「 」

鈴哭 時雨

第1話 出会い

「うーん、まぁ今回もこんな感じでいいかなぁ……。 とりあえず編集部には出しておくから」


「あ、はい。 分かりました」


そう言って俺は担当編集者に頭を下げ、喫茶店を後にする………


今日も不発だったっぽいなぁ。


百敷ももしき 一途いっと、23歳。大学を卒業後、趣味である執筆を生業に。評判は「面白かった!」という声もあれば、「なんか足りない」「面白くない」なんて声もあり、至って普通。でも俺にとっては特段大事な事ではない。

重要なのは楽しんでもらえてるという事実だ。もちろん「面白くない」という言葉は心に来るが、それも含め“読者の声”だと思えばなんともない。

たとえ自己満足で書いた小説だとしても、人様に見せるのであれば、作品の質が良いに越したことはない……。

まぁ、ちゃんとその声を活かせてるかどうかは別として。

何はともあれ、ここまでグダグダ語ってはみたが、要は“私はフツーな平凡空気作家です”というワケだ。





喫茶店を出てすぐに都会特有の眩さに出迎えられ、目を細める。

東京。それが一途の暮らす都市の名前だ。


騒音とネオンライトの下を通り抜け、比較的人通りの少ない路地へ出る。そのまま右へ左へと道を歩く事数分。落ち着いた雰囲気の木造アパートが姿を現す。知名度は低いが、中々に快適。穴場だ。

木特有の軽やかな音を響かせながら階段を登り、奥から2番目のドアに鍵を差し込む。

出迎えるのは物言わぬ家具。そんな光景にため息を吐くと、椅子に腰掛けた。

親は一途の幼少期に無駄に巨大な屋敷と莫大な遺産を残し他界。家族と言えば妹のめいくらい。

流石に子供2人で屋敷と遺産の管理なんて出来るはずなかったので、父の従兄弟である忘時わすれじ 針二しんじさんの家に引き取ってもらった。針二さんは金持ちというワケではなかったが、それなりに満足出来る生活を俺らに送らせてくれた。

そして高校3年生になった俺は、一人暮らしを始める。バイトと学校、味気のないその毎日に辟易し、何か息抜き出来る物はないかと考えた所、執筆という趣味を見付けたのだ。

自分の手で一つの世界を創る……その感覚が、俺はたまらなく好きだった。

学校では授業そっちのけで小説を書き、バイトでは空き時間に構想を練ってはメモをする。そんな細やかな楽しみが出来た、ある日のことだった。


「お会計が360円になります」


「はい」


いつも通りのアルバイトの光景……

あー、早く小説のネタ考えたいなぁ——。


「ありがとうございまし、あっ」


頭を下げた時に、胸ポケットからヒラヒラとメモが落ちる。


なんてこった、小説のネタが!?


急いで拾おうと手を伸ばすが、先に目の前でレジを待っていたお客さんが拾ってしまった。


「あっ……」


「ん? ……あぁ、これは君のかい? はい、どうぞ」


「あ、ありがとうございます………」


よ、よかった、中身は見られてないっぽい………。


「……ん?」


いや、気付いて欲しくなかった……。

その間にも、その男性はどんどんとメモに目を走らせる。なんだか手慣れているのが余計に怖い。

ものの数秒と言わずに見終わったらしい男性が、俺に感嘆の表情を向けた。


「驚いた……。 これ、君が考えたのかい?」


「は、はい、そうですけど……?」


「へぇ、君 中々センスあるね!気に入った!」


「は、はぁ……?」


なんかどんどん話進められてる気がするけど……というかこの人何者?

と、まるでその考えを読み取ったかのようなタイミングで彼が口を開いた。


「あぁ失礼。 私は龍宮たつみや 輝刃てるはという者で、とある出版社で編集者をやっているんだ」


そう言うと彼はポケットから名刺を取り出し、俺に差し出した。そこに書かれていたのは、知る人ぞ知る有名な出版社の名前だった。


「えぇっ!?」


「ただ、今 出版社うちは実力のある作家が不足気味でね……。 丁度君のような才能ある新人を探していたんだ」


--なんだかすごい持ち上げられてるような?


