第6話 首切り祭儀2
眠りについて三時間半。踏切や過ぎて行く電車の音が聞こえていても、眠りを覚醒させるには足りず、目を覚ます切掛けは一本の電話だった。
枕もとに投げた携帯電話の着信音が部屋に響き、手が勝手に枕を掴むと両耳を塞ぐように曲げた。防音能力に乏しい枕越しに鳴りやまない携帯電話へと手を伸ばす。着信相手より先に時刻を見て、まだ朝の10時半だと知った。
次いで発信者の名前、海津原梢子。
「どうしたの。まだ三時間しか寝ていないんだけど」
「ぼくはまだ一時間も寝ていないのに、呑気な作家先生ね。それより、テレビでもまだ報道されていないけど新たな被害者、例の首切り殺人事件の情報なんだけど、いるわよね?」
俺の意識は曖昧な睡魔の淵から浮上して、寝覚めのぼんやりとする思考はクリアされた。彼女の言葉を頭に留める準備が整ってから、「それで、次は何処で誰が」気持ちを落ち着かせて彼女に聞いた。
一人目が身近な人物だった。まさか二人目も自分の身近な人物であるはずがない、と言い聞かせながら鼓動は聞く耳持たずに強く、速く、跳ねている。
「誰が、というのはまだ判っていないよ。また身分を証明する私物が頭部と一緒に持ち去られているみたいだから。でも確か昨日の子、沙穂ちゃん。彼女の通う学校の女の子だというのは確かね。遺体は制服姿だったから直ぐに身元は特定できるでしょうけど」
「ごめんね、一回切る。五分後に掛けなおす」
彼女の返事を待たずに通話を切り、電話帳を開いて東儀沙穂へ電話を掛けた。コール音が鳴り続く。待つ間、コール音より早く心臓が高鳴って耳障りなくらいだ。
「あ、センセ。どうしたの? 珍しいね、センセから掛けて来るなんて」
「ああ、いや。いま何してるのかなって」
「これから道場に行くところだけど……、どうして?」
心音が段々と落ち着いてきた。殺されたのは彼女ではない。いずれニュースで耳にするだろうが、ここで彼女に伝えて怖がらせるのも良くはないかもしれないと判断してこの事は伏せておく。
「道場って何時に終わるの? もしよければキミの小説について話を聞きたいから、その後にファミレスでも、どう」
「センセの奢り!? やった! 13時くらいには終わると思うけど、待ち合わせは?」
「迎えに行くよ」
東儀さんは時間がギリギリのようで、受話口の向こうで早口に何かを言って切った。時間までまだあるので映画でも観ようとリモコンに手を伸ばしかけて止めた。
「ああ……、海津原さんに掛けなおさないと」
五分後に掛けなおすと言っておいて既に約束の時間は過ぎている。彼女の職業柄なのかたまたま携帯を弄っていたのか、初めのコール音が鳴りやむ前に、「久ちゃんの五分って十分なの?」受話口からは不満で膨れた声が届く。
「ちょっと調べものをしていたんだ。それで、事件についてだけど」
嘘は言っていない。
「まだ情報は集まってないから、そう多くの報告はないけどね。簡潔に言うわ。被害者は沙穂ちゃんと同じ学校の女の子。一人目同様、首無しの遺体が御座の上で血を溜めた壺を抱いた状態。殺害場所は金ヶ作自然公園。もちろん身分証明の一切を奪われている、くらいね」
「そうか、ありがとう。このまま情報集めをお願いするよ」
「この事件が解決したら何か御馳走を期待しているから。兄貴とは上手く話が付いたみたいだね。珍しい事よ、あの金の亡者が他人に興味をもつなんて……、いや、去年もあったかな、中野の事件で。まあ、いいや。きっと久ちゃんなら大丈夫よ」
今度は此方の返事も聞かずに通話を切った。切る直前に梢子さんはどこか嬉しそうだった。
情報屋は常に新鮮な情報を求めて横のつながりを維持し続け、自分の足で聞き込みをしている。とても多忙な仕事なのだろう。その時は高価で貴重な情報も一瞬でその価値を失うことが多々ありこれまでの苦労が無駄になると、酒を飲んで酔っ払った海津原さんが語っていたのを思い出した。
自分の立ち位置を再確認させるためにパソコンの前に座り、まだ締め切りに多少の余裕はあるものの創作作業を始める。
「俺もタイムスリップしたいなぁ。宝くじとかで一攫千金したいし、昔見た映画をまた大スクリーンで鑑賞できるなんて夢のようじゃないか。でも一攫千金は無理かな。だってそんなことしたら過去に戻りたいなんて思わなくなるかもしれないからね」
実際にはありえない夢の話。それが叶うのは夢や妄想、それこそ小説の世界くらいだ。タイムスリップとはいってもどの時代に飛ばされるかなんて分からない。自衛隊が戦国時代にタイムスリップをしてしまう作品を思い出し、あんな時代に自分が飛んだらきっと生きては帰れないと確信をもって言える。
