第19話 お前は一体誰なのか確かめたい

 俺が十日市にプレゼントした綾鷲は、ペッチャンコになって地面に転がっている。

 その横で、口を大きく上げ目をかっと見開いて苦しむ男。

 龍の如き恰好をしたソイツは、仰向けになって弱弱しいうめき声を漏らしていた。


 ベコンベコンのペットボトルを見るに、どうやら、綾鷲は男に衝突する前に重力で潰れてしまい、地面を転がる間にお茶が大方外に出てしまっていたらしい。道路の斜面には、吹き出したお茶が所々に黒いシミを作っているのが確認できた。

 質量がほとんど失われたことで、男に与えられる運動量、つまり威力が大きく減少し、折角の音速が台無しになってしまったようだ。


 さっと単純計算を行ってみると、え――――っと…………。……空のペットボトルを20グラムくらい、野球ボールを140グラムくらいとしたら……。

 ……おい、マジかよ……! コイツは大谷の打球を初速度のまま食らったことになるじゃないか……! つまり、バッターボックスのすぐ前で踏ん張って、大谷の本塁打を「んっ!」と体で受け止めたということになる。……何その状況、シュールでちょっと面白いな。ス↑ゴーイ↓! オータニ↑サン!


 ……いや待てよ、もしも綾鷲が満タンだったら? もしも転がる途中でお茶が噴き出されていなかったら? ピストルの弾がちょうど音速くらい。満タンの500mlの飲料、すなわち0.5kgの円柱がそれと同じ速度で運動したらそれはもう危険ってレベルじゃない。

 威力をざっと計算すると……えっとね、ちょっと待って……。……あ、マッハ4の野球ボールと同じくらいか。……え? これヤバくね? 大谷的に言えば、コイツは究極進化した大谷の本気の打球を食らったことになる。死ぬじゃん。


 とどのつまり、回転中にお茶が外に排出されていなかったら、男はぐちゃぐちゃになっていたということ。いっけなーい☆ 私ったら! うっかりさんなんだから!


 アバラの一本でも折れたであろう男にかがみこみ、話しかける。


「なぁ」

「ぐぅぅ……」


 見たところ、もう起き上がってくる様子はなさそうだ。って言うと死んで動かなくなったみたいに聞こえるけどそれは違う。

「安全」が確認できたので、十日市を手招きする。


「じょ、城ケ崎君……! 大丈夫?」


 十日市は坂の上からぱたぱたと走ってきて俺の後ろに回り、俺の背中からそーっと顔を出して倒れた男の様子を恐る恐る見る。

 ……あの、近いんですけど。もうコイツのことそんな警戒しなくていいから、ちょっと離れて下さる? いや別にあなたが嫌とかじゃないんですけどね? ええ。


「この人は?」


 誰?と表情だけで伝えてくる。


「それはこれから突き止める。……おい、お前は誰だ?」


 遥さんだの、つけてただの、春川の相談と繋がりそうなことを色々口走っていたこの男は、誰で、どんな関係があるのか。

 重要なのは、この男と俺たちとの間で何か決定的な食い違いがあるということだ。


「……てっ、テメェ……、な、何しやがった!」

「おい、お前は誰か聞いてるんだよ。答えろ」


 男は尚も苦しそうに息を漏らす。


「……い…いきなり、「なんか」にのしかかられて……。その後、「なんか」に殴られた……! どう……なってんだ……!?」

「お前は誰かって聞いてんだろ。しゃーべーれーよ」


 中々喋ろうとしない男に少々イラっときて、アロハシャツの襟元を掴んで前後に揺さぶる。

 コイツもさっきこういう気持ちだったのかと、どうでもいいことに気付いてしまった。


「じょ、城ケ崎君……! その人、怪我してそうだし、そのくらいに……!」


 十日市が遠慮がちに俺の肩の手を置いて言ってくる。

 俺、コイツにさっき殴られたんだけど。親父にだってぶたれたことないのに。

 でもコイツ、さっき大谷の打球を体で受け止めたんだったな。そりゃそうか。


「……まぁ、そうだな」


 胸ぐらを掴んでいた手を放してやると、男は一瞬ほっとしたような表情になったが、すぐに痛みに顔を歪めた。

 ヤバい、なんか俺、チンピラみたい。さっきと立場代わっただけだし。重力操ったり音速のペットボトルぶつけたり、なんなら俺の方が非道まである。何がヤバいってマジでヤバい。


「んで、お前は誰だ?」

「おっ、俺は……俺は、後藤、龍雅りゅうがだ」

「職業は?」

「そっそ、それは……言えねぇ」

「はぁ?」


 この野郎、この期に至ってまだ立場を理解してないのなら、俺が教えてやる他あるまい。

 人差し指から飛び出たエネルギーが、男の胴体辺りに貼り付く。


「だっだから、言えねぇもんは言えンぐあああっ!?」

「今、お前の体は一人分重くなった。早く話さないと、これからどんどん重くなるぞ~」


 男の顔の前で人差し指をくるくる回して、精神的な追い詰めを行う。

 なんか、こういう拷問あったな。針の上に座らせて重り乗せてくやつ。今がまさにそれ。まさか質量じゃなくて重力それ自体を足すとは、誰も思いつかなかっただろう。


「わっ分かった! 話すよ! 話す! ……俺はな、春風組の極道だ! まだ下っ端なんだが、おっ、お前も名前くらいは聞いたことあるだろ!?」


 極道。

 広く一般に、暴力団、ヤクザ、マフィア、任侠。詳しい違いは分からないが。

 大小様々な組織を形成し、殺人や脅迫といった暴力行為を背景とした犯罪活動に従事し、収入を得ている犯罪組織。

 覚せい剤や賭博、みかじめ料が彼らの主な収入源だ。


 弱い者は肉となり、勝った者がそれを食らう。それが、原始から続く生き物のルール。

 高度にシステム化された今の社会でも、その原理は結局のところ崩れることは無い。ただ、「力」が「知性」「金」に置き換わっただけだ。

 持つ者が何を持つか、持たざる者が何を持たざるか。

 それが大きく変化したのはちょうど何千年か前のことで、最初の生命が誕生した四十億年前に比べればほんの一瞬にも満たないことがわかる。

 ほぼ四十億年の間、自然を支配してきたのは「力」であり、純然たる「強さ」だった。

「弱肉強食」という世界の掟を、原始より続くある意味伝統的で純粋な「力」で体現する。それが彼らの生き方だ。

 ただ、今現在の社会システムにおいては、彼らの存在はれっきとした「悪」とされ、監視、時に刑罰の対象となる。

 彼らもそれを分かって、なお自分たちの信じる生き方を続けるのだろう。

 嫌われ、恐れられ、疎まれ、蔑まれ、避けられ、罰せられて、至極当たり前だと思う。現に俺がそうしてる。

 それでも、俺は彼らの生き方を否定しない。


 否定しないが、直接に利害が絡むと話は別だ。

 いくら花山薫がかっこよくても、「龍が如く」が面白くても、マイキーに憧れてても、いざ自分の前に立ちはだかれば、そいつらは皆等しく敵。

 「弱肉強食」の掟にのっとり、「弱さ」を認めて逃げるか、「強さ」を掲げて叩き潰すしかない。


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