第36話 チーターの自覚はない

「ドシュン」


 人が走れるのは地面に「摩擦」があるからだ。

 今俺が老婆の背中を追って走っているのも、「摩擦力」あってこそだ。

 ではここで、人を走れなくするにはどうすればよいか?

 ……簡単。摩擦係数をゼロにしたッ!


「うわわっ!? なんじゃっ!?」


 テンポよく回転していた足が急に地面を手放し、老婆は走っていた勢いのまま道路にビターンと倒れ、そのまま道路の上をすいーっとスライドしていく。

 ……よし。これで老婆と地面の間には何らかの接続があることが確認されたぞ!

 ほんのチョッピリ希望が湧いてk


「ってちょおわっ!?」


 そうだ俺も同じ道路を走ってるんだったよちょま滑る滑る滑る!

 大きく尻もちをついた俺の体は、凸凹坎坷とした道路をスーッと滑らかに滑る。

 向かう先は、右手の崖。

 ガードレールはない。

 ……マズイッ! このままだと……このままだと、落ちるッ!

 道路のが無ければッ! 俺はこのままコースアウトしてしまう!

 !!


「うおっ、えっ!?」


 突然。

 俺の体が、道路の内側に引っ張られ始めた。

 服の端を引っ張るとかではなく、体の中心それ自体が向かって行くような感じ。


 「何だこれはッ!?」


 眼下に見える崖下の景色が次第に遠のいていき、体が道路のちょうど真ん中を左カーブに沿って綺麗に滑っていく。

 ……!? 何だこれ!? 俺はこんなの知らないぞ!?

 仰向けの哀れなポーズで滑る自分の体を見回してみれば、腕や、足や、つま先から、何やらのようなものが出ていた。

 鮮やかな紫色の光は、俺が描いた軌道を道路上に残し、すっと空気に溶けていくようで。

 ……紫色の、光……? 紫色……?

 ……アレか、そうかアレか! 「花」だ! 「花」で取っておいたエネルギーを使ったんだ! 多分、車を止めて、衝突した時の力が残っていたんだ!


「オイ! テメェ! 何をしたッ!」


 這うようにして前を滑っていく老婆が、後ろの俺に向けて怒号を飛ばす。

 ……何のことはない。「妨害」は許可されてるからな。

 ここでコイツに勝つためには、俺がこの「花」の能力をもっとよく理解する必要がある……と思う。

 それが、確かな勝利、確かな希望に繋がる……気がする。


「……『加速』」


 問いかけには答えず、俺は俺のやるべきことを。

 俺が、俺自身を、『加速』させる!

 呟いた瞬間。

 体に受ける風が強くなり、ビュウビュウという空気の音が激しくなって、景色の移り変わり、両脇の木々が俺を通り過ぎていくスピードが上がった。

 ……俺は、『加速』しているッ!

 体から発せられる紫の残光が、より太く、長くなり、俺の軌跡を鮮明に刻み続ける。

 老婆の背中が近くなってきた。

 ……しかし、あともう少し、という所で、不意に腰のあたりからガギっと音がして、突如背中に激痛が走った。


「あだだだだだだだだ!!」

「あぎゃっ!? 今度は何じゃ!?」


 ……摩擦が戻ったらしい。

 しっかりした服は着ていたものの、背中がひりひりして、摩擦熱でじんわりと熱い。

 どこかしらは擦り剥いているだろうが、確認している暇は無いだろう。

 何とか起き上がり、もうすでに走り出している老婆の後を追おうと。

 ……いや、違う。。滑ったままで、コイツに勝つ!


「『マクスウェル』ッ!」


 摩擦力は非保存力。通常、物体の動きを邪魔する方向に働く力だ。

 摩擦のお陰で人は走れている? 違う。んだ。

 両手と両膝を地面につき、なるべくバランスの安定した姿勢を取る。

 摩擦が無ければ、もう何度も両足で地面に力を加える必要はない。

 最初の一蹴りだけで、後は無限に滑っていくから。

 ……だから、自分自身で、自分自身の摩擦を奪った!


「……『加速』!」


 再び、俺の体が紫色の力によって引っ張られていく。

 向きは左斜め前。加速しつつ、道路の中央を危なげなく進行中。

「走って勝てないなら、」。

 ……これだな。「駆けっこ」において、敢えて「走らない」という選択。俺にしかできない、俺だけの選択だ。これはもうヘビ探偵顔負けの発想の逆転。どう最近?

 整ったフォームで走る老婆の背中が再び近づいてくる。

 ……あれ? これ、この体勢で頭を下げたら、「等加速度直線土下座」になるんじゃね……?

 ……まぁいい。

 老婆の着物の裾がはためき、それが俺の肩に触れそうなくらいに近づいた。

 ……おっふろ、おっふろ、バブルのおっふろ、


「おっ先ー!」

「えっ? ……エッ!? おいちょ、あ、何じゃその走り方は!?」


 老婆が分かりやすく俺を二度見し、戸惑った表情と口調で咄嗟の疑問をまくし立てた。

「食事」風情が「抜いてきた」驚きと、俺の走り方、いや、移動の仕方を見ての驚きだろう。


「走ってない、滑ってるんだよ。……では、さらだばー!」

「……えっあ、え、おい!」


 ……よし、小ボケをかませるくらいには俺の心に余裕が生まれてきたみたいで安心。

 老婆の表情は見ずに、外側から「滑りで」追い抜く。

 あの反応はきっと、「食事」に追い抜かれるのは初めてだったのだろう。

 俺の予想では、アイツはこれからスピードを上げてくる。

 予想も付かない移動方法で、しかも「ターボババア」を抜いて来た「食事」。そんな奴は「食事」から「対戦相手」に格上げされ、一気に警戒度を上げられる。その判断の上でスピードを上げ、想像できないにしても何らかの隠し技の存在を警戒して、「都市伝説」として本気で走る。そうして予期せぬリスクを避け、「捕食者」としての確実な勝利を手に収めるのは当然。俺ならそうする。


 でもな、それだけじゃ勝てねぇよ。

 俺は「対戦相手」どころだなんて思ってんじゃねぇぞ?

「都市伝説」如き、ただの脅かし要素、良くて所詮ステージギミックだ。「チーター」が攻略できねぇワケねぇだろ。


 現に今、俺はお前からを考えてる。

 お前が走れなくて、俺が走れる。それが、この「ゲーム」の一番の理想的状況にして、一番手っ取り早い攻略方法だからな(但しチート使用)。



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