第55話 民衆の盾
我が軍はハーベスタ国とアーガ王国の国境付近に出兵し、平野に布での陣幕を築いていた。
もちろんアーガ王国軍も同じように布陣して互いに見合っている状態だ。
ここでかなり面倒くさい状況が発生している。
何せ攻める側として進軍して来た俺達が、防衛に出てきたアーガ王国軍に迎撃戦したいという謎現象だ。
用意した野戦築城を利用するため、何とかしてアーガ王国軍からの攻勢を受けなければならない。
とはいえ……このままだと奴らは攻めてこないのでは? という疑念は晴れない。
そんな状態で俺達は陣幕の中にいて、地面に置いた机を囲んで軍評定を開いていた。
「敵軍はおよそ五千。ただしその内で騎馬部隊が千五百、弓兵が五百いる。疾風迅雷の騎馬部隊は有名だからな」
アミルダ様が机の上に敷いた地図を指さしながら説明してくださる。
バベルの用兵は『兵は拙速を尊ぶ』を地で行く。その要となるのはやはりスピード自慢の騎馬部隊だ。
奴の軍の必勝法は騎馬を中心として一気呵成に攻め込み、そのまま乱戦に持ち込んで数で打ち勝つ。
単純だがそれ故に厄介。しかもリーズがいた時のバベル軍は武器や補給物資の準備が不要だった。
なので進軍準備の時間が皆無で、敵軍が迎撃態勢を整える前に攻め込むのでなお強力であったと。
「だがこちらにはリーズが用意した木の柵がある。馬防柵だったか? それにより敵の騎馬はその真価を発揮できない」
馬防柵とは木で作った高さ2mほどの柵だ。『井』みたいな形で木の棒を組み合わせている。
隙間が空いているので敵の矢などを防ぐことはできない。
何故に柵を木の壁にして隙間を塞がないかというと、そこからクロスボウを撃つためである。
決して木材がもったいないからではない。この柵の目的は敵の矢を防ぐのではなくて、騎馬の突撃を妨害するためなのだから。
馬は決して丈夫な生き物ではない。突進して木の柵をぶち破るなんて出来ないので、馬防柵を一面に展開すれば騎馬隊はほぼ無力化するのだ。
なので敵は柵を押し倒そうとするだろうが……さてどうなるかな。
「騎馬が突撃できないのは保障します。ですが……そもそも敵は攻めてこないのでは? 我が軍をここに張り付かせるだけで、モルティ国の侵攻の支援になりますし……」
今ここにいる我が軍の兵士は二千。ハーベスタ軍全兵士の三分の二ほど。
残り千の兵士は防衛用として置いているが、モルティ国が総力をあげて攻めてきたら勝てないだろう。
かといってモルティ国が攻めてきたのでと、俺達がこの場を離れるのも無理だ。
そうすれば今度は前方のアーガ王国軍が嬉々として攻め込んでくる。
だがそもそもアーガ王国は俺達とモルティ国の潰し合いを望んでいる。
むしろこのまま見合っていた方が美味しいのだ。
「それは大丈夫だ。敵軍は二日以内に確実に攻めこんでくる」
自信満々に告げてくるアミルダ様。
確かに彼女の神算鬼謀は恐るべきものだが、この状態で攻めてこさせるのは魔法みたいなものでは……。
そんなことを考えていると、陣内に伝令の者が入ってきて駆け寄って来る。
「敵軍に動きあり! 我が方に仕掛けてくるようです!」
なんとアミルダ様の仰った通りになっている!?
馬鹿な!? バベルはボルボルほどの無能ではないぞ!? この状況で攻めてくるほど馬鹿だったのか!?
