第20話 アビルの罠
「なんだとッ!」
街の高台に位置する屋敷からは、平地まで響きそうなほどの怒鳴り声と、投げつけられた杯が床に転がる金属音だけが鳴り響いていた。
「それで貴様は見す見す彼奴を、ヨハネスを見逃した挙げ句、おめおめと一人逃げ帰ってきたと申すかァッ!」
鬼の形相で声を荒げるのは、皇位継承順位第5位――アビル・ランペルージュ。
「お、お言葉ですが殿下。あの者は元断罪のメンバーであり、
「黙れッ! 俺の前で見苦しく言い訳などするでないわァッ!」
食事中の皇子に跪くのは、恐怖にさらされた子羊のような長身痩躯の男、アブレット・ブルータス。彼の顔はぬぐってもぬぐっても脂汗でべったりと濡れている。
「あらあら。まぁまぁまぁ。どうしましょう」
そんな男とは対照的に、愉快そうな声音でわざとらしく口する女がいた。
「やはりマルコスは断罪を抜け、一人研究を続けていたのですね。とってもイケない子。やはりお仕置きが必要かしら?」
アビルと相席する女は黒いベールで顔全体を覆い隠しており、その素顔は窺い知れない。
呪い師を彷彿とさせる黒一色のドレス。黒いベールの中央には深淵を覗く者という意味が込められた目をモチーフにした紋様があり、胸元には欺く者たちの証でもある、ぺテロ十字が光っていた。
「ええい、面白くないッ!」
ヨハネスが生きているというだけでもアビルにとっては腹立たしいことこの上ないのだが、その上優秀と聞いていた
長テーブルに拳が振り下ろされるたび、部屋の隅に控える侍女たちが恐怖に震え上がっていく。
「ひぃっ」
彼女たちの体には夥しいほどの傷があり、額や首、お仕着せから覗く素肌には乱雑に白地が巻かれている。なかには片目を失った者もいた。
「なんだその目はッ!」
薙ぎ払われた料理の数々が床に飛び散り、ブーツで仔牛のソテーを踏みつけたアビルがフォークを手に侍女へと詰め寄る。
その顔には憤激の色が漲っている。
「お……お許しください」
涙ながらに許しを請おうとする侍女らに向かい、アビルは容赦なく唾を飛ばした。
「俺が端女の子であるからその様な目で見るかァッ!」
劣等感と自尊心を孕んだ暗い炎をうつした表情で侍女にフォークを突き刺し、その後も侍女たちに罵詈雑言と殴打を浴びせ続ける。
そんな第5皇子にアブレットは心底戦慄していた。
「………」
どうかその狂気が自分に来ぬようにと、じっとペルシア絨毯の柄を凝視し続ける。
「あらあら、殿下……」
彼の祈りを嘲笑うかのように、黒ずくめの女が薄い唇を開いた。
「うふふ……。わたくしとしたことが間違えましたわ。直に皇帝となられる御方にとんだ御無礼を、アビル陛下。宜しければこちらを陛下に……」
「なんだ、それは?」
肩で息をするアビルが振り振り返る。その顔には思わず、目を覆いたくなるほどの鮮やかな血が飛び散っていた。
女は何処からともなく一本の長剣を取り出すと、それをそっとアビルへと差し出した。
「……魔具か」
柄頭に嵌め込まれた魔石には、女のベールと同じ奇妙なマークが刻み込まれている。
「そのような魔具は必要ない。皇子である俺は優れた武器を五万と所有しているのだ。それこそ英雄と呼ばれた者たちの技量定着術式を施した最強の魔具がなッ!」
「ええ。ええ。存じていますとも。ですが、
「―――!? ……それがそうだと申すか?」
女が差し出した剣を、アビルは値踏みするように見ている――いや、この場合は睨むようにと表現するのが正しいだろう。
「本来ならば完成品を……そう考えておりましたが、
弾む声音で女が続ける。
「しかし、陛下に相応しい魔具、
「――ダメだァッ! マルコスとかいうジジイはもう要らぬッ! 俺ではなくヨハネスを選んだ時点で死罪確定だ! 老いぼれに相応しい死をくれてやる」
「あらあら、まぁまぁまぁ。では仕方ありませんね。でしたらマルコスを囮にヨハネス皇子を誘き出すというのはいかがでしょう?」
蜜のような甘い声でささやく女に、アビルは強情らしい、人に迫るような顔つきで聞き返した。
「誘き出す……具体的にはどうする?」
「簡単なことですわ。アブレットにマルコスを拐って来させるです。そして大々的に公開処刑を執り行えば、愚かなヨハネス皇子のことですから、きっとのこのこやって来ることでしょう」
「なるほど。そこを俺が仕留めるというわけか」
「ええ。ええ。今度こそ憎きヨハネス皇子を消し去り、陛下の力を世界に知らしめるのです」
剣を受け取ったアビルが女と共に哄笑する。
その顔は夜叉そのものであった。
「よかろう! 今度こそこの手でヨハネスを斬り殺してくれるわァッ!」
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