ダウンちゃんの秘宝

清涼

第1話 アンバランスな美

なぜ苦しみがあるのか。

振り返ってみると、苦しみはいつも笑い話になっている。

世界が割れてしまったかのごとく、悲しんだことが、消えている。


『本当にそうなった』

と思うことは、ひとつ残らずない。

だからきっと、今のこの、重苦しさも、さびしさも、胸を引き裂かれるほどの抵抗も、錯覚なのに違いない。


今はこんなに涙があふれても、行き止まりの冷たい壁を前に立ちすくんでも、ただくるりと壁に背を向けて、違う方へ行ってみるべきなのだろう。


私はそれを知っている。どうしていいのかわからなかったことなんか、

山ほどあった。だけど、どうにかなって、今にいる。

たとえばあの時。


私は、悲しくて、苦しくて、どうして良いのかわからなかった。


『お母さん、そろそろ父親の出番です。そろそろ、マスターベーションのやり方を、是非教えてあげましょう』

息子が小学校五年生になった頃だった。担任の先生との面談で、こんな風に言われた。

『一度でも精通があったら、もうあとは悶絶するほど出したくて出したくてたまらなくなるのよ。お母さんに、その気持ちはわからないでしょうけれど』

 

子育てはこんな風に、ある日突然、嫌なことが降りかかる。

せっかく素晴らしい朝の風に吹かれて、万能感に満ち溢れ、これからは、もっと一瞬に感謝して過ごしたいわ、なんて決心したばかりだと言うのに。


そうはさせないよ、だってここは『地獄』なんだから、

とでも言いたげな、『苦』がやってくる。


『だから、マスターベーションのやり方を教えてあげることが、親の大事な役割よ』

 そんな・・・、とか、まさか・・・、などと言う私に、先生は、

『お母さん、大人になりなさい』と命じた。


 私は三十六歳。十歳の息子と、四歳の娘を持つ、子育て真っ盛りの母親だった。

初見の問題は難しい。似たような問題をどんなに解いたつもりでも、

初めて見る問題は、なかなか解けるものではない。

『大人になりなさい』

 そう言われて、

『はい、わかりました。さっそく、先生がおっしゃる通り、マスターベーションの練習に取り組みます』

 そんなことは言えなかった。

 大きな抵抗がどーんと現れた。

 

息子が学ばなくてはならないのは、1+1が2になるということである。1+1は、11であると書く息子はまだ、性に目覚めてはならないのだ。1+1を覚える気がないのなら、性の快楽を覚える必要も、資格もない、という身勝手な怒りを私は必死でおさえていた。

 先生は国立大学で障害児教育を極めた立派な教育者であり、専門家だ。

そんな先生に反論する言葉は、なにひとつ出てこない。何か言わなくてはならないのだとしたら、

『やだ』

くらいのものだ。

『見て見ないふりをしたい気持ち、寝た子を起こすな、という気持ちは障害児のお母さんなら多く方が感じるのね。だけどね、正しい性処理の方法を教えてあげないと、お母さん、息子さんは最悪の事態を起こしかねないし、大変な醜態をさらすことにもなりかねないのね』

 思うに、障害児の子育ての前半戦は、まったくこんな風に面白くないことばっかりだった。

『こんなこと、お母さんに言いたくないけど・・・、お母さんが身体を提供したり、手でしてあげる子もいるんですよ。そんなの、嫌でしょう』


私はそのことを、夫に話した。とても気まずかった。

夫婦とはいえ、自慰行為について話し合うことなどない。

『先生も変なことをおっしゃる・・・』

 夫はぽつりと言った。

『でもね、それが障害児教育のルーティーンなのね』

 いつの間にか、先生の口調になって、自慰推進派として夫を説き伏せようとしている。

『いいよ、そんなこと。運動させればよい』

『あのね、それとこれとは、別なのよね』

私は大げさにため息をつく。あなたは無知なのよ、という先生の顔がよみがえる。

『あなたは何もわかっていない。大人になってよ。最悪のことになったらどうしたらいいの』

私は先生に恐怖を植え付けられて、夫に八つ当たりをした。

夫はまるで数時間前の私のように、息子を眺めて、しょんぼりしていた・・・。

 

 私は息子の水泳教室のコーチに相談した。

コーチは常識にとらわれない天才的な発想をする人だ。

コーチはこう言った。


『馬鹿なこと言うな。障害児っつったって、人によるだろうよ。申し訳ないけど、あなたの息子には、教えない方がいい。それに、そんなことを教えるくらいなら、他に教えることが、山ほどある』


これには一生モノの感謝をする。

それは正解だったと思う。

子育てで問題が起きる時、実は親が子の成長のスピードについていけていないということがある。

あまりにも最初に手がかかるために、ついそのスローペースの設定にしてしまう。ある時からとんでもなく早くなる。それは障害があっても同じだ。


まるで雨が空に放出されてから、地面に着地するまでくらいに早いのだった。 

成長が止まった側の私は、狭い檻の中で同じ場所で、ぐるぐる回る鹿みたいだった。普通の学校に通えないのに、普通の性機能を与えるという神のでたらめさを恨んだ。理不尽に息子を叱った。布団の中でうつぶせになって、もぞもぞしている息子の尻を叩いた。健常な息子ならば、見てしまった自分を責めるのだろうに。


毎晩、歯磨きの仕上げをしてやっているのに、ご飯をこぼしたら駄目よ、あらあら、とカレーのついた口を拭いてやり、鼻をかんでやっているのに、朝起きてきた息子のパジャマが尖がっている。それが私を混乱させた。

シャンプーを良く流せないからと、一緒に風呂に入る。下腹部の真っ白な肌に、ウインナーみたいのがくっついていたのに、みるみると毛が生えてきて、黒々としている。三十まで数を数えてから出るのに、ひげが生えてきた。


そのアンバランスさを認めるまでに、かなりの時間が必要だった。恋愛だとか、快楽とか、子孫繁栄につながるはずの生殖機能の入り口で、私は息子を憐れんだ。

『お前、一生、女性と愛し合うことができないのか。つまんないね』

そのどこから湧き上るともしれない力を、どこに当てるの?お前の生殖能力を、どこに流し込むの?