「というワケで、この後時間があればお話がしたいんだけど……。 流石に今は邪魔だよね。この後時間あるかな? あと、もしもう執筆してたら、見せてもらえると嬉しい」


自己満足で書いていた小説を「気に入った」と言ってくれる編集者がいる。

出来事としてはたったそれだけだが、自分の小説を多くの人が見てくれるようになるかもしれない。これを考えて、果たして迷う必要があるだろうか?


「は、はい!喜んで!」


二つ返事で快く承諾した俺を見て、輝刃さんは笑顔を浮かべる。その後、俺にスケジュールを合わせてくれると言ってくれたので、近場の喫茶店を要望し、

その要求を呑み込んでくれた輝刃さんは「またあとで」とだけ言うと、コンビニを後にした。





--小説家になったキッカケは、ここからだったな………。


愛用のPCで次回作のプロットを作成しながら、柄にもなくそんな物思いに耽る。

あの後の輝刃さんの反応としては、大ウケ。

自分で言うのもあれかもしれないが、本当にそのくらい大仰な反応をされたのだ。

いざ出来上がった小説を出版してもらうと、これまた上々な反応を受けた。その後もどんどんと新章を書いていき、なんと“無名“の域を脱する程にまで名を広める事が出来た。

そして俺は更なる作品の質向上のために文学系の大学へ入学。卒業までの三年間を休止期間とし、全力で文学を学んだ。結果、上位10名になるほどの実力を物にし卒業。今までの俺とは違うぞという意志の下に出版した新作は………


——不評だった。



何故だとSNSで調べてみれば


「何言ってるか分からん」

「文章が堅すぎて物語に入り込めない」


という感想がほとんどだった。

それもそのハズだ。これまで低年齢層の中学生などをターゲットにした作品を多く手掛けてきたのに、いきなり中年層の大人向けの文章に変わってしまったのだ。読書家というワケでもない子供達が付いて来られるワケがない。

これではまずいとなんとか文章を読みやすいように書き直そうとしたが、どういうワケかそう直す事が出来なかった。

勉強の為、俗世からの繋がりを一時的に断った生活を3年間も続けたのだ。今時風の言葉を知るハズがない。

こう言うワケだから、変に焦ってまた変な文章を作ってしまう。この有様故に、ファンが離れていくのも当然の結果だった。

今では素直に諦めて堅苦しい文章で頑張っている。その頑張りもあってか少しだけ知名度も戻って来て、細々とではあるが作家人生を歩めている……。

文章は大人向け、内容は子供向けというアンバランスな作風のせいで、新規のファンなど望むべくもないが………。


「——今日はこんな所か」


大まかな設定、あらすじの方向性をまとめるとPCを閉じる。明日は今日提出した原稿の詳しい感想を輝刃さんに聞きに行かなければならないので、あまり夜更かしはしたくない。時刻は既に11時過ぎ。眠りに就くには丁度いい頃合いだ。

特に腹が減っているというワケでもないので、手近にあった小さなチョコを口に放り込むだけに留めておく。このままベットに直進………

でもよかったが、なんとなく足を止めてテレビを点けた。


「——して、明日は曇り後雨でしょう。」


「ん、明日は雨か」


ちゃっかりソファーに座り、天気予報をボーっと眺める。

別に雨は嫌いではない。むしろ好きだが、何か書類や原稿を持って行く時は濡れないか心配になるので少しだけ嫌になる。

だが曇り後雨と言っていたから、早めに終わらせれば大丈夫か?

