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 帰り道の車内は気まずい、ということもなく。それよりも碧は他人を乗せての運転に、昼間以上の緊張を感じていた。

 夜は昼よりも視界が悪いし、そもそもスピードを出している車が多い。光が遠くに見えたと思ったら、すぐそこまで迫っていることだってある。

 おっかなびっくり、という表現がぴったりの運転になりそうになったところで、昌也が「ほんま、オレのことは荷物かなんかやと思ってください」と大笑いしたので、そこで少しだけ碧の緊張が緩まる。

 昌也が普段帰る家は一人暮らしをしている部屋で、智夏の近所に住んでいるらしい。しかし今夜は碧を家に送り届けるという目的のために、わざわざ碧の家から徒歩で帰れる距離にある自分の実家で泊まってくれるらしい。

「昌也くんって、一人暮らしもして車も持ってるなんて、凄いですね」

 気まずくはないが、さすがに沈黙というのもなんなので、碧は視線を前に向けたまま昌也に話しかける。話す話題がわからなさすぎて、上辺ばかりのむず痒い会話内容だ。

「えーと、多分オレの方が一個年下なんで、そんな気ぃ遣わなくて良いですよ」

「え……そう、なん? でも、年下とか、もっと凄いやん……」

 ほとんど苦し紛れのような話題が、驚きの事実を掘り起こした。こんなにしっかりした年下の人間なんて、碧は学内でもバイト先でも会ったことがない。分母自体が数人程度なのだが。

 碧としては褒めたつもりだし、年下ともわかったので少し気を抜いてしまった。碧の言葉が少し砕けたことに、昌也の目が細められる。左折をするタイミングでその瞬間が目に入り、手元が狂いそうになる。

 車は問題なく左折を決め、車通りの少ない広めの道を直進していく。気を紛らわすようなものは、ない。

「年が一個二個上なくらいで、偉ぶれるもんやとは思ってないんで。オレは例え姐さんが年下やったとしても敬語で接しますよ。年齢だけで尊敬してるわけじゃないんで」

「あ……ごめん、なさい」

 細められたままの視線は、ずっと前を向いたままだ。智夏との約束のために、彼はちゃんと碧を送り届けようとしてくれている。周囲をちゃんと見てくれているし、これまでも見落としていた車の接近を伝えてくれた。

 でも、先程の一言で――碧の迂闊な一言で、彼を失望させたかもしれない。

 碧にとっての上下関係は、学内での学年とバイトでの先輩後輩の関係だけだ。バイト先はたまたまだろうが年上の先輩しかいなかったし、学内の先輩は学年がわかった途端に砕けた口調に変わった。先程の碧と同じように。年下だとわかったから。理由は本当に、それだけだった。

――年齢だけで尊敬してるわけじゃない……か。

 昌也の言葉に気付かされた。碧だって、智夏が年上だから惹かれたわけじゃない。それは断言出来る。男じゃなくても彼女が好きだし、きっと同い年の学生だったとしても、彼女はあのスタンスな気がする。だから、好きだ。彼女だから、好きだ。

「……オレ、べつに怒ってるわけじゃないですよ。多分姐さんにも言われてそうですけど、“今”失敗したことは、これから失敗しなければ良いと思うんで、オレも。だから、そんな泣きそうな顔で運転せんといてください。こっちが怖いし。アクセルもハンドルもブレーキもこっちに欲しいレベル」

 最後には自然な流れで頭まで撫でられた。年下なのに、とか未だに思ってしまった頭を振ってから、碧は「ありがとう」と呟いた。小声になってしまったのは、やっぱり『年上のプライド』というやつなのだろう。智夏に言われた時よりも、やっぱり彼に言われるのはダメージが大きい気がする。

「素直に謝らんと、姐さんに呆れられちゃいますよ。姐さんの可愛い彼女さん」

 赤信号に反応するように、ぐっとブレーキを踏み込んでしまう。ガックンと漫画のような止まり方をした愛車に、思わずシートベルトに感謝を捧げつつ、驚きを隠せない目を彼に向ける。心臓の鼓動が騒がし過ぎて、彼に筒抜けなのではないかとすら思ってしまう。

――な、なに? なんで知ってるん?

「えっと……な、何が? 彼女って?」

 なんとも間抜けなとぼけ方だと自分自身でも思った。嘘をつける程器用ではないし、助手席に座る彼はどうにも、碧の心の奥底を見抜いている気がする。

「碧さんって天然すか? そんな必死になって隠さんくても大丈夫ですよ。オレも仲間なんで」

「へ? 仲間? 集まり、の?」

「ちゃいます。オレも男の彼氏と付き合ってます。ゲイなんで。姐さんから碧さんのこと好きかもしれんって相談受けて、背中押したんですけど、迷惑じゃなかったですよね?」

「そんなっ――」

――迷惑なわけないやん!

