第2話


 冬休み中、ルーカスに呼び出されたのは初日だけで、それからは穏やかなものだった。寮は意外に過ごしやすかったが、なんだかんだで住み慣れた屋敷は気が休まった。



 そうこうしているうちに、短い冬休みも終わり、新学期が始まった。午後の授業は休みボケがまだ抜けなていない生徒にとって絶好の睡眠時間だ。その例に漏れず僕の瞼も下がり始めた頃、ナッシュ先生が教室に入ってきて僕を呼んだ。



 いったい僕になんの用だろう。反省文はしっかり提出したし、最近は大人しくしているのに。



「君に、き、客が来ている。つ、つ、ついてきたまえ」



 僕が廊下に出ると、ナッシュ先生は僕の方を見ることもなく言った。彼は黒いローブを翻し、先を歩いていく。

 僕に客か……。新聞記者が僕にインタビューにでも来ているのだろうか。他に思い当たる人物はいない。



 校長室と同じ区画にある応接間へと連れてこられた。ナッシュ先生が扉をノックして中に入っていったから、僕も続く。

 部屋の奥でソファに座っていた三人がこちらを振り向いた。



「ああ、巡察隊の……」



 クインタスの件で家に訪ねてきた巡察隊のベイカー警部とアバグネイル巡査部長だった。あともう一人は初めてみる顔だ。

 僕たちの姿を確認すると、ベイカーとアバグネイルが立ち上がった。



「ロイ・アヴェイラムをお連れしました。では私はこれで」



 そう言ってナッシュ先生はさっさと部屋を出ていった。



「やあ、ロイ君。あれから元気だったかい?」



 アバグネイルが年上のいとこかのようにフランクに話しかけてくる。



「ええ、特に変わりありませんよ。アバグネイル巡査部長」



「それはよかったです! あんなことがあった後だから心配してたんですよ。現場に入った俺の同僚の何人かは、あまりの凄惨さにすっかり参っちゃって。こういうのは大人も子どもも関係ないのかもしれない。耐性があるかどうかは、生まれつき決まってるんじゃないかな。俺やロイ君は、そういうところが図太いのかもしれないですね!」



「そうかもしれませんね。僕の友人も事件の後しばらく落ち込んでいましたから」



「やっぱりそうでしょう? 事件に巻き込まれた他の学生さんたちの中にも、思い出そうとすると取り乱す子もいたんです。かわいそうになぁ……」



 アバグネイルと話していても本題が見えてこない。僕はベイカーの方を見て助けを求めた。



「アバグネイル君、先にロイさんに座ってもらったらどうだい?」



「あっ。すみません。ロイ君、どうぞ座ってください」



 僕が対面のソファに座ると、二人は腰を下ろした。

 その間も、もう一人の男は座ったままだ。俯き気味で、長い髪が蛇のようにうねって無造作に顔にかかっているせいで、年齢が推測できない。男はガタガタと小刻みに足を揺らし、黒く汚れた手の指をせわしなく擦り合わせている。



