世界一美しい日。

ニュートランス

第1話

 7月の蒸し暑い日、佐々木はいつものように放課後部活に勤しんでいた。

 部活名はソフトテニス部。2年生になり、夏休みには県大会も控えている。

 1年の頃はコロナがあった為練習も十分に出来ず、大会も軒並み中止。

 2年生となった今、これが俺にとって初めての大会なのだ。

 そんな俺にはライバルが居る。名前は青木悠。同学年で俺が唯一ソフトテニスの実力を認めている人物だ。

 そんな彼は習い事で硬式テニスをしている。その為同時期に入ったのにも関わらず、基礎を知っていた彼には最初全く歯が立たなかった。

 悔しかった。でもそれが負けず嫌いな俺の心に火を付け、3ヶ月経った頃には彼に点を返すくらいまで成長した。

 この部活では1ヶ月に1回練習試合がある。決戦はその時。まだ彼に勝ったことはない。それでも勝利のイメージは出来ていた。

 そして今日、練習試合の日。今日は朝から心臓の鼓動が早い。

 正直、昨日は今日の部活が楽しみすぎて授業はほぼ頭に入らなかった。

 乗り越えようのない壁が、いずれ目標となり、今やそれを越えようとしている。

 終業のチャイムと共に、俺は急いで部室へと向かう。

「……久しぶり」

 そこに居たのは今日の対戦相手である青木の姿が。

 彼は俺に勝ち続けたことで慢心し、練習しなくても勝てると最近は部活に顔を出していなかった。

「悪いが、今日こそは勝たせてもらうよ」

「無理だよ。君は才能がない」

 相変わらず嫌な奴だ。だがそれも今日まで。もう立ち上がれなくなる程に圧勝して見せる。

 俺達の一戦を何処かで聞きつけたのか、既にコートにはテニス部メンバーが囲むようにし

て並んでいた。

 俺は真剣な面持ちでコートに入る。

 ルールは5ゲーム制。先に4ポイント獲得した方がそのゲームの勝者となり、合計して3ゲーム取った方が勝者となる。

 彼は余裕の表情でサーブ権を俺に渡す。負けてたまるか。

「よろしくお願いします」

「よろしく」

 俺なら勝てる。そう信じ、今此処に戦いの火蓋が切られた。

 俺は空高くボールを飛ばし、左手で大きく振りかぶった。我ながら良いフォーム。

 しかしそんな一撃も軽々と返してくるのが彼だ。威力十分だと思われたボールはその威力を倍増させて帰ってきた。

 フォアハンドでは返せない位置に落ちてきたボールをバックハンドで何とか打ち返す。

 その姿を見た青木は隙をついて手前にボールを落とした。

 急いで駆け寄ったが、間に合いそうにない。

 何とかして返したボールは無念にもネットに引っ掛かってしまった。

 早くも1点入れてしまった俺はプレッシャーに苛まれる。

 スタートダッシュを決められなかった俺はその後もミスを連発し、結局俺は3対1で負けてしまう。

 焦るな俺……まだ巻き返せる筈だ。

 俺は深呼吸をして再びサーブを打った。

 ボールはやはり返され、自分の位置から1番離れた場所に落ちる。

 打ち返すのは間に合いそうだが、問題はそこじゃない。

 あのボールを取るにはバックハンドは必須だ。

 しかしバックハンドはバランスを崩しやすい。

 次のボールを打ち返すには予め返される場所を予測して迎えに行くのが正解だ。

 今俺が居るのはコートの1番端。すると次打ち返されるのは、手前側しかない。

 俺はバックハンドでボールを打ち返した後急いで手前側に走った。

 ボールは予想通り手前側に落ちる軌道を見せたので、俺はボレーで強く打ち返した。

 ボールが向こうのコートにコロコロと転がるのが見える。

「1点、入った……」

 強敵相手へ念願の1点。これは流れを変える狼煙とも言えた。

「まともにサーブを打てるくらいにはなったようだな。それじゃあ、僕も少し本気を出してあげる」

 青木はこの炎天下の中、自殺行為とも言えるジャージをその辺に投げ捨てた。

 俺は彼に匹敵すべき相手ではないと言うことなのだろうか。いや、そんな彼を今本気にさせたことを誇るべきである。

 お互い万全の状態、高ぶるテンションの中、第2ゲームがスタートした。

 サーブは青木。彼は大きく振りかぶりボールをラケットで打ち付けた。

(あの距離は間に合う……っ⁉︎)

 彼が放ったボールはコートのど真ん中に着地する甘いボール。余裕で打ち返せるとラケットを振ったが、どうにも様子がおかしい。

(打ち返せないっ……!)

 彼の放ったボールは重く、横から重力を受けているような感覚であった。

 俺は何とか返そうと力を込める。しかし力の調節を間違えた俺はそのままボールを宙に上げてしまった。

 彼はこれを予測してたかのように着地点でラケットを構えている。

 第2ゲームも彼に先制点を許して良いのだろうか。……いやだめだ。勝つと決めたのだから此処で諦める訳にはいかない。今はどうやって打ち返すかを考えるんだ。

 ボールの軌道はど真ん中。受け止めることはできるだろうが、問題は秒数が経つ度加速度的に速くなるボールを打ち返せるか。

 それでも、それが難しくても全力で打ち返す。

 俺は真正面からボールを受け止め、その場で踏ん張る。

(打ち……返せ!)

