第31話 外伝~空と空気の境目①~

「あっ——居た居た! まりちゃーん! 瑞野さーん!」


真壁と瑞野が談笑をしている公園に、空井の声が響く。


「アレ? 空井君?」

「なんで、こんなトコに居るの?」


不思議そうに尋ねる女子二人に、空井は傍まで駆け寄ってから。


「忘れ物、届きに来たんだよ!」


笑顔でそう言い。空井は真壁と瑞野に、彼女達が置いていった千円の束を差し出した。


「えっ、これをわざわざ届けに来てくれたの⁉」


瑞野が驚いた声で言うと。


「いや、忘れ物じゃなくて。自らの意思で置いていったんだけど……」


真壁が続けた。


「いやいや、合コン来て。女の子がお金払っちゃダメでしょ!」


しかし、空井は明るいトーンで二人に返す。


「いや、でも……私達、空気悪くしちゃったし……お詫びも兼ねてというか……」


瑞野が申し訳なさそうに続けるが。


「いーの! ほら、このお金受け取ってくれないと。俺、二人に付きまとって今晩は返さないかもよ~」


そう空井は、お茶らけ交じりに言うのだった。


「アハハハハハ! 空井君って、面白いね!」

「ありがとう! 良く言われるよー!」

「それに、万里の言う通り優しい!」


瑞野から続けられた言葉に、真壁は「ちょっと、瑞野さん!!」と慌てて静止するが。


「マジ!? まりちゃん、そんなこと言ってくれてたの⁉ 超嬉しいわ~!!」


空井は再びお茶らけながら、そう言うのであった。


  ***


二年前、夏——。


空井英樹は、自身の故郷である。都内から新幹線で四時間程揺られ、電車で一時間半。バスで四十分掛かる田舎に暮らしていた。

空井はその生活に窮屈さを感じ、すぐにでもこんな退屈な所は抜け出してやる……と考えているかというと、そういう訳では無く。繰り返される日々に詰まらなさを感じながらも、淡々と勉学に勤しんでいたのである。

そこに、何か明確に理由があった訳ではない。ただ、学生の本分は勉学。高等学校で収める成績は、優秀であるべきという概念。それだけを理由に、毎日を過ごしていたのであった。


「空井ってさ、いっつも勉強してんじゃん。休み時間も、昼休みもさ!」


山瀬が言った。取り巻きにしている、三人程の女子と談笑をしながら。


「アイツ、そんな勉強楽しくて好きなの? キッモ! マジ詰まんない奴じゃない⁉」


空井に良く聞こえる声で、彼女はワザとらしい口調で言ったのだ。

しかし、別に。そんなことは、空井にとっては外で鳴り響くセミの声と同じで。耳障りではあるが、気に止める必要のないどうでもいい音であった。

なので、無視した。

彼女と同じクラスになった高二、高三の二年間、ずっと。聞こえてすらいないように、取り合うことはしなかった。

山瀬は自身の言動だけでなく、存在自体すら意識も視線も向けない空井に腹を立てている様子であったが。他のクラスメイト達は、特に空井と関わり合いになろうとは一切しなかった。

親しい友人もいないし、空井自身。作る気もあまりなかったのだ。

多分、中学時代。クラスでもよく知られていた仲良しグループが、その内の一人の事を、他のメンバーと裏で愉しそうに陰口を話しているのを偶然聞いてしまったのが切っ掛けだ。どんなに仲が良く見えても、所詮は見せかけだけの張りぼてである……空井は心の中で、どこかそう勝手に諦めていた。


