第44話 抗議(2)

 不祥事を起こしてしまったという自覚があるから、言い逃れをすれば自分の首を絞めることになる。

 こうして言葉を詰まらせている間にも、咲間先生が怪訝そうに私と加賀宮さんを交互に見ていて、言及されるのは時間の問題だった。


 正直に白状するべきか、証拠がないのだからシラを切るか。


 以前の私なら「騒動起こしましたけど何か?」と悪びれもなく太々ふてぶてしい態度をとっていたかもしれない。

 けれど、今は状況が違う。

 私は、学院に通い続ける道を選んだから。


 問題を起こしたことが公になり、謹慎や停学の可能性が出てきてしまえば、もう救済の余地はないだろう。

 間違いなく今度は退学になる。


 騒動が始まった時点では、学院の関係者は私しかいないと思っていたから別に大丈夫だろうと、昔の軽いノリで考えてしまっていた。

 まさかこんな面倒臭い人に嗅ぎ回られるとは……。


「咲間先生。二色奏向は校則違反に値する行為を――」

「加賀宮さん、それは今ここで話すべき内容ではないと思う」


 迷いなく告発しようとした加賀宮さんの発言に、間髪を容れず夕莉が遮る。


 今まで夕莉には口答えしなかった加賀宮さんが、今回ばかりは納得いかないと主張するように眉根を寄せた。


「なぜです? 夕莉さんも彼女の事情をご存知なのですよね。健全な他の生徒に悪影響を及ぼしかねない厄介者を野放しにしておくというのですか」

「では訊くけれど、その情報源はあなたが直接現場を目撃した、もしくはあの場にいた当事者から直接話を聞いて得たものなのかしら」

「……いえ。どちらでもありませんわ」


 気まずそうに一瞬だけ目を逸らす加賀宮さん。

 確かな情報源ではないのに、怪しむことなく"やったに違いない"と断言できる根拠は何だろう。

 実際、やってしまってはいるんだけど……。


 これが日頃の行いというものなのか。

 決定的瞬間に立ち会っていなくても状況証拠が少しでもあれば真っ先に疑ってしまうほど、私のことを毛程も信用していないんだろうな、彼女は。


「なら、まずは彼女に事実確認をして、問題行動を起こしたという確たる証拠を揃えてから告発するべきね。ストーカー疑惑の件も結局は誤想だったのだし、一方的に決めつけるのは早計よ」

「……確かに、それは思い違いだったかもしれませんが……問題は害心の有無に関わらず客観的に見て不当だと思われるような行為をしてしまっているかどうかでしょう。それにお言葉ですが、夕莉さんの主張は彼女に肩入れしていると思われてもおかしくないような言い分に伺えてしまいますわ」

「これはあくまで中立的な立場としての意見よ。あなたこそ、彼女に対して必要以上に強硬的な態度で接しているように見受けられるわ。どうしても納得がいかないというのなら、解決するまで私もできる限りの支援はする……けれど今だけは、私の顔を立ててくれる?」

