第11話 小山内家1
やはり朝は寒い。どうして冬というのはこうまで寒いのか。夏は夏で暑すぎる。日本の四季のうち私は夏と冬が苦手だ。花粉症を患っている人は春もキツいのかもしれないが、私は花粉症を患ってはいない。つまり春と秋が快適に過ごせる季節なのだ。
――早く冬過ぎないかなぁ。
冬休みになったら布団に籠もって越冬して過ごすつもりである。面倒だからセンセにはうちに来てもらおう。お母さんにはお昼に温かいものを作ってもらって、センセと一緒に食事をしながら小説の話で季節より先に花を咲かせてやろう。
馬鹿馬鹿しい計画を本気で企てていると枕元の携帯が鳴った。今日は誰にとっても歓迎される祝日。アラームはもちろん設定なんてしていない。着メロからしてメールだ。布団から顔だけをだして携帯電話の正確な位置を確認、手を伸ばして携帯を掴むと、布団の隙間を閉じた。
真っ暗で温かな布団の中、「まぶしっ!?」携帯を開くと藤井玲奈の登録名。
『昨日、返信できなくてごめんね。今日、予定は空いてる?』
『全然空いちゃってるよ! 遊ぶ? 出掛ける? ショッピング?』
送信してから頭の悪いメールを送ったなと苦笑する。
これでいいのだ。これが私だから馬鹿っぽくてもいいのだ。ぬくぬくと今が心地良いからどんな事も受け流せそうな気がする。
すぐに返信のメールを報せる。
『うん(笑)、じゃあ九時に元山駅の改札前に集合ね。遅刻厳禁だよ?』
「九時かぁ……。えっと、いまが八時だから、もう起きないと!」
心の中でカウントダウン。
――五、四、三、二、一。
「ぜろおぉぉぉぉぉぉぉ!」
布団をはね除けて飛び起きる。暖房を急いで付けてから洗面台に向かう。洗面所からキッチンは扉一枚で隔てているので、皿洗いしているのが音で判る。
ぬる湯を出して顔を急いで洗ってから着替えを済ませた。自分勝手な癖毛にヘアピンを定位置に差す。ポシェットにハンカチとちり紙、携帯電話と財布を押し込んでいざ玄関へ。
「出掛けるの?」
「うん。お友達と遊んでくる」
驚きに目を見開いて口元を両手で押さえる母は、「ああ……、ああ、ようやくこの子にもお友達が出来たのね。女の子? 男の子?」なんて娘に対してちょっと失礼な発言に、「女の子!」とだけ答えて家を飛び出した。
腕時計を確認すると八時二十分過ぎ、ここから元山駅までは徒歩で三十分かからないくらい。
――けっこうギリギリじゃん!
運動靴をチョイスしていたので走るには都合がいい。ただ、長いスカートが邪魔で走りづらい。ズボンにしておけば良かったかもという後悔はもう遅い。
結局は早歩きに切り替えて大通り突き当たりのドラッグストアで時間をもう一度確認した。だいぶ時間短縮に成功したのであとはゆっくり歩いても間に合う。
同年代の子とこうして遊びに行くのなんていつ以来だったか。歩く暇つぶしがてらにそんなことを考えみた。記憶を遡ってみるもここ二年くらいに該当する記憶は見当たらない。
改札近くのベンチに玲奈は腰掛けて読書をしているようだった。相変わらず閑散としている人の出入りが少ない駅。貸店舗のほとんどがシャッターを閉めている。そんな駅の様子に不釣り合いな容姿をした彼女の横に座って、「おっはよ。なに読んでるの? 時代もの?」開かれた本を覗き込む。
「おはよう。急な誘いだったから時間に間に合わないかなって思った」
笑ってブックカバーを外すと表紙を見せてくれた。
恋愛小説のようだ。しかしそのタイトルからして男女同士のものではなく、「玲奈ってそっちの趣味があるんだ。意外かも」姉妹愛、つまり同性の恋模様のようだ。
「うーん、どうだろう。ちょっと気になって買ってみたんだけど、沙穂は一人っ子だもんね」
「玲奈は妹がいるんだよね」
昨日のやりとりで深くまでは聞けなかったが、家族構成まではしっかりと把握している。もしかして妹とはそういう関係なのかもしれない、と邪推が働き、しかしすぐに首を強く振って否定する。人の恋愛は自由だ。他人がとやかくいう筋合いが無ければ、否定されていいものでもないからだ。
玲奈は本を鞄にしまうと、財布から二枚の切符を出して一枚を渡してくれた。
「えぇ!? お金払うよ」
「いらないよ。せっかくの休日なのに、誘っちゃったんだし」
「え、誘ったらお金払わなきゃいけないの? 違うよね。はい、しっかり受け取りぃ」
「ふふ、なにそれ」
「わっかんない」
改札を通り松戸方面のホームへと降りた。
「これから何処行くの?」
