第2話 こいつ絶対悪い事してる!

 足裏に心地良い絨毯の廊下を進むと突き当りに重厚な木製の扉に突き当たる。

 事務局長室と書かれたプレートが掲げられている。

 板チョコを立てたような扉をノックすると直ぐに「入れ」と中から聞こえた。


「失礼します」

 扉を開けるとすらりと姿勢良く給湯室のシンクで放尿している澄ました顔の男と目が合ったので即座に扉を締める。こちらが焦っていたのが不思議なくらいに冷静な顔でこちらを見返していた。


 思うところは沢山有る。


 まず、「入れ」って許可したよな?あのおっさん。入って良い状況か?そもそも給湯シンクで小便すんなよ、澄ました顔すんなよ、せめて恥ずかしがれよ!尻まで出して小便すんなよ!小学生か!


 先ほど目に入った引き締まった尻が脳裏に浮かぶ。スーツのベルトにプリっと乗った形の良い尻だったが男の尻など見るに堪えん。


 一通りの反感を飲み込むと「先ほどは失礼しました」『お前がな!』と心で言って改めて扉を開けた。

 男はガチャガチャとベルトを締めながら「おう」と当たり前のように返答して「で、誰?」とつまらなそうに聞いた。


 「本日から事務局長の補佐役として赴任致しました。日村専心ひむらせんしんと申します。御挨拶に参りました。よろしくお願いいたします」

 日村は言い終わると素早く頭を下げて一礼した。


 男はスーツの上着のボタンを留めずシャツにタイも着用していない、どこかだらしない印象を受ける。

 男は大振りな皮の事務椅子にどかりと腰を下ろすと長い足を机に投げ出しシガレットケースから煙草を摘まんで咥えた。

 寝ぐせの付いた頭を掻きながら、目を細めてこちらを伺った。頭の先から爪先まで座視するとジッポを指先で弾いて煙草に火を点けた。そっぽを向いて煙草を吸うとゴクリと飲んでから盛大に紫煙を吐いた。


「女の子が良かった」

 イジケタ様子で視線を逸らせ、自己紹介もせずにそれだけを言って煙草を飲み続けている。

 立派な事務机には事務局長柴山光秀とネームプレートに金文字で書かれている。

 日村は右のこめかみの青筋をピクピクさせながら「すいません」といわれのない苦情に謝罪をすると踵を返して退室しようとした。


「コーヒー淹れてよ」

 扉に向かう日村に柴山の声が飛ぶ。

『お前がさっき小便してたところで?』左のこめかみにも青筋が疼く。日村は振り返ると抗議の意味を込めて聞いた。

「局長、なぜシンクで小便をしていたのですか」

「うんこはしないよ」

「当たり前です。小便もシンクではしません」


 柴山は顎の無精ひげを撫でて渋い顔をしている。

「なぁ専心、お前がこの世に一人ならモラルと効率はどちらが優先される?」

 鼻の穴から盛大に煙が噴出している。

「一人なら効率かも知れません」『名前で呼ぶなぼげぇ』

「だろ、トイレは遠い、だからここでする」

「ですが局長は一人ではありませんし、さほどトイレは遠くありません」

「お前が王様なら効率と趣味趣向はどちらが優先される?」

「趣味趣向ですね」

「そうだろ、ここになんて書いてある?」

 柴山は卓上のネームプレートを指した。

 日村は素直に答えた。

事務局長じむきょくちょう柴山秀光しばやまひでみつです」

「専心ちがぁーう!事務局長おうさまと読むのだ。君たちは運動ばかりしている脳筋集団だから漢字も読めないくせに大学卒を語ってやがる。弊害がこういう社会生活にでるんだ馬鹿垂れ、しっかり読み方をメモしておきなさい。メモするって知ってる?」

 柴山は煙草を乱暴にひねり消した。


『性格わっる!こいつ絶対に悪い事してるだろ!』

 日村は黙ってシンクへ向かい、これから先に起こるであろう波乱を想像して気が重くなった。


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