第4話 コウスケ、ゲイなのか?

 村上春樹、シドニィ・シェルダンはいわゆるオカズでした。

 ―少し性的表現が出てくるかと思いますが、お付き合いください。


 子供の頃は読書好き。本であればどんどん買ってもらえる家庭でした。と言っても、一般的なマンガはNG。小説であればOKというアバウトな教育方針。小学生の頃、通っていた学校が読書週間を推し進めていたので、毎日図書館に寄って、いろんなジャンルの本を読み漁りました。今でも覚えているのは、マンガではあるものの教育物ということで、「まんが・アトム博士の…」といシリーズ。相対性理論と分子や原子等の化学モノを愛読していました。おかげで、理科の授業が大好きになったのですが、数学が苦手で苦労しましたね。それは、置いといて。


 当時、ぼくらの七日間戦争という映画もヒット、宗田理さんのぼくらのシリーズと呼ばれる小説を全て揃えて読んでいました。当時から、同じ作家の本ばかり読んでしまう習性がついており、中学生の時にはまったのが、シドニィ・シェルダン。「ゲームの達人」「真夜中は別の顔」など、ミステリー小説を愛読。新作が出れば、徹夜しても読み通したい、と思えるほどの熱中ぶりでした。


 そして、その頃覚えたのが自涜行為。ちなみにエホバの証人は、性に関しては非常に厳しく、結婚前の性交渉もご法度。排斥という除名処分を受けます。一人でする性処理に関しても悪とみなされています。でも、みんな守っていたのかなぁ、なんて思うわけですが、そんな話を他の信者さんとすることもできないので、自分だけで抱えている“問題”な訳なのですが。そういう訳で、エロ本やアダルトビデオなんてもってのほか、自分の部屋にテレビも無かったですし。当時はインターネットもない世界だったので、いわゆるオカズにしたのが、シドニィ・シェルダンの小説内に出てくる、性表現の場面だったわけです。


 さらに、高校生の頃、巷では村上春樹「ノルウェイの森」が大ヒット。僕も、村上春樹さんの小説に没入していくことになるのですが、これまた生々しい大人の性の表現が出てくるのです。僕の中ではエロ本の位置づけでした。


 こうして、徐々に性について勉強していくのですが、圧倒的に知識が足りていなかった。人並みに恋愛もしてきましたが、当時は女性が恋愛対象でした。しかし、自涜行為の際の妄想相手は男性で、その気持ちも正直分からなかった。小学6年まで家族で川の字で寝ていたのですが、ある夜精通が来ました。いきなりでした。何か変だ!と気づいて目が覚めた時には、ペニスがぶるんぶるん震えだしており、パンツを下げて白いものが出くるの凝視していました。こっそりトイレに行って、ペーパーで拭きながら暫く呆然としてた記憶があります。後日、家族が寝静まった頃に、父親のパジャマとパンツをこっそりずらして、大人のペニスを観察しました。この頃から男性のモノに興味があったのかもしれません。


 ちなみに、シドニィ・シェルダンの小説で、とある司祭が男色で男同士の性関係シーンが描かれており、非常に興奮しました。


 こうして20代後半まで恋愛対象は女性、でもエホバの証人として純潔を守るために性交渉は無し。マスターベーションの妄想対象は男性、という人生を送ってきました。さらに時は過ぎ、エホバの証人を辞めた後(辞める話はまた書きますね)、とある女性にフラれ、そのままの勢いで向かったのが、大阪の堂山町という場所にあるゲイバー。初めて行ったにもかかわらず、大酒を飲み、ゲイについて、あれやこれや教えられるわけなんですが……


 その話は次回に。





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