第34話 外伝~空と空気の境目④~

――あっ、陽太からメール来てた。


瑞野、そして真壁と別れてから。空井はスマホの液晶画面に届いていた通知を開く。


『大丈夫か?』


短い文章は淡泊ではあるが、旭の性格を知っている空井は。それだけで、彼が自身を心配しているのだと強く実感出来るのであった。


  ***


「こんちは! 俺、今日から隣に引っ越して来ました。空井っス! よろしくっスー!」


今年の春――空井は、合格通知を貰った大学に通うため上京した。

高校の頃は、地毛の黒髪に縁の大きな厚いレンズの眼鏡を愛用していた空井であったが。


「兄ちゃんダサい!! そんなんで、都会の大学でやってけるワケないやろ!」


という妹の激辛アドバイスにより、髪色を明るめの茶髪に染め。眼鏡からコンタクトレンズを使用するようになったのだ。

ちなみに、そのメタモルフォーゼは上京前に実家で妹に手助けしてもらいながら行ったのだが。両親の反応はというと――。


「おおー! 英樹、なぅいな~!」

「お父さん、それ死語ですよ! イケイケよ、英樹!」

「……お母さん、それも死語だよ」


と、なんかノリノリだったという。

普通、親って。子供が髪染めたり、ピアス開けたりするの良い顔しないんじゃないのか? と、頭の片隅で考えながらも。空井は、これは都会の大学で上手くやっていくためだ……と、自分に言い聞かせ。妹のアドバイスを頭に叩き込んだのであった。

そして、家族以外の記念すべき最初のお披露目相手が。これから一人暮らしを始めるアパートの隣人である。

空井は内心緊張しながらチャイムを押し、軽く挨拶をしてから現れた人物に。さらに緊張を増加させた。


(超絶イケメンが現れたぁぁああああ!!)


これが隣人――旭陽太との、初めての出会いである。


(ヤバい!! お隣さんイケメンだ!! 里央菜に見せられた雑誌に出てくる人達みたいな人が目の前に居る!!)


内心で若干パニックを起こしながらも、空井は妹にレクチャーされた“今時な男子”を真面目に演じることを続行した。


「あっ、あの! 俺、今日から隣に越してきた空井英樹っス! これ詰まらない物っスけど、どうぞっス!」


言いながら、空井は手土産として母親から託された地元の名産菓子を旭へ渡す。

旭からは「ご丁寧にどうも」と返されてから、「少し、待ってて貰えますか」と告げられ。彼は一度、部屋に引っ込み。


「大した物じゃありませんが、良かったらどうぞ」


と、淡泊な声で旭からも手土産を渡されるのであった。


「わざわざ、こちらこそありがとうっス! そんじゃ、ご迷惑お掛けするかもっスけど。何卒宜しくお願いっス!」


そして、空井は笑顔でそう言って自室へと帰還。


(スゲー緊張したあああ……)


部屋に入ってから、大きく息を吐き出すのであった。


(お隣さん、俺と年齢近そうだったな……もし大学一緒だったら、最初の友達になって貰えるかもとか思ったけど……)


空井はクールな隣人の尊顔を思い出す。


(アレは無理だよな……あんなイケメンが、俺なんかと仲良くしてくれるワケないって……絶対キラキラモテモテな男子グループに属して、超絶美人な彼女居るに決まってるよ……)


空井の通っていた高校にも、良くモテる男子というのは存在していた。

運動部のエースやキャプテン、話しが面白くて目立つ者。しかし、先程出会った隣人は。そんな彼らが霞んで、一気にランクを降下させる程の相貌を持っていたのである。


(都会って凄いな……あんなイケメンとお隣さんだって聞いたら、里央菜喜びそうだな……いや、でも……もう、きっと挨拶するくらいしか関わりなさそうだからな……)


少し残念な気持ちになりつつ、けれど間もなく始まる新たな学校生活の準備に。空井は気持ちを切り替えるのだった。


それからあっという間に、空井は大学デビューを果たす。

妹が駆使しているという人への声かけ術、ご近所付き合いと保護者会を乗り越えてきた母秘伝の会話術を使い。空井は何とか、初日から親しく話せた人との連絡先の交換に成功した。

その後も、空井は親しくなった同期生との親交を深めながら。その友人の友人など、交流の幅はどんどんと増えていき。高校までずっとボッチであった彼の気持ちが追い付かない程であった。

空井はこの時、「見た目も性格も明るければ、絶対友達も彼女も出来るって!」という妹の言葉が事実と証明されたことを実感する。


「――ねえねえ、旭くん!」


始まった大学での勉強と、急増した人間関係を円滑に保つために忙しない日々を送る空井が。二人の男子と学校後に寄り道しようとしていた時のこと。

キラキラとした服装と、ばっちりとメイクに気合を入れた女子三人に囲まれる隣人・旭陽太の姿を発見したのである。


(やっぱ、旭君。モテるんだな~)