ああいうのは画面の向かい側の創作作品として楽しむから楽しめるのであって、実際に、なんてのはご免だ。東儀さんなら跳んで喜びそうではあるが。特にSFや時代物といえば人死にが多いジャンルだ。間違ってもそんな世界に飛び込みたいとは思えない。いや、ホラーやミステリーだってよく人が死ぬか。結局は娯楽として現実側から作品を俯瞰して眺めるのが一番いいのだ。
――一人暮らしをしていると独り言が多くなるなぁ。
これはきっと大多数の独り身から共感を得られるだろう。
――いや……、民主主義の投票結果は全人口から集計しなければ、たまたまの結果だったか。
くだらない思考もいつのまにやら遮断して作業に没入していく。時間の経過を忘れてしまいがちなのであらかじめ携帯電話でアラームを設定していた。そうしていなければいま鳴っているアラームで、東儀さんを迎えに行く約束を反故にしてしまうところだったからだ。彼女の場合電話をしてくるだろうが、そのあとの罰が怖いので早めに家を出たかったというのが最たる理由。
陽が真上に位置していても寒い昼頃。安物のコートで厚着をして自転車に跨って住宅地を走る。いつものドラッグストアの大通りから近くの小学校方面へ。道場はその直ぐ近くにある。自転車でぶつかっていく冷風「耳が痛いなぁ」何度もぼやきながらようやく到着した。
そこまで広くはない平屋に手を加えたようで高い屋根、正直言ってボロい家屋。ここに来るのは二回目だ。道場の周りを石垣が囲み正面入り口には、『実戦向き剣術道場柴田一刀流』と筆で書かれていた。
「実戦向きって辺りがダサいな。剣術道場柴田一刀流じゃいけなかったのかな」
そんな感想を漏らしていると道場の扉が開いた。
「入門希望者ですか?」
道着を着た背の低い五十代くらいの男性が此方を見て言った。俺は自転車から降りて小さく頭を下げ、「すみません。こちらの道場に通っている東儀沙穂さんを迎えに来た者です」挨拶を交わした。
「東儀さんですか? 彼女はとても成長が早いですよ。好奇心が旺盛で、休憩中にもいろんな話を熱心に聞きに来ます」
「彼女、時代小説に目がないもので、御迷惑ではないですか?」
「彼女……? お兄さんではないと」
「いえ、家族ではありません。彼女の小説の先生をさせてもらっています」
「ああ、そうでしたか。そうですよね、身内を東儀沙穂さんなんて呼ばないか。よく伺っていますよ、売れっ子のSF作家の先生だとかで、そんな先生に小説の書き方を教わっていると嬉しそうに話していましたから。ええと、降幡先生で間違いなかったですか?」
売れっ子ではないので否定はしたかったが、どうせSFなんて読まないだろうと、そういうことにして話を進める。なにより自分で売れない作家発言はとても辛いのだ。
「東儀さんはまだ稽古ですか?」
道場は静かで休憩でもしているのかもしれないと思ったが、「ちょうど稽古も終わっていま備品を片付けていますよ。もしよければ中へどうぞ、寒いでしょう?」親切に甘えて早足に道場の中へ。
玄関には四人分の靴が並び、床は創造を裏切って畳が敷き詰められている。これでは剣道場というよりかは柔道場だった。向かって右側には扉が三つ並んでいて手前から男性、女性、トイレと書かれた札が掛けられている。左手の壁には木刀が何本も横向きに掛けられ、その上には師範と門下生の名前の木札が並んでいた。
師範を務めるこの男性は柴田総一というらしい。木札にそう書かれていた。東儀沙穂の名前も見つかり、あとは名前からして男性のようだ。つまりあの女子更衣室は東儀さんの専用部屋ということになる。しかし彼女はいつも自宅から胴着姿で俺の家に来てから道場へ向かう。彼女には必要の無い部屋だろう。彼女が入門する以前もあそこは女子更衣室だったのだろうか、と考えていると柴田さんが振り返り、「最近起こった首切り事件。たぶんですが、相当の使い手だと思われます」目付きを鋭くして言った。
「どうしてそう思われるのですか」
「こう見えて警察関係の方と知り合いなもので。それで遺体を見せていただいたのですが、断面から見て一刀で断ったのは明らか。木刀と真剣では重量も扱いもだいぶ違ってきます。普段から木刀を振るっているだけの剣士ではまず不可能でしょう。真剣に慣れていて、なおかつ人体構造を把握している熟練者の仕業です。しかし……、この時代に真剣なんてそうそう握れるものじゃないですけどね」
かつての時代。斬首刑で未熟な執行官は刀でなんども罪人の首を打ち付けていたと語られ、その様子をつい想像してしまい寒気が走った。何度も何度も首が落ちるまで刀を振り下ろされる痛みと恐怖は生半可なものではないはずだ。熟練者は素早く一刀で切り落とすので痛みはないというが、牧瀬君は死ぬまでにどれほどの恐怖を感じながら殺されたのか。彼の心境を想像するだけで腹の底から殺人者に対する怒りがこみ上げる。
