第58話 生まれて初めての

 ベッドに倒れ込むと、押し倒された白咲さんはくすぐったそうに笑って、両腕で俺を抱き締めた。


「ふふっ。ゆきさん……嬉しいです。私のあの日の望み、叶っちゃいましたね」


「こっちこそ、あの日はごめん。あのときの俺の選択が誤りだったとは思っていないけど、白咲さんを悲しませちゃったのは、事実だから……」


「謝らないでください。私はあの日、悲しくもあったけど、欲望に流されるままでなかった真面目で誠実なゆきさんに、また惚れ直してしまったんですから」


「そっか、なら嬉しいな。俺も今日、白咲さんに惚れちゃったから、両想いだ」


「え?」


 きょとんと仰向けのまま驚く白咲さんに、そっくりそのまま問い返す。


「え? まさか、俺の気持ちに関係なく、このまま抱かれるつもりだったの?」


「そ、そんなつもりじゃあ……でも、私はゆきさんが望むなら、好意はあとからでもいいかなって……」


「そんなのダメだよ。簡単に身体を許すなんて」


「簡単じゃあありませんっ! 私は、ゆきさんだからいいのであって……!」


 躍起になって身体を起こす白咲さんがあまりに可愛くて、俺は思わず吹き出した。


「痴話喧嘩は、もうこれくらいでいいよね?」


 赤面し、こくりと頷く白咲さんと、俺は想いを通わせ、愛し合った。


 ああ、幸せだ。


 好きな人と両想いになれること。

 多くの人が夢を見て、願い、渇望する理由がわかった気がした。

 あれだけ寂しかったはずの心が、今はこんなにあたたかい。

 この幸せを手放したくないな……


 もう一度強く抱きしめると、腕の中で白咲さんが身をよじる。

 心地よさそうな吐息、キスを求める唇、瞳……どれもが尊くて愛しくて……


 もうヤバイ。


(ダメだ。こんなのダメになる……! 思考回路が溶けて蕩けてなくなりそうだ……!)


 人をダメにする美少女、白咲さん。


 ついそう思ってしまうほど、白咲さんはすごかった。


 ――『お人形さん』。

 そう呼ばれるのも無理はないと、一瞬思ってしまったくらいだ。


 まるで、男の理想をそのままカタチにした人形が、意思と魂を持って動いているのではないかと錯覚してしまいそうな――

 きめの細かく、吸い付くような柔肌に、華奢な骨格、豊満な胸。

 それでいて、この……感度の良さと、締まりまで完璧だとは。きゅうきゅうと締められるたびに「好き」と言われているようで、愛しくてたまらない……

 それになにより、声が可愛い。すっごく甘くて、耳元で吐息混じりに喘がれると、もうなにもかも蕩けそうだ。


 こんな感覚を知ってしまったら、俺もう、ひとりじゃできないかもしれない……


 ◇


 翌朝。

 洗面台でふたりして身支度を整えていると、肩がぶつかり、見つめ合う。

 お互いに笑みを浮かべて、洗面台が狭く感じるのが嬉しいなんて、思ってもみなかった。


「駅まで一緒に行こう」


「はい……!」


 揃って玄関を出る直前、冷蔵庫から二人分のウィダーを取り出す。


「朝ごはん、食べてる時間なかったから。せめて持ってって」


「じゃあ遠慮なく。もう……ゆきさんが放してくれないからですよ♡」


「紛らわしいな……そろって寝坊しちゃったからでしょ」


 昨晩は、結構盛り上がったからなぁ。


 いたずらっぽく笑みを浮かべる白咲さんに、俺はもう一度向き直った。


「白咲さん……」


「?」


「なんだか順番がおかしくなっちゃって申し訳ないんだけど……俺は、白咲さんのことが好きだよ」


「!」


「これから、よろしくね」


「はい……!」


 営業スマイルでない、自然な笑みを浮かべて。

 俺たちは、昨日からの賑やかさが余韻を残す家を出た。


 そっか。『家族』って、本来こういう感じなのかもな……


 靴の少ない玄関に、数年ぶりに「いってきます」と呟いて――


 俺に、生まれて初めての彼女ができた瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る