第8話 首切り祭儀4

 日曜日の夜は学生も憂鬱な気分に浸って、暗くなった空をぼんやりと窓から見上げては時間を浪費する毎週のルーティーン。



 食事も風呂も済ませて後は寝るだけの自由時間。時計は21時を過ぎた。大河ドラマも見終わって本格的にやることもなく、小説を書こうにもこの時間だけは何もしたくなくなる。



「明日は全校集会が開かれるんだろうなぁ。センセにはああいったけど私は警察を信用していないのでした。だから私なりに事件を追って犯人を突き止めて罪を償わせなきゃ」



 無気力を一気に払拭させる動機が胸の奥底から決意と形を変えて沸き立ち始める。もちろん親切に警告をしてくれた二人の大人の気持ちも理解はしている。ただ彼等の親切心より自分が動くべき理由が勝ってしまっているのだ。こういうのを若気の至りとかそういう風に言うのかな。間違っていてもまたセンセが訂正してくれるので今はどうでもいい。



——犯人は首を刎ねるだけの実力があるけど、処刑人と剣士では培う技術が違うんだから、私でもなんとかなる……、かも。



 道場で習っているのは実戦剣術。自分を活かす確率を上げ、相手を確実に殺す為の手段を選ばない死合いの仕方。



 門下生のなかでも群を抜いて成長速度が速く、技量も師範のお墨付きをいただいている。悪知恵が働く者ほど実戦では生き残りやすいという教えが、現代の型に嵌らない柔軟な考えを持つ子供にとって、ただ馴染みやすかったというのもあるのかもしれない。



 大人の男性と木刀を手に対峙したとき、まず初めに相手にとって自分の不利を考え、ひとつでも相手の優位に立てる可能性を探す。腕力や身長差では当然こちらが不利になるのであれば、身長の低さと若者の体力や柔軟性を活かした戦いをすればいい。



 時代映画や小説に慣れ親しむと棒切れを拾い、見様見真似に振るっていた幼少期のごっこ遊び。いつも目の前には敵がいて、時には囲まれていた状況を想像していた経験が意外にも役に立っていた。何十パターンと想定した動きに相手が嵌ってくれた時は喜びで足が震えたりもしたが、それが原因で負けたこともある。



 よし、と意気込んで部屋の隅に立掛けている木刀を手に取ってベランダへ出た。暗闇に紛れて素振りをしていると、タバコを加えたお父さんが和室から出てきてた。「木刀ばかり振っていると指が太くなるんじゃないのか?」室内の明かりで逆光になっているが、ニカッと歯を見せて笑ったお父さんに、「お腹周りじゃなければ女の子的にはセーフなんですー」答えにならない答えを返して木刀を振り下ろす。



 しばらく私の素振りを見学していたお父さんは両腕をさすりながら、「冷えるんだから程々にしておきなさい。お父さんはもう寝るから、部屋の戸締まりはしておくように」片手を上げて家の中へ。しばらく振るっていると身体が冷え切ってクシャミを一回、今日はもう限界だと判断して部屋に戻る。



「村瀬さん。絶対に犯人を暴くから空から見守っててね」



 振り返り空を見上げる。冬の澄んだ空にはいくつもの星が明暗様々に光っている。あの中のひとつが村瀬さんの光だと思うと心強くもあり、まだまだ子供のような発想の自分が気恥しい。これはセンセや友達にも言えない私だけの秘密にしておこう。どんな探偵や警察にも解き明かされない奥底に沈めてしまえ。



 木刀をいつもの場所に立掛け、視界の端、勉強机の上に投げてあった携帯が点滅している。携帯を開くとメールが二通、差出人はセンセと柴田先生からだった。



 先に柴田のメールを開くと、しばらくは平日の稽古を休むようにと書かれていた。理由としては二人目の犠牲者が私と同じ学校の生徒だったことと、犯人の手が届きやすい場所に私がいるからだという。門下生の安全を考えるなら当然の判断かもしれない。だけどその判断は少々不服だった。平日の学校終わりの稽古がお預けになるなら、これからしばらくはまた空想の敵を練習相手にしなければならないからだ。しかし、何かあれば柴田先生に責任の矛先が向かうので渋々受け入れてから返信した。