空井が納得の表情で彼の様子を見ていると。


「あっ、噂のイケメン君じゃん!」

「俺、この前。別の女子に囲まれてんの見たぜ? あやかりてぇーよな、空井」


空井は二人に「確かに~!」と、相槌を打ちながらも。心の中では、正直。女子は男子の比べものにならないくらい苦手で、俺は暫くは遠慮したいな……と思うのだった。


「今から一緒にさ、どっか遊びに行かない?」

「旭くん行きたいトコとかあったら、ウチら全然付き合うし!」

「ご飯だけ~とかでも、全然良いからさ!」


グイグイと旭にモーションを掛けまくる女子達の声を横目に、空井は通り過ぎて行こうとした刹那。彼は、困惑に表情を歪める旭を見てしまったのだ。


「――へい、そこの彼女達!」


すれ違いざま、空井は踵を返して女子三人へと声を掛ける。

勢いで行ったことなので、自分でも正直。この後どうすれば良いのかはノープランだった。


「一人のイケメンに寄ってたかってじゃなくてさ、俺らと三対三で遊びに行かない?」


隣で、連れ二人が「おっ、やるね~。空井!」「ナイス! 空井!」と笑いながらお茶らけたことを言う。

空井は正直、彼女達から侮蔑の視線と辛辣な台詞をぶつけられることを覚悟していたのだが。


「えー、どうしよっか?」

「まあ、確かに……男子一人だけだと、旭くん気まずいもんね~」

「旭くん、この人たちも一緒に。七人でどっか遊びに行かない?」


女子達の反応は思っていたよりも悪くはなく、旭を諦める様子はないが。空井達が参加するのに、不満はないようであった。

きっと今居る二人の連れが、旭ほどではないにしろ。イケメンに分類されるビュジアルなお陰だな……と、空井は内心ホッとする。

それから空井は、全員の隙をついて旭にアイコンタクトを送った。


「あっ……俺、ごめん。用事あるから」


それだけ言い残し、旭は素早くその場を去って行く。


「あ~……旭くん、行っちゃった……」


女子達が残念そうな表情をする。


「まあまあ、今日のところは俺たちと一緒に遊ぼうって! 退屈はさせないよ~」


空井が調子良さげに言うと、二人の男子達も女子達に明るい笑顔を向けて。ノリの良い事を三人に告げていた。

そして、六人は軽く相談した結果。ボーリングへと繰り出そう、ということになり。大学を後にして、近場にあるボーリング場を目指す道すがら。


「よーし、旭くんにフラれちゃった憂さ晴らしだ!」

「旭くん、色んな女子から誘われても。誰とも遊びに行ってくれないんだよね~」

「もしかして、実は男が好きとか?」

「ああ~、ありそう!」

「確かに! じゃなきゃ、女子に誘われてあんな渋んないよね」


と、女子達が会話をし始める。

女性への耐性が妹と母親しかない空井は、涼しい笑顔で「そんなバカな~」と相槌を打ちながらも。女子の発言怖えー……と震えていた。


「そういう訳でもないらしいぜ?」


すると、男子の一人が口を開く。


「空井クン、男子とも全然関わろうとしてねーもん」

「話し掛けても超塩で素っ気ないって、俺のダチが言ってたわ!」


二人の言葉を聞き、アパートで初めて会った時の反応は通常運転で。旭は誰に対してもああなのか……と、空井は一人納得した。

他人に必要以上に干渉されたり、無駄な気遣いを強いられることは。空井自身も高校まで忌み嫌い、避け続けたことである。旭には、旭のテリトリーがあるのだろう。

そう思って、空井は旭に深入りするのはやめておこう。そう、新たに心に決めるのであった。


そして、ボーリングが終わり。アパートへと帰宅した空井は、部屋に入ろうと玄関に鍵を差し込み。静かな空間の中、ガチャガチャと開錠の音を響かせていると。


「あの――」


隣の部屋の扉が開き、旭が顔を覗かせた。


「今日は、その……助けて、くれたんだよな? ありがとう……ホント、助かった……」


まさか、わざわざお礼を言われるとは思わず。空井は一瞬、きょとんと硬直してしまう。


「あっ、いや! 良いって良いって! おかげで、俺達も女子と遊べたワケだし!」


言いながら本当は。ボーリングで既にヘトヘトになった空井が、その後に「晩飯食べに行こう!」という誘いを何とか断って帰宅に漕ぎ付いたことは内緒であった。

楽しくなかった訳ではないのだが、空井の対人スキルはまだまだ育成期間中なのである。


「……それ」


すると、旭が空井の手にあるものを見た。


