第10話 ジークリンデ、実はヴァイスに片思い中
「随分豪華な部屋だ。魔法省はそんなに儲かってるのか」
ジークリンデに案内され、俺たちは帝都の中心、魔法省本部の応接室にやってきていた。
真っ赤な絨毯が敷かれただだっ広い通路には応接室だけでも10部屋以上あり、その中の第8応接室で俺は今ジークリンデと向き合っている。
他の応接室も全て使用中だったが、一体何をそんなに話しあう事があるんだか。応接室の中はパッと見で高級だと分かる調度品で統一されており、壁には偉そうなおっさんの肖像画が飾られていたが、誰かは分からなかった。
リリィは応接室内のソファで気持ちよさそうに寝息を立てている。もう暫く起きることはなさそうだ。
『帝都の中心』というのは、政治的な意味合いでよく使われるフレーズだが実は物理的にもそうで、帝都は魔法省を中心に栄えている。上空から見れば、中央のドでかい建物から放射状に道が広がっているのが分かるだろう。自己の権力を誇示するかのようにギラついたナリをしている、その真ん中の建物が魔法省だ。
「儲かってはいない。魔法省は営利団体ではないからな」
「そうは言っても豪華すぎるだろ。何だよこのソファ、フカフカじゃねえか。リリィが気持ちよさそうにしているからいいけどな」
俺はリリィが眠っているソファに近づいて、座面を手で押してみる。クッションが敷き詰められた真っ赤なソファは、まるで焼きたてのパンみたいにその身を沈ませ音も無く俺の手を飲み込んだ。体勢が僅かに変わってしまったのかリリィが「うーん…………」と寝言を漏らす。
室内をジロジロと観察する俺をジークリンデは眼鏡越しに冷ややかな視線で見つめている。10年振りの再会だというのにハグのひとつもないとはな。お堅い性格は全く変わっていないらしい。
「その子は、実の娘なのか?」
ジークリンデはリリィに視線を向け、とんでもない事を口にした。
「な訳ねえだろ。拾ったんだよ、耳見ろ耳」
応接室に入ってから、俺はリリィの帽子を取っていた。だからリリィが『水色の髪を持ち特異な形の耳をしたエルフ』だという事にジークリンデは気付いているはずだ。
…………実は俺が帝都に来た目的の一つが「リリィをジークリンデに紹介する事」だった。
希少種であるハイエルフの、恐らく唯一の生き残りだと言ってもいいリリィには、この先必ず公的な機関の後ろ盾が必要な時が訪れる。俺の知り合いであり魔法省の高官でもあるジークリンデは、リリィと魔法省を繋げるのに最適な存在だった。
俺はジークリンデと向かい合う形で1人掛けの椅子に座った。想像より沈み込んだせいで後ろに倒れそうな格好になるのを何とか堪える。
「…………言われてみれば。済まない、少し気が動転していた」
ジークリンデはリリィをただのエルフだと思っているようだ。興味が逸れた、と言わんばかりに視線を外した。
「髪も変わってるだろ。分からねえか?」
ジークリンデがハイエルフの存在を知らないということは有り得ない。
こいつは学生時代、『魔法書の虫』という2つ名をほしいままにしていた。俺が居なければ魔法学校を首席で卒業していたその探求心は、必ずハイエルフの存在に辿り着いているはずだ。
「────まさか。いや、だが…………」
ジークリンデはハッとして俺を見た。俺は首を僅かに縦に振った。
「リリィはハイエルフの生き残りだ」
「────ッ!? ハイエルフが実在していたというのか────!?」
ジークリンデは椅子から跳びあがりリリィに駆け寄っていく。書物の中の登場人物だと思い込んでいた存在が急に目の前に現れ、居ても立っても居られない。そんな感じだった。
「おい、勝手に触れるなよ。今はおひるね中だ」
「そんな事を言っている場合か!? 今すぐ研究室に────ッ」
「落ち着けって、リリィが起きるだろうが。とりあえず座ってくれ。リリィについて色々相談したいことがあるんだよ」
「相談…………?」
少し声にドスを効かせると、ジークリンデは名残惜しそうにリリィの方に視線をやりながらも渋々といった雰囲気で着席した。
「まず俺が帰ってきた理由なんだがな…………リリィを魔法学校に入れてやりたいんだよ」