 もう一人の差出人、センセのメールといえば、彼が暇なときにのみ送ってくるどうでもいい内容だった。『記憶を継承せずに寸分違わない一日を繰り返すことに、疑問とか抱かないものなのかな。千回と同じ日を繰り返していたら流石にデジャブくらい覚えそうなものだけどね。明日の夕飯はサイコロステーキを食べる予定だ』意味も無ければ返答に困る気まぐれのメール。『時間が逆行しているのか、記憶がリセットしているのかによると思うな。前者だったら逃げ道はないと思うけど、後者なら私は日記を付けて違和感の正体を暴くよ。明日の夕飯がビーフシチューだったらいいな、とお母さんに進言する予定』どうでもいいメールにどうでもいい回答に希望を添えて返した。



 しばらく机の上に投げた携帯を視界の端に、明日の準備を整えていたが、二人からメールの返信が来ることはなかった。



 少しの寂しさを埋めるように散らばっている原稿用紙にペン先を押し当てる。



 書き途中の小説。



 主人公の浪人が目当ての女性を身請けするべく裏稼業で悪人を切り捨てる日々。コツコツと仕事をこなして金がたまるだけでは面白みも無い。柴田先生から聞いた数々の面白い話を盛り込もうと記憶を呼び起こす。



『どんな悪人でも初めて人を殺せば良心が痛む。二人三人と数をこなすうちに罪悪感は薄れ、さも当然の日常の一部へと成り、太刀筋に迷いが無くなりより業は昇華する。時には悪人より歪んだ正義感を抱いた者ほど、躊躇いなく人を殺せるものだ。やがては欲求の衝動に抗えなくなる。人の敷いた倫理や道徳はその強制力が強ければ強いほど、その人物がその枠組みに納まろうと必死なほど、一度踏み外した時の衝撃は強く、また、自制が効かなくなる傾向が強くなるんだよ』



 暴力を恐れる者が自身の命が他人によって危険に晒された時、その相手に必要以上な暴力を振るったりすることだろうか。優等生が万引きの味を知って何度も何度も繰り返してしまうのもそうだろうか。悪人も人を斬り殺す行為に躊躇いや自責の念といったモノを抱くのだろうか。



 崇高な使命であれば平然と当たり前のように割り切れるのは狂人だけだ。今一度初めから自分の小説を読み返して、主人公の心の動きや描写が足りないのでは、と疑問を抱いた。



——そうだ。人を斬り殺す行為に快楽を覚えていくことに忌避感を交ぜてみよう。最後まで人の心を持ち続けられるのは、惚れた異性の存在を支えにして、心の葛藤を書ければもっと面白くなるはず!



 ペンを持つ手に力が増したのは、いま最高に乗っている状態の表れであり、外部の一切が遮断されている状態に突入し始めている。



 指が動きを止めたのはクシャミをした時だった。タイマー設定にしていたエアコンは口を閉ざし、さきほどまで暖かかった室内の暖気は何処へ。日付がかわってから一時間半ほど経過していた。



 大分書き進められたような気がする。目が覚めてしまいこのまま素直に夢の中へと旅立てそうにもない。こんな夜遅い時間まで起きていることなんて滅多になく、朝、夕、夜の時間帯に感じられない澄んだ静けさがより私を興奮させる。



 部屋の扉を開けると廊下突き当たりにあるリビングは真っ暗だった。もう自分一人しか起きていない。ただ起きているだけなのに妙な、悪い事をしている気にさせられているのは何故か。自問したところで都合のいい回答しか返ってこない。音をたてないように扉を閉め、テレビを付けると意外にもまだ番組を放送していた。こんな時間に誰の為に放送しているのだろうとチャンネルを変えながら、しばらくの有意義な深夜こどくの世界に浸った。



 ようやく眠気で瞼が重くなってきたのは外がほんのりと白くなり始めた頃。今ここで寝たら確実に寝坊する。布団が魅力的に見えてしまうのは睡魔による幻覚だ。



「ちょっとだけ寝よう。大丈夫、お母さんが起こしてくれる……、と思う」



 自分に都合のいい言い訳をして布団に潜り込んだ。電気を消して布団に包まれる。最初は冷たい布団も段々と体温が温めてくれる。人肌の安心感。布団ママの抱擁。段々と意識が遠のく気持ちよさは最高の快楽なのだ。

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