第109話 独占欲(2)
耳元から口を離して、観察するように私の顔をじっと見つめている。
目を合わせることなんて日常茶飯事なのに、自分でも驚くほど視線が泳ぎまくってしまう。
人生で一番見られるのが恥ずかしいと感じる瞬間が、まさしく今だった。
夕莉はそんな私の反応を楽しむかのように、何かを企んでいそうな表情で笑いながら耳を弄り始めた。
指の腹で輪郭をなぞり、耳朶をゆっくり擦る。
いやらしい手つきが、些細な刺激すらも大きな快感へと昇華させていく。
「赤くなってる」
クスリと微笑みながら、夕莉が囁いた。
"何が"とは言わないあたり、余計に羞恥心を煽られる。
……言われなくてもわかっている。
耳や顔だけじゃなく、体全身が爆発寸前のように熱くなっているから。
悪寒が治らず、眉間に力が入る。
いつまで耐え続けなければならないのか。
身動きできないように手を縛られて馬乗りされて、弱いところを執拗に攻められて、抵抗できない姿を見て楽しんでいる。
こんなの完全に拷問だ。
夕莉が嫉妬するような行動をとってしまったことは、確かに悪かったと思う。
けれど、これはいくらなんでもやりすぎじゃ……。
「ピアスはいつから付けているの」
耳朶を弄くり回していた夕莉がふと手を止めて、ピアスを触った。
まさかそのまま引っ張ったりしないよね……と、ヒヤヒヤしつつ。
「なんで今……」
呑気に会話をしようと思えるのか。
そう反論しようとした矢先、突然耳に強く口付けされた。
小刻みに動く舌先が、耳の表面を舐めていく。
またしても声が漏れそうになり、咄嗟に息を押し殺す。
……そういや拒否権はないんだった。
ピアス……いつからだっけ。
思い出せない、というかそれどころじゃないくらい頭が全く回らない。
今少しでも口を開けたら、喘ぎ声でも出してしまいそうだ。
返答できずにひたすら我慢している間にも、口付けはどんどん深くなっていく。
「っ……覚えて、ない」
息も絶え絶えに、かろうじて答えを返す。
この返事で夕莉が納得してくれるか、なんて考えられるほどの余裕はなかった。
とにかくこの状況から早く解放されたくて、自棄気味に吐き捨てる。
「そういえば、三年前のあの時には付いていたわね。今と同じものだったかしら……」
ピアスの周りに舌を這わせながら、独り言のように呟く。
私が死に物狂いで返した言葉はあっさり流されたようだ。
お仕置きだからって、好き勝手弄んで……。
奥歯が軋むほど強く歯を食い縛り、ぎゅっと目を瞑る。
五感が敏感になりすぎて、いよいよ我慢が利かない。
恥を捨てて許しを請おうと、息を吸い込んだ時。
夕莉の舌が耳の中にねじ込んできた。
「んぅっ……!」
やば……変な声出た。
十七年生きてきた中で、初めて発した声。
これが自分の声帯から出てきたものだなんて信じられなかった。
いきなり襲ってきた強烈な刺激に、体がビクッと跳ねる。
さすがにもう耐え切れない。
口を押さえることも顔を隠すこともできず、醜態を晒し続ける苦痛を味わいながら今の私にできることは、赤面しながらただ顔を歪めるだけ。
舌を動かす合間にされる夕莉の息継ぎは、どこか余裕がない。
耳に唇を押し当てたまま、切なげに吐息を吐き出した。
「そんな声出されたら、もっといじめたくなる」
何かのスイッチが入ってしまったのか。
途端、舌の動きが激しくなった。
耳の奥で忙しなく蠢く。
グチュグチュと、わざとらしく立てる音が脳に直接響いて、背中のゾクゾクが止まらない。
舌で耳を塞がれて、まるで水中にいるような感覚だった。
「もう……やめ――」
「ここでやめたらお仕置きの意味がなくなるでしょ」
慈悲の欠片もなく、耳をしつこく蹂躙したまま、今度ははだけたブラウスのさらに下――インナーの中に手を忍び込ませた。
お腹の上を指先がなぞるように滑り、あまりのくすぐったさで反射的に身悶える。
「ゆう、り……っ」
縋るように、やっとの思いで絞り出した声も、今の彼女には届かない。
それどころか、行為の激しさは容赦なく増していく。
快楽に押し潰されて我を忘れるのは、もはや時間の問題だった。
それでも、絶対に呑まれてはいけない。
乱れる呼吸を必死に整える。
お腹を弄っていた夕莉の手が背中に回され、ホックに指がかかった時。
「夕莉ッ!」
悲痛の叫びに、ようやく彼女の動きが止まる。
しばらく硬直した後、ゆっくりと耳から舌を抜いてくれた。
服の中には手を入れたままだけど……。
おもむろに私と顔を合わせた夕莉の目は、発情しているかのようにトロンとしていた。
その表情で、不覚にも性欲を唆られる。