明日すぐに家を出られるよう手持ち鞄に折り畳み傘を入れると、いつもより少しだけ早めの時間にアラームを掛け、眠りに就いた。





翌日、午前7時。

ワイシャツの上に少し厚手のロングコートを羽織り、首元にマフラーを巻くと、鞄を片手に家を後にする。

今は10月27日で秋の中旬、それなりに冷えてくる時期だ。街を歩く人達もそれなりに着込んでいる。やがて目的地である喫茶店に着きドアを開けると、「いらっしゃいませ」と落ち着いた女性の声が響いた。


「あぁ、輝刃さんならいつもの席にいるよ」


「そうか。」


「はは、相変わらず無愛想だなぁ…… お姉さん、悲しくなっちゃうよ」


「からかうのはよせ、奏。 そもそもお前がどう思ってようが、俺には関係ない」


「辛辣な言葉をどうも、一途クン」


彼女は音鳴寺おんめいじ かなで。俺の友人であり、この喫茶店「泡沫うたかた」のオーナーだ。

少しからかいが過剰な気もするが、特段しつこいというワケでもないので放置している。

今現在も薄ら笑いを浮かべる奏を無視し、少し奥の窓際の奥へ向かう。


「おはようございます、輝刃さん」


「ん、一途君か。今日は随分と早いじゃないか?」


「えぇ、早めに終わらせた方がいいと思ったので」


コーヒーを飲みながら悠然と原稿に目を通す輝刃さんの姿は、朝日を浴びているのもあってか、中々様になっていた。


「……結構、画になりますね」


「ふ、そうだろ?何せこの俺だからなっ!」


そうドヤ顔で言い放った瞬間、太陽の光が差す。輝かしい……いや眩しい。それを通り越してうっとうしい。

作家、担当者という関係になってから輝刃さんが俺に見せてくれた真の姿は、まさかのナルシスト。だがこの姿を見せるのは信頼している人だけなので、嬉しくもある。だがそれでも、この姿には苦笑を禁じ得ない。


「まぁ、時を戻そう。」


某芸人みたいな事を言いながら輝刃さんは原稿を置く。ちなみに太陽はもう雲の間に隠れている。さっきのは一体何だったんだろうか。


「今日の要件は、原稿の感想、だったな? それならもうまとめてあるから、そこに掛けてくれ」


「あぁ、はい」


こんなのではあるが、根は真面目な人だ。手際はかなりいい。俺が腰掛けたのを確認してから、一枚のメモ用紙をテーブルに置いた。


「まず率直な感想だが……。普通に面白い。最近掃いて捨てるほどに急増した異世界転生系、主人公最強系……俗に言う“なろう系”の底辺レベルよりかはな」


「あ、ありがとうございます」


「だが、やはり文がな……。 一途君の文章はとてもいいんだが、内容が内容なだけにどうしてもアンバランスさが目立ってしまうんだ」


「はい」


「一途君の小説、“グリムの書斎”の世界観は素晴らしい。だが内容が低年齢層向け過ぎる。 文章の雰囲気に騙されて読み進め、いざ読み終わってみれば、なんともまぁ単純な話だった事か……。そういうパターンがほとんど。 これじゃ、あんまり読者は集まらないだろう。 まぁ下手にエロなんかに走る底辺なろうよりかは希望はあるだろうが」


流石編集者、と言うべきか、輝刃さんの分析は鋭い。その分析のおかげで今の知名度を保っていられると言っても過言ではないだろう。


「あと他にはぁ……」


その後 俺らは意見を出し合った。改めて課題点を洗い出してみるとキリがない。輝刃さんの感想をノートにまとめながらそんな事を考えていた。文章の構成、あらすじの方向性などを一心不乱に話し合い、まとめて行く……


--急がねば雨が降る、という事を忘れて。


「……とまぁまとめると、“その文章に合わせて大人向けの物語を書く”か、“内容に合わせて低年齢層にも分かりやすいような文を覚える”かの二択だ」


「結局そうなるんですね」


「言ってしまえば、一途君の課題点は文章と内容のアンバランスさだけだからな。 強いて他に挙げるとすれば、物語の進行が遅いことと、オチが若干弱いことだな」


「なるほど…… って、もう雨が降ってきた………」


「ん?あぁ降ってきたな……傘持って来て当たりだったみたいだ。流石はおれ——」


「ですねー!降って来ましたねー!」


言葉を遮られて「む……」と不満の声を上げる輝刃さんを華麗にスルーし、窓の外へと目を向ける。

空はすっかり雨雲に覆われ、コンクリートへと打ち付けられていく雨が、ザーっと絶え間ない音を鳴らし続けていた。

時刻は既に午後3時。思っていたより長く話していたようだ。


「それじゃ、俺はそろそろお暇するかな…… 先に失礼するよ、一途君。」


「あ、はい。道中お気を付けて」


んな大仰なと苦笑いで返した輝刃さんは会計を手早く済ませると、喫茶店を後にした。

その後ろ姿を見届け、もう一度窓へと顔を持っていく。耳に届く雨音が心地よい……雨が降るのを眺めているだけで少しうとうとしてくる。


——少しくらいなら、いい……か………


重みが増していく瞼に抵抗せず、そのまま目を閉じた——。






…………ここは、どこだ?


