第21話 ルシナ村の現実

「………っ」


 次の日の朝、フラムの力になると言って聞かなかったフェンリルを連れ、ルシナ村まで帰ってきたヨハネスたちだったが、現在は三人揃って村の入口付近で足を止めていた。


「これまた、随分とひどい村でござるな」


 ルシナ村を一目見たフェンリルが、不景気な顔で口にするのも無理はない。


 修繕・修復を行い完成間近だった風車小屋は、中央から真っ二つに折れていた。


 それだけではない。

 ヨハネスが頑張ってはじめて耕した畑は荒れ果てていた。

 ヨハネスの心には、悲しくてやるせない思いがのしかかってくる。


 無論、村人たちの悲しみはそれ以上だった。


 畦道に座り込んだ村人たちは皆、土気色の顔をして絶望と先の見えない不安に心を沈ませている。


「なんで、どうしてです!?」


 ヨハネスは考えるほど頭の中は収拾がつかなくなり、握った拳の指先は冷たいのに怒りで頭が熱くなる。息は次第に荒くなり、カタカタと震えてよろめいてしまう。


「お師匠!?」


 村のようすに青ざめたロザミアが大地を蹴り上げた。


「あっ!」


 短く発して手を伸ばしたヨハネスには目もくれず、ロザミアは弾かれたように駆け出した。


「ロザミア殿は拙者が!」


 凛々しい顔のフェンリルがすぐさまロザミアのあとを追いかける。


「………っ」


 奥歯を食いしばって砕いてしまいたいほどの口惜しさばかりはあっても、ヨハネスは何をすることも出来なかった。ただ茫然と村を見渡し、やがて力無くぽつぽつと歩き出した。


「……あの」


 絶望に座りこんでいた村人の頭上に影が落ちる。村人が見上げた先には今、最も見たくない顔が陰鬱そうにこちらを見つめていた。


「すみません、殿下……」


 何があったのか尋ねようとしたヨハネスの言葉を遮り、村人は涙ながらに声を絞り出した。


「もう、この村には近付かんでもらえませんか?」


 男は震える体を小さく丸めては、何度も地面に頭を擦りつけていた。


「やめてくださいっ!」


 ヨハネスは泣きそうな顔で男の肩をつかみ取り、体を起こそうとするが、男はそれ以上の力で地面に吸い込まれていく。


「分かりましたから! もうここには近付きませんから……だから、やめてください」


 ヨハネスが涙ながらに訴えて、ようやく村人は顔を上げた。


「本当に、本当に申し訳ありません殿下っ」

「いいんです。ただ一つだけ教えてください。一体何があったんですか?」


 ヨハネスは何度も首を横に振り、謝る必要はないと男の背中を優しくなでた。

 そして男が落ち着くのを待ってから、この村に一体何があったのかを聞くことにした。



 ヨハネスたちが山に向かったその日の晩、西の空が黒く染まったという。ワイバーンの群れが押し寄せたのだ。


 ワイバーンに騎乗した帝国軍人たちの中には、あの長身痩躯の男、アブレット・ブルータスの姿もあった。


 彼らはマルコス・クレイジーの身柄を要求、逆らえば村人を皆殺しにすると脅迫した。

 やむを得ずマルコスが自ら投降したのだが、第7皇子を匿った罰だと言い、アブレットは村を蹂躙した。


 村を破壊し尽くしたアブレットは去り際、アビル殿下がカオストロスで待っていることを第7皇子に伝えろとだけ言い残し、明け方には西の空へ飛び去っていったという。



「狙いは初めから殿下だったんです。一度目はマルコスの、そして二度目は殿下の、皇位継承問題にこの村は巻き込まれてしまった。助けていただいた殿下にこのようなことを言うのは心苦しいのですが……。もうこれ以上は耐えられません。どうか二度とこの村へは――」