「降幡先生、大丈夫ですか。こんな話を聞かされて気分を害されましたか。申し訳ありません」
「いえ、勝手に想像してしまっただけですので。一つ、斬首について伺っても」
「私に答えられることであれば」
「首は七つの頸椎という骨が連なって構成されていますよね。首を斬り落とす時は骨を断つのですか?」
「とんでもない。刀で頸椎は断てません。まあ……、断てなくもないですが刃が欠けてしまうでしょう。こう、首を前傾させることで頸椎に間隔が開くことで、椎間板が露わになります。そこを狙って刀を振り下ろすんです。少しでも軌道が逸れたり刃の角度を誤ると頸椎に当たってしまいますからね。今回の犯人はだいぶ鍛錬を積んだ者と考えるべきでしょう」
「柴田先生であれば首を断てますか?」
「実戦剣術と斬首はまた別です。私の技量では無理ですね。そもそも本物の刀に慣れていませんから。私の道場はかつての侍たちがどのように戦っていたかを教えているだけです。使うのは刀だけでなく、足払いや、そこらへんに落ちているものもから柔術、利用できるものは何でも利用する、言ってしまえば何でもありの剣術です」
言葉にはしなかったがチャンバラごっこのようなものと想像する。侍は刀だけで戦うものだと思っていたので意外だった。
「少し振ってみますか?」
勧められるとなかなか断りづらい。イエスマンというわけではないが、丁重に断る前に差し出された木刀に手を伸ばしていた。
ペンは剣より強し、という諺が頭に浮かんだ。
文学は武力よりも強い影響を民衆に与えるという例えだ。
――木刀ってこんなに軽いのか。
「こんな感じ……で、大丈夫ですか」
両腕は自然と頭上に持ち上げられて剣道で言えば上段。しかしそこから切っ先は天上には向けず、刀身は地面と水平に頭上で構える。
――されど、剣はペンより重しだね。
初めて握った木刀でもなんとなく手には馴染むものだった。
「あれ、センセ。もう来てたの?」
いざ振り下ろそうと意気込んだ途端に東儀さんが声を掛けてきた。
「えっ、えっ、センセ、剣術やるんだぁ!」
面白そうな芸の期待に目を輝かせる東儀さんと、俺の一挙手一投足を見逃すまいといわんばかりな眼力の柴田さん。異なる両者の視線に晒される俺としてはやりづらい。
「降幡さん。その構えは」
右足を広く右前方へ滑らせて大きく腰を落とす。
木刀は270度の円を描いて振り下ろされた。
ゆっくりと吐く息に合わせて左足を右足側へと滑らせつつ姿勢を伸ばしながら納刀。
「降旗さん。その剣術は何処かで習われたものですか?」
「剣術……、というよりは型でしょうか。俺も詳しくはありませんが、幼少期に父に叩き込まれたものです」
「他にはどのような?」
「教えられたのはこの型のみで、厳しく足の運びと姿勢の伸ばし方を指摘されましたね」
木刀を柴田さんに返して一礼した。
東儀さんの癖毛は汗でしっとりとしている。どうやら興奮している様子で、うずうずしながら、「センセ、格好良かったよ! ギャップに興奮しちゃった!」なんて身振りで彼女の状態を表現していた。
久しぶり背中を伸ばした様な気がした。昔は猫背になろうものなら叱咤の声と同時に鉄拳が飛んできたというもの。懐かしい思い出に耽る間もなく、「行こう! い、こ、う!」身体を動かして腹を空かせた東儀さんが意気揚々と拳を掲げる。
柴田さんにはもう一度一礼してから東儀さんと道場を出た。
「ここからは小説の修行ですか。若いのに頑張るのはいいことですよ。若い頃の苦労は買ってでもしろ、なんていう言葉があります。今の経験は将来に必ず役に立つという意味です」
「私も柴田先生のような剣士になれますか? あ、でも降幡センセみたいな売れっ子作家にもなりたいし。うぅん、悩む!」
「めいっぱい悩みなさい。悩む時間がたっぷりとあるのですから。自分に合った将来へ続く道をゆっくり探せばいいんですよ。二足のワラジを履くのも道の一つです」
東儀さんは柴田さんに頭を下げた。
「ささ、センセ。お腹も空きましたし、小説の話を聞いてもらいますよ!」
「柴田先生。今日は貴重なお話をありがとうございました。これからも東儀さんをよろしくお願いします」
同じように頭を下げてから道場を出た。玄関まで見送る柴田さんは穏やかな表情に一層の皺を作って、「東儀さん、好奇心旺盛なのはいいことですが、あまり危険な事に首を突っ込んではいけませんよ。好奇心猫を殺す、なんて言葉もありますから」笑いながら手を振って道場の中へと戻った。
「面白い先生でしょ。柴田先生はね諺が大好きな人なんだ」
「物知りだね。たぶん人に合わせた話し方ができる人だと思うよ」
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