体を打ち付ける無数の雨。前には、横転し火を吹き出す軽自動車と、前部分が派手に損傷した大型のワゴン。電線が切れた電柱。取り囲む野次馬。考えるまでもない……交通事故だ。だが俺にとっては、そんな事どうでもよかった。何故なら……


「……おにぃ……ちゃ………っ」


俺と同じく軽自動車から投げ出された妹……零終みおが視界に映っていたから。


「零終ッ!!」


駆け出そうと踏み込んだ俺を、救急隊員に引き止められる。


「君ッ!危ないから行かないでッ!」


「でも零終がッ!」


「ダメだ!君を行かせるわけにはいかないッ!!」


「うるせぇ離せッ!離せよぉ!!」


「おにいちゃん……」


押さえ付けられる俺の前で零終が手を伸ばす。零終の足はあらぬ方向に曲がっており、到底自力で動けるような状態ではない。


「零終!零終ぉッ!!」


必死にもがいても大人達は手を離してくれない。そもそも救急隊員達はリスクを恐れて誰も動かない。

なんとか動かせるようになった右手を零終に伸ばす。それを見て零終は少しだけ微笑むと、手を下ろした。

その瞬間、俺の両目から何かが流れた。それが雨か涙かは分からない。が、この胸の内にある激情を抑える事は出来なかった。


「零終ぉぉぉぉぉッ!!!」


そう名前を叫ぶ。刹那、切れた電線が横転した軽自動車付近の水溜りへと落ちる。水面を伝わる電流は、やがて火花へと姿を変え、物凄い早さで軽自動車のエンジンへと到達する。その瞬間--


耳を劈く轟音、揺らめく炎、油が焦げる匂いが、俺を絶望で満たした。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ!!!!」


これは10年前、一途が2人目の妹を失った過去の光景だった。






「……ッ!!」


ガタッと勢いよく頭を上げる。大量の汗に紛れて目元から一筋の雫が流れる。息は荒く、動悸が治らない。

ちょくちょく似たような夢を見るが、心なしか最近その頻度が多くなった気がする…… そんな一途の元へ人影が一つ。


「一途クン、今日はもう閉店の時間だよー」


「ん…… あぁ、もうそんな時間か………」


奏にバレないよう手早く涙を拭うと同時にポケットからスマホを取り出し、画面を開いてみる。

見れば“19:57”と表示されていた。思いの外長い時間眠っていたようだ。

ふと外を見やる。雨はかなり小降りになっていたので、コンビニに寄って夜食を買っても間に合いそうだ。


「じゃあ、俺帰るわ」


「というかそうしてもらわないと困るんだよね~…… そもそも一途クンじゃなかったらもう追い出してるし」


奏のツッコミに少しだけ笑顔を浮かべる。だがすぐに「あっ、笑った!一途クンが笑った!」と調子に乗り出したので、何事もなかったかのように真顔に戻る。すぐさまブーブーと言われるが、お得意のスルースキルでやり過ごし、店のドアを押し開けた。


「ありがとうございましたー」


「……おう。」






「あっとござっしたぁー」


数分前に聞いた奏の劣化版のような雑な挨拶を背に、自動ドアを抜ける。昨日と同じような人混みをかき分けて進んで行くが、何度か通行人とぶつかった。これも昨日と同じような事だ。

田舎とは違い、最新の情報や流行などに関してはピカイチの東京だが、慣れてしまえば一瞬で何もかもどうでもよくなってしまう。だからいつも帰路に着く時にこう思ってしまうのだ。