まさか夕莉も一緒に気持ちよくなってた、とか……いや、そんなことは今はどうでもいい。
「ほんとに、これ以上は……むり…………おかしくなりそう、だから……」
快感の余韻をどうにか抑えながら懇願する。
夕莉は僅かに目を見開いて、顔を俯かせた。背中に回された手がピクリと動く。
また何かされるのかと思い一瞬怯んだものの、身震いするような刺激はいつまで経ってもやってこない。
と思いきや、私の両手首を縛っていたネクタイをそっと解いてくれた。
俯いたまま、ぽつりと打ち明ける。
「……抱き締めていたのもそうだけど……あの笑顔が、他の人にも向けられていたことが、一番……癪だった」
……なるほど。スキンシップ以外にもそんなところまで見られてたんだ。
笑顔、ね……。
以前から他の人に対しても笑うことくらいあったはず……と言い訳が浮かんだけれど、よくよく考えてみれば私が夕莉の立場でもやっぱり嫉妬するな、と。
今まで無表情で無愛想だった子が私にだけ笑顔を見せてくれる、と思いきや他の子にも笑うようになった、みたいなシチュエーションなら……あー、ちょっとイヤかも。
「私以外には笑わないで」
「んー、できるかな……」
夕莉を嫉妬させるような言動は極力とりたくないけれど、やっぱり物事には限度が……と思って出た言葉を最後まで言い切る前に。
首筋にかぷっと歯を立てられた。
チクリと痛みが走る。
「……わかりました」
肯定以外は何が何でも許さないという圧力に、呆気なく屈した。
不機嫌にさせたらどうなるかを文字通り体に教え込まれた挙げ句、弱みまで握られたのだから、今後彼女には一生逆らえないような気がする。
何はともあれ、これでお仕置きは済んだらしい。
安堵のため息を漏らしながら、太腿の上に跨がる夕莉に退いてもらうため声をかけようとした時、彼女が突然私の胸にしなだれかかってきた。
今は両手が自由に使えるから、いざとなれば自衛できる。
とはいえ、さっきに比べたら危ない雰囲気は感じられない。
どうしたんだろうと思い、少しだけ警戒しながらも夕莉の行動を静観する。
首筋に顔を埋めてきたかと思えば、はむはむと何やら一生懸命唇を押し当てていた。
舌で舐めたり、歯を当てたり、唇で甘噛みしたり。
まだ敏感になっているせいか、痛みよりも気持ちよさが勝って、何だかムズムズする。
「……? 何して――」
一向にやめる気配がなく、気になって視線を向けようとしたら、
「いったあッ??!」
意識が飛びそうになるほどの激痛が首筋に走り、絶叫が部屋中に轟いた。
突然襲った痛みに、頭がパニックになる。
ちょっと待って……皮膚噛みちぎられた……?
「え……なんで……?」
首筋を押さえながら、涙声で夕莉に訴える。
しかし、なぜか痛みを負わせた本人が驚いたように目を丸くして、すぐさま気まずそうに視線を逸らしてしまった。
私の体に一体何が起こったのか。
その真相を確かめるべく、ブレザーのポケットにしまっていたスマホを取り出し、インカメにして首筋にかざす。
……あ、よかった。噛みちぎられてはいない。
「……何これ」
「…………キスマーク」
「どう見ても歯形じゃんッ!」
くっきりと、芸術的なまでに綺麗な歯形の跡が刻まれている。
相当深く噛みつかれたせいか、この感じだとおそらく一日二日程度では跡は消えない。
だからこそ問題なのは、歯形をつけられた場所だ。
「こんなところ噛まれたら思いっきり見えちゃうんですけどッ」
「……知らない」
我関せずといった態度でシラを切る。
自分の過失は認めないってか……いや、もしかしたらここまでがお仕置きだったのかもしれない。
こんな仕打ちを受けなければいけないほど罪深い行為を犯してしまったのか私は……。
でこぼこした歯形を摩っていると、夕莉が上目遣いで恐る恐る聞いてきた。
「痛かった……?」
「痛くなかったら叫ばないでしょ……」
「…………」
落ち込んだような表情で視線を落とす。
再び顔を上げると、私の首に手を添えてきた。
また噛みつかれるのではと思い、反射でピクッと肩が跳ね上がる。
しかし、夕莉の手つきは意外にも優しかった。
労わるように、歯形の跡をそっと指先で撫でている。
「……次はちゃんと、上手くできるようにするから」
申し訳なさそうに呟いて、目を伏せた。
私を痛めつけて喜んでいるようには到底見えないし、むしろ反省しているのか、最初の強気な態度が嘘のように大人しくなっている。
もしかして、だけど。
キスマークを付けようとしたもののやり方がわからなくて、いろいろ試しても結局上手く付けられなくて、思い通りにいかず最終的に噛んでしまった、とか?