「兄ちゃんさ~、いっつも詰まんなそうな顔してるよね~」


妹の里央菜りおなが言った。

空井は、只今。彼女にお願いされて、宿題を見ている最中であった。


「そうか。ところで、ここは三日前に教えたところだぞ」

「あっ、話し逸らしたな!」


逸らした訳ではなく、教えているのだが……いや、寧ろ逸らしたのお前だろ……と、思いつつ。空井は仕方なく、里央菜の話しに耳を傾けることとした。


「兄ちゃんさ~。勉強以外で楽しみとかないの~?」

「別に、勉強も楽しくてやってる訳じゃない」

「うわぁ、何それヤバ!」

「実の兄貴に言うことか」


山瀬の言葉には微塵も傷つかない空井であったが、妹の台詞にはきちんと攻撃力が伴われていた。


「実の兄貴だからさ、心配してんじゃん~!」


しかし、里央菜は兄の心中を察していないのか。気にした素振りもなく続ける。


「そーんな詰まんない顔ばっかしてないで、恋の一つや二つでもして――」

「恋は一つじゃないと、相手に失礼だろ」

「物の例えだって! 真面目だな!」


とにかく! と、話しの腰を折られながらも。里央菜は尚も続けた。


「恋でもして、折角の青春謳歌しなって!」


一見、兄妹愛に溢れた心優しい台詞に聞こえるが……。


「里央菜、何が言いたいんだ?」


空井は幼い頃から面倒を見ている妹の性格を熟知していた。無償の優しさで、こんなことを言うなどありえないのだ。


「ほら~! 兄ちゃん頭良いじゃん? こーんな田舎くだり・・・から通える大学じゃなくて、都会のお洒落なお店がたっくさんある大学行った方が良いんじゃない? 都会のが人も多いし、兄ちゃんのオメガに叶う女子もいんべよ!」

「『くだり』でも使い方は間違ってないけど、お前多分『田舎くんだり』って言いたかっただろ。あと、オメガじゃなくて『お眼鏡』な。逆に難しい間違え方するな」

「もうー! また、そうやって話し逸らす!」

「逸らしてない。訂正だ」

「兄ちゃん、ちなみに大学はもう決めてるの?」

「まあ、一応目星は付けてるけど。遠い所じゃないぞ?」


そう言って、空井は三校程。志望校にと考えている大学名を告げた。


「えー……此処よりは確かに街中だけどさ、まだまだ全然田舎じゃん……」

「勉強しに行くだけなんだ。栄えてるかどうかなんて、どうでも良いだろ」

「全然良くない!! 兄ちゃんは、花の大学生活を棒に振るつもり?」


どうにもおかしい……里央菜は確かに、おしゃべりな性格なので勉強中でも関係の無い話題に空井の合意もなく無理矢理花を咲き誇らせるが。ここまで、一つの話題に執着するのはかなり珍しい。

しかも、彼女と関係があるとは思えない。空井の進路のことで。


「俺は別に、学べる学部があれば大学は何処でも良い。都会に行きたいのは里央菜だろ? お前は好きな場所の、好きな大学に行けば良い」

「そっ、それは……」


空井の反撃に、里央菜は一瞬怯みを見せた。


「何だよ。はっきり言え。まどろっこしいのは面倒だ」


空井は本当に面倒臭そうに、里央菜に告げる。


「えっと、そのさ……兄ちゃんの進路の話題から。お母さんに、都会の大学に行きたいーって話し。昨日したのね」

「ああ」

「そしたら、『お兄ちゃんの行く大学次第ね』って!」

「まあ……家出て、部屋借りて暮らすってなったら。先に出た俺の部屋に、里央菜が入居した方が良いもんな」

「そうなの! だから、兄ちゃんお願い! 家から通える大学は正直絶望的だから、兄ちゃんがお洒落な都会に行ってくれたら。私もそこに続けられるんだよー!」

「俺の進路に、私欲を押し付けるな」


冷たく言い放つが、里央菜はいまだに勉強する手を止めて文句を述べ続けた。その雑言を無視し、空井は彼女の宿題へと目を落とす。

空井にとって、自身の進路はそんなに頓着のあることではなかった。

どこに身を置いたって、詰まらない自分に。何か劇的な出来事があるなんて、そんなことは思えない。淡々と日々を過ごし、同じ習慣を繰り返す。何もない場所に居るのなら、それが普通のことだ。ただ受け入れるだけである。


――この時の空井は、そう。諦めたように、思っていたのであった。

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