第8話 ヴァイス、娘には厳しい
そんな訳で昔話は終わり、これからは現実の話に戻るわけだが。
最初に言った通り、リリィが俺の娘になってから約1年が経過していた。
「リリィ、ホロねーちゃんの所行くか?」
「いく! りりー、ほろおねーちゃんだいすき!」
ら行も完璧になったリリィは、今や普通に会話が出来るようになった。流石はハイエルフの頭脳といったところか。数字の計算も瞬く間に覚え、ホロの店では立派にお金のやり取りも披露した。先の事を考えると、そろそろ魔法を覚えさせてもいい頃合いかもしれないと考えている。
「ぱぱ、はやくはやく!」
「はいはい、ちょっと待てって」
リリィが俺の服を掴んで玄関に引っ張っていこうとする。俺はリリィにお出かけ用の帽子を被せ、片手で抱っこすると、残った片手でテーブルの上を軽く片付けて外に出た。
「よーし行くぞー!」
「おー!」
空を見上げると、お出かけには丁度いい晴天だった。雲一つない青空は見ているだけでどこか清々しい気持ちになる。
「ぱぱ、いいおてんきだねー!」
「そうだなあ、きっとおひさまもリリィの事が大好きなんだと思うぞ」
「そうかなあ? えへへ、やったあ!」
リリィを抱っこしながら大通りへと歩くこの時間が俺は好きだった。特に理由のない幸せがここにある気がする。
「おっでかけ! おっでかけー!」
リリィは高い所が怖くないのか、俺に抱っこされているのにしがみつくこともなく両手を広げて喜んでいる。死んだような目をしたあの頃のリリィは、もうどこにもいない。
「ぱぱー、きょうはおようふくかっていー?」
「ダーメ、この前買ったでしょ」
「ぶー」
「膨れてもダーメ」
俺はリリィを甘やかすつもりは全く無い。何でも子供の言う事を聞いちゃうような親にはならないぞ。結局そういうのが子供をワガママにさせて、後々子供自身が苦労することになるんだよ。子供の為を思えばこそ厳しくしないといけないと俺は思うね。何も言わず親元を飛び出した俺みたいなのに育児論を語られたくはないだろうけどさ。
「おねがいーひとつでいいからー…………」
リリィが潤んだ目で俺を見つめてくる。俺は耐えきれなくなり、視線を逸らした。
「…………ひとつだけだぞ」
「やったあ! ぱぱだいすきー!」
ガバッと頭に抱き着かれ、俺はバランスを崩しかけながらホロの店へと足を進めるのだった。
◆
カランカラン。
「ほろおねーちゃん! りりーがきたよー!」
「ホロ、邪魔するぞ。走っちゃダメだぞリリィ」
「うん!」
リリィを降ろしてやると、リリィは一直線に奥のカウンターにいるホロの元へ早歩きしていった。走るなという言いつけを守れて偉いな。俺は頷きながらリリィの後を追って歩き出した。
「あらリリィちゃん! 今日も元気いっぱいねえ!」
「りりーまいにちげんきだよ!」
ホロがカウンターから出て来てリリィの頭を撫でる。リリィはホロの足に抱き着いて気持ちよさそうにしていた。
「ヴァイスも。いらっしゃい」
「ああ。悪いな、頻繁に来て」
「ウチは服屋よ? 毎日来られて困る事なんてないっての」
「ねえぱぱ、おようふくみてきていい?」
ホロの足に纏わりつきながらリリィが俺を見上げてくる。
「ああ、いいぞ。行ってこい」
「はーい!」
言うや否やリリィは早歩きで子供用の売り場に消えていき、あとには俺とホロだけが残された。ホロはリリィが消えていった方に目線をやりながら、昔を思い出すように呟いた。
「ホント、元気になったわねえリリィちゃん」
「そうだな」
「アンタがゲスから奴隷を買ったって言い出した時はどうなる事かと思ったけど、まさかアンタがこんなに親バカになるとはね」
「俺が親バカだと? ふざけるなよ」
俺はリリィを厳しく育てている。お菓子は毎日ひとつまでだし、家事の手伝いだって自発的にしてくれるんだぞ。甘やかしていればこうはなるまいよ。
因みにゲスは俺がリリィを買って一か月ほどで死んだ。何かトラブルに巻き込まれたらしいが詳細は分からない。ゼニスでは珍しい話でもないし、特別仲が良かった訳でもないから、それを聞いても特に何も思わなかった。これで大手を振ってリリィと外出できるな、とは思ったが。奴隷じゃなく娘にしただなどと知れたら、俺をアニキと慕っていたアイツには変に思われるかもしれなかったからな。
「自覚が無いのが面白いのよねえ」
ホロは何事かを呟き、カウンターの向こうに戻った。俺はカウンターに向き直ると本題に入ることにした。今日はこれを伝えるために来たのだ。昔話をしに来たわけでも、リリィの服を買いに来たわけでもない。
