6.「雪化粧」からなぜ俳句が出ないのかと

6-1.私だってこんな文体も書けるんだぞ、と

No.5815陰陽師

No.4852雪化粧

No.6490ビオトープ


この町には不釣り合いなそれが今年はやってきた。いわゆる天からの贈り物。贈り物といわれるのに、大人と猫は辟易へきえきし、ガキと犬だけが喜び勇む。

 雪。雪が降った。しかもただ降ったわけじゃない。積もった。山だけじゃない。屋根も。そして道路も。もちろん家の軒先も。庭も。一面雪化粧が施された。

 だから、私の家のベランダに鎮座するビオトープは当然凍るし、雪も積もった。だから、一見何がおいてあるのか分からない。私にはさすがにわかる。雪が降るずっと前からベランダを占拠していたのだから。

 かめの中にはメダカが数匹。おそらく3匹だと思うのだが、死んだかもしれないし、新しい命が生まれてるかもしれない。「ビオトープにはメダカだろ」と誰かに言われたので入れたにすぎない。メダカには申し訳ないが、私はなんとなく植物を育てたかったにすぎない。

 なんとなくと言うのもいい加減なもので、別段植物が好きと言うわけでもない。ただホントになんとなくなのだ。

 そもそも物事の動機なんてものは大抵「なんとなく」だ。そんなものに一々理由を求めていたら気がつけば日は暮れて、気がつけば冬は春になってしまう。だから、別になんでも良いのだ。

 ただ「私の家に植物がある」という事実がある。それだけだ。

 だから私の職業が何であってもそれに理由などないのだ。私が某かの職に就いているという事実が存在するだけにすぎない。それがなんであれ、今の日本社会に影響をもたらすものではないのだ。

 さあ、ここまで語ればもう満足であろう? そう。つまり、あなたの職業も私にとってはどうでも良いのだ。お分かりいただけましたかな?


「いえ、あのですね。何度も申し上げています通り、これ以上ここにいてもらっては困るんです。そろそろ閉館の時間が来ていまして」


 それはそちらの都合でしょう? 私には関係がないのです。良いですか? 「風が吹けば桶屋が儲かる」と言います。つまりです。「私がここに馳せ参じたのであれば、こちらの建物を解放する」というのが筋なのではないですか?

 かの哲学者、孔子はこのようなお言葉を残されています。「仁者は難きを先にして獲ることを後にす、仁と謂うべし」と。あなたの今の行いが苦労であるとするなら、それは徳を積んでいるということなのです。ぜひその経験を大事になさってください。


「もー! あのー、警備員さーん! この人連れて帰ってください! あの! 何度も言いますが! ここに陰陽師は居ません! もうそんな職業の人いないんです! お引き取りくださーい!」

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