「お久しぶりです、ロイさん。お噂はかねがね」



 ベイカー警部が鋭い眼光を隠すように目を細めた。物腰は丁寧だが、相変わらずよれよれの服を着ている。



「お久しぶりです、警部。本日はどういったご用向きで?」



「クインタスの件についてお話を伺いにきました」



 ベイカーは単刀直入に言った。



「そうですか。しかし、なぜわざわざ学園にいらしたのですか?」



「……お察しのこととは思いますが、ルーカスさんに同席されると都合が悪いのですよ。ロイさんも彼の前では迂闊うかつなことが言えないでしょう?」



 それはその通りだ。父が隣にいる状況では家にとって不利になりそうなことは言えないし、聞きたいことも聞けない。



「そうかもしれません。父は厳格な人ですからね。来客時に僕が粗相を働けば後でしかられてしまいます」



「ふむ、そうでしょうねえ。ではルーカスさんのいない本日は、気楽にお答えいただけるということで」



 ベイカーの目が鋭さを増したように感じた。彼と話していると、次々と情報を抜かれてしまいそうな怖さがある。

 べつに事件のことを話すのは構わないけど。やましいことなどないし、なんなら僕だってクインタスの情報が欲しいから話したいくらいだ。



「もちろん、僕が知っていることなら答えますよ。――それで、そちらの方は?」



 僕がベイカーに尋ねると、ベイカーの隣に座る男の肩が大きく跳ねた。



「紹介が遅れましたね。彼はサミュエル・バウティスタ。大陸出身の画家です」



「はあ、画家ですか」



「ええ。このところ捜査が手詰まりでしてね。とある手法を試みようと思っているのですよ」



「新しい捜査の方法を実験的に導入するということですか?」



「ええ。クインタスのような輩を捕まえるには従来の方法ではやはり難しい。魔力で強化された足で逃げられたら、すぐに姿をくらまされ、とても捕まえられません。ですから、拠点を特定し、戦力を整えてから奇襲をかけるのが理想です」



「でしょうね。父の追跡を逃れるほどの実力者ですから。画家を連れて来られたということは、クインタスの似顔絵でも描くのですか?」



 刑事と画家の組み合わせで真っ先に思いついたものを当てずっぽうで言ってみただけだったが、ベイカーは驚いたように目を見開き、「その通りです」と答えた。



 手配書に似顔絵を載せるのは珍しいことなのだろうか。すっかり巡察隊がいる街に慣れていたが、実際はまだ誕生して日が浅い組織だ。まだ捜査のノウハウを確立している段階なのかもしれない。



 少し前まで王都アルティーリアの治安は、街の名士がまとめあげた自警団によって守られていたが、魔物の活性化に伴い、広範な捜査網が求められるようになったため、今では完全に巡察隊に取って代わられた。



 巡察隊は、魔物関連の事件の他にも犯罪の取り締まりも行う。

 彼らの組織立った効率の高い捜査能力は市民に高く評価されていて、この短い期間に王都を越えて急激に規模を拡大しているらしい。



 巡察隊に取って代わられ、今はすでに解散した自警団だが、一年ほどは巡察隊と活動時期がかぶっていた。その頃、学園への登下校時に自警団を見ることが何度かあったが、だらしない格好をした数人の大人たちがだらだらと喋りながら街を練り歩くだけの、見るからにプロ意識の欠片もない半端者の寄せ集めだった。

 アレが犯罪捜査の知識を蓄えていたとも思えないから、巡察隊はほとんどゼロからのスタートだったに違いない。



 きっと方々から優秀な人材を引き抜いてきたのだろうな。目の前に座るベイカーを見てそう思った。



「これからロイさんにクインタスの容姿の特徴を言葉で表現してもらいながら、彼に肖像画を描いてもらいたいと思っています。少々時間がかかると思いますが、ご都合はよろしいですか?」



「馬車の迎えの時間までなら構いません。あと2時間ほどでしょうか」



「呼び出しておいてなんですが、授業の方はよろしいのですか?」



「出席したところで教師の話は聞きませんから」



 午後の授業はアスタ語と数学だが、今やっている内容は欠伸あくびが出るほど簡単で、いつも内職をしている。

 聞く価値があるのは歴史の授業くらいだ。



「ほう。学生時代を思い出しますね。私もつまらない授業は聞き流すたちでしたから」



 ベイカーが僕に同意する。



「二人とも、よくないですよ。みんながみんな学校に通えるわけじゃないんですから。俺なんか裕福じゃなかったから、学校なんて諦めてましたよ。家の近くにタイミングよく貧民学校ができたからよかったですけど。田舎の方だと今でも教育を受けられない子は多いんじゃないかな」



 アバグネイルが苦言を呈した。貧民学校という言葉を初めて耳にした。普段は学園に通う貴族の子女としか話さないから、一般市民にとっておそらく当たり前の単語を知らない僕は、やはり貴族のお坊ちゃんなんだと気付かされる。



「これは失礼。庶民の暮らしには疎いもので」



 貧民の教育環境などいっさい興味はなかったが、一応謝っておく。



「たしかにアバグネイル君の言うことももっともだ。巡察隊として市民に寄り添う必要がありますからね」



 ベイカーは神妙にうなずいた。職業柄、市民と対峙たいじすることも多いのだろう。



「わかればいいんですよ」



 アバグネイルは満足げに笑みを浮かべた。



「――さて、世間話もそろそろ切り上げて、クインタスの肖像画を描きに行きましょうか」



 ベイカーがパン、と手を叩き、弛緩しかんした空気を引き締めて言った。

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