どこにもないね、それは無理だね。

私は夫と性を楽しむことができなくなった。


ママはお前のために、何でもしてあげたいよって言ったって、それだけはね。

息子の体液の中には、私や夫、親や、そのまた親たちの遺伝子が含まれている。私の『孫』よ、さようなら。医学的には、二分の一の確率で息子と同じダウン症の子供が生まれる可能性があるのだという。種の保存の本能なのだろうか。私はいつまでも悲しみというキャンデーを、舐めてはしまい、また時々取り出して、舐めた。

私は若く、未来を信じようとはせず、最悪の事態ばかりを想像する未熟な母親だったのだ。


だけど、私は独りじゃなかった。スポーツマンの夫がいてくれた。無条件に息子を宝物のように扱ってくれる両親やきょうだいがいた。夫は、目を覆う程のスパルタで、息子にスキーと自転車を教えた。水泳は、神様のようなコーチがついてくれて、平泳ぎで世界大会にも三回出場させてもらった。


夫のDNAで運動に向いていたようだ。消耗と発散と言う点で、確実に運動は性に向くエネルギーを転換させられる。

コーチの言った通りだったのだ。

今、息子は、ひっそりと自分なりの方法で、自室でのみ、時々行為に及ぶようだ。

うつぶせ寝で腰をふりふりしている。性器を触るという発想はないようだ。

教えなくて良かった、と思っている。


洗濯機の中にワンコイン程度、パンツが濡れている。私は淡々と洗濯をする。パンツは柔軟剤でフローラルの香りに満ちて、太陽と風に幸せそうに揺れる。

生きるってこういうこと。

かつて、あんなに私を激昂させたのは、なんだったのか。

五十を過ぎてみれば、息子には相当気の毒な怒り方をしたものだ。

私はまだ若く、子を産めるほどの生々しいエネルギーがあり、過剰に反応したのかもしれない。あるいは、『教える=近親相姦』というようなタブーに、恐れをなしたのかもしれない。

 かつて偉い先生が言ったような『最悪の事態』なんか起きていない。

息子にだって当たり前に人間の感情がある。

温泉旅行、海外旅行、ドライブ、サイクリング、スキー・・・。

人生の愉しみは豊かにあるのだ。


そりゃ、醜態は少しはさらしただろう。

不安になると、股に手がいってしまうことがよくある。

だけど、そんなの私も同じだ。

何か変な、馬鹿な癖は誰にでもある。

誰でも生きていれば、恥はかくものだ。


かつて私は1+1がわからない人に、健康な性欲や勃起力を持たせた神を恨んだ。

若さゆえ、『これは異常なアンバランス』と決めつけた。しかし、年をとってみればそれがどんななに傲慢な考えかと感じる。

1+1がわからないと、健康な性欲や勃起力を持ったらいけないだなんてどうして私が判断できるだろう。そんなアンバランス、誰にだってあるじゃないか。

 一生誰にも知られたくないアンバランス、犯罪に手を染め、ニュースをにぎわすアンバランス、いろいろある。

今の私には、息子の持つアンバランスさが、稀有な『美』に見える。うま味に感じる。やっぱり神は、でたらめどころか、完璧だ。

生涯を無垢なまま、他人と交わらないまま、身体が成熟していく息子。己の快楽のために、他人を介在しない息子が純潔に見える。

なんて可憐で、愛しくて、奉りたき存在とすら思ってしまう。自分の快楽のために、他人から奪うことに必死な己の姿があぶりだされるのだ。

私はこれまでの息子の子育てで、いつもたった一人、私だけが、別室に撥ねられてきた。それは一か月検診から始まって、就学時検診や、その後の進学でも、説明会の会場に座る私を、探す偉い人たちの目があった。指名手配の犯人じゃあるまいし。

とんとんと、肩を叩かれて、別室に案内された。大勢の中でわいわいやりたいのに、それはいつも許されなかった。

なぜなんだ、あ、わかった、ここが、地獄なんだね?

そうか、じゃあ、しょうがない。地獄なら、しょうがないよね。そう結論づけた時もあった。でも、そうじゃなかった。


大勢の人が、なかなか見られない、『美』を、私は観ることができているのだと感じている。

そうかといって、人生の残念な点は、美を見てどんどん賢くなっていくわけではないところだ。

一難去って、また一難。

いつも『今』には、問題がある。


だから、こうして、苦しかった昔を思い出す。

昔の大問題は、もう全部、過ぎ去って消えてしまった。


だから、『今』も、頭を抱えないようにしよう。

そして、かならず姿を現すはずのアンバランスな『美』を見逃さないようにしようと思う。

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