認めてくれる人

和泉鷹央

第1話 報われないベッキー

 聖紋章術というものがある。

 それはどのようなものであっても、聖なる加護を附与できる附与術の一種であり、使う人間は紋章師と呼ばれた。

 紋章師は国王に仕える優秀な魔導師だともいえる。

 紋章師になれば『伯』という一代限りの爵位が与えられ、貴族になることもできる。

 だからこの国の魔力を持つ人間はみんな、紋章師を目指した――。


 

 ◇


 夏の盛りも終わり、秋に向かって気温が上がり下がりと乱降下を繰り返しているそんな、ある日。

 王都テスメスではドラゴンたちが破壊活動に勤しんでいた。

 街中。

 倒壊した建物。

 周囲には色鮮やかな才色の飾りが付けられた街路樹や、臨時の出店が残骸となって散らばっていく。

 このトラブルの発端は、二つの神様を奉る教団がぶつかり合ったからだった。


 戦女神ラフィネを奉る、ラフィネス教団。

 法と秩序を司る空の神タレスを奉る、タレス教団。


 二つの神様はそれぞれ妻と夫であり、神話の時代から夫婦仲が悪いとして有名だ。

 神様たちがそんな感じだから、教団たちはいつも顔を突き合わせば揉め事を引き起こす。

 本日は、女神様が地上に降臨した記念日を祝う、降臨祭。

 神様の信徒たちが嫌がらせを仕掛けて来て、魔法が飛び交った。

 怪我をする人々、破壊される街並み。

 サーカスのドラゴンたちが暴れ出し、市民はそれに巻き込まれないように中央広場から、思い思いの方向に逃げ出していく。


 まさしく暴徒のような彼らを所業を、天空から舞い降りた十数人の魔導師が、呆れた顔で見つめていた。

 ドラゴンたちはがそのうちの一人の魔法によって大人しくなり、破壊された街並みは修復魔法で復活を遂げる。

 しかし、失われた景観を元通りにするには時間がかかる。

 治療を必要とした人員は、軽く数百はいるだろう。

 そんな中、一人の女性が無理難題を平然と口にしてその場から離れようとしていた。

 聖女マリーである。

 銀髪に苔色の瞳をした清楚可憐な美少女は、空の神タレスの聖女だった。

 自分の所属するタレス教団の信徒たちが常に身に付けている親指大の青い宝珠。

 それを目印代わりにして、さくさくと治癒魔法をかけて回復させると、後は知らないとばかりに立ち上がる。 


「えーと。あ、いた! ベッキー!」


 大人の男性並みに身長の高いマリーは、自分より頭一つ低い、相方を見つけて手を振った。

 しかし、ベッキーと呼ばれた桃色の髪をした少女は、それに気づかない。

 王都の市民を数千人規模で収容できる中央広場の真反対にいるのだから、声が届かないのも無理はなかった。

 仕方ないなあ、とぼやく。

 再度、辺りを確認してタレス教団の信徒がまだどこかで苦しんでいないかを、つぶさに観測する。

 どうやらここで苦しんでいる信徒たちは、そのほとんどが治療を受けたらしい。

 そう一人で納得すると、マリーはふわり、と宙に浮かび上がった。


「まったく……。ドラゴンなんて街中に持ち込むから、こんなことになるのよ。まともに調教できないなら、飼うなっての!」

「ベッキー!」

「ああ、もう。何よもう!」


 今年、十七歳になり紋章師として独立したベッキーは、街の混乱の跡片付けを上司である宮廷魔導師長から命じられていた。

 ドラゴンの吐き出した炎に含まれる毒素を浄化するために、あちこちに広がる炎の焦げ跡に向かい、浄化の附与魔法をかけていた。

 そんな彼女に、いきなり掛けられる呼び声。

 コンビを組む聖女マリーのものだった。


「ベッキー! そこの人たちをお願いします。私は王家の方たちを見てきますので」

「えっ、ちょっと待ちなさいよマリー! あっちは他の紋章師が行っているでしょ! こっちを先にっ……もう、行っちゃった」


 自分の周りにいた貴族や、商人など裕福な身なりや、恰好をしている人たちだけを癒して、マリーはまた空中に舞い上がって行った。

 後に残されたベッキーと仲間たちは「またマリーの独断かよ」とぼやく。

 中央広場にはまだまだ、癒しが必要な一般市民が、数百人は残されていた。


「おい、ベッキー。あれお前の相棒だろ? どうにかならないのかよ、聖女様だからって好き勝手し過ぎだろ?」

「そんなこと言われても、ラズ」


 赤髪の青年ラズから指摘されて、ベッキーは桃色の髪の端を指先に巻いた。

 そう言われても、マリーの方が格上なのだ。

 こちらから命令したら、後から二人の直属の上司にお叱りを受ける。

 それは嫌だった。


「ラズの言うとおりだよ。聖女がいるからって理由で、一番手のかかるこの場所を任されたのに。どうするんだよ、ベッキー? お前一人で、マリーの分も癒せるのか?」


 別の仲間がそう言って肩を竦めた。

 彼の視線ははるか上空を飛ぶ、マリーの背中に注がれている。

 彼女の腰まである豊かな銀髪がうねるように陽光を反射し、その存在は嫌でも目立って見えた。

 王宮に勤める彼らの上司はもちろん、王宮にいる。

 そして、王族といえば、王宮に住んでいる。

 上司の目には、マリーのあの銀色の光がよく見えているだろうな、とベッキーは心でそう思った。


「ごめんなさい、ラズ。それにみんな」