「ですがっ……」

「お願い」


 真剣な眼差しで見つめる夕莉に折れたのか、加賀宮さんは見るからに悔しそうな表情で閉口してしまった。


 両手を強く握り締め、歯ぎしりが聞こえてきそうなほど歯を食い縛りながら目を伏せると、独り言のようにぼそっと呟く。


「……ずるいです。そんなお顔をされたら、従うしかないじゃありませんか……」


 当事者を置き去りにして唐突に始まった二人の口論は、加賀宮さんが再び恨めしげに私を睨んで収まった。

 告げ口しようとしていたのに黙り込んでいるあたり、これ以上言及する気はないようだ。


 九死に一生を得たような気分とは、まさにこのことだと思う。

 学院に入学してから、今日が最もヒヤヒヤした日かもしれない。


 もしこの場に夕莉がいてくれなかったら、自分の犯した行為を肯定も否定もできず、ただ一方的に糾弾されてさらに厄介な事態になっていただろう。


「……なになに? 結局何だったの? 二色さんがどうかした?」

「いえ、何でもありません」

「"校則違反"って、ちらっと聞こえたけど……」

「内輪の問題で先生にご相談するほど大袈裟なことではないので、お気になさらず」

「そうなの? 神坂さんがそこまで言うなら……でも、また何かあったら遠慮なく声かけてね。生徒間だけで解決できないこともあるだろうし、いつでも力になるから」

「ありがとうございます。加賀宮さんもこれ以上話したいことはないそうなので、咲間先生は職務にお戻りいただいて大丈夫です」


 半ば無理やり押し通した感はあるけど、流されやすい咲間先生はあっさり受け入れて笑顔を浮かべた。


 ひとまず、先生を交えた面談もとい尋問は一通り終わったらしい。


 夕莉に促され席を立った咲間先生は、「あ、恋の相談も乗るよ」と余計な一言を付け加えて生徒会室を後にした。

 多分、いや絶対、そのことについて相談をする日は一生来ないだろうけど。


 ムードメーカー的存在だった咲間先生が退場し、非常に気まずい空気だけが残される。


 完全に私が声を上げられる雰囲気ではなかった。その原因の一つが、加賀宮さんの怨恨に塗れた眼光にある。

 心なしか、初めて対面した時より殺気が増していた。


 私以外のどちらかが――というより、夕莉が口火を切ってくれないと、居た堪れない状況のまま永遠にここから出られない気がする。


「……奏向、この会合は一旦終わりよ。先に昇降口で待っていてくれる?」

「……わかった」


 思ったより早く救いの手が差し伸べられ、内心ガッツポーズ。

 ただ、呑気に喜べる精神状態でもないので、ここは大人しく夕莉の指示に従って部屋を出ることにする。


 去り際に加賀宮さんの顔をチラ見すると、仁王像の如く悍ましい怒り顔で私を睥睨していた。

 そこらの小虫や小動物なら、視線だけで逝かすことができるのではなかろうか……。


 歩くたび、針のように鋭い視線を背中に痛いほど感じながら、私はゆっくりとドアを開けた。



  * * *



 憎き問題児が生徒会室から退室するのをしかと見届けてから、詩恩は堪らずため息を吐いた。


 生徒会役員として、私情だけで生徒に厳しく接してはいけないことは留意していたが、それでも素行不良で風紀を乱しまくる二色奏向だけは、前々からどうしても気に食わないと思っていた。


 そんな要注意人物をようやく学院から追い出す機会が巡ってきた矢先に、最も敬慕する人から突きつけられた受け入れ難い事実。

 胸が張り裂けそうだ。


 奏向と夕莉が一緒にいる場面を見かけるようになったのは、四月の始業日からだった。


 最初は幻覚でも見ているのかと、自分の目を疑った。

 学院一の優等生と学院一の劣等生が同じ空間にいるなど、我ながら質の悪い妄想だと自嘲して。


 しかし、それが幻覚などではないと思い知るのに、そう時間はかからなかった。


 その後も、二人が中庭で寛いでいるところや、毎日登下校しているところ、果ては食堂で昼食を共にしているところまで。

 信じられない確率で二人一緒の瞬間を多々目撃してしまうのだ。


 絶対に起きてはならない由々しき事態だと、詩恩は危機感を募らせた。


 これは何かの間違いだ。

 我が校の模範生である生徒会長が、前代未聞とまで評された不良と同じ空気を吸って良いはずがない。


 夕莉はきっと自分の意志ではなく、脅されているか何かで仕方なく一緒にいるに違いないのだと。

 でなければ、何もかも正反対な二人が関わりを持つなんてあり得ない――。


 どうにかして問題児を夕莉から引き剥がすことはできないか。暇さえあればそんな悩みばかり考えていた頃。


 複数の生徒から、夕莉がストーカーに遭っているかもしれないという相談を受ける。

 心当たりはあった。

 やはり、客観的に見てもあの金髪は、強引に夕莉の傍に居座っている。この事実を利用しない手はない。


 さらに、珍しく会議を無断欠席した茅への説教中、偶然にも近くの公園で柄の悪い輩たちと二色奏向が対峙しているとの情報を聞き出した。


 とうとう問題を起こしてしまったのか。

 詩恩はありとあらゆる手段を使って、当時その公園で何があったのかを調べた。


 そして、額に大きな絆創膏を貼ってきた今日の奏向の姿を見て確信した。


 あとは彼女を問い詰めて、自身の罪を認めさせるだけ――だったというのに、ここに来てなぜ二人が付き合っているというあるまじき密事を知らされる羽目になったのか。

 ますます奏向への敵愾心が強くなった。


 怒りが冷めやらぬまま貧乏揺すりをしそうになるが、隣に夕莉が座っているので見苦しい振る舞いは見せられない。


 何とか平静を装おうと深呼吸するも、息を吐くたびに奏向の悪びれない態度を思い出してさらに苛立ちが増す。


 夕莉にも色々と訊きたいことがあるのに、この状態だと感情のままに余計なことまで吐露してしまいそうだ。


 そんな葛藤の中、先に沈黙を破ったのは夕莉だった。

 衝撃的な発言をしてから今この瞬間も一切顔色を変えないまま、淡々と詩恩に質問する。


「木崎さんから訊いたわ。あの子を呼び出すつもりでいると。どうして勝手に話をつけようとしたの?」

「……二色奏向は学院にとって、何より夕莉さんにとって害を及ぼす存在ですの。どのような生徒に対しても平等に接する寛容な貴女でも、彼女に幾度となく振り回されるお姿はさすがに看過できませんでした」

「……振り回されているのではなくて、私の意志であの子と一緒にいるのよ」

「わたくしはお付き合いされているなどという根も葉もない戯事たわごとを断固として信じませんのでご安心を。必ずやあの蛮人を放逐し、学院の安寧と夕莉さんの純潔をお守りしますわ」

「…………」


 詩恩の暴走した思考に何も言えなくなったのか、夕莉は視線を落として小さく息を吐いた。


「……加賀宮さん」


 改まった口調で呼ばれ、詩恩は愛おしげに、しかしどこか哀愁を帯びた目で微笑む。


 夕莉と共に過ごしてきた時間が長いのも、夕莉の好き嫌いを知っているのも、突然現れた得体の知れないあの不良ではなく、自分の方であるはずなのに。

 未だに彼女は、心に壁があるかのように一線を引いている。


「夕莉さん。以前よりお願いしておりますが、"詩恩"とお呼びいただけませんか?」

「……あなただけだと話を誇張しかねないから、この件は後日、三人で改めて話し合いましょう」

「"詩恩"と──」

「お疲れ様」


 用は済んだとばかりに夕莉は立ち上がり、詩恩に背を向ける。

 後ろ姿を見送る詩恩の表情は、寂しさを浮かべながらも恍惚としていた。


「はぁ…………照れ屋な夕莉さんも素敵ですわ」



  * * *


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