第9話 リリィ、帝都に立つ

 ────ゼニスを出発してから数日が過ぎた。


 馬車や魔法車を乗り継いで、俺たちは帝都のすぐ傍までやって来ていた。この丘を越えれば帝都を肉眼で確認することが出来るだろう。

 リリィはスキップするように俺の少し前を歩いている。今日はまだそんなに移動していないからか元気そうだ。


「…………」


 リリィには引っ越しの事を直前まで伝えていなかったから、てっきりぐずられると身構えていたのだが、リリィは割とすんなり引っ越しの事を受け入れた。リリィがゼニスを発つ際にした事と言えば、改めてホロにバイバイを言いに行った事くらいだった。元奴隷だけあってその辺りは意外にもサバサバしているのかもしれない。ロレットとかにも懐いていた気がするんだがな。リリィの頭の中は帝都での新しい生活の事で一杯みたいだ。


「────リリィ、言われた通りに出来るな?」

「う、うん。りりーがんばる」


 リリィは緊張した表情でぎゅっと握りこぶしを作った。

 恐らく生まれてからずっとゼニスで奴隷をやっていたリリィは、大都市を見たことがない。迫力のある帝都の街並みを目の当たりにしてポロっと変な事を言ってしまわないとも限らなかった。

 そんな訳で俺はリリィに「何か聞かれても孤児だったと答えること」と言い聞かせていた。言わずもがな奴隷購入は帝都では極刑である。


「よし、じゃあ行くか」


 俺はつば広の帽子をリリィに被せてやり、綺麗な水色の髪が目立たない事を確認してから、丘を越え帝都へ続くメインストリートに出た。長い髪はお団子にしてあるから、大きい帽子を被せてやればリリィが『水色の髪を持つエルフ』だという事はパッと見では分からない。ゼニスと違い、帝都には僅かではあるがハイエルフの特徴を知る者が存在するからな。直接ハイエルフと結び付けられる事は少ないだろうが、対策は必須だと言えた。


「お、おおー…………!」


 リリィは帝都の外周を囲むその大きな壁に目を奪われ、圧倒されていた。足を止め、口を大きく開けて、空高く聳え立つ純白の壁を見上げている。


「びっくりしたか?」

「おっきなかべ…………」


 リリィは暫くの間呆けたように帝都の外壁を見上げていたが、やがて飽きたのか視線を外し俺の親指を握ってきた。


「抱っこするか?」

「んーん、じぶんであるく!」

「了解」


 …………リリィは割とすぐ抱っこされたがるんだが、今はテンションが上がってるらしい。機嫌のいい日は歩きたがるんだよな。


 リリィと一緒に壁に近づいていく。帝都を囲む壁がどんどん存在感を増していく。

 すると、門を守護している兵士達がこちらに視線を向けた。


 帝都を囲む壁は東西南北それぞれに門がひとつずつあり、基本的にそこからしか出入りが出来ないようになっている。一見がら空きになっているように見える上空は、実は防護魔法が張られていて、並大抵の魔法使いでは魔法障壁に撃ち落されるのがオチだ。実際に突破した経験がある俺の感覚では、少なくともA級以上の魔法使いでないとあの障壁を破ることは出来ないだろう。


「2人、入りたいんだが」


 門兵に声を掛けると、兵士は訝し気な視線を俺たちに向けた。まあ当然か。人間とエルフの少女の2人組なんて、バリバリ怪しいもんな俺達。


「名前は?」

「ヴァイス・フレンベルグ。こっちは娘の────」

「りりーだよ!」

「…………リリィ・フレンベルグだ」


 リリィは初めて見る『正規の兵士』に興味津々で、兵士の周りをうろうろしようとする。俺はそれを必死に引っ張って食い止めた。頼むからじっとしていてくれ。


「ヴァイス・フレンベルグ…………? その名、どこかで…………」


 兵士は俺の名前に聞き覚えがあるのか、顎に手を当てて考える素振りをした。


 ────第一関門突破だ。俺は心の中で指を鳴らした。


 帝都の入場審査は世界で一番厳しいと言われている。

 帝都出身の俺だけであればいくらでも身元を証明出来るが、リリィも一緒となれば話は別だ。純エルフのリリィを実の娘だなんていう嘘が通じる訳が無く、当然身元の証明が求められる。

 そうなれば一巻の終わりだった。奴隷を買ったとは口が裂けても言えない。「孤児だった」と言い張るしかないが、その場合は孤児院から発行される証明書が必要になる。そんなものは勿論ない。