「俺、帝都に戻るつもりなんだ」
「は? 帝都? アンタ帝都出身だったの?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いたこと無いわよ。アンタ自分の事全く話そうとしないじゃない」
「そうだったか…………?」
まあ俺の過去なんて聞いても全く面白くないからな。ゼニスにはどえらいエピソードを持った奴らがゴロゴロいるんだ。そんな中でわざわざ話そうとも思わないだろ。
「それで、帰るって?」
「ああ。来月には戻ろうと思ってる」
「ふーん、そう。因みにどうして?」
ホロは興味があるんだか無いんだか、カウンターに肘をついて先を促してきた。
「大した話じゃないんだが…………ほら、ゼニスには学校が無いだろ」
「無いわね────ああ、そういうこと」
ホロはそれだけで合点がいったようだった。
「そもそも子供が全然いないからね、この街。ウチに置いてある子供用の服なんて、殆どアンタ達専用みたいになってるし」
この終わってる街ゼニスは極端に子供が少なく、もしいたとしてもその殆どは奴隷だ。そして奴隷は学校には通わない。当然の帰結として、ゼニスには教育の需要がないのだ。とんでもない話ではあるがこれが現実だった。
「俺はリリィを学校に通わせたいと思ってる。帝都には俺の母校もあるし、知り合いも多いからな」
「母校ねえ…………アンタ、そんなしっかりした所からどうしてゼニスになんか来ちゃった訳?」
「それはまあ…………色々だ」
「言う気はない、と」
「別に大した事情はないぞ? ちょっと魔法省に追われてるだけで」
「魔法省て。オオゴトじゃない。帰って大丈夫なのそれ?」
追われてると言っても、何か悪い事をした訳じゃない。ただ将来の長官候補としてスカウトされてるというだけだ。
「そこは大丈夫だ。とにかく、ゼニスはリリィの教育に悪すぎるんだよ。まともな奴は皆無だし、こんな所じゃ友達も出来ないだろ」
「それはそうね」
俺もホロも、まともではない。ホロは苦笑しながら頷いた。
「それにしても…………アンタが居なくなると色々不安ね」
「不安?」
「ほら、この悪人の坩堝であるゼニスが何とか街という形を保って来れてるのって、アンタのお陰だと思うのよね。力で押さえつけるって訳じゃないけどさ」
「それは…………どうなんだろうな」
俺がゼニスにやってきた頃、ゼニスは今の比じゃないくらい荒れていた。今のように大通りでまともに商売など出来る状態ではなかった。
俺は片っ端から暴れる奴らをぶちのめしていって、何とかゼニスは街の形を取り戻した。それで俺は街の奴らからアニキと呼ばれている。まあ、昔の話だ。
「だから、アンタが居なくなったらまた荒れるんじゃないかなーって。私はそれがちょっと不安かな」
「もし荒れたとしても、お前は大丈夫だろ」
ホロが只物じゃないことくらいは、俺も分かっている。
「まあね。でもほら、大丈夫じゃない人だって沢山いるじゃない」
「それはお前が何とかしてやれよ」
俺がそう言うと、ホロはふっと目を細めて笑った。
「嫌よ。私、善人じゃないもの」
「俺もだ。ゼニスじゃ自分の身は自分で守ることになってる。あとの事はあとの奴に任せるさ」
見知らぬ誰かがどうなろうが、はっきりいって知ったこっちゃない。俺は正義の味方じゃないんだ。
「じゃあ…………行くのね」
「ああ。もし本当にどうしようも無くなったら呼んでくれ。見知らぬ誰かの為は御免だが、お前を助ける為だったら来てやらんことも無い」
「なにそれ、告白?」
ホロがニヤッと笑う。
「この一年リリィの服を用意してくれた礼だ。ホロが居なきゃリリィは未だに素っ裸だった」
ホロが口を開こうとして────そこで洋服を持ったリリィが早歩きでこちらに歩いてきた。
「ぱぱ、これかってー!」
リリィが洋服を俺に差し出してくる。俺はそれを受け取ると金貨をカウンターの上に置いた。足りない事はないはずだ。ホロも俺の意図を組んだのか釣りを返そうとはしなかった。今まで世話になったな。
「リリィ、ホロねーちゃんにばいばいは?」
「ほろおねーちゃん、ばいばーい!」
「またな、ホロ」
「ええ。またねヴァイス、リリィちゃん」
ホロはいつもと同じ笑顔で俺達を見送った。
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