「ああ、これ?」


空井は、食材の入った買い物袋を少し持ち上げる。


「飯、まだなのか?」


旭に尋ねられ。


「ああ、そうだけど……」


空井は素直に返す。


「その食材、明日にしてさ。今日はさっきのお礼に、奢らせてくれないか?」


旭は穏やかに表情を和らげながら、空井にそう告げる。

そうして空井は購入した食材を自宅の冷蔵庫に放り込んでから、旭の部屋へと招待される。生活に必要最低限な家具や物のみが置かれ、紺色のベットシーツやカーテンを基調としたシンプルな室内を観察しながら。空井は大人しく、旭の提供してくれる夕飯を待っていた。


(旭君、律儀なんだなぁ……俺が勝手にやったことなんだし、気にしなくて良いのに。けど、最近。遊んだり外食したりで出費かさんでたから、一食奢りはありがたい!)


空井が早々に帰宅したのは、金銭的にもキツさを感じていたからだ。

母親の手伝いをたまにしていたので、自炊に抵抗も無く。暫くは、なるべく安めに済ませられるように……と、今後の事を考えていたところであった。

そんなことを思っているうちに、手早く調理を済ませた旭が皿に綺麗に盛り付けられたチャーハン。それに、中華スープと餃子を持ってやって来る。


「ん! 旨っ!! 旭君、メッチャ料理上手だね!」

「いや……チャーハンなんて、簡単に作れるだろ?」

「いやいや! 俺の妹、チャーハン作ろうとして名状し難い何か生み出してたことあるから!」

「……そう、なのか」


チャーハンを錬成しようとして、名状し難い何かが生成されるとは一体どういう事なのだろうか? と思考しながら、旭は自身で作った料理を自分でも食べ始める。


「あれ? この餃子、もしかして手作り?」

「……良く分かったな。作り置きして冷凍保存してるんだ」

「ひだが綺麗だから最初は市販かと思ったんだけど、中の具がこれ……ひき肉とキャベツだけじゃなくて、色々な野菜入ってるよな?」

「凄い細かくみじん切りにして入れてるのに、良く分かるな? 中途半端に余った野菜、全部入れてるんだ」

「しかも、味付けのベースがニンニクじゃなくて生姜だし」

「ニンニクの味付けもあるけど、人に出すなら生姜の方が当たり障りないと思って……」

「俺はそんな気にしないけど、旭君って。メッチャ気遣ってくれる人なんだな!」


挨拶をした時や、今日聞いてしまった旭の話しを聞いて。正直、彼は他人に興味の無い冷淡な人間なのかと思っていたのだ。


「……生姜餃子を作るのは、もうただの癖みたいなものなんだ」

「癖?」


空井の言葉に、旭はコクリと頷いた。


「姉貴が、ニンニク料理出すとブチ切れるから……」

「お姉さん、そんな怖い人なの!?」


再びそう尋ねると、旭は青い顔で再び頷いた。


「そ、っか……大変、だったな……」

「さっき、妹が居るって……」

「ああ、ガサツで生意気な妹が一人居るよ。ミーハーで、毎日うるさくって仕方なかったな~!」


空井は話しながら初めて、同年代の男子に自身の身内の話題をするのが少しむず痒く恥ずかしさを伴うものであることを知った。

本心では、とても可愛く思っている妹でも。口が裂けても、そんなことは言葉に出来ないと。今、大学生になってようやく実感出来たのだ。


「女兄弟なら、姉貴より妹の方が絶対可愛いと思ってたけど。妹も大変そうだな……」

「現実は、そう上手くいきっこないって。まあ、お互い様なんだろうけどさ~」

「確かに……」

「けど、旭君のお姉さんは良くない? こんなイケメンの弟が居たら自慢でしょ! アイドル事務所に履歴書勝手に送られなかったの?」

「姉貴、日本のアイドルよりKポップが好きだから」

「あっ、そういう……なるほどね……」


二人はその後も、他愛も無い会話をし続けた。

他人の顔色を窺い、相手に合わせて話題を振ったり話し方を変える空井が。何も考えずに、打算も無く。ただ、旭と話しをすることが楽しいという理由だけで意味の無い話題に花を咲かせたのだ。

この瞬間、この時には。空井はそれが、自分にとってどれほど価値があるものなのかに気が付くことは出来なかった。

けれど、このすぐ後。隣の自室に戻り、一人になってつい先程のことを振り返った時。それはあっさりと簡単に、彼をその結論へと導いたのであった。

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