 身分不明でリリィは帝都に入ることは出来ないだろう。それくらい帝都の入場審査は厳しいんだ。


 ゼニスには文書偽造を生業にしている奴もいるが、もしバレた場合は帝都に住む両親の立場も危うくなる。流石に親を巻き込む訳にもいかない。正攻法でリリィを門の向こうに通す必要があった。


 …………一見詰んでいるように見えるこの状況。だが俺には勝算があった。


「魔法省からお達しが出ていないか? 捜索中だと」


 風の噂では、魔法省は未だに俺を探しているらしい。

 血眼になって探していた、帝都の歴史でも随一の天才が10年ぶりに帰ってきたとなれば、付き人のひとりくらいうやむやに出来るだろう。俺の狙いはそれだった。とりあえず、今は魔法省長官補佐になっていると聞いた、に話を繋げられれば完璧だ。


「魔法省長官補佐のジークリンデに繋いでくれ。ヴァイスが帰ってきたと伝えれば分かる」

「ジークリンデ様に!? あ、ああ…………確認する、ちょっと待ってろ!」


 俺が堂々とした態度で畳みかけると、若そうな兵士は焦った様子で門を守護していた他の兵士の元に駆けて行った。


 …………不審者にしてはやけに堂々としている俺の態度に、きっと今彼の中には色々な考えが渦巻いているんだろう。「帝都の官僚に会わせろ」などとのたまう目の前の不審者を自分の所で止めるか、それとも念の為お上にお伺いを立てるべきか。

 普通なら有無を言わさずお帰り願う所だろうが、万が一があっては責任問題だ。俺の名乗った名前にも聞き覚えがある。それがまだ経験の浅い彼を惑わしているに違いない。


「じーくりんで?」


 手持無沙汰になったリリィが聞いてくる。


「パパの友達だ。俺達をこの門の中に入れてくれる、とっても優しいおねーちゃんだぞ」

「ほろおねーちゃんみたいなかんじ?」

「ああ、そうだ」


 リリィにはそう伝えたものの、実際は真逆と言ってよかった。リリィの事を可愛がっていたホロとは違い、学問バカのジークリンデはリリィの事を貴重な研究対象としか見ないだろう。だが今回はあいつのそういう性質を利用させてもらう。


 暫く待っていると、先程の兵士が戻ってきた。どうやら結論が出たらしい。俺は緊張を表に出さないように注意しながら兵士の言葉を待った。


「…………ジークリンデ様が今向かわれているそうだ」

「そうか。助かるよ」


 困惑気味に兵士は告げた。目の前の若い男が、お偉いさんのジークリンデが直接会いに来るような人物にはどうしても見えないのだろう。それを言ったら俺はジークリンデが様付けで呼ばれている事に強烈な違和感を覚えるけどな。


 何はともあれ、とりあえずこれで帝都に入ることは出来そうだ。俺はバレない程度に肩の力を抜いて、眠そうに目を擦っているリリィを抱っこした。


「もう少しで入れるからな」

「ぱぱ、りりーねむいかも」

「ああ、寝てていいぞ。お休みリリィ」


 割と限界が来ていたのかリリィは直ぐに俺の腕の中で寝息を立て始めた。

 俺と応対していた兵士は、いつの間にか門の前の所定位置に戻っていた。俺がジークリンデと知り合いだと分かった以上、下手に刺激したくないんだろう。


「…………ほっぺぷにぷにー」

「むにゅむにゅ…………」


 リリィの寝顔をつんつんして癒されていると、懐かしい魔力が近づいてくるのに気が付く。学生時代に共に励み合った、あの魔力だ。


 魔法省官僚を示す深緑のコートを身に纏った1人の女性が門の中から現れると、兵士達が慌てて背筋を伸ばし敬礼のポーズを取った。

 学生時代とほぼ変わらない印象を与えるその女性は、自分に礼を示す兵士たちには目もくれず、切り揃えられた赤髪を揺らしながら目の前まで歩いてくる。


 イモくさい髪型の割に整っている顔の、眼鏡の奥の鋭い瞳が俺を捉えた。


「────ヴァイス。久しぶりに帰ってきたかと思えば子連れとはな。私への当てつけかそれは?」

「…………洒落っ気がないのは相変わらずだな。その陰気なデカ眼鏡を辞めろって学生時代何回言ったっけか」


 ────かつての同級生であり、そして今は魔法省長官補佐。

 『万年成績ナンバー2』ことジークリンデ・フロイドと、こうして俺は10年振りに再会したのだった。

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