第3話 秘宝は異常の奥に

 電動自転車で、息子が乗るバスを追いかけるのが、私の日課だった。

障害児学級のある小学校へ通うために、毎朝このバスに乗る。


信号待ちの多いバスは、簡単に追いつけるどころか、抜いてしまうこともある。

以前は、車で尾行していたけれど、幾度となく迷惑なところに停まっていることを、他のドライバーに叱られてやめた。


私が先に反対側のバス停に着いた。バスを待つ間、息が落ち着くまでしばらく時間がかかる。電動とはいえ、緩やかな坂を、五百メートルほど上がってきた。

バスが走り去ってしまうと、置き去りにされた荷物みたいに、小さな息子がぽつんと残っていた。

 息子は律儀にバスに手を振って見送ると、横断歩道の方に歩き出した。

 ここからでは息子がどんな顔をしているのかわからない。肩を左右に振って早足で歩く。彼が一人で歩く。

自由さを感じているのだろうか、生き生きとした雰囲気を醸し出している。


彼の無垢な息を吸い込んだケヤキの葉が、ああなんておいしい朝ご飯だろう、と喜んでいるに違いない。

 

息子が、交差点の横断歩道の前に立った。どうしてあんなに歩道の端に立つのか。はらはらするけれど、じっと我慢だ。

歩行者の信号は赤。朝、この時間走り去る車は、法定速度などお構い無しにスピードを上げて行く。もっと時間に余裕を持って出なさい、全員スピード違反だぞ、と私は思う。 

息子があと少ししたら、渡るはずの横断歩道を何度も何度も轢いていく。

 

一人の大学生らしき若者が、信号を無視して、中央分離帯へと走っていく。

(やめて)

息子が、お?行くの?みたいに、つられて、一、二歩、足を前に進めた。

「あーっ」

 私は、大声を上げた。

通りがかったビジネスマン風の男性が、振り返る。

 ピーッ、と車の警笛が空に吸い込まれた。息子はするりと歩道に戻った。


その瞬間、歩行者の信号は青になった。

(ふーっ)

 私は命をすり減らす。息子だって、すり減らした。

 

信号は守りましょう。こういうことが、あるんですよ。

さぁ、青だよ。

ん?息子は今の大ピンチに心を奪われているらしい。


ショック。

やじろべいのように両手を横に出して、身体を左右に揺ら揺らさせている。困った時に、よくやるやつだ。

永遠ともいえる、長くて憂鬱な一秒一秒が刻まれていく。

(どうしたの)

 息子がやっと気を取り直して、横断歩道を渡り始めたとたん、青の点滅になった。赤になってしまう。


「あぁっ、早くーっ」

 私は競馬場の観客のように、手に汗を握って叫ぶ。

 横断歩道の信号が赤に変わって、そして車道の信号が青に変わるまでの、一秒ほどの猶予を使いきって、やっとこちら岸の歩道にたどりついた。

ふーっ。

私は、安堵のため息を漏らす。

 ここから長い階段を上がって遊歩道に入っていくランドセルについた鈴がコロコロと鳴った。

ああ、良い音だ。

なんて、素晴らしい鈴なんだ。

 

あの鈴が鳴り続けている限り、息子は生きている。

私は電柱の影に隠れながら、息子の背中を見つめている。


彼には肩を並べて登校する友もない。放課後の約束もない。

さびしいね。

障害児って、つまんないね。

今は、何も見えないよ。

どうしてこんなにハラハラと、鈴の音と、一人ぼっちのつまんなさがあるのか。


だけど、お前は何回も練習したら、独りでバスに乗ってこうやって、登校できるようになった。

すごい子だ。

偉い子だ。


息子の後姿が、どんどん遠ざかっていく。歩くのが早くなった。

思春期の少し手前で、子供時代に終わりを告げる日も近い。

彼に青春が来るのだろうか。明るい真夏の太陽のような、青春が・・・。


 ・・・

なんて考えていた時から十四年の年月が流れた。


細くて、走るのも遅くて、弱弱しかった息子は、屈強な青年になった。

青春らしきものが、彼にも確実に訪れた。


ダウン症と呼ばれる少年少女も、当然ながら、十六、十七の頃には、きらっきらに明るくて、愛らしいことを知った。


とんでもない青春を見せてくれた。好きな友人がいて、部活をやり、水泳に打ち込み、うんと努力もしていた。


不良にもなりきれない、まじめにもなれない、

部活もやめた、バイトくらいしかしていなかった私の青春なんかと比べたら、

相当ハイレベルだった。


ダウン症って、何がいけなかったんだっけって、息子の中・高では思えた。


素敵な仲間たちのおかげもある。

特に、同じ障害の子を持つママやパパには、力をもらった。


入り口は、それはひどいものだった。ひどい言われようをすることがあるダウン症という『異常』。


でもね、これだけは言える。

『やってみなくちゃわかんない』


靴は、履いて、歩いてみなくちゃわからないし、

車は乗って、走らないとわからない。

家は住んで寝てみないとわからないし、服は着て動いてみないとわからない。


ダウン症児も、育ててみないとわからない。

『染色体異常』。


少なくとも、生まれてこられるダウン症の子は、産んで、育てて、暮らしてみないとわかんない。


返すわけにいかないし、交換もできないし・・・。


簡単に言うなって?


入り口だけは、本当にきついものであることは、認める。

特別な信仰もない、崇高な魂の持ちぬしでもない私には、

『ミス』に思えたから。


自分と、運命と、神様を、恨みつづけるくらいに・・・。


ところで、最近、すっかり息子を尾行しなくなった。

小・中・高、と全部尾行した。そして、お仕事の作業所は、一番バス通学が簡単だった中学校のそば。だから、はい、いってらっしゃい、と送り出した。

 

ところが、制服を着ていない障害児は、より安全・安心な行動が求められることになった。

近隣の蕎麦屋の道路にはみ出した傘などのディスプレイを触って、一人通勤が禁止になってしまった。


ところが最近、妙なのだ。


息子と一緒に歩くことが、楽しくてたまらない。どうしたんだろう。

これは、老化だと思う。

水泳とサイクリングで鍛えた屈強な体にひっついて歩くのは、温かいし、ひっぱってもらえるようで、楽だ。


あんなに自立をめざし、手放し、独りでさせたのに、私は自分が弱くなり、強くなった息子に頼っている。


まだ五十を少し過ぎただけなのに、ゆゆしきことだ。

重い荷物も持ってくれるし、背中をさすってくれる。

そのぬくもりの素晴らしさ。


これはですね。

ダウン症育児の『秘宝』と言える。


『あー、ありがとね』なんて甘えている。


もしかして、私の子育てはもう、終わったのだろうか。

もしかしたら、息子にとってあまり必要のない、私側の楽しみのための、『依存』に突入しているのではあるまいか。


これはさらなるゆゆしきことだ。

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