「早く帰りたい」と。


通行人の会話も、車のクラクションも、店内から漏れる曲も、無関心になればただの騒音でしかない。なんだ、これが俗に言う“陰キャの末路”ってヤツなのか?馬鹿馬鹿しい………

そんな思考を、顔に落ちた一つの雨粒が停止させた。


「んっ!? 雨かよビックリしたぁ…」


徐々に強まっていく雨足を見て急いで折り畳み傘を開く。更に強まる雨に焦り、走って家へと駆け抜ける。走ってみれば意外と近いもので、数分程で例のアパートへと辿り着いた。

そのまま階段を二段飛ばしに駆け上がると、自分の部屋のドアへと鍵を突っ込む。そのままドアを押し開け……玄関で立ち止まった。

なんとなく急ぎ足で帰ってみたものの、この部屋で待ってる人は誰もいない。それにやることだって特にない。

では何をするか。

思案すること数十秒、ふとさきほどの夢がチラついた。


「——ブラついてみるか………」


たまにはいつもと違うことをしてみてもいいだろうと判断した俺は鞄を置き、折り畳みじゃない傘に変えると、もう一度その部屋を後にした。






「今日の俺、なんか変だな……」


傘越しに雨がぶつかる衝撃を感じながら、意味もなく繁華街をブラついてみる。

おかしな話だ。さっきは雨を避ける為に帰ったというのに、今では雨の中をほっつき歩いているのだから。笑いすら込み上げてくる。

だが、意味もなく歩き回るというのは意外とありかもしれない。騒音にしか感じなかった周りの音も、よくよく聞いてみれば興味深い。

……まぁ、常に『最新』の情報を提供してくれる東京だから、当然と言えば当然か。


新しいニュース、新しい曲、新しい商品、新しいアニメ……未知、未知、未知、未知。まるで上京したてのあの頃のような高揚を覚える自分がいた。


——ざっと30分ほど歩いただろうか?先ほどの高揚も収まり、そろそろ帰ろうかという考えが浮かび始め、気付けばいつものアパートへと足を運び出していた。

今日は気まぐれ過ぎたかな?何はともあれ、あんな高揚は久しぶりだった。さっき「最新の情報も流行も、慣れてしまえばどうってこともない」とか抜かしてた自分に一発入れてやりたい。ありがとう、今日の気まぐれ。

少し気分が乗ってるせいか、自分でも気付かない内に鼻歌を歌い始めていた。


——その時だ。


「な?お嬢ちゃん。別に悪いようにはしないからさァ?」


「えっと……この後用事が………」


「いーからいーから!ね? つか、用事って言っても別に大した事じゃねぇっしょ?」


「そう言われても……」


「だからなんも危ない事はしないって!一緒にゴハン食べてくれるだけでいいから!」


「えぇ……」


突然前方で始まったナンパ劇。へぇ、本当にこういうのあるんだな。初めてナンパをしている場面を見つけ、一途は何故か感動する。新しい“未知“に遭遇したからだろうか?

内容を聞き取る為、一途はわざと歩調を落とす。状況としては、この色素の薄い金髪を逆立ててるお兄さんが、この小柄な女の子を食事に誘ってる、と。

男の方は、いかにもという感じで軽薄そうな感じだ。女の子の方はフードを被っていて、ちゃんとした表情までは分からなかったが、嫌だという雰囲気ではあった。

その嫌々オーラが影響してきたせいか、男の手法も段々と荒くなっていく。周りの通行人は少し眉をひそめなが見守るも、絡まれたくないからか一向に止めに入らない。


見るだけで動かない群衆。野次馬。

——逃げれなかった妹。


またもや先程の夢が脳裏にチラついた………そう思った時には、既に一途の口は動いていた。


「おい零終、こんな所で何してるんだ?」


突然割って入ってきた第三者に、件の男と少女のみならず周りの通行人までもが足を止め、驚きの表情を浮かべる。


「寄り道しないで帰って来いって言ったでしょーが」


「えっ……と………」


少女を突然こんな芝居に巻き込んで申し訳ないという気持ちでいっぱいになるが、これもこの子の為……だが余計なお世話だというのは重々承知している。あとで土下座でもして謝ろう……なるべく無心に、それでいて演技だとバレないように、サッと少女の手を掴む。だが当然男も黙ったままではない。

