第12話 ジークリンデ、断られる

「ここがりりーのあたらしいおうち!?」

「そうだぞー、リリィの部屋もあるからな」


 目を覚ましたリリィは目をキラキラ輝かせて新しい家を探検しはじめた。戸棚を開けてはこっちを向いてポーズを取り、家具に乗ってはこっちを向いてポーズを取る。にへらっと笑いながらこっちに手を振るリリィが可愛すぎて、俺とジークリンデはリビングの入口から動けずにいた。


「…………本当にいいのか? こんな上等な家」


 隣にいるジークリンデに声をかける。ジークリンデは新しい家にテンションが上がりはしゃいでいるリリィを、感情の籠っていない瞳で見つめていた。


「どうせ無人だったんだ、気にしなくていい。近くの家には私の部下も住まわせている。セキュリティも心配はいらないだろう」

「…………マジで助かる。それで、俺とリリィの事なんだが────」

「それも私が上手く処理しておく。お前が帰ってきた事は報告せざるを得ないが、あの子は先天的に見た目に異常があるエルフとして報告しておこう」


 ジークリンデは眼鏡をくいっと持ち上げた。学生時代から変わっていないのであれば、それは何か言いたいことがある時の癖だ。魚心あれば水心あり。大抵の事なら協力するつもりだった。俺はジークリンデの言葉を待った。


 リリィが部屋の奥からこちらに手を振る。俺はそれに手をあげて答えた。ジークリンデはリリィをじっと見つめている。


「話は変わるんだが────あの子に母親はいるのか?」

「…………は?」


 ジークリンデの言わんとしていることが分からず、俺は間の抜けた声を出した。

 生物なのだから勿論母親はいるだろう。そんな事はこいつも分かっているはずだ。だからジークリンデが言いたいことはそれではない。だが、だとしたら何だというのか。


「どういうことだ?」


 俺の問いに、何故かジークリンデは頬を赤らめた。不健康なほど真っ白な肌に、僅かに朱色が差している。


「…………生物学的見地から言わせて貰えばだ。あくまで学術的な話に則って意見させて貰うとだな…………両親が揃っていた方が、子供の教育にはいいのではないか?」

「ああ、そういう事か」


 ジークリンデはリリィの情操教育的な部分を不安に思っているんだろう。魔法学校で教えるのは学問のみで、そういうのは親の仕事だ。

 確かにそういう部分を教えるのは俺には荷が重いかもな。なんたって俺は黙って親元を飛び出すような男だ。母親代わりの存在が居た方がいいのは間違いない。


「とは言ってもな。どうしようもねえだろ」


 俺に彼女や嫁はいないし、直近で出来る予定も無い。ゼニスで一番仲が良かった異性と言えばホロだが、結婚なんて想像もできなかった。あいつは只物じゃないからな。


「…………私が、母親になってやろうか?」


 その声は僅かに震えていた。ジークリンデの性格を考えれば、どう考えても無理をしている。ハイエルフが珍しいのは分かるが、そこまでして関わりたいという熱意を持っているとはな。


「冗談よせって。そもそもお前に母親が務まるのかよ。学校じゃガリ勉タイプだったじゃねえか」

「私を甘く見るな。あれから何年経ったと思ってるんだ。学生の頃とは違う」

「なら彼氏の一人でも出来たんだろうな」


 学生の頃のジークリンデは色恋の欠片もない女だった。好きなものは魔法書と歴史書ってタイプ。暇さえあれば大図書館に籠っていた記憶がある。実は見てくれ自体は悪くないため、陰でそこそこ人気があった。


「それは関係ないだろう。それに、私はお前が…………」


 ジークリンデはそこで言葉を途切った。視線の先ではリリィがソファの上で楽しそうに跳ねている。


「…………ともかく。お前が消息を絶ったせいで私が魔法省に勤めることになったんだ。長年の借り、今こそ返してもらうぞ」 


 ジークリンデはそう言うと、リリィの方に歩み寄っていく。リリィは帝都に入ってからさっきまで寝ていた為、ジークリンデとは今がファーストコンタクト。


 リリィはソファの上に立って、不思議そうにジークリンデを見つめている。人見知りするタイプでは無いと思うが、果たしてどうなるか。


「…………私はジークリンデという」

「わたし、りりー! えっと…………こじ…………? でした!」


 すかさず孤児アピールをするリリィ。言いつけを守れて偉いぞ。


 ジークリンデは何故か思いっきりリリィを睨みつけていた。いや、あれは緊張しているのか?

 よく見れば顔が強張っている。


「…………リリィ。突然だが…………お母さん、欲しくはないか?」

「ぶっ」


 俺は吹き出した。訊き方があまりに直線的すぎるだろ。

 ほら見ろ、リリィも首を傾げて困ってる。


「…………まま?」

「そうだ。今はパパとふたりで暮らしているだろ?」

「うん」


 リリィはこくっと首を大きく縦に振った。ジークリンデの話に興味があるみたいだ。


 …………母親、やっぱりいたほうがいいのかなあ。内心寂しかったりするんだろうか。


「もし、私がママになってやると言ったら…………どうだ?」


 ジークリンデが眼鏡の奥で瞳をギラつかせた。それだけで子供慣れしていないのが丸わかりだった。態度が仕事中と全く同じだから。


「うー…………」


 目付きの悪いジークリンデに迫られて、リリィは困ったように視線をきょろきょろさせる。助けを求めて俺に視線を送ってくるが…………ここはあえて動かなかった。リリィの正直な気持ちが聞きたかったから。


「…………りりーには…………ぱぱがいるから…………」


 リリィは逃げるようにソファから飛び降りると、一直線に俺の方に走ってくる。ぎゅっと俺の服を掴んで、後ろに隠れてしまった。

 ジークリンデは信じられない、といった様子で呆然とした表情でこちらを向いている。

 …………寧ろどうしてあの迫り方でいけると思ったんだよ。


「あのおねーちゃん、怖かったよな。ごめんな」


 リリィの頭を撫でてやる。耳を軽くくすぐると、身をよじって抱きついてきた。


「あははっ、ぱぱくすぐったい!」


 笑顔を取り戻したリリィを見て、ジークリンデが乾いた声を漏らした。


「いったい、なぜ…………」


 お前の顔が怖いからだ。それが分からないようではママは務まらない。


 それにしても…………リリィ、本当は母親が欲しいんだろうなあ。

 ジークリンデの迫力に押されて逃げてしまったけど、迷いが顔に出ていた。きっとホロに同じことを言われたら喜んで首を縦に振っていただろう。


 そのあたりも、色々考えておく必要があるのかもしれない。ジークリンデとリリィが打ち解けてくれればそれが一番いいんだが。

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