「最初は松戸かな」
「最初?」
「最後に21世紀の森でピクニックをしようと思うの」
「21世紀……、ああ、うん、そうだね。いいと思う」
21世紀の森は先週、村瀬さんが殺されて遺体を遺棄された場所だ。現場付近はまだ鑑識や警察が調べているみたいだけど公園自体は通常通りに解放されている。近隣の住民も子供を連れてしばらくは公園に足を運ばないはずだ。足を運ぶのはそういった事件を気にしない性分の人くらいかな。
――センセなら足を運ぶかもね。
電車がホームに停車する。先頭車両は土曜日にもかかわらず人の姿はない。隣駅からの始発電車だったのだろう。お陰で座席は選り取り見取り状態で、出入り口付近の椅子に並んで座った。
少し身を寄せた玲奈が、「少し、内緒の話をしようか」上目遣いにドキリとするような、なまめかしい小声で囁いた。
彼女の両目がゆっくりと細められ見事な笑みを作る。内緒の話とは他人には秘めておく内容の話題。それをこれから共有しようとしている。唯一の親友とそんな関係にまで発展できたことと、信頼してくれているという二点が私を舞い上がらせた。
「二人だけの秘密の共有ってやつだね。聞くよ!」
「私にはね、双子の妹がいるのは話したよね。名前は
「へぇ。きっと玲奈に似て美人さんなんだろうなぁ」
「かわいい系。沙穂に似て表情豊かで笑った顔なんて無邪気な赤ちゃんみたい」
「それって私も赤ちゃんっぽいって言われてる?」
「言ってないけどそう聞こえちゃった?」
「まあ、いいけど。それで妹さんがどうしたの」
「私なんかと違ってみんなからちやほやされてた。愛嬌もあって甘え上手だったの。私ね、それがずっと羨ましくて、妹相手に嫉妬して対抗意識を抱いてたんだよ。小学校低学年くらいだったかな」
「子供の頃だしね。私は一人っ子だからよくわからないけど、兄姉がいる家庭だとみんな同じだって言うし」
「同じ? 妹の背中に跡を残す熱湯は掛けないでしょう、普通は」
そう言って瞳を伏せた。彼女の口から告げられた内緒の話は予想していた可愛らしい内容のものとは正反対の、なんと言ってあげればいいのか困窮してしまうものだった。話したくないような内容をわざわざ話してくれた彼女の意思を受け止めたく言葉を探す。
――安易な言葉じゃダメだよね。
しかし考えても浮かばない。このまま時間が過ぎればこの空気が気まずくなってしまう。頑張れ将来の時代作家、と言い聞かせて言葉探しをしていると、「でも、玲威は私のせいにしなかったの。腕をぶつけてコンロから鍋が落ちた。そう両親に嘘をついたの」溜息を交え、「どうして私を庇ったんだろうって。理解できない妹に本当に苛ついたなぁ。余計に私自身が惨めに感じて、死んじゃえばいいのに……、本気でそう思って……、姉であること以前に人として失格だよね」沈んでいく声。
「どうして、私に話してくれたの? その様子だと、今まで誰にも話してなかったでしょ」
「どうしてかな……、判らない。今日だって本当は一人で行く予定だったし」
「松戸?」
「墓参り」
「……え」
――この話の流れから墓参りってまさか……、妹さんの。
まさかのまさかに表情はひきつっていたかもしれない。もしかしたらここまでの話の流れから今までが冗談とか嘘話で締めくくってくれるかもしれないという期待。待てども玲奈からのドッキリ発表も無く五香駅に停車した。
「妹さんの写真とかある?」
「あるよ。見たい?」
携帯電話を操作して画像フォルダから一枚の写真を見せてくれた。似通った……、まったく同じ顔立ちの少女達が頬をくっつけあって微笑んでいる仲睦まじい写真。二人の特徴的な瞳の色。はっきりと灰色だと判る玲奈に比べて、妹さんの色は若干だが黒味がかっているように見える。
「こんなに可愛い子なのに、どうしてあんなに憎んでいたのかな」
「きっと妹さんは玲奈が大好きだったんだよ。だから、大好きなお姉ちゃんが怒られないように庇ったんだと思う。天国でも見守ってくれているはずだって、ぜったい」
「え……、天国?」
「え、お墓参りだよね、妹さんの」
「玲威はまだ生きているよ。実家近くの高校に通いながらお父さんと二人暮らし」
「え、え、えぇ!? だって、今の話の流れだと……、ああ、もう!」
「勝手に勘違いしたのは沙穂よ。玲威には何度もあの時のことは謝ったし、いまもほら」
仲睦まじい姉妹愛にお腹いっぱいになりそうなメールのやりとり。最後のやりとりで近い内に会う約束までしている。
――ああ、くそ!
