昏睡開花 ~埋もれたはずの才能は剣と魔状の世界で花開く~

@fuka_doppo

第0話 幕間(二年後)

―未来なんて、ちょっとしたはずみで、どんどん変わるから


 と言ったのは青いタヌキ。未来から来たネコ型ロボット。

 さすがである。言葉に含蓄がある。

 なにがきっかけで人生が変わるかは、たぶん神でもわからない。


*******


 ここは地方都市の療護センター。


 療護センターは重度の意識障害を負った患者の治療と看護を行う場所であり、未だ意識不明の患者も多い。

 

 沢辺さわべ千晴ちはるは療護センターに勤める看護師である。


 ここに入院している患者は自分の意思を上手く伝えることができない。なかなか意思疎通ができず、千晴は自身の力量不足に歯噛みすることも多かった。

 そして昏睡状態から回復しても以前と同じように生きることは難しい患者ばかり。回復後の現実を見るにつけ、この頃は目覚めることが、果たして良いことなのかどうかさえ曖昧になっていた。


(次も変わらず昏睡状態が続く患者さん……)


 挨拶して病室のドアを開ける。この患者の親御さんは地方都市に建つこのセンターから離れた場所に住んでおり、月に二回程度の来訪が限界とのことだった。


 万万が一現状から回復したとしても、素直に喜んでくれるかはわからない。

 千晴としては、もし親御さんが回復を歓迎しなくともそれは致し方ないと思った。


 患者に近づく。『波戸はと』と書かれたプレートが目に入る。と―

 

 「ぁいっ!」

 

 ぼんやりしていた千晴は蹴るようにベッドの脚にけつまずいた。


「す、すみません」


 そして返事のない空間へ、誰へともなくひとまず謝る。


 いかんいかん、最近リリースされたVRMMOを深夜までやり込んでいたせいだろうか。憂鬱を解消するために始めたゲームは今や千晴の趣味だった。

 同時に何かが落ちた音もした。

 胸ポケットのボールペンがベッドの下に転がったことに気付く。床に膝をつき、目いっぱい手を伸ばすことしばし。何とかペンの救出を終えると本来の仕事に戻る。


 割と強めに蹴とばして揺れたベッドに近寄り、患者の様子を確認する。

 まだ若い。薄い唇にほどよく高い鼻梁。


 奥二重のすっきりとしたイマドキの顔立ち。

 瞳の色も真っ黒で、綺麗な目をしている。

 


 ……

 ……きれいなめを、しているね?




 きちんと理解する前に背中が震えたその時、入院着を着てねたきりであったはずの患者が咳き込み、瞳が私を捉えた。


「え!? ええぇ!?」 


 思わず叫び、テンパったまま周囲を見回し、視界を掠めたナースコールを引き千切るように掴んだ。

 

「すみません沢辺です! 502の患者さん、目が開いてて、じゃない! あ、目も開いてますけど! えーと、いつもと様子違います! すぐに担当医お願いします!」


 コールを受けた同僚の返事は「は?」と「え!?」しか聞こえなかったが彼女らもプロ。伝えたことは遂行してくれるだろう。


(とりあえず意識確認を!)


「なんだっけなんだっけ。 そう! えーと誰だっけ!? 違う、すみません、波戸さん!? 波戸さん聞こえますか!?」


 声の方向に眼球が動けば十分な反応だが、果たして波戸はかさついた唇を億劫そうに開いた。


「ぅぁ。……あの、ここ、日本ですよね。病院……?」


 既に混乱のいただきにいた千晴は、波戸の声を聞いて遂には天をも突き抜ける。


「しゃべ、しゃべったぁ!? うそぉ!」


 驚きすぎてこちらまでむせてしまった。

 

「えっと、看護師さん、ですよね。大丈夫ですか?」


 お前がいうなというツッコミを唾と一緒に飲み込むと、涙目で接続されたモニターを見て一つ一つ異常がないかをチェックする。 

 自分が判断できる範囲では問題は見当たらないことを確認し終えた途端、急激にアドレナリンが霧散し、同時に疲労が押し寄せる。

 そろそろ医師も来るだろう。それまでは2年意識のないわりにいきなりしゃべった大谷翔平並みに規格外なこの男が急変しないよう、なるべく言葉を交わすことに努めようと考えた。


「失礼しました。あ、波戸さん、身体を無理に動かさないで。二年ほど寝たきりだったんです。まだ動けませんよ」


 できる限り聞こえやすく語りかけた後に身体を優しく押しとどめつつも、心の内の動揺は消えない。寝たきりで上手く口が動かせない、意識が混濁していてもおかしくない人間がなぜいきなり話せるのか。混乱した頭で何とか言葉の接ぎ穂を探すが、上手い話しの切り出し文句が出てこない。


「えー……お加減はどうですか?」


 

 寝たきりだった人間にお加減を聞いてしまったが、「失敗した」という表情を察したのか、マスク越しの波戸が少し笑った。


「そうですね、悪くないですよ」


 約二年昏睡していた彼の軽い返答につい笑う。

 その時、目の前の景色がぼやけてうっすらにじんだ。


 ―大丈夫だ。この人は、たぶんだけど大丈夫だ。


 今までの身体には戻れない人間も多い。その現実に、向き合わねばならなくなる事は幸運と言えるのか。私は自信がなかった。

 そんな穿うがった考えが堂々巡りし、仕事への意義を忘れそうになっていた。意識を回復させること、社会復帰できるよう機能を回復させることが本当に意味のあることなのか。長い迷路を騙し騙し進むような閉塞感。


 でも仕事をしていれば稀に奇跡だって起きる。


 私の仕事では奇跡を起こすことはできない。奇跡が起きる可能性を、1パーセントでも上げる事だ。そのために日夜私たちはできることを粛々とこなしている。  

 勝手かもしれないが、その先に待っているのが幸福かどうか、それは本人と周囲に判断してもらえばいい。結局は他人の人生なのだから、今はただできることを全力でやればいい。


「……どうしました?」

「あー、いえいえ。何でもありません。あ、担当の沢辺と言います。そういえば波戸さん」


 気づかれてはないはずだが、泣いた恥ずかしさをごまかすように質問を返す。


「先ほど『ここは日本か?』って言ってましたね。どこか別のところに行ってらっしゃったんですか?」


 擬態しているが異世界や死後の世界の話は大好物のほぼオタクである。二年を掛けて過ごした長い夢の世界はどんなものだったのか純粋に興味があった。

 

 波戸さんは少し考えた後、うなずいた。うん。痩せているが顔が良い。


「はい、とても遠いところでした」

「あらら、そうなんですね。どんなところでしたか」


「そうですね。――剣と魔状の世界で、十三歳から人生生きなおしていたんです」

「……ほうほう」


 少し訂正。

 本当に奇跡が起きたかは、頭を検査し終えてから判断しよう。

 慌ただしい足音が聞こえてくる中、千晴はこっそり誓った。

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