第26話


 学園が休みの日、僕はアヴェイラム家のタウンハウスをこっそり抜け出し、一人で駅へと向かった。精神病院に行くためだ。身体強化をして走っていけばそれほど時間もかからないが、日中に結構な速さで走っていたらさぞ目立つだろうということで、公共交通機関を利用することにしたのだ。



 駅で切符を購入し、待合室のベンチに座る。貴族の子供が駅に一人でいると怪しまれるから、今日は平民の格好をしている。ハンチング帽を目深に被って待っていると、どこからか人々が集まり、集団を形成し始めた。



「世界は魔人に操られている! 魔人は人類の敵だ! やられる前にやれ! 今こそ開戦のとき!」



「王国民よ、目を覚ませ! 我々はすでに魔人の攻撃を受けている! 魔物をけしかけ、王都を破壊しているのは誰だ! 我が国にクインタスを送り込み、政治家や研究者を皆殺しにしようとしているのは誰だ!」



 反魔運動の集団のようだ。僕の『境界の演劇団』も、ここまで過激な思想ではないが、反魔主義の学生サークルのひとつである。学園祭で僕らがやった劇は名探偵が仮面の怪人を倒すという内容だったが、あれも魔人打倒を仄めかしているのだ。



 馬車が到着し、僕は席を立った。御者台に乗っていた男がひょいと飛び降りて乗車口の扉を開けると、人々が乗り込んでいく。例の集団の一人が並んでいる僕らに近づいてきて、手に持っている本を掲げた。



「この『魔人の原罪』には、やつらの危険な思想が記されています。あなたたちは知らなければならない。真実から目を背けてはなりませんよ」



 僕の前に並んでいる人が列から抜け出し、本を持つ男に近づいた。興味を持ったようだった。それからまた何人か列から出ていく。



 人が減ったおかげで、すぐに僕の乗り込む番になった。馬車の中は、壁に沿ってぐるりと一周、席がしつらえられてあり、もうほとんど満員だった。僕の前に乗ったハンチング帽を被った少年がなんとか座れている状態で、これ以上は入れそうにない。次の馬車が来るのを待とうか。



「はーい。この子で最後ですので、乗れなかった方は次の馬車までお待ちくださーい」



 諦めて馬車から離れようとした僕の背中を駅員が押した。乗車口のすぐ近くの角に無理やり詰め込まれる。隣の少年がため息をつく。



「もっとそっちに詰められないの?」



 僕と同じような格好をしていたから、てっきり少年だと思っていたけど、声からすると女のようだった。誰かの声に似ている気がしたが、平民用の乗合馬車に乗るような知り合いはいない。



「ねえ、聞いてるわけ?」



 女はさきほどよりも強く僕の体を押した。僕は視線だけ動かして彼女の膝のあたりを見た。両足がぴたっと閉じられていて、たしかに窮屈そうだ。でも狭いのは僕のせいじゃない。僕だって次の馬車に乗るつもりだったさ。