「おい!ちょっと待てよ!」と一途の肩を掴むと、一途に向かって口を開いた。


「途中で入って来てなんなんスか?あんたこの子の何?彼氏? にしては歳の差あり過ぎでしょ……」


「俺は零終の兄だが…… それがどうした?」


「あ、おぉ、お兄さん……スか………」


「あぁ。」


その嘘は、自分でも驚くほどにスラスラと出てきた。むしろ自分が怖い。


「そういう君は何?人の妹をナンパしようとか……」


「いや、だってお兄さんいたとか知らないんスもん」


「そんな事も知らないのに、『一緒に食事でも』と誘ったのか?」


「そう言われてもなぁ……」


意外と押しが弱い。よし、これなら撒ける………



「いいなって思った子とただお話したかっただけなんスけど……ダメなんスか?」



「………へ?」


「だから、話してみたいなって思った子とただお話したかっただけなんスよ……ダメっすか?」


その言葉に、思わずフリーズしてしまう。そして固まること数秒。男の「おーい?」という言葉にハッとなり、一度男を正面から見据えてみる。若干軽薄そうな感じではあるが、その顔は至って真面目だった。


「「………。」」


「えっ、そういうモンなの?」


「そーゆーモンっスよ。」


なら俺がこの子を助けようと思ったのは余計だった……?


「つか、おにーさん話してたのが俺でよかったっスね」


「え?」


「マジでヤろうと思ってるんだったら、おにーさん今頃ボッコボコにされてるっスよ?」


「えぇ……」


「最悪ナイフでグサっとかね」


「おっかねぇ……」


都会恐るべし。田舎じゃこんなの絶対無かったぞ……


「そもそもの話、俺本当にゴハン食べてお話して仲良くなろうとしてただけっス」


「……本当か?」


「本当っス。」


「神に誓って?」


「なんなら俺がめっちゃ大事にしてる限定フィギュア、メ○カリで500円で売り飛ばすっス。」


……いい奴やん。普通にいい奴やん。と、そう思うや否や--


「ってーなワケで、零終ちゃん!一緒にゴハンでもどう?」


と、急に開き直って少女をを食事に誘い始める。コイツ懲りずにまたっ……


--いや、この人はただ仲良くなりたいだけだから大丈夫……なのか?この少女に手を差し伸べる男は。

まぁ、これでいいなら一件落着か。俺も素直に「行っておいで?」と、少女の手を離す。が、次の瞬間--


「嫌っ!」


と叫び、俺の後ろへ隠れてしまった。一瞬どうしたものかと思ったが、すぐに少女が震えている事に気付いた。


「こわ……い……」


「……!」


それもそうか……いくら危ない人じゃないと知っても、さっきはわざとじゃないとは言え腕を強引に引っ張られたりしたんだ。それだけじゃなく、知らない人にいきなり話しかけられて食事に誘われでもしたら、それは怖いだろう。

ここは素直に退散した方がいいな……


「だ、大丈夫?」


と心配そうにしてくれている青年に今一度向き合い、今度はハッキリと伝える。


「申し出はありがたいが……今はこんな状態だ。 また今度……いや、もしまた会う事があったら、今度はちゃんと手順を踏んでから誘ってくれ。」


「は、はいっス!すいませんっした!」


それだけ残すと、青年は雨の中を走り去って行った。


「………ふぅ、なんとか撒けたか……」


思わずため息をつき、若干強張っていた肩をリラックスさせる。

確かに根は良い奴なのかもしれないが、それにしても誘い方だよなぁ……いきなり手を掴んだり、はたまた『別に悪いようにはしないからさァ?』なんて言ったら、それこそファンタジーでお決まりの“ヒロインに迫る噛ませ犬“みたいじゃないか。誘うならもうちょっと適切な言葉を~~