だとしたら、こうしてへこんでいる姿にも納得がいく。
きっと歯形をつけるつもりなんてなかったんだろうなと思うと、しゅんとしている夕莉がとても愛おしく感じられた。
……もう、仕方ないな。
「夕莉、こっち向いて」
俯き気味な彼女に、優しく声をかける。
躊躇いながらも、ゆっくり目を合わせてくれた夕莉の頬を撫でてから、ネクタイに手をかけた。
模範生らしく一番上まで締められたネクタイを少しだけ下げて、ブラウスの第一ボタンに触れる。
「ここのボタン、外してもいい?」
怯えたように小さく肩を震わせて、夕莉が私の手を掴んだ。
「奏向……怒ってる……?」
「全然。怒ってないよ。乱暴したりしないから、力抜いて」
空いている手を握り、安心させるように言い聞かせると、意を決したのかゆっくり腕を下ろしてくれた。
左手は夕莉と繋いだまま、右手でボタンを外していく。
第二ボタンまでで大丈夫かな。
襟を広げると、白い肌と程よく浮き出た鎖骨があらわになった。
優しく鎖骨にキスを落とす。
唇の弾力を感じてもらうためにじっくりと、そして深く押し当てていく。
「あっ……」
舌先で肌を舐めると、小さな喘ぎ声を漏らした。
怯えていたのに、こうして身も心も預けてくれることが堪らなく愛おしい。
もっと、気持ちよくさせたい。
鎖骨周りを充分堪能してから、今度は首筋に口付けする。
ソフトな接触ではなく、貪るような大胆さで。
首筋には激しい刺激を与えていく。
咥えるように深いキスをして、舌全体をねっとりと這わせて、時には肌を吸い上げて。
「ぅ、んっ……!」
喘ぎを我慢するような声にさらなる昂りを覚えながら、歯止めがかからなくなる前に何とか理性を保つ。
最後に、喉元を辿り顎先まで舐め上げた。
ブルッと夕莉の体が小さく震える。
「嫉妬させてごめん。これだけは伝えさせて。抱き締める以上にもっとドキドキすることしたいって思うのは夕莉だけなんだよ。……これでもまだ不安になる?」
「……っ」
一瞬で顔を真っ赤にさせると、何かを堪えるように唇を引き結び、ぎゅっと私を抱き締めた。
肩に顔を埋めながらスリスリしつつ、無言を貫いている。
繋いでいる手が僅かに動いた後、静かに口を開いてくれた。
「……自分でもよくわからないの。奏向を束縛したいわけではなくて……交友関係に干渉するつもりもない……でも、奏向が誰かと仲良くしているところを見ると、無性に……落ち着かなくなる。……ごめんなさい。もっと、冷静になるべきだったと……思う」
弱々しく吐き出された言葉が、いかに反省しているかを物語っていた。
謝られなくても最初から受け入れるつもりだったし、そもそも事の発端は軽率な行動をとった私にある。
いつまでも離れようとしない夕莉の背中を摩りながら、包み込むように抱き締め返した。
* * *
自宅のマンションまで夕莉を送り届けた奏向は、事情を知った杏華から大きめの絆創膏をもらった。
恥ずかしそうに苦笑する奏向とは反面、夕莉は無表情を貫いていた。
逆に清々しいほど何の反応もないのは、照れ隠しの究極形であることを杏華は知っている。
お礼を言ってマンションを後にした奏向を見送り、杏華はやれやれと小さなため息を吐きながら、失態を演じた夕莉に忠告した。
「やきもちを焼くのは構いませんけれど、ほどほどにしてくださいね。このままだと奏向さんの身が持ちません」
「……わかっているわ」
制服から部屋着に着替えた夕莉が、リビングのソファーで心なしか縮こまっている。
自分のしてしまった行為に負い目を感じているようで、奏向が帰った後から何度もため息をこぼしていた。
そんな夕莉を少しでも元気づけるため、隠し味にバターを加えたホットココアをそっと差し出す。
夕莉の様子をちらっと覗き見た杏華は、彼女のある異変に気付いた。
「お嬢様、首元に赤みが……虫刺されですか?」
「え……?」
鎖骨より少し上、服の襟元でギリギリ隠せるかどうかの境目に、内出血したような一円玉サイズの赤い跡がついていた。
何のことか気付いていないような反応で、夕莉は小首を傾げる。
近くで首元を観察した杏華は、赤い跡の正体を察して笑みを浮かべた。
「……なるほど。ご自身で確認してみてください」
「……?」
もったいぶる杏華に怪訝な視線を送りながら、夕莉は渋々洗面所へ向かう。
鏡の前に立ち首元を見ると、驚きに目を見開いた。
これは――奏向の体に残したかったもの。
いつ付けられたかわからないほど、全く痛みを感じなかった。
むしろ、気持ち良さで快楽に溺れてさえいた。
首元に入れ込まれた跡を指で触れる。
ブラウスの第一ボタンまでしっかり留めれば、充分隠せる場所。
頬を染めた夕莉は、抑えきれない喜びで僅かに顔を綻ばせた。
* * *
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