「ちょっと!」



「――もう少し丁寧に頼んではどうですか?」



 女の言葉遣いは初対面の相手にするものではないし、ましてや、人にものを頼む態度では決してなかった。



「子供のくせに。年長者に対する口の利き方がなってないと思わない?」



「静かにしてくれませんか? ただでさえ狭いというのに、これ以上不快な思いはしたくない」



 口には出さないが、平民たちに囲まれているのも良い気分ではない。



「ふ、ふうん。そうくるのね。度胸は認めるけど、私が誰だか知ったら腰を抜かすに決まってるんだから」



「腰を抜かしたくないので言わなくていいですよ」



「ふ、ふふ。生意気な弟に耐え続けてきたさすがの私でも、そろそろ限界に近いわ」



「へぇ、限界を越えるとどうなる――」



「なあ、静かにしてくれ。こっちは昨日飲み過ぎたせいで頭が痛ぇんだ」



 僕の目の前に座る坊主頭の男が、頭を手で押さえながら言った。強面こわもてな上に二日酔いのせいか、かなり人相が悪い。



「ふん、悪かったわね。謝るわ」



 女が男に向かって渋々謝罪する。よく言ってくれた、と内心で坊主の男をたたえながら、僕はうんうんと頷いた。



「ぼっちゃん、おめぇもだよ」



「僕も?」



「そりゃそうだろうが。お前ら二人で騒いでんだからよ」



「……申し訳ない」



 隣からくつくつと笑う声が聞こえる。僕はこれ以上関わらないという意志を込めて、ふいっと窓の外に目をやった。






 一時間ほどでグレイリッジ精神病院の最寄り駅に到着した。乗り込んだときと同様に、御者が降りてきて扉を開けた。乗車口のそばに座っている僕は最初に降り、御者に切符を渡した。病院はどっちだったか、と記憶を探ろうとしたところで、さっきの女の声が後ろから聞こえてきた。



「あんた、そのまま行く気?」



 今度は何だ、と内心ため息をこぼしながら振り向くと、女が入口の枠につかまって僕を見下ろしていた。そのとき僕は初めて女の顔を見てはっとする。



「……失礼な女だと思ったら、あなただったんですね」



「なん……えっ、あんただったの!?」



「――レディ、お手を」



 僕がウェンディの腰の位置まで手を掲げると、彼女は困惑しながらも僕の手を取った。



「……なんでそんな格好してるのよ」



「それは僕のセリフです」



 女は馬車から降りながら、責めるように言った。お揃いの服を着てきたみたいで居心地が悪い。

 降りる客は僕と彼女の二人だけで、乗り込む客もいないようだった。この路線は都市間の移動に使われることが多いため、王都の端っこのこの駅で降りる人は少ないのだろう。

 馬車は僕たちを残し、走り去った。平民の格好をしているということは、ウェンディも僕と同じようにこっそりと家を抜け出してきたのだろうか。だったら僕にもあまり知られたくない用事かもしれない。しばらく学園を休んでいることやリアムのことなど、聞きたいことはたくさんあったが、飲み込むことにした。



「それじゃあ、僕は用事があるので」



「あ、うん。私も」



 僕はウェンディと別れ、精神病院へ向かった。






 病院へ続く坂の前まで来た。ちらと後ろを振り返ると、少し離れてウェンディがついてきている。僕は立ち止まった。



「後をつけてるわけじゃ、ありませんよね?」



 ウェンディが追いついて、僕の隣に並ぶ。



「もしかしてさ……あんたもグレイリッジに用があるの?」



 グレイリッジ。病院の名前がグレイリッジ精神病院だったことを思い出す。



「はい」



「あんたも大変ね」



 ウェンディは眉尻を下げ、気遣うような視線を僕に向ける。なぜだろう、と一瞬不思議に思ったが、すぐに理由に思い当たる。僕の親しい人が入院していると勘違いしたのだろう。



「いえ、僕はちょっとした知り合いの面会にきただけなので。――ウェンディさんは……」



「リアムよ。精神に異常があって、とても危険だからって連れていかれたの」



 そう言った彼女の声は微かに震えていた。何と言ったら良いかわからず、僕は沈黙する。



「べつに気なんか使ってくれなくていいから。全部あいつがやったことだし。うちの家族が最低だからこんなことになったのよ。ほんとに最低なの。私含めてね」



 彼女は険しい顔で坂を睨みつけ、一呼吸おいてから登り始めた。その半歩後ろを僕は付いていく。



「うちも似たようなものです。僕がグレなかったのは奇跡ですよ」



「え、それでグレてないつもりなんだ」



 ウェンディが驚いた顔で僕を見た。



「どう見ても模範的な生徒でしょう。附属校では生徒会長を務めていました」



「はいはい。――ありがとね」



「え?」



「あんたと話してると、いつもよりこの坂を上るのがきつくない気がするから」



「あ、いえ……お役に立てたなら、なによりです」



「ぷっ、なに動揺してんのよ」



「べ、べつに」



「あんたって案外子供っぽいところあるよね。噂だけ聞いてるのと全然違う」



「どんな噂を聞いたか知らないけど、僕は生まれてこの方、ずっと子供です」



「そりゃそうでしょうけど、附属校時代に完全無欠の生徒会長だったロイ・アヴェイラムが学園に入学してくるって、結構話題になってたんだから。クインタスを撃退したヒーローだって崇める子も多いし。『境界の演劇団って私でも入れるのかな?』なんて夢見心地で言ってる子もいるのよ? それがこんな生意気な……。ねぇ?」



