昏睡開花 ~埋もれたはずの才能は剣と魔状の世界で花開く~

@fuka_doppo

第0話 幕間(二年後)

―未来なんて、ちょっとしたはずみで、どんどん変わるから


 と言ったのは青いタヌキらしい。

 流石は未来から来たネコ型ロボット、言葉に含蓄がある。

 なにがきっかけで、なにが引き金になって人生が変わるかはきっと神でもわからない。

 

――


 ここは地方都市の療護センター。


 療護センターは重度の意識障害を負った患者の治療と看護を行う場所であり、未だ意識不明で病床に伏したままの者も多い。

 

 沢辺さわべ千晴ちはるは療護センターに勤める看護師である。


 ここに入院している患者は自分の意思を上手く伝えることができない。なかなか意思疎通ができず、千晴は自身の力量不足に歯噛みすることも数多い。

 そして昏睡状態から回復しても以前と同じように生きることは難しい患者ばかり。回復後の患者の現実を見るにつけ、この頃は目覚めることが、果たして良いことなのかどうかさえ曖昧になっていた。


(次は二年も昏睡状態が続く患者さん)


 挨拶して病室のドアを開ける。この患者の親御さんは地方都市にあるこの療護センターから離れた地方に住んでおり、月に二、三度の来訪が限界であるらしい。


 万万が一現状から回復したとしても、素直に喜んでくれるだろうか。

 千晴としては、もし親御さんが回復を歓迎しなくともそれは致し方ないと思った。


 意識が回復した喜びの後も人生は続く。健常者前提の社会で。その現実に寄り添うのは医者でも看護師でもなく、夢から覚めた当人と支える立場の人たちだけ。もう回復することが完全無欠に良いこととは、どうしても思えなかった。


 患者に近づく。『波戸はと』と書かれたプレートが目に入る。と―

 

 「ぁいっ!」

 

 ぼんやりしていたから、ベッドの脚にけつまずいてしまった。

 いかんいかん、最近リリースされたVRMMOを深夜までやり込んでいたせいだろうか。同時に何かが落ちた音もした。

 胸ポケットのボールペンがベッドの下に転がったことに気付く。床に膝をつき、目いっぱい手を伸ばすことしばし。何とかペンの救出を終えると本来の仕事に戻る。


 割と強めに蹴とばして揺れたベッドに近寄り、患者の様子を確認する。

 まだ若い。薄い唇に高めの鼻梁。奥二重のすっきりとしたイマドキの顔立ち。


 瞳の色も真っ黒で、綺麗な目をしている。

 

 ……

 ……きれいなめをしているね?


 きちんと理解する前に背中に鳥肌が立ったその時、目の前の酸素マスクが曇った。


 (自発呼吸!?)


「え!? ええ?息してる!?」 


 思わず叫び、テンパったままの勢いで周囲を見回し、視界を掠めたナースコールを引き千切るように掴んだ。

 

「すみません沢辺です! 502の患者さん、目が開いてて、じゃない、自発呼吸しています! あ、目も開いてますけど! えーと、すぐに担当医お願いします!」


 コールを受けた同僚の返事は「は?」と「え!?」しか聞こえなかったが彼女らもプロ。伝えたことは遂行してくれるだろう。


(とりあえず意識確認を!)


「えっと、そう! 波戸さん!? 波戸さん聞こえますか!?」


 声の方向に眼球が動けば十分な反応だが、ここでも予想外のことが起きた。

 波戸という患者は大きく咳き込み、何度かゆっくりな深呼吸をしているように見えた。酸素マスクの中の口元がはっきりと動く。


「ぜはっ。っはぁー……ここ、日本ですよね。病院……?」


 既に混乱という山のいただきにいた千晴は、波戸の声を聞いて遂には天をも突き抜ける。


「しゃべ、しゃべったぁ!? うそぉ!」


 驚きすぎてこちらまでむせてしまった。

 

「えっと、看護師さん、ですよね。大丈夫ですか?」


 お前がいうなと思ったが、ツッコミを唾と一緒に飲み込むと、涙目で接続されたモニターを見て一つ一つ異常がないかをチェックする。 

 自分が判断できる範囲では問題は見当たらないことを確認し終えた途端、アドレナリンが霧散し、と同時に疲労が押し寄せる。

 そろそろ医師も来るだろう。それまではベッドの上で心配そうにこちらを見、酸素マスクを外してよいか悩んでいる様子の男に目をやった。


「失礼しました。あ、波戸さん、身体を無理に動かさないで。二年ほど寝たきりだったんです。まだ動けませんよ」


 できる限り聞こえやすく語りかけた後に身体を優しく押しとどめつつも、心の内の動揺は消えない。寝たきりで上手く口が動かせない、意識が混濁していてもおかしくない人間がなぜいきなり話せるのか。混乱した頭で何とか言葉の接ぎ穂を探すが、上手い話しの切り出し文句が出てこない。


「えー……お加減はどうですか?」


 

 寝たきりだった人間にお加減を聞いてしまったが、「失敗した」という表情を察したのか、マスク越しの波戸が少し笑った。


「そうですね、悪くないですよ」


 約二年昏睡していた彼の軽い返答につい笑う。

 その時、目の前の景色がぼやけてうっすらにじんだ。


 ―大丈夫だ。この人は、たぶんだけど大丈夫だ。


 今までの身体には戻れない人間も多い。その現実に、向き合わねばならなくなる事は幸運と言えるのか。私は自信がなかった。

 そんな穿うがった考えが堂々巡りし、仕事への意義を忘れそうになっていた。意識を回復させること、社会復帰できるよう機能を回復させることが本当に意味のあることなのか。長い迷路を騙し騙し進むような閉塞感。


 でも仕事をしていれば稀に奇跡だって起きる。


 私の仕事では奇跡を起こすことはできない。奇跡が起きる可能性を、1パーセントでも上げる事だ。そのために日夜私たちはできることを粛々とこなしている。  

 勝手かもしれないが、その先に待っているのが幸福かどうか、それは本人と周囲に判断してもらえばいい。結局は他人の人生なのだから、今はただできることを全力でやればいい。


「……どうしました?」

「あー、いえいえ。何でもありません。あ、担当の沢辺と言います。そういえば波戸さん」


 気づかれてはないはずだが、泣いた恥ずかしさをごまかすように質問を返す。


「先ほど『ここは日本か?』って言ってましたね。どこか別のところに行ってらっしゃったんですか?」


 擬態しているが異世界や死後の世界の話は大好物のほぼオタクである。二年を掛けて過ごした長い夢の世界はどんなものだったのか純粋に興味があった。

 

 波戸さんは少し考えた後、うなずいた。うん。痩せているが顔が良い。


「はい、とても遠いところでした」

「あらら、そうなんですね。どんなところでしたか」


「そうですね。――剣と魔状の世界で、十三歳から人生生きなおしていたんです」

「……ほうほう」


 少し訂正。

 本当に奇跡が起きたかは、頭を検査し終えてから判断しよう。

 慌ただしい足音が聞こえてくる中、千晴はこっそり誓った。

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