第11話


「そういうわけで、息が詰まって仕方がない」



 正式にワイズマン研究室に配属された僕は、論文読みの休憩がてら、談話室で何人かの研究生たちと交流をはかっている。

 学園生活の愚痴を聞かせると、研究生の一人、フランチェスカが表情に憐れみを滲ませた。



「それはまた、めんどくさいことになってるね……。でもその、ナッシュ先生だっけ? 厳しいけどいい先生っぽいじゃん。放課後に自分の時間を削ってまで特別授業なんて、なかなかできないよ」



「そう、なんですかね」



「そうだよ。私も教授の代理で学部生相手に講義を受け持つことあるけど、ひとコマやるだけでもほんと大変なんだから。私は教授が用意してくれた資料を借りて教えてるだけなんだけど、もし自分で講義計画とか考えるなんてことになったら、自分の研究をする暇なんてなくなっちゃう」



 フランチェスカの実感のこもった言葉に、そういう視点もあるのか、と気づかされる。



「いい先生か。ですが、やはりどうしても僕に対しての態度が目についてしまうので」



「まあ、ロイ君に対してはちょっと例外なのかもね。教師だって人間だから好き嫌いはあるってことだよ」



「僕が嫌われていることは確定なんですね」



「ロイ君の話を聞く限りね。――それで、興味ありそうな研究テーマは見つかった?」



 フランチェスカが話題を変えた。



「気になる論文はいくつかありましたよ」



「よかった。いい傾向だね! なんてタイトル?」



「『渡り花の進化における再帰性』」



「あー、結構ニッチなところ攻めてきたね」



「そうですか?」



「うん。だって若い子って、わかりやすくすごい研究に惹かれるじゃない?」



 若い子とは言うが、フランチェスカ自身、学部生とそれほどの歳の違いもないだろうに。



「そうですね。流行りの研究テーマなんかは僕もおもしろいと思います」



「でしょ? 卒論レベルだと流行りからテーマを選ぶ子が多いから、うちのラボでも毎年何本かは似たようなのが上がってくるんだよ。今年だったらたとえば――『魔力バッテリーの効率化』だけで三人もいるし」



 魔力バッテリー。魔力を蓄えておくための装置のことだ。人工魔臓ともいう。

 動植物が持つ魔臓と呼ばれる臓器は魔力を蓄える機能を持つ。それを人工的に作り出し、大容量化を目指す動きが近年盛んになっている。一家に一台大容量のバッテリーがあったらそれは嬉しいが、現状、人工魔臓の容量は自然界における魔臓に遠く及ばず、実用化は当分先になりそうである。



「流行は避けろという話ですか?」



「あー、違うの。流行りに乗るのはむしろいいことなんだよ。最初にやる研究としてはなおさらね。でもロイ君みたいにやりたいことが自分でちゃんとわかってる子は、やりたいように突き進むのがいいと思う。流行りをやるより大変だけどね」



 フランチェスカに言われるまでもなく、僕は自分のしたい研究しかするつもりはなかった。一般的な学部生の傾向など、僕にとってどうでもいい話だ。ここ数年、エルサの書斎で研究書に読み耽る毎日を過ごし、下地を作ってきた。そして今、自らの意志でこの研究室に来ている。卒業に必要だからと、大学に言われるままに研究を始めるような怠惰な者たちといっしょくたに語られるのは心外だった。



「もとより、そのつもりです」



 そう言うと、フランチェスカが苦笑いをした。

 他の学生などどうでもいいという、僕の心の内を察したのかもしれない。性格の悪い生意気なガキの自覚はある。



「あ、そうそう。『渡り花』だけど、研究のために採ってきたものが繁殖しちゃって、今も研究室棟の裏庭にあるよ。もう冬だから花は咲いてないけど、綿毛ならまだ残ってるかも」



 フランチェスカに『渡り花』の生えている場所を教えてもらい、研究室棟を出た。

 太陽の位置は頂点を通り過ぎたくらいだったが、コートを羽織ってこなかったことを少し後悔するくらいには肌寒い。少し逡巡したのち、わざわざ引き返すほどでもないと思い直し、目的地に向かって歩み始めた。

 歩いているときは、ただじっと考え事をしているときよりも、どういうわけか思考がクリアになる。『渡り花』の論文を読みながら考えていたアイデアが、次第にくっきりと形を持ち始め、僕のしたい研究の全体像が組み上がっていく。

 僕が興味を引かれた、『渡り花の進化における再帰性』という論文は、それ単体では一つの植物に関する発見を論述しただけのものであるが、うまく応用することができればその価値は計り知れないと僕は睨んでいる。

 渡り花の特殊性は、論文の題名が示す通り、その進化の過程にあるという。

 通常、進化とは一方通行だ。親が子を産み、突然変異によって子に新しい能力が備わったとして、その能力は親には還元されない。しかし、その常識は渡り花には当てはまらないらしいのだ。『渡り花』の不思議な生態は、それを題材にして絵本が作られている。






 あるところに一本の渡り花が咲いていた。

 生命力に満ち溢れた時期が過ぎると、彼女は綿毛の子供たちを作る。やがて子供たちは風に飛ばされ、運ばれた先の大地にたくましく根を張った。

 子供たちがすくすくと育ち、体も大きくなった。しかし、彼らが青々と葉をつける頃、その土地に住む悪い虫たちがやってきて子供らをむしゃむしゃと食べ始めてしまった。動くことのできない彼らは、葉っぱにたくさんの穴を開けられ、一本、また一本と死んでいった。