 男は何度も、何度も地面に頭を擦りつけた。


「分かりました。すぐに出ていきます……ごめんなさい」


 ヨハネスは気丈に振る舞いながらも悔悟の情から思わず溢した謝罪の言葉は、あまりにも小さく溢れ、沈んだ空気に溶けて消えた。



 一方、マルコス魔法道具店のドアをくぐったロザミアは、乱雑になった店内に立ち尽くしていた。


「お師匠……」


 視線の先には走り書きのメモと、それを留めるための短剣が壁に深々と刺さっている。

 メモの内容は二日後、マルコス・クレイジーの公開処刑をカオストロス中央広場にて執り行うというものである。


 その処刑にはヨハネス・ランペルージュが見届け人となっている旨が記されており、破棄すればシルナ村に災いが降り注ぐと綴られていた。


「なんでござるか、この悪趣味な伝言は」

「………」


 メモを目にしたロザミアの顔は前髪が邪魔で窺い知れなかったが、握った拳が小刻みに震えていた。まるで自分の中の何かと闘っているようでもある。


 ロザミアは徐に店の奥へ歩きだし、戸棚から大きな背嚢を取り出した。

 無言で必要なモノをてきぱき背嚢に詰め込むと、ロザミアはそそくさとフェンリルの横を通り抜け、扉を開けた。


「どこに行くでござるか?」

「ローザは、お師匠を助ける」


 感情の起伏が乏しい少女から発せられた声音は、何かを決したように固いものだった。


「待つでござるよロザミア殿!」



 手を掴んだフェンリルを強引に振り払い店を飛び出したロザミアは、左手にはめられた指輪を勢いよく天に掲げた。


 すると指輪から一条の光が放たれる。


 光は雲を貫き天へとまっすぐ伸びて、やがて巨大な翼を羽ばたかせた怪鳥を降臨させる。


「ブルーワイバーン!? 一体何処から現れたでござるかっ!」

「お師匠の、守護獣ガーディアン



 きょとんとするフェンリルにロザミアは拳を突き出した。中指には魔法術式の施された指輪がはめられていた。


守護獣ガーディアン? なんでござるかそれは?」


 1000年もの間、山に引きこもっていたフェンリルは情勢に疎く、その知識は1000年前からまったく進歩していなかった。


 無論、魔法文明がもたらした魔法術式定着技術など知る由もない。



「まさかロザミア殿がその若さで召喚士だったとは驚きでござるな。相当修行したのでござろう? 恐れ入ったでござるよ」

「召喚士……? 修行……? ローザ、そんなのしてない」

「なっ、なんと!? 修行なくして召喚術を会得したと!? 天才ではござらぬかっ!!」


 目を剥いて驚くフェンリルから、ロザミアは傍らに降り立ったワイバーンへと顔を向ける。そのままワイバーンの背によじ登ったロザミアは、「飛んで」ささやくように呟いた。


「ロザミア殿!?」


 大人しかったワイバーンが突如翼をはためかせて飛翔したことに驚いてしまい、フェンリルは臀部を地面に打ちつけた。見上げたワイバーンは赤く燃えた夕焼けに吸い込まれるように上昇を続け、あっという間にその姿は米粒ほどの大きさにまでなっていた。


「参ったでござるな。さすがの拙者も空は飛べぬでござるよ」


 ヨハネスにロザミアのことは任せろと言った手前、フェンリルは悩んでいた。


 ぐぅ〜……。


 フェンリルにしては珍しく頭を使ったせいか、お腹が鳴ってしまう。


「いずれにしても腹ごしらえが先でござるな」


 器用に鼻先をクンクン動かしたフェンリルは、何かに誘われるように店内に戻っていく。


「匂うでござる……こっちでござるな!」


 食糧を探し求めて店内を物色するフェンリルの後方で、カランコロンとベルが鳴り響く。


「あっ、ヨハネス殿も食うでごさるか?」


 口いっぱいに干し肉を頬張り、首飾りのように首から腸詰めをぶら下げたフェンリルがヨハネスに声をかける。

 しかし、ヨハネスは店内に入るや一点を見つめたまま険しい表情で立ち尽くしていた。


「……これは!?」


 壁に貼られたメモを目にしたヨハネスは、その文面を理解したとき、体の内側から燃えるような熱を感じて、内臓が震えるほどの激しい怒りに支配された。


「ロザミア!? ロザミアはどこです!」


 素早く店内を見渡したヨハネスは、そこでようやくロザミアがいないことに気がついた。


 緊張で顔が強張って蒼ざめるヨハネスに、「それがでござるな」ゴクリッと口の中のものを一旦飲み込んだフェンリルが小さく頷く。


 そっとヨハネスの傍らに移動し、フェンリルは例のメモに視線を向けた。


「これを見た途端荷物をまとめて出ていったでござるよ。もちろん拙者は止めたでござるよ? しかしでござるな、ロザミア殿も人が悪いでござる。まさか召喚士だったとは拙者驚いたでござるよ。突然ワイバーンを召喚したかと思ったら、拙者になんの説明もなく飛んで行ってしまったでござるよ。さすがの拙者も空を飛ばれてはお手上げでござった。面目ない」


 ペコリ頭を下げたフェンリルには目もくれず、ヨハネスは店を飛び出した。


「ヨハネス殿……?」

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