第19話 新たな可能性3

 久内刑事はただ事実だけを玲威さんに告げた。



 姉が誘拐されて監禁されている事実はとても衝撃的だっただろう。実際に彼女は手で口元を押さえて涙ぐんでいる。「姉が……、そんな」彼女の眼は何処も見ていない。



「そのメールが妹さんではなく、降旗さん、なぜ貴方に送られたのか」

「判りませんね」

「センセのメルアドを知っている人が犯人でしょ!」

「俺のメルアドなんて色んな人が知っているよ。出版社の人間や、そう……、村瀬君の携帯のアドレス帳とかにね」



 身元を特定される一切の私物が首と一緒に姿を消している。犯人は村瀬君から奪った携帯から俺のアドレスを知り得たに違いない。どうして俺を巻き込もうとするのか。俺が犯人に何かをしたのか。知らずの内に恨みを買ってしまうようなことをしたのか。



「原稿用紙の血痕による暗号も降旗さんに送られていたな」



 視線を感じた。玲威さんの不安な弱々しい眼と合う。



 ジッと見つめる俺に何かを訴えかけるように。先ほどまで何も映していなかったその眼はしっかりと俺を捉えている。



「俺には犯人の意図するところが判りませんよ。判らないだらけで、ただのSF作家には荷が重い。まったくのジャンル違いだ。あの暗号さえ解読できれば、また進捗はあるんだろうけどね。ああ、送る相手は警察や探偵にしてもらいたいよ、ほんと」

「姉を……、姉さんを見つけてください。姉は東儀さんや降旗さんのことを話していました。私がこっちにいる間に紹介するって」

「俺に出来る範囲ではするつもりだよ。さっきから怒りを抑え込んでる東儀さんは無鉄砲に行動しないように。いいね?」



 険しい表情をした東儀さんの膝の上に置いた握りこぶしは震えている。怒りだ。村瀬君を殺されて今度は友人が囚われている。真っ直ぐな性格の彼女からしたら卑劣で許せない行為なのだろう。まるで遊ばれている。人の命を対価に犯人はゲーム感覚で楽しんでいる。そう考えているのかもしれない。



「どうして、村瀬さんだけじゃ飽き足らずに玲奈にまで……、許せるはずないよ! もし玲奈の身に何かあったら犯人のこと殺してやる」

「東儀さん……、姉さんは」

「あっ、ごめんね。玲威ちゃんだって気が気じゃないよね。大丈夫、玲奈は生きてる。きっと警察とセンセが助けてくれるから」



――いや、俺に警察と肩を並べて期待されても……。



 俺はまずここで拾える情報を全て収集することを選んだ。



「常盤さん。盗まれた刀はどのように管理していたんですか。あと、銘とかどんな情報でも構いませんので、教えて頂けませんか」

「銘はないが、太刀だな」

「え、刀と太刀って違うの?」



 常磐さんと東儀さんから同時に溜息をつかれた。



「センセ……、ダメダメだね。簡単な違いとしては、太刀は平安後期からの反りが深くて長いんだよ。刀は打刀のことで、室町中期発祥で反りが浅いんだ」

「あ、ああ、そうだったかな。うん、そうだったね。すっかり忘れてた」



 はるか昔にそんな知識を叩き込まれた気がする。



――誰に?



――まあ、いいか。



「私が運営する個人展示館があってね。普段はそこでケースに飾っているんだよ。もちろん、24時間体制で警備員を配してはいるんだが」

「警備員もいて盗まれてしまった、というわけですか」

「なんのための警備だか判らん。しっかりモニターを見ていました、なんて寝ぼけたことのたまうもんだから、一喝してクビにしてやったよ。職務怠慢の給料泥棒なんぞ置いておく価値もないからな」



 防犯カメラの死角を付いて盗みを働いたということになる。はたして部外者にそんなことが可能だろうか。盗まれた日は深夜の搬入もなかったという。展示館の規模までは判らないが、「この後、その展示館にお邪魔させて貰っても?」警察の手がもう入っているはずだが、なんとなく引っかかるものがあった。



「それと、クビにしたという警備員の連絡先も」

「ああ、構わないよ。とはいっても展示館の代物のほとんどをこっちに持ってきているから見る物なんて限られているがね。連絡先は受付の奴にでも聞いてくれ、後で連絡は入れておこう」



 すんなりと話が纏まったことに驚いた。もう少し渋られたりするかと思っていたのだが、今度は東儀さんが俺を見て、「玲奈はどうでもいいんだ?」あきらかにイラついている様子だ。



 玲奈さんがどうでもいいというわけではもちろんない。闇雲に探したところで見つかるはずがないとうだけだ。それが室内で監禁されているのならなおさら。それにわざわざ写メを送ってきたというのには理由があるはずだ。送り主から何かしらの要求がないのはどういうことか。ただ焦らして楽しんでいるのか。



 殺すのであればわざわざ俺にメールを送る必要もない。つまりは俺に何かをさせようとしている、犯人からの要求がある以上は玲奈さんが殺されることもないと考えてはいるが、楽観的だろうか。