「ねえ、と言われても」



 僕に勝手な幻想を抱く生徒がいるのは、およそペルシャのせいだと言ってもいい。彼が裏で理想のロイ・アヴェイラム像を作り上げているのだ。そうして人々の僕に対する期待はシャボン玉のように膨れ上がってしまっている。――この例えだと、いつかは弾けるということか?



「まあ、あたしはあんたの性格、結構好きだけど。男は多少性格に難があった方がモテるって知ってた?」



「知りませんけど」



「でもほどほどにしとかないと口元歪んでいくから気をつけなさい」



「ご忠告ありがとうございます」



 指で口角を押し上げてみる。僕の性格が悪いのは疑いようのない事実だ。

 ウェンディの横顔を盗み見る。整った唇をしていた。彼女は自身の性格を悪いと評したが、僕はそうは思わない。気が強いとか、きつい性格だとかは当てはまるかもしれないが、人を嘲ったり貶めたりするようなあくどさはいっさいない。リアムとは顔立ちが似ていても表情がまるで違うから、言われなければ姉弟だとわからないだろう。



「な、なに? さっきから私に見惚みとれちゃって」



 長いこと横顔を観察しすぎてしまったようだ。



「いえ」



「……あんたってもしかして、大人の女が好みだったりする?」



「はい? どうしてそうなるんですか」



「いやぁ、なんとなく? この前のルビィ君のお母さんを見る目とかちょっと怪しかったし……」



 心外だ。いったい僕がどんな目をしていたというのだ。同じ研究者としてリリィやエルサに対して畏怖のような感情はたしかに持っているけど、ウェンディが言っているのはもちろんそういうことではないだろう。



「さあ、どうでしょうね。少なくとも年上が対象だとは思います」



 深く考えたことはなかったが、同級生や年下を恋愛対象として意識することはあり得ない気がする。前世の記憶がある分、精神年齢が周りよりも多少高いのだろう。



「……ふぅん」



 ウェンディは意味ありげに相槌を打った。







 病院に近づくにつれ、ウェンディの口数は減っていった。灰色の建物が見えてからはずっと黙りこくっている。



 僕は錆びた鉄の門扉もんぴを手で押し開け、病院の敷地内に足を踏み入れる。僕の後ろをついてくるウェンディの足取りは重い。

 病院の入口のドアを開ける。正面の受付には、前に僕と巡察隊の二人を案内したナースが座っていた。



「あなたはこの前の」



 愛想笑いもせずに、ナースが抑揚なく言った。



「ええ、その節はどうも」



 どこからか話し声が聞こえてくる。カウンターの奥の部屋からだろうか。今日は前に来たときよりも人が多いみたいだ。



「詳しいことは聞かされてないけど、あれから巡察隊が毎日控えているのよ。よっぽどあの子のお兄さんに会いたいみたい」



 僕の視線に気づいたのか、ナースは先回りして僕の疑問に答えた。

 なるほど。巡察隊はクインタスがやってくるまで毎日待ち伏せをするつもりらしい。待っていればいつかはここにやってくるのだから、人員を割くのは当然と言えば当然だ。



「今日もあの子の面会? それとも……」



 少し遅れて僕の隣に並んだウェンディを、ナースがちらと見る。



「いえ、彼女は――」



「リアム・ドルトンの面会よ。あたしたち二人とも」



 偶然いっしょになっただけ、と言おうとした僕を遮って、ウェンディが横から口を出した。抗議の視線を送ると、彼女は不安そうな顔をする。



「その、あんたも一応、リアムの同級生でしょ? 会っていきなさいよ」



 すがるような目で見つめられ、僕は頷くしかなかった。

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