意様は、やっぱり常連さんですけどね。ここ数年は軍艦フネが結構出たので在庫が結構けたのも大きい……かな」


 ちらりと艦船モデルのコーナーを見て、舞羽は笑った。


「ところで、この写真と私になんのつながりがあるんですか?」

「うん、撤去するときに調べてみたんだけど、この辺りにキツツキ様っていうお社だかほこらみたいなものがあったらしいのよ」

「キツツキって……鳥の」

「そう、鳥のキツツキがご神体。由来について興味ないならすっ飛ばすけど、どうする?」


 わざとらしく首を傾げたきすかに、


「気になるので、こっちに入っちゃってください」


 舞羽はカウンターに取り付けれた扉を開け、「冷たいの入れてきますね」と席を立つ。


「それは、もしお客さんが来たら私に応対してってことなの?」


 冗談めかしたきすかの言葉が無人のカウンターに響いた。



     ◇  ◆  ◇



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