 相棒の後始末は、ベッキーの責任だ。

 ハシバミ色の瞳をした少女は、肩口で切りそろえたショートの髪を揺らしながら、謝罪を口にする。

 頭を下げてそこに居合わせた同僚たちに、お願いをした。


「……わたしに手を貸してください! お願いします!」

「おい、ベッキー」

「もう、またかよ」


 ラズと他の青年たち、年下の少女たちがベッキーの桃色の頭に視線を重ねた。

 もう何度、こうして仲間たちに頼ってきたことだろう。

 過去を振り返り、そう思うと、みんなに対して申し訳なさばかりが生れてきた。


「こんなに大勢の患者と破壊された跡片付け、みんなでやっても終わらないぞ、ベッキー」

「連れ戻してこいよ、あのお嬢様をさ。世間知らずの……お前だけがいっつも苦労してんじゃん」

「それだけじゃないわよ。あたしたちだって、いっつもマリーの尻拭いばっかり。もう嫌になっちゃう」

「エミリア、そんな」


 その場にいる魔導師たちの卵や、魔導師や、ベッキーと同じ紋章師になった友人たちが不服を申し立てていた。

 口々に繰り出される不満はマリーの独断専行と、それを諫めないベッキーの相棒としての責任の所在を問う者ばかりだ。

 じんわりと目頭の奥が熱くなる。

 どうしてわたしばっかり……。

 助けてください、と頭を下げるも、今回は規模が大きすぎて、みんなそれどころじゃない。

 そう断られた。


「ベッキー。連れ戻してくるか、自分でやるか。どっちかにしてよ」

「ラズ! そんな、これまで助けてくれたじゃない。辺境のときだって、魔族の幹部と戦った時だって――」


 と、ベッキーは食い下がっていた。

 いつもは助けてくれたのに、どうして今日だけ、みんな否定するのか、と。

 拒絶するなら、いつだってできたはずなのに。

 ラズは重いため息をついて、理由を口にした。


「それらの時はほら。戦いの最中だっただろ。いまは平和で、誰も死ぬ奴がいない。戦う相手もいない。敵が魔族からこういったトラブルとか、天災に変わっただけだ。でも、誰も死なないだろ。なら、自分でもできるだろ」

「……そう、ね。でも、ごめんなさい。怪我人だけは真っ先に見ないといけないし、それに竜の呪いを浄化しないとこっちだって……!」

「ベッキーは怪我人を、お前は浄化を、俺たちは壊れた残骸の修復を。だったよな、役割分担」

「そうだけど、治癒と浄化を全部一緒には……できるけれど!」

「なら、やれよ。俺たちは壊されたモノを直す。できるんだろ?」

「……うん……」


 できないことはない。

 聖なる附与を与えれてやれば、たいがいの傷は完治するし、回復もする。治療は難しくない。

 ドラゴンの炎にまとわりついている瘴気の浄化だって似たようなものだ。

 ただ――それをやったら、評価が全部彼女に行く。

 それが、ベッキーには面白くなかった。


「ドラゴンが四頭暴れて……炎の照射範囲はせいぜい、これだけで。呪いの巻散る範囲はその倍で。怪我人たちは中央広場にほとんどいる。全部、ここに集まったようなもんね。はあ……」


 マリーは聖女だ。

 聖女はこの王国に何人かいるが、職位でいえば紋章師よりも格上の存在になる。

 ほぼ同格の扱いでコンビを組んでいるものの、いざとなったら、マリーの指示には従わなくてはならない。

 そしてベッキーが現場でどんなに優秀な成果を上げても、それはすべて格上のマリーの成績になる。

 マリーはどんどんと出世の階段をステップアップしていく。

 自分はどんなに頑張っても、報われない、ただの駒だ。

 現場で走り過ぎて擦り切れて、いつか壊れる――ただの駒。


「……報われないなあ」


 ベッキーは何もない空間に、指先で魔法陣を描いた。

 燐光を放つその光の軌跡は、聖附与術を広大な範囲で適用するために必要な補助術式を幾つか描き出す。

 浄化を。

 その意思一つ、たったそれだけで、中央広場にあったすべての存在が、まばゆい黄金の光に包まれた。

 それは天空を飛んでいくマリーの銀髪が反射する、鈍い灰色のものとは違う暖かなものだ。

 生きるすべての存在に祝福を与えるようなその光に包まれたら、誰だって穏やかな気分になれる。

 死者だって蘇生してしまうほどの威力を秘めている。

 

「ふう――……」


 術の効果がきちんと反映されたかと不安になり、ベッキーは光がおさまった付近を素早く見渡した。

 そこではつい今の今まで地面に伏せて呻いたり、苦しんでいたり、血だらけだった連中が何事も無かったかのように、さっぱりとした顔をして佇んでいる。

 経過を見守っていた仲間たちが、「やればできるじゃん」「そうそう、ベッキーは凄いのよ」「よく頑張った!」と口々に褒めてくれた。


 中央広場から遠く離れた場所で、倒れた尖塔の一部を修復していたラズはそれを見て「やっぱりな」と静かに微笑む。

 上司や相棒には恵まれないベッキーだったが、仲間たちからはその実力を見込まれていたし、慕われていた。

 ただ、彼女には少しだけ欠けているものがあったから、みんな、いつも冷たくする素振りを見せてしまう。

 それは、『勇気』という名前の、決断だった。


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