「アミルダ様、そろそろ教えて頂きたいのである。どんな策略を?」
「簡単だ、敵が現状の見合いを維持できないようにしただけ。敵の兵糧はどこで準備していると思う?」
兵糧? 普通ならば近くの村からの接収と、不足分は他の地域から運んできているだろう。
だが今は秋な上に今年は豊作だ。近くの村の備蓄も多めにあるはずだ。
「大半は近くの村から接収してるのでは? 収穫の時期なので麦の備蓄にも余裕があるでしょうし……もしかして」
兵糧とは軍を維持する上で最も重要な物資だ。
食事なくては人は戦えない。飢えた兵たちは軍を離れて逃げ出していき、すぐに軍は瓦解してしまうのだ。
つまり敵の兵糧の補給場所を壊滅させれば、即座に撤退するか攻めるかの二択を強いられてしまう。
だがそれは……。
「そうだ。近くの村の麦畑や備蓄の麦を焼き払わせた」
「あ、アミルダ様……でもそれは」
村の畑を力ずくで焼き払うならば、アーガ王国軍の民衆に対する略奪と何も変わらない。
それが嫌だからハーベスタ国に来たのだ。もしアミルダ様が是とするならば俺は……。
だがアミルダ様は首を横に振った。
「安心しろ。ちゃんと村人には麦代として金貨を渡している。あくまで買った物を燃やしたに過ぎない。それにこのままでは全ての麦が軍に接収されていたので、彼らを助ける意味もな。後は民たちに責務が及ばぬように、あくまで我が軍に寡兵で焼き払われたと言えと伝えた」
「な、なるほど……それなら敵の補給物資を焼き払っただけですね」
「この付近の村は数年前まで我がハーベスタ国の領土だったのだ。愛する民に非道なことをしてたまるものか」
よかった。アミルダ様はやはり優しいお方だ。
俺がやめて欲しいのはあくまで民間人への略奪。
敵軍に対しては非道な虐殺などしなければ問題はない。彼らだって戦いに来ているのだから覚悟はしておくべきだ。
敵を殺さなければ死ぬのはこちら側。戦争である以上、死者が出るのは仕方がない。
それにアーガ王国軍の兵士は大半腐ってるしな……下手に全員生きて帰すと略奪とか行うし……。
民衆たちが逃げるのも問題ないだろう。彼らはここらの地理に詳しいし、今はアーガ王国軍は合戦に戦力を集中している。
見張りなども手薄だろうから余裕なはずだ。後は俺たちがこの戦に勝てば完璧と。
「む? アミルダ様、敵軍の前方に出てきた部隊が妙ですぞ」
バルバロッサさんが指さした先には、アーガ王国軍の先鋒部隊が突出していた。
数はおそらく二百くらい。彼らは鎧を着ていないばかりか、明らかに農民の衣装でしかも武器代わりにフォークやクワなどの農具を持っていた。
……とうとう物資不足でまともな武器すら用意できなかったか。
またかよと呆れていたが……何やら突出した敵軍の様子がおかしい。
「ま、待ってくれ! 俺達は近くに住んでる村人だ! アーガ王国軍に脅されて……矢避けにされてるんだ!」
「矢を射るのはやめてくれぇ! 俺達は元々ハーベスタ国の領民なんだよ!? こんなの酷すぎるっ!?」
「近くの村の住民なんです! 助けて……!」
彼ら彼女らは悲鳴のような叫びをあげながら、こちらへゆっくりと歩いてくる。
……アーガ王国軍め、近くの村人を肉壁にしようってのか!? しかも肉壁にしてるのは元ハーベスタ国の民たちじゃないか!?
奴らの国境付近の村は元々は我が国の領土だった。数年前のアーガ王国軍の侵攻により、今までハーベスタ国の領土だった箇所が奪われたのだから。
「お、おい……嘘だろ?」
「そんな……近くの村から徴兵されたなら、俺の親父もどこかに……!?」
「俺は占領された村の出身なんだぞ!? 知り合いを殺せってのか!?」
我が軍のクロスボウ部隊からも困惑の声が出ている。
これマズイぞ!? こんなのまともに戦えないじゃないか!?
そんな農民兵の後ろではアーガ王国の兵士たちが立ち止まっていた。
奴らはこの状況を楽しむかのようにニヤニヤと醜悪な顔をしている。民衆と少し距離を取って、盾になる位置から眺めていた。
「ほれほれー! 殺さないと柵が倒れるぞー? 倒れたら騎馬で潰れるぞー?」
「あーでもお前らの親もいるかもなぁ? 仲間を殺すなんて酷い奴らだよなぁ。なんてクズだ」
「せっかくの劇なのにワインがないのが残念だなぁ」
安全な場所で映画の観客気分のようだ……きっと馬防柵を民衆が倒すまでは、クロスボウの射程範囲に近づくつもりがない。
そして肉壁が逃げようものならば即座に殺すつもりなのだろう。
「な、なんと卑劣な! アミルダ様、いかがなさるであるか!?」
「叔母様!?」
アーガ王国め、本当に腐り切ってやがる!
だがこのまま放置しておくわけにもいかない……何せあの農民部隊の後方には、アーガ王国軍の本隊がいるのだから。
このまま無抵抗で接近されたらいずれ乱戦にされてしまう。そうなれば野戦築城のメリットも……。
そんな危機的状況の中でアミルダ様は……後方のアーガ王国軍を強く睨んだ後。
「総員に告ぐ! クロスボウ部隊は前方から近づく敵兵を引きつけ、矢を放って撃退せよ!」
戦場にアミルダ様の声が響く。だ、だけどそれは……!
「アミルダ様!? それはあまりにも……!」
俺達の狼狽をいさめるようにさらにアミルダ様は叫び出した。
「このまま攻め込まれたら我が軍は抵抗もせず負ける! 撤退すれば近くの村が燃やされてより多くの民が死ぬのだ! ……これは私の失態だ、大半は私が燃やし尽くす!」
アミルダ様は悲痛な表情を浮かべている。
……これが彼女の失態であるものか。あってたまるものか。
「お待ちください! この俺が民たちとアーガ王国軍を分断させます! 民衆たちは剣を後ろに構えられて脅されているだけです! 逃がしてみせます!」
ただただアーガ王国軍が、バベルが非道の極みなだけだ! 民を愛するアミルダ様に民殺しなどさせてたまるものか!
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現在の位置関係
森
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柵
┃
┃
ハーベスタ軍┃ 肉壁 アーガ王国軍
┃ (民衆)
┃
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