第4話


「なんだって?」



「それは本当かい、ロイ君!?」



 ベイカーは片眉を上げた。アバグネイルは目の色を変えて立ち上がり、テーブルに肘をつけて僕に顔を寄せた。

 テーブルが揺れたのを見て、サミュエルの描く絵に目だけ向けると、彼はすでに描き終えていて、別の紙にまた何かを描いているところだった。

 ソファと、その真ん中に座る少年――ああ、僕を描いているのか。



「近いですよ、アバグネイルさん」



 アバグネイルに目線を戻し、淡々と告げた。



「あ、ああ。すまない。それで、クインタスを見つけられるというのは本当なのかい?」



「可能性がある、という程度ですが」



 アバグネイルは目を見開いたままベイカーの顔を見た。ベイカーが僕の方を真っ直ぐ向いて、真剣な目をした。



「その方法とは、なんでしょうか」



 ここに来て、僕は迷っていた。このまま正直に答えて良いのかどうか。ベイカーたちが信用できないとは思わないけど、僕が持つ技術を無償で公開することには忌避感を覚える。



「僕の生まれ持った能力に関わることです。このことは誰にも話したことがありません。だから、教えるにしても何か対価が欲しい」



「それは……ロイさんが何を求めるかによるでしょうね」



「では、巡察隊の持つ情報、というのはどうでしょう」



「情報というと、クインタスの捜査に関する情報ですか?」



「はい」



「ふむ――捜査にご協力いただけるなら、クインタスの情報をお教えした方がこちらとしてもやりやすいでしょうから、構いませんよ」



「僕が言っているのは、クインタスに関わる包括的な情報のことです。つまり――なぜ警部がクインタスの捜査でアヴェイラムに探りを入れているのか、そこまで知りたいのですよ」



 僕は膝に肘を置き、前のめりになって尋問するように聞く。ベイカーが息を呑んだ。



「――仮に私がクインタスとアヴェイラムの関係を探っているとして、アヴェイラム家のロイさんに情報を流すはずがないでしょう」



 ベイカーと睨み合いが続く。サミュエルが紙に黒鉛を擦り付ける音だけが、部屋の中に響いている。



「――まあいいでしょう。情報の価値はわかっているつもりです。僕の能力を公言しないと約束してさえもらえれば、それで十分です」



 僕が上体を起こし、ぱっと表情を緩めると、ベイカーの顔から緊張感が消えた。



「――いやあ、ロイさんも人が悪い。子どもだからと油断しない方がいいようだ」



「褒め言葉として受け取っておきましょう――ただ、僕が成果を出したときは、今の話、覚えておいてください」



「ええ、そのときは」



 肩の力を抜いてソファの背もたれに背中を預ける。以前彼らが家に訪ねてきたときから、父が何かを隠している様子だったのが気になっていた。だから、似顔絵のために今日もう一度ベイカーが会いにきてくれたのは僥倖ぎょうこうだった。

 もしかすれば、似顔絵というのはただの口実で、僕に探りを入れにきたというのが本当のところかもしれないが。



「それでは、さっそく教えますね。実は僕、魔法の残滓ざんしを見ることができるんですよ」



 満を持して得意げに言うと、ベイカーとアバグネイルの二人ともが、そろって胡散臭そうに目を細めた。サミュエルも手を止めて不思議そうに僕を見た。彼の眼球がガラス玉のように綺麗なことに今初めて気づく。



「魔法の残滓……ですか? 申し訳ないが、何を言っているのかさっぱりわかりません」



 ベイカーが困惑気味に言った。それはそうだろう。僕だってラズダ女王が魔法の残滓を見ることができたと本で読んだ時は半信半疑だったし、そもそも魔法の残滓がどんなものなのかすらピンと来なかった。



「人が魔法を行使すると、空中や周囲の物体にその痕跡がしばらく残るんですよ。それを僕は見ることができるので、クインタスの捜索に活かせるのではないかと」



「それが本当なら、かなりすごくないですか? その跡を追えば犯人を見つけられるってことになりません?」



 アバグネイルがベイカーの方を向き、同意を求めた。



「……そうだね。うちに来れば魔法犯罪捜査のエースになれる逸材だ。――ロイさん、その魔法の残滓とやらは、どれくらいの間その場に残るのでしょうか」



「空中だと風に流されてすぐ消えてしまいますが、建物や地面に付着したものだと数時間、素材によってはもっと長く残ります」



 特に雲母などの鉱物に魔法の残滓が付着していると、はっきりと見ることができるし、光が消えるまでの時間も長い。クインタスが高速で逃げていくときは魔力強化をしているはずだから、事件後にすぐに追いかければ、少なくとも強化を解く地点までは跡をたどれるはずだ。



「それならば確かに追跡は可能だ。正直なところ、ロイさんのその能力については、私はまだ信用し切れていませんが……現状打つ手がないのも事実。試しにやってみましょうか」



「それはよかった。クインタスを捕まえたいという思いは僕も同じですから、お互い協力していきましょう。またクインタスが人を殺したら、すぐにでも呼んでください」



 話がまとまり、僕は肩の力を抜いた。アバグネイルが眉をひそめる。



「ロイ君、俺たちは人が死ぬことを前提に捜査をすることはない。それがどれほど難しいことだとしても、未然に防ぐために活動しているんだ」



 アバグネイルは厳しい顔つきで、さとすように言った。



「ええ、もちろんそうでしょう。それがどうかしましたか?」



「どうって――君が、人が死ぬことを当たり前のように勘定に入れているのが気になったんだ」



 言われてみればそうだ。また誰か死んだら呼んでくれだなんて、不謹慎だったか。合理的に考えたら、僕の能力はクインタスが事件を起こすまで捜査の役に立たないのだから間違ったことは言っていないが、これは道徳上の問題だろう。



 人として当然のことを、僕はときどき見落としてしまう。

 以前エルサにも似たようなことを言われた覚えがある。彼女は僕が研究者として、また人として間違った方向へ行ってほしくないというようなことを言っていた。彼女は僕のこうした部分を危惧していたのではないか。



「まあまあ、アバグネイル君。ロイさんには事件直後に協力を仰ぐのだから、彼の言うことは間違っちゃいない。それまでの捜査は私たちの領分だよ」



 ベイカーがアバグネイルを宥めるように言った。



「そう……ですね。すまない、ロイ君。こっちの都合を押し付けて」



 アバグネイルは苦々しい顔で謝った。



「い、いえ。僕の方こそ、人の死を軽んじるような言い方でしたから」







 捜査協力の詳細を詰め、ベイカーたちを見送った。サミュエルは似顔絵の後に描いていた僕の顔の絵を別れ際に渡してきたが、どういう意図があったのか定かではない。サービスだろうか?

 彼の描いた僕は、顔こそ似ているが僕じゃないみたいだった。どこが変というわけでもないのに、なぜだか怖いと思った。

 これが他人から見る僕ということだろうか。



 僕は教室へと戻った。今日最後の授業がもうすぐ終わるというタイミングだった。馬車を待たせることもなく、ちょうど良い時間だ。



 ベイカーが言うには、すぐにでも出版社と話をつけ、準備が整い次第クインタスの似顔絵を刷り始めるらしい。また頃合いを見て、『ラズダ書房』にでも寄ってみよう。

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