第7話 リリィ、リリィになる
エルフというのは元々、人間より遥かに頭のいい種族だ。そしてその上位種であるハイエルフはエルフより遥かに頭が良かった。
俺に心を開き始めたリリィは、食事やトイレをすぐに覚えた。風呂はまだ一人では入りたくないらしく俺と一緒に入りたがるものの、初日に比べたら随分手が掛からなくなったと言っていい。その代わり俺が出掛けようとすると寂しそうな顔をするようになったのは心が痛かったが。
「あー」
「あー」
「いー」
「いー」
言葉を教える、といっても何から手を付けるべきか分からない。悩んだ末とりあえず俺は発音を教えることにした。リリィはやはり賢く、俺が大げさに口を開いて声を出してみせると、その意図を汲み取ったのか俺の真似をするようになった。
「らー」
「やー」
「らー」
「うやー!」
「うーん、ちょっと違うな…………」
一文字ずつ話す練習をこの何日かやっているけど、どうにもら行が上手くいかないんだよな…………リリィは見た所4、5歳だと思うんだが、この頃のエルフ的には普通のことなんだろうか。誰かに相談しようにもこのゼニスでそんな牧歌的な話が出来る相手などそういない。ロレットもエルフの子供を育てた事はないだろうし。
「ま、いっか」
別に急いでる訳でもないしな。リリィが声を出せるようになったのは嬉しいが、焦るのはよくないだろう。俺たちは着実に前に進んでいるんだ。
「よーしご飯にするぞー」
「うやー」
リリィは俺の言葉に反応し、大きく手を挙げた。もしかしたら言葉の意味が分かっているのかもな。なんでって、なんか嬉しそうにしているから。「ごはん」という音と食事を結びつけることくらいはしているかもしれない。なんたって、リリィはハイエルフだからな。
「うー」
リリィが足をぱたぱたさせ、お腹からよじ登るようにしてリビングの椅子に座る。うちの椅子はリリィには少し高くて、普通にお尻から座るのはまだ無理みたいだった。しかしリリィは、一旦座面に完全に上り、向き直るようにして座る技をいつの間にか編み出していた。やはりリリィは賢い。
この数日で変わった事は無数にあるがこれもその一つで、俺がキッチンで料理を始めるとリリィはリビングの椅子に座って待つようになった。そして俺が料理を終えたのを感じ取ると、俺のそばに歩いてくる。折角苦労して椅子に上ったのにどうして降りてくるのかはリリィにしか分からないが、まあ俺としては嫌な気分ではなかった。なんだか好かれているような感じがするしな。
「よーし、ご飯だぞー」
「ごはんやおー」
俺はリリィの脇を支えるようにして抱き上げると、椅子に座らせた。もしかしたらリリィは俺に椅子に載せて貰えるのを分かって降りてきているのかも。だとしたらやはり賢い。リリィは天才かもな。将来はとんでもない学者になるかもしれん。
…………リリィの名前がリリィになるまで、もう少し。
◆
最初に喋った言葉を名前にする、と決めたものの、勿論「あー」などにする訳にはいかない。そこにはある程度基準があるのだ。
「あー! いー! うー!」
椅子に座ったリリィが文字を指差しながら声を出していく。やはりハイエルフと言うべきか、リリィは一度教えただけで文字と音の結びつきを暗記していた。この調子なら言葉の意味を覚え、日常会話をしだすのもそう遠くない出来事だろう。俺はリリィと話す未来を想像し嬉しい気持ちになった。
「やーいーゆーいぇーろー」
そんなリリィも、ら行はまだ苦手だった。こればかりは記憶力などとは関係ないだろうし仕方がない。リリィの名前が決まるのは、まだもう少し先の事になりそうだ。俺は雑貨屋から購入した子供用の絵本を何冊かリリィに与えて、その隙に朝食で汚れた食器を洗うことにした。リリィはテーブルに置かれた絵本に興味津々の様子だった。
最近のリリィは好奇心旺盛で俺の周りを離れようとしないから、ひとりで作業するにはこうして興味を逸らす何かが必要だった。
「りりー!」
「!?」
それは、突然の事だった。
あまりに綺麗なら行の発音に、俺はびっくりして食器を落としリリィの方を振り向いた。リリィは絵本の表紙を指差していた。目を凝らすとどうやら作者の名前を指差しているようだった。「リリィ・リード」そう書いてあった。
「いいーいーど!」
「ありゃりゃ」
さっきのはどうやらまぐれだったらしく、絵本作家リリィ・リードはいいーいーどさんになってしまった。リリィはその後も目についた言葉を手当たり次第に読み上げていったが、やはりら行は言えていなかった。俺はしばらくそれを眺めた後、キッチンに向き直った。
「…………名前はリリィにしよう」
決めてしまえば、それはとてもしっくりくるのだった。
こうして名も無きエルフの奴隷は、俺の娘リリィ・フレンベルグになった。
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