リリィは俺との生活で「友達が欲しい」と漏らした事は無かったが、それは友達という概念がよく分かっていないだけだと思っている。普通に考えれば、ホロやロレットみたいな年上だけじゃなく同年代の友達がいた方が、毎日は劇的に楽しくなるはずだ。
視線を向ければ、リリィは幸せそうにソファにほっぺをつけ、夢の世界へ旅立っている。この笑顔は守らなければならない。理屈じゃなく、本能でそう思う。
「…………」
リリィに寂しい思いをさせたくはない。これまでの人生が最悪だった分、これからの人生は最高であって欲しい。
学校に行けば同年代の子供が沢山いる。きっと友達も出来るだろう。セキュリティだって万全だ。帝都の魔法学校はリリィにとってうってつけと言えた。
「…………なるほどな。帝都ほど質の高い魔法学校は他にない。ハイエルフに教育を施すという事であればこれ以上の適任はないだろう」
「そうなんだよ」
帝都を選んだのはここが一番安全で、俺の顔が利くからというだけだったんだが、否定する必要も無いので俺は首を縦に振った。
「俺たちの母校でもある魔法学校の高い教育を受ければ、リリィは必ずその才能を花開かせるだろう。ジークリンデ、お前にはリリィを来年の入学者にねじ込んでもらいたい」
俺の記憶が確かなら、魔法学校の入学式は1か月後。とっくの昔に入学手続きは締め切っている。だが、魔法省官僚のジークリンデなら何とかなるんじゃないか。
ジークリンデは顎に手を当て考え込んでいる。リリィの入学に必要な手続き、根回し、その為に支払う金銭、かけるべき圧力の算出をしているのかもしれない。
「…………恐らく何とかなるだろう。あまり気は進まないがな」
「助かるよ。実はあと2つほど頼みたいんだが」
「…………何だ」
ジークリンデは大きくため息をついた。だが、席を立つことはしなかった。
「まずは俺とリリィが住む家を斡旋してくれ。金に糸目は付けないが、治安の良い所が条件だ。それと────リリィに護衛を付けて欲しい」
「…………護衛だと?」
俺の口から出た物騒な言葉に、ジークリンデは眉をひそめる。
「ハイエルフの特徴を知る者は少なからずいる。無論、一目見てリリィをハイエルフだと断じてくる奴は少ないだろうが、万が一事件に巻き込まれないとも限らないだろ。護衛は必要なんだ、俺も常にリリィに付いてやれる訳じゃないからな。お前としてもハイエルフの存在が他国に流れるのは避けたいんじゃないのか」
「確かにな…………それならば魔法省の腕利きを付けよう」
「いや、出来れば魔法省オフィシャルは避けたい。お前の私兵を出せないか」
「────どういうことだ?」
ジークリンデの鋭い視線が突き刺さる。
…………ここで怯んでは意味が無い。俺は真正面から視線を返した。
「リリィがハイエルフだという事は、俺とお前だけの秘密にしてくれないか」
「…………何故だ。ハイエルフの存在は、魔法省を大いに発展させる可能性を秘めている」
「リリィを魔法省のゴタゴタに巻き込みたくないんだよ。まだ子供だからな」
ジークリンデは俺の言葉を受け、こちらに冷たい視線を向けていたが────大きな溜息ひとつついて椅子の背もたれに体重を預けた。
「…………昔から、お前には面倒をかけられてばかりだ」
「すまん…………だが、相応の見返りは用意するつもりだ」
「見返り?」
ジークリンデが視線を俺に戻す。
「お前の仕事、俺が手伝ってやってもいい。あくまでお前の個人的な協力者としてだが魔法省に協力してやる」
「…………ほう」
若くして魔法省長官補佐まで上り詰めたジークリンデには、表に出せない多くの問題があるはずだった。そして俺の提案はそれなりにジークリンデの抱える面倒事を解決せしめるのだろう。
ジークリンデは目を丸くして、その後ニヤッと笑った。
「────交渉成立だ。まずは家だったな。すぐ用意してやるから待っていろ」
ジークリンデは満足そうな視線を俺に寄越して、応接室から出て行った。
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