 全員が死んでしまう前に、と彼らは必死に綿毛を作り、次の世代へ命をつないだ。しかし、その命すら、大きくなればまた食べられてしまう。そんな闇の中をさまようような繰り返しの中、ある日、新しく生まれた命の中から、一本の不思議な力を持つものが誕生した。

 特別な彼女はすくすくと育ち、大きくなった。どうせまた食べられてしまうのだと、誰もが諦めかけていたが、どういうわけか彼女の葉っぱには、いっこうに悪い虫が寄ってこない。不思議に思った彼らだったが、一匹のおバカな虫が彼女の葉っぱを齧ったとき、その理由がわかった。おバカなその虫は苦しそうに手足をばたばたさせ、ころっと死んでしまったのだ。そう、彼女の葉っぱには、虫を追っぱらうための毒が備わっていたのである。

 そうして彼女は、健康なまま、白く美しい花を咲かせた。彼女はやがて綿毛を作り、綿毛は風に飛ばされ、運ばれた先の大地にたくましく根を張った。その子供たちは、彼女が持って生まれた毒という武器を、全員が生まれながらに持っていた。

 悪い虫たちは、もう彼らに手出しすることはできない。彼らには平和を手に入れたのである――が、話はそこで終わらない。悪い虫たちは考えた。特別な彼女とその子孫たちにはもう手出しができないけど、それ以外の弱いままのやつらは今まで通り食べ放題じゃないか、と。

 しかし、彼らはすぐに異変に気づく。ふと周りを見渡せば、毒を持たないものなど、もういくらもいなかったのである。






 さて、いったい何が起きたのだろうか。その答えは、遺伝情報の逆流である。

 通常の動植物の場合、毒を持った個体が誕生し、毒が環境を生き抜くのに有利だとわかると、その機能は子孫たちに受け継がれていくことになる。一方で、毒を獲得したその個体の親は、毒の有効性を知らないままだ。

 しかし、渡り花の場合、遺伝情報は先祖の方向にも伝播していく。毒の有効性という情報は世代を遡り、親へ、さらにその親へと順に伝わっていくのである。そうして情報は種族全体が共有し、次の季節には毒を持った個体で溢れるようになるのだ。

 では、渡り花はどうやって遺伝情報を先祖へと逆流させているか。残念なことにその答えは論文に書かれていなかった。

 論文の著者は様々なシナリオを想定し、卒論にしては十分すぎるほどの実験を行っていた。素人でもすぐに思いつくような花粉媒介説はもちろんのこと、根、茎、葉、花弁などから成分を抽出したり、花の周りを飛ぶ虫を使ったりと、辛抱強く様々な実験を繰り返していた。しかし、情報を媒介するものが何かを解明するまでにはいたらなかったようだ。しまいには、「花の妖精の仕業に違いない」などと投げやりに締めくくっていたが、時間と労力をかけたプロジェクトの成果が出ないことがどれほどやりきれないものであるか、想像に難くなかった。

 裏庭は建物が壁になっているおかげか、風がほとんどなく、コートなしでも耐えられそうだった。

 渡り花はすぐに見つかった。茶色の土や緑の雑草の中に、白い綿毛が目立っていたからだ。

 渡り花が密生する箇所を見つけ、僕はその近くにしゃがみこんだ。

 実のところ、僕は論文の著者が言う『花の妖精』に心当たりがあった。仮説にも満たない、ただの当てずっぽうでしかなかったが、ここに来て僕の推測は間違っていなかったと確信する。

 渡り花の一つを、指で軽くつついてみる。魔力で強化された僕の目には、薄桃色に子房を光らせた渡り花が、光の糸でつながっている光景が見えていた――。

 僕は立ち上がり、渡り花が作り出す光のネットワークを広く見渡す。

 この光の糸が情報をやりとりするための通信路であることは確からしい。光は常時つながっているわけではなく、断続的だ。通信の必要があるときだけつながるということだろうか。時折吹く強風に反応して光って見える。

 葉っぱを一枚、強く摘まんでみる。すると、その個体の子房が一度強く光り、少しして、それに呼応するように周りの何本かの花が光った。僕が摘んでいる個体を中心に、光のネットワークができている。

 なるほど、光の情報網は外からの刺激に反応して形成されるらしい。

 僕は庭中にわじゅうの渡り花の葉っぱを摘まんで回った。観察の結果、様々な仮説が生まれた。

 情報を送る個体がソナーのようなものを放ち、ソナーを受け取った個体が応じることで、接続が完了する。相性があるらしく、すべての個体とコミュニケーションが取れるわけではないようだ。概ね、距離の近い個体同士がつながるが、離れた位置にある個体同士でもつながることがあった。単純な距離の問題ではないらしい。ひとつ考えられるのは、血縁の近さによるものではないだろうか。

 母とは話が通じる。祖母だとちょっと通じにくい。曾祖母までいくともう無理、というような感じだと思う。実際、光の糸を一本一本たどっていくと、二十本ほど隔てた個体の光は、最初の個体の薄桃色の光よりも僅かに赤みが強い気がする。

 光の色が近い個体同士でなければ通信ができないのだ。逆に言えば、同じ色の光を放つ個体同士ならば通信ができるということだ。

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