「あのっ」


「はっ、はい!?」


声をした方へ高速で首を持っていくと、例の少女が長い前髪越しに視線を向けていた。


「えっと……さっきは、ありがとう……ございました」


「あ、あぁ……」


それだけ言うと、彼女は軽く会釈をして歩き去って行った。しばらくその背中を見送り、人混みに消えて見えなくなるまで、俺は視線を外さずにいた。






「さてと、どうしたもんか……」


あの少女と別れてから数分。なんとなくそのまま帰るのもあれな気がしたので、すぐ近くのコンビニに立ち寄りカフェオレとミルクティーを購入する。カフェオレは今飲む用、ミルクティーは執筆の時のお供用だ。

どちらもどうせ帰る頃には冷えてしまっているだろうが、少しの間だけ貴重な熱源として働いてもらうため両方ともホットだ。

雨は未だに降り続けており、気温も低い。片手にカフェオレ、片手にレジ袋と傘というスタイルで一口カフェオレを飲み、ほぅっと息を吐き出す。その吐息は真っ白で、すぐに寒空と雨の中へと消えていった。それにしても……


「あの子、傘持ってなかったけど大丈夫かな……」


今の気掛かりはそれだ。実際の所、あの青年も傘を持っていなかった。よくもまぁこんな雨の中でナンパなんかしようと思ったな……あの子、風邪ひかないよな?


……まぁ、


「そろそろ帰るか」







数十分前に通って来た道をもう一度歩く。長くほっつき歩いた気もするが、意外と時間は経っていなかったようで、まだ午後9時過ぎ頃だ。もう少しのんびり歩いてみてもいいだろう。


「——小説のネタも思い付くかもしれないしな。」


雨……か。


最近見る書籍なんかでは、よく『雨の日に美少女を拾う』なんてシチュエーションが多用されるが、実際の話そんな出来事なんか奇跡のレベルで起こり得ないだろう。

それに本来、そのような子供がいるのであれば、まず先に児童相談所に行かなければならない。そして家出の理由が虐待、親の育児放棄といったものであれば一時的に保護してくれる所へ送られるのがセオリーだ。

場合によっては相談を持ち掛けた大人が一時保護するという場合があるが、それもせいぜい2ヶ月まで。加えて事前にその子供の親の元へ連絡も行くため、2ヶ月も引き取るケースは少ないだろう。と、あれこれ考えても仕方ない。なにせそんな場面に出くわす事なんて絶対にないのだか--


「…………。」


……いや、俺は何も見てない。何も見てないから。


--とは言いつつも、どうしても“それ“に目が行ってしまう。


少し閑散としている住宅街へと続く道……の途中にある小さな公園。そこのベンチに、フードを被った子供が座っていた。スカートを穿いている所を見るに女の子だ。しかもこんな雨の中で傘を差さずに何を………

……まぁ、その内自分の家に帰るだろう。そう思い、とりあえず近くの街灯に寄り掛かってスマホを弄る。別に怪しくはない……よな?別に覗きとか待ち伏せとかしてるワケじゃないし。そう自己解決すると、何件か来ていたメールの処理をする。

龍宮さんとの次回の打ち合わせ内容について、針二さんへの近況報告、奏からのいじりメール……これは未読スルーでいいか。多くはないが、軽くもないメール(一件は別として)を手早く終わらせ、ポケットへスマホを滑り込ませる。そしてようやっと帰路へ。

—となる前に、もう一度公園のベンチへと視線を向ける。

依然として、少女がベンチを離れる気配はない。流石に不味くないかと考え始め、刹那の思考の末”とりあえず親元へは帰そう“という結論に至る。

腹を決め、一途はついに公園へと足を踏み入れた。





--いつまでこうして居座っていただろうか?恐らく数十分かそこら。ワケもなくベンチに座り、雨が止むのを待つ。空から降り注ぐ無数の雨粒が、私の体温を奪ってゆく。

ならば雨風を凌げる屋根がある場所へ身を置くべきだったか。そんな当たり前の事すら考えられないほどに、私は衰弱し切っていた。

帰りたかった。雨風を凌げるあの家へ。

でも帰りたくない。雨風は凌げても、あそこにはそれ以上に恐ろしい存在がいる。

……私はどうすればいいの?

いつまで耐えれば、あたたかい食べ物が貰えるの?