「ああ、くそ!」
「心の声と発した言葉が一致してる」
「読心術!?」
「ううん。沙穂ならそうかなぁって思ったの。単純な子だから沙穂は。読みやすいって言われない?」
「た、た、単純!? ま、まあ、センセとか親には言われたことある……、気がする。で、でも!」
「しっ、だよ。ほら、他の乗客がこっちを見てる」
人差し指を伸ばして私の唇にそっと押しつけた。
ここが電車内であることを完全に失念していた。大きな溜息をついてやった。沙穂は私を単純な子といったが逆に沙穂は読めない難解さがある。複雑という言葉があるが、複数を雑多に絡めてしまって解けないから複雑というのだろうか。逆に考えれば、一本一本解いていけばそれは読めるということ。ちょっと面倒なだけで、根気があれば何とかなってしまえるのだ。
「じゃあ、さ、墓参りって誰の?」
「お母さんの」
「そう……、なんだ」
「一人目はね、村瀬牧人さんじゃないよ」
「えっ、どういうこと」
「一人目は私のお母さん。手段としては首を刎ねて血が抜かれていたのは同じ。壺や御座も現場にはなかったけど。首のない遺体が茂みに捨てられていただけ、だから、警察は関連付けなかったんだと思う。去年の事件だし、場所が離れてるから」
声を潜めて囁くように言った。
「待って。壺や御座がなかったならたまたまじゃないの? 村瀬さんと次の被害者は壺と御座があったんだし」
同じように小声で返す。
「身元を特定できる物と首が今でも見つかっていない。たぶん、もう見つからない気がする、警察か誰かが犯人を捕まえない限り、きっと見つけてもらえない」
気持ちを切り替えるように玲奈はフッと息を短く吐くと、「この話はやめようか。切り出した私が打ち切るのも可笑しな話だけど」学校で見せている着飾らない涼しさを併せた笑み。
切り替えの早さには、そう、脱帽という言葉が適切だった。言葉の使い所を間違えていても、ようはニュアンスが通じてくれれば言葉としての意味を全うしたこととなる。現代の若者だって、作家であるセンセであっても時々、間違った意味で日本語を口にするのだから。
「すべての日本語の意味と使い方を正確に把握出来ている人って、現代にいるのかな」
「いきなりな疑問ね。日本語って世界から見て、とても難し言語だっていうのは聞いたことがあるけど……、どうかな。政治家とかは難しい言葉や諺を多用しているのをニュースでよく観るね」
「誠に遺憾である、とか?」
「そうそう」
提示した疑問を真剣に考えてくれているような仕草と表情。窓から差す日の光を受けて表情に陰りが浮かぶその様は、とても理知的で、彼女の眼の色が一層に幻想的な魅力を醸し出す役割を果たしている。
興味の対象は多い方が知識を吸収できるとセンセは言っていた。彼の吸収している知識は日常生活や社会の為になるものばかりではないが、それは私も同じことで、他人にとって無価値なものでも自分の役に立ちさえすれば、それは人生を変える切っ掛けや新しい発見に繋がる、と酔ったセンセは笑いながら語ってくれた。
彼女の様子を眺めていて、一つ気付いたことがあった。
その気付きをこれまでの曖昧な記憶と照らして確信へと変わった。
「左利きなんだね」
「え……、どうして?」
「ほら、考えてるときに左手の人差し指を下唇に当ててたし、今だって咄嗟に左手で髪を触った。私の唇を触れたのも左の指だった」
「てっきり、あまり人を注視しない子だと思っていたのに、私の洞察眼は養われていないみたい。よく見てるね、探偵や刑事が向いているかもしれないよ」
「私は作家になるから」
「なれなかったら?」
「武士になる」
いまどき小学生でもそんな事は口にしない。そんな恥ずかし発言には流石に唖然として表情を固めている。瞬時、真面目なものに一変させ、「武士なら……、私を守ってくれる?」そんなことを口にした。
「う、うん。もちろん守ってあげる」
「もしもの時は、私を助けてね、絶対だよ?」
「御意!」
年頃の女の子らしくもないけど、二人がこうやって笑い合えるならどんな内容でもいいのだ。
「そうだ! 私さ、実戦剣術道場に通ってるんだけど、玲奈も一度体験してみなよ。身体を動かせるし、楽しいよ」
「実戦剣術って剣道とは違うの?」
「剣道はスポーツで、実戦剣術は……、うーん、なんていうのかな、侍って死合う時って刀だけじゃなくて、そこら辺に落ちてる物とか、蹴ったり殴ったり、ようは何でもありのチャンバラ」
「自分の命が掛かっているのに刀だけで戦えないよね。相手より実力が劣っているならなおさら」
「実際の実戦を想定して道場には色んな物が落ちてて、それを使って試合をしたりするんだ」
「ちょっと面白そう」
「決定でいいよね。近いうちに一緒に行こ」
「その道場っていつ開いているの?」
「基本的に木曜日以外かな。不定期で休みの時もあるけど」
「お墓参り終わったら、行ってみない?」
「あれ、ピクニックはいいの?」
反射的に首肯していた。どちらかといえば21世紀の森へ行くことに後ろ向きだったので助け船な提案だった。
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