 胸がどくんと熱くなる。その勢いのまま言葉を吐き出そうとして咽てしまった。

 そんな碧の反応が面白いのか、昌也は「前、前」と言いながらも大笑いする。相変わらず男前の笑顔だが、こんなモテそうな人もゲイ、なんだ……

――絶対、女の子が放っておかんやん。でも……智夏だって、そうか……

「ありがとう……」

 もう一度色々な意味を込めた感謝を口にした碧に、昌也も伝わったのか安心した顔をする。

 それからは二人で色々な話をした。

 まずは昌也の恋人である男の子の話や、お兄さんの話。

 恋人はまだお披露目していないらしいが、一応仲の良い仲間内には話したらしい。先程まで一緒だった健斗も知っているのだと言う。

 年の離れた兄もそのことは知っているが、基本的には応援してくれているということ。そしてどうやらその兄は、今日、失恋してしまったらしいのだ。

 智夏相手に。

 昌也の兄も車好きで、あの集まりにもよく参加している。見た目の特徴を聞いたら確かに、よく智夏と一緒にいるところを見掛けた男だった。智夏よりも三歳年上らしく、弟の昌也とは反対にガタイが良かった記憶がある。そして強面。やはり見た目がアウトロー全開なのは家系なのだろうか。

 その兄はどうやら、検査結果を聞いた智夏から、一方的に関係を断たれたらしい。恋愛感情を抱いていた兄に対して、智夏は性欲しか刺激されていなかったらしく、セフレのような関係を続けていたらしいのだが、それを一方的に断たれたということだった。告白すらも出来ぬまま電話を切られ、傷心の兄から連絡があったと弟は大笑いしていた。

「姐さんは碧さんに本気やから、兄貴のこと切ったんすよ。だから、自信持って、堂々と付き合ったら良いんですよ」

 身内が失恋したとは思えない笑顔に、碧もしかし、笑顔で頷いた。自分の知らないところで色々と被害が出ていそうだが、それすらも彼女の本気の現れのようで嬉しかった。しばらく夜道は気を付けようと思ったけれど。

 楽しい時間はあっという間で、もうすぐ碧の家に着くというところで、不快な電子音が車内に響いた。

 それはスマホの着信音で、音と共に振動しているのは碧のものだ。一応何かあった時のために車内中央の足元にあるポケットに入れておいたのだが、そこからの着信音がやけに不吉に碧には聞こえた。

 運転中の碧に代わって、昌也が気を利かせてスマホを手に取る。

「えー、と見る気はなかったけど、健斗からの着信みたいやな。出ます?」

 彼の言葉通り、ロックも掛けていなかった自身のスマホの画面には、健斗からの着信の表示が踊っている。

「あ……ええっと……」

 なんとなく、今は出たくなかった。出来ればこれからも、ずっと。

 そんな碧の心中なんて、昌也にはお見通しなのだろう。彼はロックの掛かっていない碧のスマホをすっとスワイプして、健斗からの通話に出てしまう。

「もしもし」

『もし……ってなんでお前が出んねん!? まさかお前、碧ちゃん食ってもた!?』

 敢えてスピーカーモードにしたのか、健斗の怒号が聞こえてきて、碧は面喰ってしまう。確かに怖そうな見た目はしていたけど、話せば気も遣える優しい人に感じたのに、今はそんな空気はどこにもない。低く大きい、恫喝の声だ。

「食う訳ないやろ、お前とちゃうし」

『せやろな! ホモ野郎のお前は女なんて興味ないわなぁ!』

「……そのホモ野郎に女取られてるんは誰やろなぁ? とにかくこいつはヒトのもんやから、もう連絡してくんなよ!」

 売り言葉に買い言葉の勢いで昌也もそう捲し立て、そのまま通話を切ってしまった。あまりの勢いに言葉を失っていた碧だが、車が家の傍に着いたところで、ようやく声を出すことが出来た。

「健斗くん……同性愛には……」

「初めてカミングアウトした時は、面と向かって『キモイ』言われたで。『もうお前とは出掛けたない』とも言われた。それからいろいろあって、今はもう表面上は元通りに接してるわ。仕事も一緒やから距離とか開けれへんしな。一応嫌悪感はあっても、周りに言いふらすとかはしおらんかったし。まぁ、ついさっき言いやがったけど」

 オレ、あいつのことなんか興味もないのになーと頭を搔きながら笑う昌也に、碧は上手く笑顔を返すことが出来なかった。

 昌也と健斗の関係は、碧から見たら仲が良さそうな、それこそ親友のようなものに見えていたのに。その水面下ではそんな辛辣な言葉が飛び交っていたなんて。

――私は……言える?

 仲の良い友人に。家族に。自分は言うことが出来るだろうか。そして、受け入れてもらうことが出来るのだろうか。

 碧の微妙な表情に気付いた昌也が「じゃ、オレはここで。運転してもらってありがとうございました。何かあったら、オレにも連絡してくれて良いんで」と言って連絡先をスマホに登録してくれた。そしてそのまま車を降りて、扉を閉める前に碧に言った。

「べつに周りになんでもかんでも恋愛のこと言うのが良いってこともないと思いますよ。言いたくないことは言わなければ良いし、絶対に全部話すなんてこと、“普通の恋愛”でもしないでしょ?」

 最後までフォローを忘れない年下には頭が上がらないなと碧は思いながら、車庫入れのために気合を入れ直した。

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