いつまで耐えれば、「頑張ったね」と褒められるの?

いつまで耐えれば、私を家族と認めてくれるの?

いつまで……いつまで……いつまで耐えれば………


「この胸の空白は埋まるの?」


彼女が絞り出した弱々しい独白さえも、雨は容赦なく掻き消した。だがそれでいい。それでいいんだ。だって、私とまともに向き合ってくれるモノなんて……この世にないんだから。

無意識に、ぽろぽろと涙が流れ落ちて行く。だけど、そこに感情はない。あくまでも身体のシステム上の問題で勝手に流れる水分だった。

人間として必要最低限の身体現象。落涙する度、感情が消えていくのが分かる。自分でも驚いたが、不思議と焦る事もなかった。何故なら、もう私に感情は必要ないから。


--だからこそだろうか。


「……風邪、ひくよ」


「………っ」


不意に投げ掛けられたその言葉に、何故か胸が熱くなるのを感じていた。

気が付いた時には視界がかげり、私を打つ雨粒がふと消えた。ゆっくりと顔を上げると、数十分前に見たような顔をしている1人の男性が瞳に映る。そして傘を差してもらった、と理解するのにさほど時間は掛からなかった。

その男性は躊躇いがちに私の隣に腰掛け、持っていたレジ袋からベージュ色の飲料が入ったペットボトルを取り出すと、私に差し出した。

恐る恐るそれを手に取った私は、直後押し潰さんとばかりの勢いで抱きしめる。

私の不安を包み込むような優しい温もりを、一瞬たりとも離すまいと抱きしめる。

不意にツーンとするような感覚が、鼻を走り抜ける。これがなんの前兆なのかはすぐに分かった。だがそれを表に出すまいと、私は唇を噛み締め必死に抑え込む。だが……


「君、さっき会った子だよね?こんな所で何してるの? さっきみたいな人に絡まれるかもだから、早く家に帰りな?」


「……っっ」


その一言で、堪えていた嗚咽が喉から漏れ始める。


「家族は大丈夫?きっと心配してるよ。あぁ、こんな雨だし、家まで送って行った方がいいかな?」


「~~~~っ!」


その一言が皮切りだったかのように、私は泣き叫んだ。嗚咽も絶叫へと成り代わり、ただの雫だった涙も滝のように流れ落ちた。

知ったかぶりの下手な“同情”でもない、責任転嫁可能のいい加減な“偽善”でもない。ただただ受け止める、純粋な“心配”。

そんな彼のような人が、私にとって何よりも信頼出来る人間だった。

その後も私は、喉が枯れるまで泣きじゃくった。最初は軽く息を呑んだ彼だったが、彼は無言で胸を貸してくれた。そして私はその胸の中で私の体力が許す限り泣き叫んだ。私の心へ深入りして来ない、適度な距離。そんなスタンスを貫く彼に、私は妙な親近感を覚えていた。






「……落ち着いたか。」


彼女の嗚咽を胸で受け止め続け、なんとか泣き止ませる事に成功した俺は、思わず深いため息を吐いていた。

ちなみに件の少女は俺の膝の上で静かに寝息を立てている。安心してくれたなら何よりだが、問題はここからだ。


「結局この子どうすればいいんだ?」


ただただこの子を家に帰そうと思って話しかけただけなのに、突然泣き始めて今では寝息を立てているという始末。

あんな事があった後に言うのもなんなんだが……


"こんなつもりではなかった"。

それが時雨の本音だ。


とりあえず親元が分からない以上、帰すも何もないし、ここで寝かせたままにするのも流石に酷い話だろう。だとすると残りの選択肢は——


「……俺の家に泊める?」


………法律的にどーのこーの、倫理観的にどーのこーのなんて言えない……よな。そう悟った俺は覚悟を決め、彼女をおぶる。

そして雨が止んで更に静かになった住宅街の道を通り、我が家に向かって歩みを進めた。


「しっかし……」


「まさかこんなラノベみたいな事が起こるなんて思わなかったな」


作家と言えども人間は人間。現実でこんな事が起これば、捉え方だって凡になるというものだ。

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