 たとえ楽観的でも何も出来ない現状には変わりない。



「神崎さんにお聞きしてもいいですか。もちろん患者の個人情報になるので、話せないのであれば無理には聞きません。村瀬君と佐山さんが通い始めた時期と二人の病名などを」

「病名は伏せさせてください。ですが時期はほとんど同じくらいだったと思います。去年の今頃だったから、ちょうど一年くらい通ってくれていました」



 村瀬君の通院をいま初めて聞いた東儀さんは、「えっ、村瀬さんって病院通ってたの?」初めて知った事実に驚く。付き合いの長かった俺も今日初めてそれを聞いて驚いた。



「そ、そんなことより早く玲奈を見つけてよ!」

「本部には連絡を入れてある。が、簡単には見つからないだろうな。写真は薄暗い室内。そこから何一つの特定できる情報は無かった」

「諦めるなよ! 人の命が掛かってるのに、どうしてそんな他人事なのさ! お前には人の情とかそういう心がないのかよ!」



 東儀さんが立ち上がるとパイプ椅子が大きな音を立てて倒れた。彼女はそのまま久内刑事に詰め寄って胸ぐらを掴む。身長差のせいで掴むというよりは縋り付いているようにしか見えない。少女の握力なんて警察の彼からしたら振り払うに造作もないはずにもかかわらず、甘んじてスーツに皺を作ることを許している。



「東儀さん落ち着こう。久内刑事はこういう、その、下手っぴな人間なんだ。彼もこの事件の犯人を捕まえようとしてるから、こうして関係者を集めているんだよ」

「手柄を立てたいだけの間違いでしょ。センセもこんな所で進まない会議してないで、探しに行ってよ……、行こうよ、センセ」



 直情的な東儀さんはこの部屋でジッとしているのも限界のようだ。このまま久内刑事に突っかかられても聴取の妨げとなる。「じゃあ、探しに行こうか。小山内さんも一緒に」俺は席を立って、まずは東儀さんの手を引いた。最後に恨めしい眼差しで久内刑事を睨み、「警察ならちゃんと警察の仕事してください」毒気を抜かれて懇願するような口調で言った。



「俺達は俺達のやりかたで探しますので、また何か判れば」



 久内刑事とアイコンタクトを交して少女二人を連れて体育館を出た。



 気が気でない東儀さんはいつもより早足だ。俺と並んで歩く玲威さんは静かで、あの部屋でもほとんど口を開いていない。心中は玲奈さんの安否でいっぱいいっぱいなのだろう。いや、玲威さんと初めて会った時から人付き合いはあまり得意でないように思えた。



「東儀さん、小山内さん。彼女が親しくしている人とか聞いてない?」

「玲奈はあまり親しい人はいないって言ってた」



――親しい人がいない?



――じゃああの時、彼女は誰と待ち合わせをしていたんだろう。



 日付も変わった深夜にフラフラと近くの神社まで散歩したときに見た、そういえばあの日が彼女を見た最後の日だったか。てっきり恋人と青春を謳歌しているのだろうくらいにしか考えなかった。あの場では普通はそう考える。



 彼女が会っていたのが、彼女を誘拐する人物だったのか。途端、『悪い子だから死ぬかもね、私』境内で言っていた言葉だ。過去にも自分が死ぬとかそういうのを言っていたのは、犯人と面識があって、自分も殺されることを知っていたということか。



――馬鹿馬鹿しい。自分を殺す相手なんかと行動を共にするメリットがない。死にたがりでもないだろうに。



 本当に馬鹿馬鹿しい妄想だ。これはフィクションではなく現実の出来事だ。短絡的な思考しか出来ていない自分もまた藤井玲奈の天秤に焦っている。焦っているから手が震えている。自分の近しい人間が亡くなるのは、もう、嫌だ。



 思考と記憶が混濁して頭がキリリと痛んだ。



――父さん……。



 混濁したノイズの向かい側に、いつかの優しい人の笑顔を見た。



――違う。



――父さんは。



 笑う。



――あの人は。



 微笑む。



――あの人間は。



 嘲笑う。



――もういない。



 全てがプッツリと途切れた。防衛機能が上手く作動したようだ。ようやく現実に意識が向くと二人の少女が俺を見て、「大丈夫ですか?」心配そうに見上げてきていた。



「あ、ああ、ごめんね」



 ひとまずは常磐さんの展示館に足を運んでみるべきだ。犯人を追うならば彼の足取りを一つずつ辿って行くしかない。無闇に探す無駄な時間は許されていない。犯人からの要求が届けられた際には直ぐ行動に移せるよう備えなければならない。



 俺は犯人から添付された画像を聖人君に、『犯人から送られてきた。画像の少女は小山内玲奈。助けたい。情報求む』急いでいたので長々とメールを打つ余裕はない。きっと彼ならいちいちこんな文章を添えなくても察してくれただろう。



 俺が歩き出すと東儀さんと玲威さんも付いてくる。



「これから常磐さんの展示館に向かおう。僕等は一歩ずつ、警察とは違う方向から犯人を追う。それでいいよね、東儀さん?」

「それで玲奈が助けられる?」

「判らない。でも、闇雲に探すより犯人の痕跡を追った方が理にかなっている。そうだよね?」

「うん。センセのいうことが正しいよ。私はセンセに従う」

「降旗さん、東儀さん。姉さんを、玲奈姉さんを宜しくお願いします」



 俺達は同時に笑んで親指を立てる。



「息ピッタリなんですね。ふふ」



 玲威さんが見せた笑顔はやはり双子。笑ったときに眼を細めるのは姉妹共通の癖なのかもしれない。「その笑顔、すっごく玲奈にそっくり。手の仕草も」左手を口元にもっていく所作。そこまではよく見ていなかった。



 東儀さんは以外と相手をよく見ている。剣術道場で培われた経験が日常の癖として役立っているのかもしれない。



「行くよ。あまりゆっくりしていられない」

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