 信じた思いはいつか叶う。そう思って打ったボールはネットぎりぎりの綺麗な軌道を描き、コートの向こう側にはラケットを構えて呆然と立ち尽くしている青木の姿があった。

「よしっ!」

 俺は周りの歓声を浴びながらラケット片手に大きくガッツポーズをした。

 未だに状況を飲み込めていない青木はまだ立ち尽くしている。

 この時、俺は確実に何かを掴んだ。挑戦し続ける人はその道中でいろんなものを身につける。俺はこの試合の中で成長し続けているのだ。

 この試合で勢いづいた俺は、1点、もう1点と決めて行き、遂に俺は強敵であった彼から1ゲームを取ることができた。

 最終ゲーム。このゲームを制したものが勝者となる。

 流石の青木も焦りを感じているのか、いつにも増して集中していた。

「俺に1ゲーム取ったからって、調子乗んなよ」

「次も絶対勝ってみせる」

 2人の選手はメラメラと燃え上がっていた。互いに最高のコンディションで、最後のゲームが幕を開ける。

 3ゲーム最初のサーブは俺、深く、深く深呼吸をしてボールを地面に突く。

(焦るな俺……今、この瞬間を全力で楽しむんだ!)

 そう自分に言い聞かせながら、ボールを空高くに打ちあげ、ラケットを構える。

 全身全霊を掛けて打つ最初のボール。俺の集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。

 そんなボールとラケットがぶつかる寸前、異様な出来事が俺と青木の試合を妨害する。

 それは今まで聞いたことのないようなサイレンで、人を不安にさせるような不気味なサイdレンであった。

 周囲の人々がざわつき始める。試合途中で歯痒い思いの佐々木と青木でさえ、試合を中断て耳を澄ました。

 一通りサイレンが鳴り止むと、次は町内放送が流れ始める。

“──放送します。たった今、政府から発表された情報によると、日本、いや、世界は後1時間で滅びます。これは免れない運命であり、皆さんは残りの人生悔いのないように生きてください。検討を祈ります。あはは、最後にお父さんとお母さんに会いたかったなあ……”

 放送はマイクを切るブチッという音を立てて終了した。

 一瞬の静寂があった後、周囲の人々は我を失ったかのように逃げ惑う。

 俺も気になってスマホを開くと、メッセージアプリとSNSは案の定混乱に陥っていた。

 今さっきの放送も本当らしく、不可解なことに滅亡の原因は発表されていないらしい。

 絶望と嘆くものも居れば、デマだと信用していない者もいる。何方にせよ、俺が今からすることは決まっていた。

「それじゃあ、試合再開と行こうか」

「ああ、そうだな」

 いつもなら意見の食い違う佐々木と青木は珍しく同じ考えであった。

 周りには誰もいない。そんな中、彼との試合は再開した。

 彼がラケットでボールを弾くと、俺は難なく返す。

 ラリーが途切れない。強敵相手に此処まで渡り合っていること以上に今この時間が楽しかった。

 ソフトテニスはこんなにも楽しいものなのか。

 どっちが勝ってもおかしくない状況であった。負けても悔いはない。

 その後先制点を入れたのは俺だったが、流石の青木も取ったら取り返されを繰り返し、遂には4対4でデュースへともつれ込んだ。

 デュースは先に2点連続で取った方がこのゲームの勝者となれるというルールで、この2点を先にとった方が実質的な勝ちであった。

 青木との実力差は同等。此処からは50%の運も絡んでくる。

(先に倒れた方の負け、か)

 俺は汗を拭う気力さえも惜しみ、精神を集中させる為に目を閉じた。

(今の俺なら、行ける!)

 そう信じ、俺はサーブを打つ。

 

──結果は、俺の勝利であった。

「いいよっしゃあああ‼︎」

 俺は生まれてから1番大きな歓声を上げた。

 そんな俺に、青木は徐に近づいてくる。

「いい試合だった」

 もっと憎たらしい発言が出るのかと思いきや、至って真面目であった。

 彼は「勝者の印だ」と言って俺をその場に止まらせると、何かを取りに学校の外へ行き、数分して元の場所に戻ってきた。

「はいこれ」

 彼が手渡してきたのはポカリスエット。これが勝者の証だという。

「運動の後のポカリは格別だぞ。頑張ったら頑張った分だけ美味しく感じる」

 そう言って彼は自分用のポカリを口に含む。俺も渡されたポカリを口に含んだ。

「おいしい!」

「だろ?」

 青木は案外いい人であった。後で青木から聞いた話だが、俺の見えない場所でしっかり練習していたらしい。孤高の天才を演じる為に。

 ポカリを飲み終わった頃にはすっかり青木とは仲良くなっていた。

 俺と青木は誰も居ない学校で、グータッチをする。

 外は明るい、いつにも増して。今日が地球最後の日というのなら、その最後の日に神様が俺と青木を巡り合わせてくれたに違いない。

「友達になろう」

 青木のその言葉に、俺は快く承諾した。

 その瞬間、佐々木と青木は白い光に包まれた。

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